第三章 いにしえの戦士たち(4)

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「だぁから! この三人でわざわざ危険を冒すべきじゃないって言ってるのよ、私は! そんなこともわからないの!?」
「あなたこそわかっていませんわね! ひとつでも多くの手がかりを集めることが結果的に危険の回避につながるというものです。目の前にあるものにしか意識を向けられないのですか? 今までさぞ平和に気楽に過ごしていらっしゃったのでしょうね」
 高い声による口論は、少年のすぐそばで繰り広げられていた。カーター・ソフィーリヤは思わず耳をふさぎかけて、思いとどまる。それが彼の生命と精神を救ったのか、かえって追い詰めてしまったのかは、彼本人にもわからなかった。
 シンシアとナタリー。この二人と組むことになった時点で、嫌な予感はしていたのだ。それは何も彼だけではなかっただろう。くじ引きの結果を見た瞬間、あのブライスから憐憫の視線をもらってしまったのだ。カーターとしては顔だけでも笑うしかなかった。
 ナタリーという子のことはほとんど知らない。ただ、シンシアと学院で喧嘩した相手だ、というのは報告を受けていた。
 いくらか話をしてみたところ、悪い人ではないのだとわかった。よく気遣ってくれるし、カーターの魔導術にも興味を持ち、偏見なしで色々と訊いてくれる。『研究部うち』にもこんな人が一人は欲しい、と思うくらいだ。ただ、いま一人の少女が絡むと、態度がきつくなる。それはシンシアも同じことだ。二人は似た者同士なのかもしれない。もちろん、そんなことは口が裂けても言えないが。
 二人は事あるごとに意見を衝突させている。今も、シンシアが見つけた「何かの影」を追って道を外れるかどうか、という一件で議論しているのだった。
 高い声が舞い飛ぶ中で、カーターは必死に頭を回転させる。そして意を決すると、二人の方を『きっ』と見た。
「あのっ」
「何よ!」
「なんですか!」
 なけなしの勇気は甲高い二人分の声に粉砕される。カーターは悲鳴を上げて縮こまったが、震えながらも発言を続けた。
「どちらの意見も正しいと思います……。だから、とりあえず行ってみませんか? それで、ちょっとでも危険を感じたらすぐに戻る、ってことで」
 言葉はしりすぼみに消えていく。カーターは心も一緒にしゅるしゅると縮んでいくのを感じていた。情けなさに涙がにじむ。
 ナタリーとシンシアは尖った表情で顔を見合わせていた。ひりひりとした間の後、しぶしぶといったふうにうなずく。無言で身をひるがえしたナタリーとは逆に、シンシアが大きくため息をついた。
「カーターがそうおっしゃるのなら仕方ありませんわね」
 少年はほっと肩の力を抜く。周囲の空気が緩んで、ようやくまともに立つことができた。そうかと思えば、少女二人は足早に木立の方へと入っていく。カーターは芯のない声を上げてその後を追いかけた。
 シンシアの見つけた影というのは、一瞬で見えなくなってしまったらしい。情報もほとんどなく、なかなか見つけられなかった。そのうちになんとなく三人の緊張もほどけてきて、あまりぴりぴりしなくなった。
 周囲に気を配りながらも、カーターは鞄から紙束を取り出して、ひとつひとつ検分していた。横から、ナタリーがひょいとのぞきこんでくる。
「さっきから気になってたんだけど、その紙、なあに? 描いてあるの、多分構成式だよね?」
「ああ、えっと、そうですよ。表面に構成式を描いておいて、いつでも発動できるようにするんです。護符、あるいは術の符と呼ばれます」
 心臓が飛び跳ねる音を聞きながらも、カーターはなんともないふうを装って答える。符を一枚めくって確かめてから、それらすべてを鞄にしまった。
