第三章 もうひとつの神話(4)

 剣と鎌がぶつかって、何度目かの金属音を響かせた。その反動を利用して高く飛びのいたステラは、続く大鎌の一撃から転がって逃れる。腰を低くしたまま走った。長衣の裾を至近に捉えた瞬間に、剣を跳ね上げる。しかし、これも防がれた。
 頭上でちかちか、光が瞬く。何か来る、と本能が警鐘を鳴らした。ステラが退くと同時、後方から火の玉が飛んで、光のかたまりを打ち消した。ジャックとトニーの魔導術だ。助かった、と内心で息を吐きつつ、ステラはじりじりと距離を稼ぐ。
 武器の到達範囲リーチが長い分、明らかにむこうが有利だ。懐に上手く入りこめれば状況は変わってくるだろうが、それがなかなか難しい。
 それでも、なんとか持たせなければならない。
 勝つ必要はないのだ。負けなければいい。『銀の選定』が、神父たちの儀式が終わるまで。
 片足を引いて、軽く腰を落とす。一度だけの深呼吸。背後を一瞥した少女は、地を蹴って駆けだした。青年も身構える。全身を覆う布が、夜の中でなびいて、その体を少し大きく見せているような気がした。
 大鎌が風を切る。空気をバリバリと鳴らすほどの一撃を、しかしステラは軽々とかわした。着地したときの衝撃をそのまま使って、前へ跳ぶ。振りかざされた凶器の刃をすんでのところでかわして、その下へと入りこんだ。
 長く、大きな武器の弱点。それは、攻撃を繰り出すときに動作が大きくなることだ。動きが大きくなればなるほど、隙が生まれやすくなる。その隙に上手く入りこみ、自分の有利な間合いに持っていくこと、それが長柄武器を持つ敵と相対するときの基本だ。ただ――今回は、この基本を守ることがよいかどうかはわからない。
 鎌の下をくぐり、ステラは青年の前へ出る。フードの下で彼が驚いたように目をみはった。初めての表情を堪能している暇は、ステラにはない。すぐに剣をひらめかせ、青年の首を狙った。
 あと少しで剣先が届く、というところで――けれどステラは、冷たいものを感じてかがみこむ。熱い。青白い光が瞼の上を通り過ぎた。機械の稼働音のような音が響いて消える。
 何が起きたのか、わからなかった。わからないながらも、嫌な予感を覚えてステラは青年のもとから飛びのく。青年はにやにやしている。その手もとには、やはり大鎌があった。ステラは鎌をにらみつける。その拍子に、奇妙なことに気づいて、目を見開いた。
 鎌のまわりが――いや、鎌自体が、青白く光っていたのだ。よく見ると、輪郭がおぼろげで、頼りなくすら思える。
「どういうこと……?『物』じゃないの?」
 物ではない、仮想の武器を作り出す。そういうことも、魔導術では可能なのだろうか。それとも、あれは魔導術ですらない何かなのだろうか。
 疑問は薄黒い靄になって、胸中を漂う。こういうとき、すぐに訊ける相手がいるとよいのだが、該当する人物は先の方へ行ってしまった。鎌の持ち主である青年も、聞いたところで教えてはくれないだろう。しかたがない、と気持ちを切り替え、ステラは再び助走をつけた。
 青年の目が光る。同時、ステラは足の向く先を変えた。ジグザグに走る。そうして一度、剣を振りかぶる。相手が得物を構えたところで、最初の狙いとはまったく違う方向へ切っ先を向けた。
「二人とも!」
 風切り音の中で、ステラは闇に向かって叫ぶ。
 声が消えるより早く、赤い光が瞬いた。少し間を置いて、青い光。ほどなくして、ぞわり、と全身に寒気が走る。来た、とステラは確信した。
 ステラには魔導士の素質はない。しかし、動物的な直感で、魔力の動きを察することはあるのだった。
 薄く広がる気配の上から、もうひとつ、頬を焼くような気配が覆いかぶさる。次の瞬間、甲高い爆音とともに煙が広がった。湿気を持った熱があたりに充満する。一筋滴った汗をぬぐって、ステラは強く地面を蹴った。
