第三章 異端者たちの聖戦・1

 数少ない神聖騎士団員の味方であり、友人の副官。彼の顔を見たとき、イゼットの中では喜びよりも困惑が勝っていた。
「ユタ、どうしてここに?」
「イゼットさんたちに、どうしてもお会いしたかったのです」
 イゼットが慎重に問うと、ユタは深くこうべを垂れる。聖都で会ったときと同じきまじめな態度だが、言動の端々に焦燥感が漂っていた。
 何か起きたのだろうか。眉を寄せたイゼットの横で、カヤハンが帽子のつばをつまんで下げる。
「よかったらうち来る?」
「え、ええと」
 若者は返答に窮して、苦々しく笑う。神聖騎士団が絡む話題を、カヤハンの耳に入れてよいものかどうか。機密情報の問題もあるし、今度こそ彼の身を危うくするやもしれない。
 イゼットが結論を弾きだす前に、後ろから軽やかな足音が響いてくる。早朝の静まり返った町の中、その音は澄んだまま人々の耳に届いた。
「あ、イゼット! ここにいたんですね!」
 背中で弾けた声を聞き、イゼットは弾かれたように振り返る。ルーが大きく手を振っていた。そのかたわらには、シャハーブがいる。彼らは精霊研究者にもいつもの通りで声をかけたが――もう一人の存在に気づくと、反応が変わった。
 首をひねったルーは、徐々に速度を落とす。イゼットの隣で立ち止まり、相手をまじまじと見つめた彼女は、大きな目をみはった。
「ユタさん! どうしたんですか?」
「ルーさん、お久しぶりです。お元気そうでよかった」
 無邪気なルーに、ユタが軽く会釈する。曇天の中で繰り広げられるほほ笑ましい光景。そのかたわらで、男たちはそれぞれの理由で首をかしげていた。
「あの人、知り合い? さすがにイゼットたちは顔が広いね」
「喜んでいいのかどうか……」
「あの装備、神聖騎士団のものだな。なんでこんなところにいるんだか」
 まったく噛み合っていないそれぞれの呟きが、冷え冷えとした石畳に跳ね返った。

「……緊急事態?」
 イゼットたち三人は声を揃えて、目の前の青年が発した言葉を繰り返した。ユタは、重々しくうなずく。
 ――結局、ユタと共に、一度ヤームルダマージュを出た。ユタが使っていたという郊外の洞穴で腰を落ち着け、彼の話を聞くということになったのだ。ここ数日の雨のせいか、穴の中は未だにひんやりしている。周囲にひと気はなく、虫と鳥の鳴き声だけがかすかに聞こえてきた。その中で、ユタの語りはよく響く。
「事の発端は、バクル平原で『紫色の雲』が目撃されたことです。およそ二か月前のことでした。それが聖都に報告として上がったのが、半月ほど前です」
「紫色の雲……!」
 ルーが息をのむ。一同が数日前に行った方へ顔を向けたのは、自然なことだっただろう。ユタも、その方を一瞥した後に、ひとつうなずく。
「それから次々と同じような光景の目撃情報が上がりました。そこで、調査隊を派遣することになり、さらにその中から小規模な先発隊を、最も新しい目撃情報のあった場所へ送ったのです。しかし、先発隊は帰ってきませんでした」
 重苦しい沈黙が立ち込める。シャハーブはすまし顔で何やら考えているふうだったが、それ以外の三人は眉根を寄せて口を引き結んでいた。
 はあ、と大きく息を吐いて、ユタが頭を抱える。
「さらに問題なのはここからです。先発隊が帰ってこないことを受け、先日、聖都で今後の対応が話し合われたそうなのですが……そこで、聖女猊下と祭司長様が衝突なされたようで」
「衝突?」
 素っ頓狂な声を上げたのは、聖女の従士だった。ユタもその反応が予測できていたのか、力なく応答して肩をすくめる。
 ユヌス祭司長とアイセルとの間には、色々ある。昨今の、宗教闘争の再来かとも囁かれる対立をのぞいても、だ。それでも、今しばらく大きな衝突は起きないだろうと、イゼットや聖女のまわりの人々は踏んでいた。アイセルの気質のこともあるが、これから天上人(アセマーニー)についての調査をしよう、という段階だったからだ。いずれは衝突するにしても、それは聖女側が有効な切り札を手に入れてから。そのつもりで、動いてきた。
 しかし、思いのほか早く情勢が動いたらしい。
「アイセル猊下が調査の一時中断を求めたのに対し、祭司長様は調査の続行を主張なさったそうです。どちらも譲らないご様子だそうで……おそらく、聖教本部は殺気立っているでしょうね。今のところ実質的に調査は中断していますが、どう転ぶかはわかりません」
「あらら、なんだか大変なことになってしまいましたね」
 ルーがマグナエを巻いた頭を軽く抱えて、呟いた。イゼットは彼女に向けてうなずいた後、出かかった疑問を舌の上で転がす。それから、疑問を質問に変えて、目の前の青年へとぶつけた。
「それで……ハヤルがその調査隊に参加しているのか? ユタは、その関連で外へ?」
「いいえ、第三小隊は今回の調査に参加していません。ですが、紫色の雲の関連と隊長の名代で私がここにいるのは、確かですね」
 やや回りくどい言い回しに、イゼットとルーは首をかしげる。神聖騎士の青年は、苦笑をのぞかせた後に続けた。
「今回の目撃情報に関連して、第三小隊がヤームルダマージュに派遣されることとなったんです。この近辺にも似たような荒野があったということで、その様子見ですね」