「ぼくたちが使う魔導術は古くからあるものなので、構成式が複雑だったり、使う前に儀式が必要だったりするんです。だから、今回のような状況が想定されるときは、なるべく簡単な術の式を何かに書いたり刻んだりして、持ち歩けるようにするんですよ」
 緊張をごまかすために話した内容に、けれどナタリーは思いのほか強く惹かれたらしい。腕を組んでしきりにうなずいていた。
「なるほど。何事も工夫次第ってわけね。それにしても、聖職系の術って、未だに効率化されないもんなんだ」
「色々決まり事があるので」
 この世のものではない存在に干渉することの多い術には、様々な制約がある。あまりむやみに『彼ら』と関わると、魔導士本人の体が乗っ取られたり、世界そのものの均衡が崩れたりするためだ。その制約が構成式に組み込まれているから、他の術のように効率化できない、というわけだった。
 そういう、『研究部』の人々があまり興味を持たない分野の話もナタリーは食い入るようにして聞く。カーターの仲間たちがそういう態度なのは彼を軽く見ているからではなく、単純に自分の専門分野と離れすぎているためだ。だからこそ、カーターはナタリーのそういう姿勢が不思議だった。単なる知的好奇心とも少し違う気がする。何か理由があるのだろうか。
 思考はぐんぐんと延びて、深くなっていく。まるで、この森のけもの道のように。
 それが突如として断ち切られたのは、前の方から高い悲鳴が聞こえたからだった。
 やわらかく波打つ長髪を乱しながら、シンシアが下がってくる。カーターはとっさに閉じたばかりの鞄に手をかけた。ナタリーも半歩前に出る。
「シンシアさん、どうされました?」
「き、木の間から黒いものが、飛び出してきましたわ」
 シンシアはおっかなびっくり、木々の狭間を指さした。森が薄暗いせいで、木の影がうねり、絡まりあっているように見えた。息をのんでいるカーターの横から、黒髪を振り乱して少女が飛び出す。
「なんで逃げてんの! こういうときは追いかけなきゃだめでしょ!」
 ナタリーは叫ぶなり、草木をかき分けた。カーターは制止の声を上げかけて思いとどまり、みずからも走り出す。シンシアも、一瞬顔をゆがめてからそれに続いた。
 当然、彼女が幽霊を前にしたときの自分を棚に上げていることを『研究部』の少年少女は知らない。
 細い枝を数本払いのけ、太い枝を潜り抜けたとき、別の木が激しく揺れた。鳥が飛び立ったらしい。カーターが顔を上げると、上空で黒い鳥の影が旋回していた。シンシアが「あっ」と叫ぶ。
「あの鳥ですわ、間違いありません!」
「えっと……カラスですかね? なんでこんなところにカラス?」
 枝の下から顔を出したカーターは、鳥の影を見上げて首をひねる。今まで小動物の一匹も見かけなかったというのに、なぜいきなりカラスが出てきたのだろう。彼が違和感に顔をしかめている横で、いま一人の少女が空をにらみつけた。
「あのカラス、もしかしてステラが言ってた……?」
「ナタリーさん。心当たりがおありなんですか」
「ちょっとね。この幽霊騒ぎに関係があるかもしれない」
 カーターは口もとに力をこめる。そう言われれば、無視するわけにはいかないだろう。視線を感じて振り返ると、シンシアがじっとこちらを見ていた。彼女の視線を受け止めた後、彼は一歩を踏み出す。
 その瞬間、空気が激しく動いた。揺さぶられた、というよりは、上から下へと落ちてきた、という感じだった。脳天からつま先にかけて、嫌な感覚が一気にはしる。ぞわぞわと、何かが這いまわるようなそれは、少し前に感じたものとよく似ていた。
 勝手に震え出した体を抱え、カーターは空を仰ぐ。
「これは……さっきの幽霊?」
 視線の先に、もうカラスはいない。
 学生たちは互いの青ざめた顔を見合わせると、勢いよく踵を返した。

 この三人でまた行動することになるとは思わなかった。ほのかな感慨に浸りながら、トニーは二人の少年の背中を見つめる。
