第一章 女神の祭り場(2)

「教会裏の人魂?」
 ステラとナタリーが、ほぼ同時に首をかしげる。対して控えめに挙手したのは、トニーだ。
「聞いたことはあるな、それ」
 八つの目がトニーに集中する。咳払いした彼は、芝居がかった、しかしどこか投げやりな口調で語りだした。

 ――『それ』が最初に目撃されたのは、先月の半ば。共同墓地の警備をしている男が、たまたま近くの教会の前を通りかかったとき、裏手が妙に明るいことに気づいたという。神父がまだいるのかとも思ったが、ささやかな好奇心と警戒心に背を押され、彼はこっそり明るい方を垣間見た。すると、教会の裏庭に、なんと青緑色の光が浮いているではないか!
 その光は生き物のように飛びまわり、増えたり減ったりを繰り返していたという。
 彼は、驚きのあまり飛びのいた。これを目撃したのが自分の勤務地だったなら、さほど驚かなかっただろう。しかし、ここは教会。神聖な領域なのだ――

「この現象、半月経った今でも原因がわからなくて、ときどき目撃されるんだってさ。やっぱ場所が場所だから、目撃者や噂を信じた人たちは、過剰に怖がってるみたいだよ」
 ひととおり話し終えると、トニーはいつもの口調に戻って締めくくった。残る団員三人は、「不審」と語る互いの顔を見合わせる。
「なんなのよ、その『いかにも』って感じの話は……」
「でも、それさ。本当に人魂なのかな」
 身をすくめるナタリーの横で、ステラは首をひねる。トニーは、さあ、と言ったあとに自分たちの団長を振り返った。
「それがわからないから調査に行くんだ。なあ、団長」
「そのとおり。人魂でなければそれでよし、もしそうならしかるべき措置をとる。帝都民の不安を取り除く、重要な活動だよ!」
 ジャックは力強く拳をにぎって宣言する。大多数の帝都民が人魂など気にかけていないはずだが、彼はそんな細かいことを気にする性質ではなかった。それをじゅうぶんに承知しているほかの三人も、苦笑いをしつつ彼に応じた。
「いっちょ、張り切っていくぞ!」
「おおーっ!」
 そういう具合で団結した後、軽い声が空気を入れ替える。真面目ぶって切り出したそれは、レクシオのものだった。
「じゃ、団長。具体的な計画を教えてくれ」
「ああ!」
 変わらない明るさと勢いで答えたジャックが、計画の説明を始めた。実際の調査をするのは四日後、休日の夜。夕方に学院前に集合して、それから教会に向かう。そして、調査をする前日に下見をする。そこまで聞くと、団員たちは納得してうなずいた。
「ぎゅうぎゅう詰めな計画だなあ。ま、これから忙しくなることを考えたら妥当か」
「合同演習に試験に学院祭フェスティバル、いろいろあるもんね」
「考えただけで目がまわりそうだな。そのぶん、今のうちに楽しんでおかねえと」
「あのさー、レクシオさん。今回の調査はお楽しみじゃないと思うのよ」
「ナタリーは、なんで怖いの嫌いなのに『調査団』に入ったんだ……」
 にぎやかに、好き勝手に言葉を交わした彼らは、最後には団長の提案を受け入れた。これでお開き、ということにならないのが、この同好会グループである。
 ジャックの号令でひと区切りつくと、その先は気ままな雑談の時間だ。学習室に申し訳程度に置かれている椅子を勝手に借りたトニーが、ふと窓の外に目をやった。
「教会かー。敷地内に入るんだから、現場を見るだけじゃなくて、神父さんにちゃんと説明に行かないとねー」
「その通り。公共の場所だから、なおさらね」
 大仰にうなずいたジャックが、彼の視線を追う。今さらになってステラは、二人が教会の方を見ていることに気がついた。
 教会――人々の祈りの場であり、宗教の象徴。この帝国で広まっている宗教は多々あるが、最大の信者数と知名度を誇るのは「ラフェイリアス教」だ。主神・ラフィアとその旗下の神がみを崇拝している。
 ステラの現在の住まいは多種多様な人々が暮らす孤児院なので、宗教色の濃い物事とは無縁だ。しかし、実家にはラフィアへ祈りを捧げる場所があった、ような気がする。
「ラフェイリアス教か――実はあたし、あんまり知らないんだよね」
