018.誰もいない

 女は、空の上から戦場を睥睨していた。
 激しさを増す戦。金属を打ちあう音は死を告げる鐘の音のようであり、女の見つめる先からは絶え間なく血しぶきが上がり、人の身体が地面に伏す。血溜まりはすぐに茶色く変色するが、上から新たな赤で塗り固められていく。
 女は少しの間だけその光景を眺めていたが、やがて風になびく髪を片手で押さえると、もう一方の手をゆっくり上げた。
「これ以上戦を広めるわけにはいかないね。彼らの思うつぼだよ」
 幼い表情と口調。しかし声色は、見た目にそぐわぬ冷たさである。
 やがて女の手元に水が集まっていき、それは凝固して氷の槍となっていく。先のとがった氷塊は、戦場を示して煌めいた。
 異常に気付いたのか、束の間戦場が動きを止めた。両軍の兵士たちの目は、一分の例外もなく女と氷を見る。
 絶望に塗り固められた目を見て、彼女は艶然と微笑んだ。
「だから、皆さんにはここで消えていただきます」
 そう、珍しい大声で宣告した直後、彼女は手を振りおろした。

 氷が衝突したあとの大地には、何も残らなかった。地面に降り立ってみても地面の上を生温かい風が吹き抜けるのみである。
 いつもは乾いている土が、血で重く湿っていることだけが、ここが戦の場であったことを証明する。
 誰もいないその場所で、女は小さく、吐息を漏らした。


 変な夢を見た。
 自分が謎の女になって、混乱の中にある戦場を一瞬で消しさるというぞっとするような夢である。確かに自分は水の「魔術」が使えるらしいが、それと関係があるのかどうか。
 といっても寝起きの頭で考えたところでまともな結論が浮かぶはずもなく、リネは寝ぼけ眼のまま首をひねった。
 その辺の木の上から鳥のさえずりが聞こえる。穏やかな森の朝だ。
「変なのー」
 高い声で吐き捨てた彼女は、もぞもぞと身支度を始める。そこへ、一人の少年が現れた。彼は木の実でお手玉をしながら目を瞬く。
「どうした、リネ。今日はなんか悲惨な顔だぞ」
 リネは、んー、と言葉にならない声を漏らした。彼――ソラの言いようはいろいろとひどいものがあるが、それをとがめられるほど少女に恥じらいというものは身についていない。
 ふと、目をこすったリネの頭に夢の中の光景がひらめく。瞳は一瞬だけ荒野を映し、その後少年の顔を映した。
 自分が破壊した戦場には誰もおらず、何も残らなかった。けれど今、ここにはソラがいる。
 不思議とすっきりした彼女は、にぱっと笑う。
「大丈夫。なんかちょっと変な夢を見ただけだから」
 こうして今日も、異端者二人の行く先のない旅が始まるのだ。