第四章 新時代の『翼』(5)

 戦いは、唐突に終わった。あまりにも唐突すぎた。だからと言って、いつまでも呆けているわけにもいかない。
 夜の静寂の中で、ステラは大きく息を吐く。ちょうどそのとき、友人たちの呼び声を聞いた。
「ステラ、みんな、無事ー?」
 ナタリーが手を振りながら駆けてきた。そばには、トニーとエドワーズもいる。ステラは下手くそな笑みを浮かべて、彼らに手を振り返した。
 夜陰にまぎれていたレクシオも、ひょっこりと顔を出す。こうして、再び全員が集まった。
「うっへえ。揃いも揃ってボロボロだねえ」
 トニーが全員を見回して、大げさにかぶりを振る。そう言う彼が一番ボロボロで悲惨な格好なのだが、誰もそれは指摘しなかった。
「……それで、『銀の選定』は無事に終わった、ってことでいいんですよね?」
 レクシオが、エドワーズを見据えて問う。彼は「はい」とほほ笑んだ。
「儀式が妨害されることもなく、誰の命が失われることもなく、『銀の選定』は終了しました。協力してくださった皆様には、心から感謝申し上げます」
 エドワーズは深々と頭を下げた。それに対する学生たちの反応は、様々だ。いえいえ、と手を振ったり、ほほ笑みかけたり、照れ臭そうに頭をかいたり。
 しばらくそうして沈黙した後、エドワーズは頭を上げる。
「そして」
 言葉を繋いだ彼は、ステラを見据え――その場に膝をついた。
「え?」
 ステラは間抜けな声を上げる。ほかの四人も、呆気にとられて神父を見下ろした。
 エドワーズは、構わず、こうべを垂れる。
「女神の代理人、『銀の翼』よ。よくぞいらっしゃいました。長い間、お待ち申し上げておりました」
 そうだった。
 ステラは後ずさりしたくなったが、体が固まって、できない。
 神父の声は厳かに響き、月だけがその光景を見下ろしている。この空間を邪魔する者は誰もいない――というわけでは、なかった。
「え、ステラが『翼』!?」
 かたわらで聞いていたナタリーが飛び上がる。人数分の視線が彼女に集中したが、本人は気づいていないようで、愕然と目を開いていた。
『選定』の場に居合わせなかったナタリーは、誰が『翼』になったかを知らないのだった。同じく神父と共にいたレクシオがあまりにあっさりと現状を受け入れていたものだから、ステラはそれを失念していたのである。
 そして、ほかの四人もステラと同じだったようだ。顔を見合わせ、なんともいえぬ表情で肩をすくめている。エドワーズは、苦笑していた。
 ナタリーの反応のおかげで、ステラも少し気が抜けた。さりとて居心地が悪いことに変わりはない。改めて金色の頭を見下ろすと、あわあわと手を振った。
「あの、えっと、エドワーズさん……」
「――はい。承知しています」
 そういうのはやめてほしいです、とステラが言う前に、エドワーズはあっさりと立ち上がった。拍子抜けしているステラを見返し、エドワーズは優しく目を細める。
「私たちは『銀の翼』と『金の翼』に最大級の敬意を払います。ラフィア様や神族に次ぐ、信仰の対象でもありますから」
「はい」
「ですので、他の神父や神官の方も、ステラさんが『翼』とわかれば、先ほどの私と同じ態度をとるでしょう。いえ、もっと熱のこもった信心を向けてくる者もいます」
「は、はい……」
 淡々と述べられる内容に、ステラはげんなりしてきた。肩を落とし、うなだれた彼女に、神父は昼の光のようなまなざしを注ぐ。
「私にとってもあなたは信仰の対象です。……ですが、それ以前に私は、ステラさんという一人の女性を知っています。ラフェイリアス教をあまり知らないと仰りながら、教会を見学しにきた学生を知っています。
 いきなり敬われても困るというその心中も、わからないではない。ですから、私は可能な限り、以前と同じように接したいと思います。――お許しいただけるでしょうか?」
 ステラは、両目を瞬いた。エドワーズの表情は、予想以上に真剣だ。かえって、ステラの方が恐縮する。
「お許しも何も……むしろお願いしたいくらいです……」
 動揺の中、泣きそうな声で、なんとかそれだけしぼり出す。エドワーズは「承知しました」と、おどけたふうに頭を下げた。
「『翼』関係で困ったことがあったら、いつでも教会にいらしてください。私のわかることであればお教えします。必要とあらば、他の教会や総本山たるセント・ソロネ大聖堂の方々に、問い合わせることもできますから」
 はい、とか、ええ、とかそのようなことを言いながら、ステラは何度もうなずく。急に話が大きくなりすぎて、彼の言葉の半分は理解できなかった。
 話に区切りがついた、と取ったのか。ナタリーが肩を叩いてくる。
「いやあ。えらいことになったわね」
「ほんとに。どうしよう」
「……いや、まじで元気ないじゃん。大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
 しょぼくれたステラの声を聞いて、これは冗談事ではないと思ったのか。ナタリーは肩を叩いた手でそのまま、ぐしゃぐしゃの栗毛をなでてきた。それだけで本当に泣きそうになって。ステラはぎゅっと目をつぶる。
「どうしよう、団長。ステラがしょげてる。なんか怖いぞ、俺」
「……同感だけど、今はそっとしておいてあげよう。色んなことがありすぎたからね」
『クレメンツ怪奇現象調査団』の古参二人が、声を落としてそんなやり取りをしている。ステラにもばっちり聞こえていたが、それに反論する気力はなかった。代わりに応じたのは、彼女の幼馴染である。
「それがいい。いつも通りに接して、うまいもんでも食わせておけば、そのうちけろっと元に戻ってるでしょ」
 これには、さすがのステラも応じた。ほとんど条件反射である。
「あたしが食いしん坊みたいな言い方、やめてくれない」
「おっ。言い返せるなら大丈夫だな。安心した」
 半分泣きながら、ステラは「あのねえ……」と叫ぶ。それに対してレクシオは笑ったが、それはからかうような笑い方ではなかった。
 学生たちの戯れをながめていたエドワーズが、ふいに口を開いたのは、そのときである。
「大丈夫ですよ、ステラさん」
 全員が、一斉に神父の方を見た。
「あなたなら、大丈夫です。強い心をお持ちですから。それに――真実を知って、その上で支えてくれるご友人が、四人もいらっしゃるじゃありませんか」
 ステラは濡れた目を何度も瞬く。自分のまわりにいる人々を、一人ずつ見つめた。
 陽気で、けれど大事なときには冷静な団長。
 したたかで頭がよくて、そのくせ愛嬌のある少年。
 強く明るく、だけど怖がりな、初めての友達。
 そして――秘密だらけで子どもっぽくて、それでも一番信頼できる、幼馴染。
 なるほど。彼らと一緒なら、なんとかなるかもしれない。
 例え、敵が神様でも。
 ステラはふにゃりとほほ笑む。その拍子にまた泣けてきて、結局泣き笑いになってしまった。そんな彼女のまわりに、少年少女がまた群がった。