 ジャックとオスカーの間に漂う空気は、お世辞にもよいとは言えない。けれど険悪というほどでもないのは、ジャックの振る舞いが普段とほとんど変わらないからだろう。オスカーの方はずっと無言を貫いているが、今やるべきことはやっている、という具合だった。
「ふうむ、妙だね。あれだけの現象が起きていながら、何も引っかからないとは」
 周囲の魔力を探っていたジャックが、顔をしかめる。トニーも無言で同調した。
 言葉を話せるほど強い力を持った霊がいる場所では、実際に姿が見えなくても何かしらを感じるものだ。幽霊にまつわる建物や目印が簡単に見つかることも多い。だが、この森では、簡単に見つかるどころかまったく出てこないのだ。不気味なほどに。
「『研究部』のみんなは、最初に慰霊碑を見たんだよね。そこには本当に何もなかったのかい?」
 いつもの明るい笑顔で、ジャックがオスカーを振り返る。大柄な少年は、黙ったまま作業の手を止めた。トニーは思わず息を詰める。
 ――関係が壊れたあの日、当事者の間で何が起きたか、詳しくは知らない。トニーはその場にいなかったし、のちのジャックも多くを語ろうとはしなかったためだ。ただ、衝突が起きる前から、オスカーがジャックを避けるそぶりを見せていたことには気づいていた。本人に直接訊いたわけではないので、彼の思い込みかもしれないが、おそらく大きく外れてはいないだろう。彼を避けてしまう人の気持ちも、わからなくはないのだ。
 だからこそ、一度離れたオスカーはきっと、二人に近づいてこようとはしないだろうと思っていた。学院生活の中でその機会ができても、距離を取ろうとするだろうと。
 そんなトニーの予想に反して、オスカーはこのとき、口を開いた。
「慰霊碑の周辺にそれらしい気配はなかった。カーターにも確認したから間違いない。慰霊碑じたいは帝国側が建てたものみたいだったな」
「そっか。参ったな、本当に手がかりなしだ」
 ジャックは考え込むそぶりを見せたが、その表情は明るい。命にかかわる状況だというのに、探検を楽しむ男の子のようだ。そんな彼の姿を見ると、トニーはほっとする。今もかつても、幾度となく心を救われた。オスカーは、どうだったのだろう。
 感傷を押し隠し、トニーは親友を見上げる。
「ほかのみんなはどうしてるかね」
「どうだろう。今のところ危険なことは起きていないだろうけれど」
「逆に、なんか手がかり見つけてたりしないかな」
 切れ長の目が瞬いた。怪訝そうな顔はすぐに、朝日のように輝く。
「可能性はあるね。一度、みんなの状況を確かめてみた方がいいかな」
 指を鳴らしたジャックは、「どう思う?」と二人の少年の方を見た。トニーは帽子のつばをつまんで笑った。オスカーはすぐには答えなかったが、軽く頭を傾けた。
「どうやってほかの連中と会うんだ。居場所がわからないだろう」
「そうだね。ナタリーくんたち三人なら魔力を探れるから、彼らを探すというのはどうだろう」
「……なるほどな」
 呟くと、オスカーは「なら、そうするか」と小さく続けて立ち上がった。ジャックとトニーは顔を見合わせて苦笑すると、彼に続く。
 魔力を探り、辿るのは魔導科生二人の得意分野だ。トニーが先頭に立ってあたりを探ることにした。いつものように団長を先頭にしなかったのには、理由がある。
 どこまでも静かな森を歩く。トニーはできるだけ広範囲に意識を集中させ――すぐにナタリーの魔力をつかんだ。長年一緒にいるので、ジャックの足音並みによく覚えている。
 そのなじみ深い力をゆっくりと追いかける。目に見えないものに集中しているため、自然と足は遅くなった。ただ前を向いて、誰にも話しかけず、進んでいく。
 ナタリーの魔力はほかの二人のそれとともに、固まって動いている。シンシアやカーターとは彼女なりに上手くやれているということだろうか。
