仲良しの形

 ころころと、音が跳ねた。マリオンは、木の実が転がるさまをとっさに連想した。現実に木の実が転がるときは、これほどかわいらしい音はしない。そこを想像力で補ってしまう人間とはふしぎなものである。
かわいい音に釣られて振り返ると、ちょうど扉が開いて一組の男女が入ってくるところだった。新たなお客様はまだ若い。学生か、違ったとしても卒業したてといったところだ。瀟洒な衣服に身を包んだ二人は、入店するなり静かに帽子をとって、和やかに会話しながら商品棚に鎮座する瓶をながめはじめた。扉が開いた瞬間から手をつないだままだ。仲の良さを隠そうともしない二人を、マリオンはつい目で追ってしまう。
「そんなにうらやましけりゃ、おたくの旦那と一緒に来りゃあよかったものを」
 からからと笑う、老婆の声で我に返った。慌てて、握りしめている小瓶に視線を戻した彼女は、その瓶が半透明のままで中の薬草も無事だとわかると、顔を上げた。この店の主、紫色の 長衣ローブで身をくるんでいる老婆と視線がぶつかる。ちなみにこの長衣には同系色の模様が入っているのだが、その色合いと雰囲気がマリオンはどうも苦手だった。むろん、口には出さないが。
 老婆は、顔じゅうのしわをさらに深くして笑う。意地の悪い微笑にマリオンはため息を返した。
「うちの旦那は今忙しいのよ。あと、ここみたいな匂いの強いところが苦手」
 真っ白い人差し指をぴんと立てて、茶色い五角形の浮かぶ天井を指さす。木のぬくもりを感じる店にはいつも、薬草の葉やら花やらの匂いが充満している。少々のことなら心地のよい香りも、ここではあまりに強すぎて、長居すると嗅覚が麻痺しそうだった。薬を作っているときには煙の臭いも混ざるので人によっては辛い環境になるだろう。
 店主の老婆はまったく動じたふうもなく、けたけたと笑っている。当然といえば当然だ。
「あの坊やには合わんじゃろうな。獣の血の臭いならいくらかいでも平気そうだが」
「ちょっと」
「冗談、冗談。そう怒りなさるなと」
 眦を吊り上げたマリオンを見ても、老婆は笑ったままである。小娘の怒りなど、日々の空模様以下であるといわんばかりの態度だ。なんだか怒るのもばかばかしくなったマリオンは、手にした小瓶をかたわらの籠にねじこんだ。すでに籠は瓶やら箱やらで満員状態である。
「じゃあこれで、お会計お願い」
「おお、またずいぶんと買い込むの」
「めったに来られないからね」
「ま、銭を落としていってくれることに文句はないわい」
 ねっとりとうそぶいた老婆は、マリオンから籠を預かると己の仕事場へ踵を返す。自分よりよほど「魔女」じみている女の背をマリオンは無言で追った。

 足早に店を出たマリオンは、何事もなかったかのように一人で歩いていく。どこからか心地よい風が吹いてきて頬をなで、それと一緒に無邪気な若者の笑い声を運んできた。楽しげなそれに誘われて、マリオンは反対側の通りに視線を巡らす。四、五人ほどの少年少女がつつきあい、じゃれあいながら歩いてゆくのが見えた。彼らが何事か言いあいながら王城の方を指さしたところで、一頭立ての幌馬車が石畳を騒がせて目前を横切ってゆく。肩をすくめて半眼になったマリオンは、通りから視線をはがしてまた歩き出した。
 彼女の行く先に王城の影が見える。薄曇りの空を貫いている尖塔は光の具合もあって黒っぽくも見えたが、金の装飾の華やかさはここからでもしっかり目に付いた。王城前の広場で合流、という朝の約束を繰り返しながら歩く。途中で焼き菓子の甘い香りに引き寄せられそうになったが、今は我慢だ。合流した後に二人で好きなものを買えばいい。