 騒がしい人間たちを見守っていた月は、少しずつ空の低いところへ移動を始める。新たな『翼』の生まれた夜もまた、終わろうとしていた。

「ラメド!」
 朱色の髪の少女は、男の姿を見つけると、顔を輝かせた。勢いをつけて飛びこんできた少女を、ラメドは優しく受け止める。
「アタシ、ちゃんと戻ってきたよ?」
「そうだな。偉かった」
 本当の幼子のように抱きついてきたアインの頭をラメドは静かになでる。そうしながらも、顔を上げた。ちょうど、視線の先には、不機嫌そうな顔をさらす青年が立っている。
「礼は言わねえぞ」
「必要ない。むしろ、怒鳴られるかと思っていたよ。戦いの邪魔をしたのは事実だからな」
「ふん」
 ギーメルは、ラメドの方をぎろりとにらむ。いや、正しくは、ラメドの肩にとまっているカラスを――かもしれない。
 視線は一瞬で逸らされた。満月を親の仇のごとく見つめて、ギーメルは口を開く。
「ヴィントの奴、威嚇だけして出てこなかったな。どういうつもりだったのやら」
「……奴が出てくれば、俺たちは全力で戦わざるをえなかった。その戦に、あの学生たちを巻き込みたくなかったのかもしれんな」
「そこまで殊勝な奴かあ?」
 心底疑わしげに、青年は目を細める。ラメドは肩をすくめ、「あくまで私の推測だ」と付け足した。頬をすり寄せてくる少女を、もう一度なでる。
「ともかく、いったん戻ろう。今夜の件、セルフィラ様にもご報告申し上げねば」
 ギーメルは答えなかった。しかし、ラメドが背を向けるとついてくる。男はそっとほほ笑んで――仲間たちとともに、夜の帝都から去った。