 ――そう、アイセルが仕組んだのだろう。イゼットはすぐに気がついて、目をみはった。そして調査の合間にユタが抜け出して、彼らに合流し、情報交換を行う。そういう計画だ。ユタの意図をようやく完全にのみこんだイゼットは、居住まいを正して口を開いた。
「それでこちらにも来てくれたんだ……わざわざありがとう」
「いえ。大したことはありませんよ」
 ユタはふんわりと微笑する。しかし、その笑みはすぐに、生真面目な顔の下に隠れた。
「それで、なんですが。今の対立をなんとか和らげるためにも、天上人アセマーニーの情報が欲しい――というのが、隊長からの伝言です」
「なるほど。……おそらく、猊下が調査中断を求めているのは、天上人アセマーニーの関与を疑ったからでもあるだろうから。それを裏付ける情報が欲しい、というわけか」
「ふむふむ、そういうことですか。でも……これって聖教に知られちゃってもいいことなんですかね?」
 しきりにうなずいたルーが、その目をシャハーブの方へ向ける。見張りのつもりなのだろう、洞穴の入口を陣取っていたシャハーブは、数秒沈黙したのちに長々と息を吐いた。
「ま、聖女本人に伝わるのなら、構わんだろう。ユタとやら、間違っても変なところに話が漏れないようにしてくれたまえ」
「は、はい」
 尊大な男に対して戸惑いの視線を向けつつも、ユタは彼の言葉に肯定で応じた。
 そんなわけで、イゼットたちもユタに対して、これまでに知ったことをすべて話した。天上人(アセマーニー)の言い伝え、『叡智の館』のこと、月輪の石の正体に、それを狙う者たちのこと。そして――フーリとシャハーブのことも。
 話を一通り聞いたユタは、眉間に深いしわを刻んで、しばらく黙りこくっていた。先刻より顔色が悪く見えるのは、きっと暗がりにいるからではない。
「天上人……古い民話の存在だと思っていましたが、まさか実在するとは。いや、それよりも、月輪の石が彼らによって生み出された物で、その実態が、まさか、そんな……」
 ユタの声と口調からは、いつもの理性的な響きが薄れている。イゼットは、さすがに若い副隊長が哀れになった。
 聖教の信徒からすれば、天地がひっくり返るような話だ。動揺で済めばよい方である。いきり立って全否定したり、こちらを攻撃してくることだってあり得るのだ。ユタに関してはその可能性は低いだろうとイゼットは踏んでいた。彼は、あのハヤルのそばにいるのだ。おそらく最終的にはのみこんでくれるだろうという信頼もあった。が、それでも、彼の大切な物を壊してしまったという罪悪感はぬぐえない。
 再びの、沈黙の後。ユタがゆるゆるとかぶりを振る。
「……事実として、ヤームルダマージュ周辺の雲は消えていて、今は各地で似たような現象が相次いでいる。奇妙な人の目撃情報もあります。考え込んでいる場合ではないでしょうね」
 言い聞かせるように呟いた彼は、頭を上げた。青ざめたままの相貌を入口に向ける。
「シャハーブ殿、でしたか」
「何かご質問ですかな、副隊長殿」
「そうです」
 ユタは、そこで一拍置いて、続けた。
「仮に、今各地で目撃されているのが『反逆者』と呼ばれている天上人アセマーニーであるとすれば……我々人間は、どのように対応すべきでしょうか」
 シャハーブはふむ、と呟いて顎に指を引っかける。しばらく考え込むそぶりを見せた彼は、指を顎から離して天に向けると、軽やかに鳴らした。
「とりあえず、現地調査を続けるのはおすすめしない。仮に『反逆者』がその場にいて調査隊と接触した場合、戦闘は避けられぬだろうからな。そうなれば、『よどみの大地』に死体が積み重なることになろう」
 イゼットとルーは、思わず息を詰めて、お互いの顔を見合わせた。その横では、ユタが硬直していた。二人がなにか声をかける前に、彼は唾をのみこんだ。
「い、徒に犠牲者を増やすことだけは、避けなければいけません……」
「その意見には俺も同意する。死体はよどみを濃くする可能性があるからな。面倒事が増えるのはごめんだ」
 ユタが言いたいのは、おそらくそういうことではない。イゼットは思ったが、喉元まで出かかった言葉を吐き出すことはしなかった。シャハーブがそれを承知の上で言っているということに気づいたからである。
「それならば、神聖騎士団員のやることは決まっているだろう。なんとしても現地調査をやめさせるんだ」
「ええ……つまりは、ユヌス祭司長を説得せねばなりませんね」
 青年が言った瞬間、ルーが太い眉を跳ね上げた。イゼットも、反射的に顔をしかめる。イゼットを排除しようと動いた祭司長は、二人にとって敵も同然の存在だった。ユタも、あの老人のことは苦手らしい。
 シャハーブは珍しく、言いつのらなかった。若者たちのかもし出す雰囲気を感じたからか、それともイゼットたちの事情を知っているからか。代わりに、少し頭を傾け、いつものようにほほ笑んだ。そのとき、彼の両目に悪童のような光がひらめくのを、イゼットは確かに見た。
「よし、ではこうしよう。イゼットとルーは、当初の予定通り古王国跡地に向かう。そして、俺が副隊長殿に同行して聖都に向かう」
 ルーとユタが、目をみはる。言葉の意味をのみこめていなさそうな二人に向けて、シャハーブは付け足した。
「この俺が、祭司長様を説得して差し上げよう――ということだ」