 四半時間ほど歩くと広場が見えてきた。何か催し物でもあるのか、妙に人が多い。今も一組の親子連れが広場へ入っていくのが見えた。
「広場を集合場所にしたのは失敗だったかな……?」
 垂れてきた横髪を耳にひっかけつつ、マリオンは呟く。人が多いところと女性が苦手な彼にとって今の広場は苦痛だろう。とはいえ、王城からもあの店からもそこそこ近くてわかりやすいのは広場くらいなものだ。しかたがない。
「なあなあ、そこのお姉さん」
 耳元で陽気なグランドル語が聞こえる。マリオンは無意識に顔を傾けた。悪意はないのかもしれないが、「お付き合い」の概念が存在するグランドル人の 調子ノリにはいまだに慣れない。
「お姉さん、聞こえてるかい?」
 また聞こえた。と思ったところで、マリオンはようやく自分に向けられた言葉であることに気がついた。声のした方に顔を向ける。愛想のよい微笑を浮かべた若い男が、顔の前でひらひらと手を振っていた。くせのある、赤茶けた短髪はどことなく知り合いの少年を思い出させるが、にこにこと笑う男の表情は大人しい彼とは似ても似つかぬものだった。
「ああ、すみません。私に声をかけられていると思わなくて……」
 なんとなく嫌な予感を覚えつつも、マリオンは困ったようにほほ笑んで言った。若者は驚いたふうに目を瞬かせたが、すぐに先ほどと同じような笑顔を見せる。
「いやいや、気にしないでくれ。それよりきれいなお姉さん、これから一緒にお食事でもどうだい?」
「すみませんがお断りします。私、連れと待ち合わせしているので」
 やっぱりこういう手あいか! と心の中で舌打ちしつつ、マリオンは丁寧かつ端的な口調で誘いを退けた。頼りなさげな表情とは裏腹にきっぱりと言い放たれたせいか、若者はまた、きょときょとと目を見開き、眉を上げている。たいていの輩はここまできっぱり断れば退散するのだが、今回の相手はしぶとかった。驚いた一秒後にはもう、明るい調子を取り戻したのだ。
「ちょっとだけでいいから、付き合ってよ。すぐそこにおすすめの店があるんだ」
「ですから、待ち合わせしていると――」
「ちょっと遅れるくらいいいだろ、な?」
 少しずつ自分の目のあたりに力が入るのを感じながらも、マリオンはふと若者の周囲に視線を投げた。同じ年ごろ、もしくは少し年上ていどの男たちがにやにやしながらこちらを見ている。そのうち二人からはどことなく覚えのある悪意を感じた。
 肩に手が置かれる。
 同時、マリオンも後ろで左手を動かす。ほとんど無意識だった。自身の魔力を雷電に変換して八方に放出する魔術の方陣。それを自然と編んでいた。
 方陣が後戻りできないくらい形を持つ、その直前。
『やめとけ。ここでやったら大変なことになる』
 少し大きな、そして力強い一声が飛んできた。
 若者が手と体を震わせて固まった。幽霊でも見たかのような顔で左右をうかがっている。彼への制止ともとれる言葉はしかし、確実にマリオンへ向けられたものだった。放たれた言葉は、彼女の母語・シェルバ語だったから。
 そうしているうちに、マリオンの正面から一人の青年が現れた。彼女と同じ髪の色、彼女とよく似た瞳の色を持つ彼は、顔の形が少し角ばっていて鼻は高く、肌は白い。一目で異邦人とわかる彼に気づいた男たちが、怪訝そうな顔をしている。青年は彼らに淡白な一瞥をくれてから腰に手を当てた。
「あー。どうも、俺の連れが世話んなったようで」
「連れ? あんたがか?」
「そ」
 くせ毛の若い男は、先ほどまでとは打って変わって険悪な声で応じた。しかし青年は気づいていないかのような表情でうなずき、左手でマリオンを示した。