 跳躍。視界がほぼゼロの状態で、青年は少女の動きに気づいたらしい。影がぶれて、鎌が光る。瞬間、ステラは『鎌の上に乗って』剣を引き、再び跳ぶ。一連の動作にかかった時間は一秒にも満たなかった。
 突き、一閃。ぎりぎりで避けられた。切れた髪の毛が舞って、夜の底へと消えていく。ステラはすぐに後ろへ跳んだ。しかし、同時に彼女の目は捉えた。鎌がゆがんで変形するのを。
 光の蛇へと姿を変えた鎌が、一直線にステラへと襲いかかる。
「ステラ!」
 遠くから、声がした。どうしようもない。ステラはきつく目を閉じる。
 重力に引きずられる感覚。瞼のむこうが白く染まった。頭の上を灼熱が通り過ぎ、火傷のようなひりひりとした痛みを感じる。
 爆音がとどろいた。ステラはとっさに目を開き、体勢を整えて着地する。痛みは残ったままだったが、構っていられなかった。顔を上げる。はるか上空で、黄色い光が瞬いていた。魔導術の残光だ。ステラがそれに気づいたとき、ちょうど背後から足音が響いた。
「おおい、大丈夫か!」
「ジャック、トニー」
 振り返って名を呼ぶと、全身に汗をにじませた二人は、ほっと顔をほころばせる。しかし、ジャックがすぐに目を細めた。いつもは陽気な瞳の中に、刃が生まれた。
「ステラ。あれは魔導術じゃない」
「え?」
「魔導術が展開された後には、構成式が見えるはずなんだ。けれど、さっき鎌が変形したときには、それが一切見えなかった。構成式が展開される予兆もなかった」
 口早に語るジャックの横で、トニーがしきりにうなずいている。魔導科生二人の言葉には重みがあった。ステラも、嫌な予感に口を引き結ぶ。
「あれは――」
 ジャックが何かを言いかけたが、高らかな哄笑がそれをさえぎった。煙が晴れたそのむこうで、青年が笑っている。身構える学生たちに、青年は凶悪なまなざしを向けた。
「なあるほど。君たちは俺を魔導士だと思っていたわけか。檻に閉じ込められた卑小な人間の、卑小な技術と一緒にされるのは腹立たしい限りだが。今に限って言えば、その方が都合はいいか」
「どういう意味だよ」
 猫目を細めたトニーが、憤然と食いかかる。しかし青年は、ひるんだ様子をまったく見せない。
「知ったところで意味がないだろう? おまえたちは、どうせもうすぐ死ぬんだから」
「こいつ――」
「トニー」
 さらに顔をゆがめたトニーの肩に、ジャックが手を置く。友人のささやきで熱が冷めたのか、猫目の少年は息をのんで振り返った。
「見え透いた挑発に乗るなんて、君らしくないじゃないか」
 ほほ笑んだジャックの声は、言葉とは裏腹に明るかった。トニーはぎゅっと眉根を寄せて、少しうつむく。「ごめん」と呟いた彼に、団長はやはり、いつもと変わらぬ表情のままでうなずいた。
「彼は、僕たちの知らないことを多く知っているらしい。けれど、そのことは横に置いておこう。今すべきことをやるんだ」
 限界までひそめられた声は、それでも団長の一声らしい力強さを持っている。ステラとトニーは視線を交わしあい、無言でうなずいた。しかし、彼らの決意をあざけるかのような笑声が、空気を揺らす。
「むだだよ」
 ローブの青年が、再び大鎌を作り出していた。
「時間稼ぎのつもりだろうが、むだだ。神父たちのもとへは、俺の仲間が向かっているからな」
「……なんですって?」
「神父と一緒にいたあの二人も、いつまで生き残れるかなあ」
 青年の言葉が終わらぬうちに、背後から雷鳴に似た音がとどろいた。しかし、空は晴れ渡っていて、予兆を知らせるような雲もない。雷ではない――青年の背中側から細く黒煙が立ち昇ったのを、ステラたちは捉えた。
「げっ」
 トニーが顔をしかめる。さしものジャックも、渋面を隠し切れないようだった。彼らの反応を前に、青年だけが口の端を持ち上げる。
「残念だったねえ。俺の仕事も時間稼ぎなんだよ」
 回転した鎌が大気を裂く。ぶお、と重々しい音が全員の耳朶を震わせた。
 ステラは、剣を構えて負けじとほほ笑む。しかし、その笑みが引きつってしまうのは、どうしようもなかった。