 思考の端に割り込んでくるのは、長いこと、草木のざわめきと足音だけだった。動物の気配がないのは気味が悪いけれど、こういうときにはとても助かる。
 静かな時間。それを終わらせたのは、少年の低い声だ。
「おまえたちは、本当に変わらないんだな」
 オスカーの声。ともすれば聞き逃してしまいそうなそれを、しかしトニーの研ぎ澄まされた聴覚はしっかりと拾った。
 答えたのは、ジャックの笑い声。
「そう言う君も、変わっていないよ。まっすぐなところと、人を放っておけないところは」
 心がざわめいた。トニーは想像の中で己の頬を叩く。
 集中、今は集中だ。そのために自分が前へ出たのだから。
「当てつけのつもりか」
「いいや、そんなことは全然考えていなかった。ねえオスカー、僕は、あのときのことは気にしていないんだよ。その後のことも」
 オスカーが黙りこむ。その沈黙から、怒りのような苦渋のような、なんとも言えないよどんだ感情をくみ取った。トニーは、口を挟みそうになるのをこらえる。魔力を探り続けることで、ざわつく心をごまかした。
 ジャックの言葉が、明るいまま続く。
「停学中の君のところに通っていたのも、君を侮辱したくてやっていたわけじゃない。ただ純粋にそうしたかっただけなんだ。けれど、それがかえって君を傷つけていたのなら――」
「そういうところだ」
 オスカーの声が少し高まって、その言葉をさえぎった。ジャックが気圧されたように沈黙する。その気配を、トニーは久方ぶりに感じた。
「おまえのそういうところに、付き合っていられなくなったんだ」
 二人がどんな顔をしているのか、彼からはうかがえない。だが、オスカーの一言は苦みと激情を凝縮したようであった。
 その一声が、再びその場に沈黙をもたらす。
 トニーはため息をつきたくなった。代わりにナタリーたちの魔力を一生懸命つかんで、逃すまいとする。少しずつだが近づいてきた。この調子ならすぐに合流できるかもしれない。そう思った矢先、トニーは別のものを拾い上げて、目をみはる。思わず素っ頓狂な声を上げた彼に、二人分の視線が集まった。
「どうしたんだい、トニー」
「いや……なんか一瞬すごい魔力を拾った気がして……。なんだろ、どっかで感じたことがあるような」
 静かで強大な魔力。知らない力だったが、初めて接した感じもしない。かといって、いつどこで遭遇したのかもわからない。
 思考と記憶がめちゃくちゃに絡まりあう。形容しがたい息苦しさにトニーは頭を押さえたが、すぐに考え込むどころではなくなった。
「何者だ」
 押し殺された、オスカーの声。
 それに二人が振り返ると、彼は右側に広がる茂みと木立をにらみつけていた。
「さっきから俺たちを見ていたな。何が目的だ」
 何も動きのない木々のむこう側に、オスカーは問いかける。すると、木と木の間で影がゆらりと動いた。ジャックとトニーは息をのむ。影はすぐに見えなくなったが、オスカーを警戒させたであろう嫌な空気は。まだその場にとどまっていた。
 猫目の少年は、指を広げる。その先に魔力を集め、構成式を組み立てようと試みた。だが、直後に全身を駆け巡った悪寒が、試みを阻んだ。
「何か出た」
 ジャックが、二人とは別の方角の空をにらみつける。あろうことか、彼の手足と声が震えていた。
「少しだけど、音も聞こえる。……笑い声、のような」
 トニーは魔力を解散させて振り返る。確かに、かすかだが子どもの笑い声のようなものが聞こえる。それは、記憶に新しい音だった。
 一瞬視線を交わした後、彼らは一斉に走り出す。大きな影のことは、いったん頭の隅に追いやった。
「別の連中のところに来たか」
 走りながら聞いたオスカーの言葉。何気ない独白であっただろうそれは、トニーの胸に引っかかって、なかなか取れなかった。