「気を付けないとそいつ、キレて何しだすかわからないから要注意。誘う相手は選んだ方がいい」
 あと、と付け足して、彼は手を右へ――若者の前へ動かす。その指先で、魔力が光となって軽く弾けた。
「俺もキレると何するかわかんないんで。機嫌がいいうちに逃げることをおすすめする」
 淡白な脅しに、相手は青ざめた。じりじりとマリオンから距離を取り、最後には「失礼しました!」と言って逃げ出す。周囲の人がいぶかるような視線を向けたが、すぐにそれは逸らされた。
 非日常的な日常の空気が戻った通りで、マリオンは青年――ロトとの予定より早い合流を果たす。
 ロトは軽くため息をつくと、マリオンに向かって手をあげた。海の色の双眸は相変わらず不機嫌そうだが、少しだけ憂いの色も浮かんでいる。
「平気か」
「うん。……世話かけてごめんね。去年の一件から気を配ってはいたんだけど」
「いや、気を配っているのはよくわかった」
 ロトが思わせぶりな口調で言うなり、腕を組んだ。
「むしろ、ちと神経質になりすぎ。王都の目抜き通りで集団感電事故でも起こすつもりだったか?」
 うひぇ、と妙な声を上げて、マリオンは凍りつく。先ほど編みかけた方陣のことだ。ひっかけ男どもは気づいていなかったようだが、ロトの目にはしっかりとまっていたらしい。
「…………すみません」
「ま、未遂だし気づかれてなかったし今回はいいだろ。俺ももう少し急いで来ればよかった」
 ロトの骨ばった手が、マリオンの頭をぽんぽんと叩く。「求婚」以降、微妙に立場が逆転してきているのが、マリオンとしては気恥ずかしくて、一方で一抹の喜びもあるのだった。
 マリオンは顔を上げる。その先には、いつもどおりの仏頂面の青年がいて。彼はいつもより柔らかく目を細めると、人と馬車の行き交う目抜き通りをざっと見回した。
「さて。用事も済んだし、メシにするか」
「そうね。ちょうどお腹減ってきたし」
 お腹をさすって笑ったマリオンを見、ロトは軽く肩をすくめる。それから二人はどちらからともなく、人の流れに逆らって歩き出した。王都にはおいしそうな食べ物のお店がたくさんあって歩いているだけでも目移りしそうだ。冷静なロトと一緒でよかった、などとマリオンは思う。
「さて、何を食べようか」
「揚げ物の気分ではないな」
「消去法かい」
 そんなやり取りをしつつ、「魔女」な老婆の店の手前の角を左へ曲がる。横合いから、ふしぎな香りが漂ってきた。馴染みの串焼きのような塩気があって、けれど少し後に、さわやかな苦さが鼻を通り抜ける。
「やあやあ、そこの仲良しなお二人さん」
 陽気な声が呼び込みをかける。二人が顔を見合わせ、それから振り返ると、褐色の肌に黒髪のふくよかな女性が、白い歯をこぼして笑っていた。隣にはよく似た顔だちの小柄な男性がいて、こちらもなんだかほほえましそうな表情だ。
「東方が一国ヤプチェ名物、香草スープはいかがかね?」
 二人はまた、顔を見合わせる。二人の笑顔と、その背後の鍋からのぼる湯気を見て、ロトが表情をほころばせた。
「興味あるな」
「同じくー」
「今日の昼飯はここにするか」
 賛成、とマリオンは拳をにぎる。その彼女を見て、ロトは小首をかしげた。
「やけに嬉しそうだな」
「そう? 気のせいじゃない?」
 自分でも弾んでいるとわかる声で返したマリオンは、頭に疑問符を浮かべるロトから離れて、先ほどの女性に声をかけた。少し遅れてロトも追いついてくる。
『そこの仲良しなお二人さん』
 歌うような声がけが耳の奥によみがえり、心の深いところをふうわりと包みこんだ。