 思ったままを口にすると、みんなにぎょっとした顔で見られた。驚き半分、呆れ半分。冷たい視線にステラの方も驚いて、顔の前であわあわ手を振る。
「も、もちろん基本的なことは知ってるわよ。初等部の授業で習うくらいだし。女神ラフィアが銀色の翼と金色の翼を持つ女性の姿をしてるって言われてるとか、正式なお祈りの手順とか……」
「そんな大慌てで弁明しなくても」
 ナタリーが声を立てて笑う。それから彼女は、恥ずかしそうに頬をかいた。
「私らにとっては身近すぎるくらい身近だから、堂々と『知らない』って言う人を見たことがないってのもあってね。うちもじいちゃんとばあちゃんが熱の入った信者だし」
「俺の元いたところはいろんな宗教の人がいたけど、朝夕に鐘が鳴ると、熱心に祈ってる奴は結構いたねー」
 便乗したトニーが大きな目をくりくりさせながら言った。団長は大きくうなずき、レクシオは興味深げに聞いている。
「そこまで女神様を信じてるわけじゃないけど、教会がどんなところかは気になるかも」
 ステラはなんの気もなしに呟く。すると、椅子の背もたれに顎を乗せたトニーが目を瞬いた。
「じゃあ、下見の前に一人で見学したらいいんじゃない? 祈りの時間のすぐ後だったら、神父さんに直接お話聞けるかもしれないし」
「え、一人で!?」
「一人の方がいろいろ遠慮なしに訊けるじゃんか。大丈夫だよ、あそこの神父さんは、優しくて説明がわかりやすいって評判だからさ」
 ステラは腕を組んで少しうなったが、結局、行く気満々で「考えてみる!」とうなずいた。四人は、彼女の内心に気づいている。ある者は真剣に、ある者は生温かく賛同した。そして、今度こそお開きという空気になったところで、扉を開けたステラをなじみ深い声が呼びとめた。振り返ると、すぐ後ろに立っていたレクシオが、片目をつぶる。
「今から教会だけ見にいかねえ? 当日、一人だけ先に行くんなら、道に迷わないように」
「いいの? っていうか、レクは行ったことあるの?」
「そばを通っただけだけどな」
 いつもの調子で言葉を返した幼馴染の相貌に、わずかな翳りが見える。微妙な変化を気にかけつつも、ステラは彼の厚意に甘えることにした。「逢引デート? うらやましいわねー」という団員兼親友からのお言葉は、とりあえず聞き流して。
 いまだ生徒の多い廊下を抜け、玄関先で一度別れた二人は、学院の門の外で再び落ち合う。にぎやかな通りに出ると、どちらかが何かを言う前に、レクシオが半歩前に出た。迷いのない足取りで人混みを縫ってゆく。ステラは意外な思いでそれを追いつつ、きらりと光る若草色の瞳を見つめた。
 レクシオとの付き合いは長いが、彼について知らないことも多い。どこで生まれて、どんな家族で、なぜ学院に入ったのか。それに、彼が意外と帝都の地理に詳しい、ということも。
 彼が体の向きを変えたところで、ステラは思わず目をすがめる。
「こんなひと気のない場所、なんの用事で通りかかったの?」
「馴染みのお店に行った帰りにな。ちょっと冒険してみたくなった」
 ステラが半眼で見つめても、レクシオはむしろ楽しそうに答えた。二人の仲睦ましいやり取りを聞いているのは、塀の上で毛づくろいをしている猫一匹。
 レクシオの後についていくと、学院に続く通りから大きく東に逸れて、路地に入った。教会での大規模な集会やお祈りは、休日の朝に行われるものだ。だからだろうか、平日で昼下がりの今は人の気などまったくない。背中側から、人々のざわめきとやかましい車輪の音がかすかに響いてくるが、別世界の音のように思えた。
 不安の靄を感じながら、それでもステラはついていく。レクシオが足を止めた。ステラは彼の後ろから、路地の切れめをのぞきこむ。そっけない建物群に埋もれるようにして、目的の教会が立っていた。
 小さな教会だ。敷地面積も他の帝都教会に劣るだろう。けれど、きれいにされていて、庭らしき緑もある。そこだけはひしめき合う建物の陰になっておらず、暖かな日の光が差しこんでいた。
「さあ、到着。ここが今回調べることになる教会だ」
 幼馴染の少年は体ごとステラを振り返ると、急な三角形に見える茶色い屋根を手で示した。ステラは思わず笑ってしまったが、レクシオは意に介した様子もなく――というより、狙ってやったのだろう――教会に目を戻した。
「一人でも来られそうか?」
「大丈夫。学院通りから東に行って、路地に入った後は道なりに進めばいいのよね?」
「うん、そこまでわかってりゃー大丈夫だな」
 レクシオは腕を組んでうなずいた。偉そうな態度と言えばそうだが、それこそいつものこと。単純に彼の癖のようなものなので、ステラも今さら嫌な顔をしたりはしない。
 少年はもう一度教会を見上げる。一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに人当たりのよい笑顔に戻った。
「今調べてもなんも出てこないだろうし、帰るか。せっかくだから孤児院まで送ってこう」
「そりゃ、ありがとう」
 いたずらっ子のような笑みを交わしあって、二人は静かに踵を返す。
 直後、ステラは一度だけ振り返った。誰かがいたような気がする。しかし、見つめた先には先刻と変わらず、小さな教会が佇んでいるだけだった。

 ステラは、幼馴染と孤児院の前で別れた。
 彼も就学前はミントおばさんの孤児院にいたそうだが、今は寮で生活している。
 帝国学院の寮は家賃が馬鹿みたいに高いと評判だ。それをレクシオがどう工面しているのか、ステラは知らない。今のところ何か言われたという話は聞かないので、うまく回しているのだろう。
 ステラはといえば、孤児院に戻った後に少しだけ勉強して、小さな子どもたちの相手をしているうちに、夕食を作る時間になってしまった。そのときになってやっと、院長のミントおばさんに今日のことを話せた。
「あらあ、それじゃあエドワーズ神父の教会に行くのね」
 鍋の中身を混ぜながら確かめていたミントおばさんは、穏やかに目尻を緩める。意外な返答に、馬鈴薯を潰していたステラの方が目を丸くした。
「エドワーズ……神父? 知ってるの?」
「ええ。朝市に買い物に行くとよく会うのよ。いつも笑顔でのーんびりとした、いい人よ」
「へーそうなんだ。っていうか、意外と家庭的!」
 神父という人々に対して妙な先入観を抱いていたステラは、思わず叫んだ。くすくすと笑うミントおばさんから慌てて目をそらす。とそこで、料理の手伝いをしていた子どもの一人がステラを呼んだ。
「ステラ、お肉焼けたー」
「あ、はーい。ありがとうね」
 ほどよく馬鈴薯が潰せたところで、ステラは台所の隅で手を振る少年のもとへ行く。火を通したひき肉と先の馬鈴薯を四角い深皿に詰めていると、少年が身を乗り出してきた。
「ねえ、エドワーズしんぷの教会って、ちいさな教会だよねえ?」
「あーうん。多分そうだね」
「あのね、今日リーエンとその近くに探検に行ったんだ」
「そうなの? なんかおもしろいもの見つかった?」
「あんまり、おもしろいものはなかった」頬を膨らませた少年はけれど、すぐに好奇心旺盛な顔を年上の少女に向けた。
「でもね、けーさつの人が教会に入ってくの、見たよ。けーさつの人もお祈りするんだね」
 ステラは思わず、皿の中身を均す手を止めた。まじまじと少年を見返してしまったが、彼が首をかしげたので慌てて笑顔をつくる。
「そうね。ラフェイリアス教の人ならそうかもね。……よし。これ、一緒に焼こうか!」
「うん!」
 少年に明るく接するステラの内心は、穏やかではない。
 いくら信者でも、明らかにそれとわかる格好でお祈りをしに行く警察官などいないだろう。そうと思える人物が教会に入ったとしたならば、それは仕事として、のはずだ。
 おそらく彼とリーエンが探検に行ったのは、レクシオと一緒に教会を確かめに行くより前。少年もリーエンも、ステラが帰ったときには、孤児院にいたからだ。
 ステラは眉間を軽く押さえる。何かを思い出しそうで、けれど何もつかめない。
 ただ、今度の『調査団』の活動が何事もなく終わってほしいということを、ぼんやりと思ったのだった。