第四話 誇り高き者たち・2

 入口に、馴染みのある気配が現れた。ジルテアは、書物に落としていた視線を上に向ける。気配は、入口でじっと佇んでいる。
「入れ」
 ジルテアは簡潔に言った。すると、気配がのろのろと動き、ジルテアの前に一羽の鳥が現れる。"天族"の若者は、ジルテアが持っている本を見て一瞬だけ目を細めたが、すぐにいつもの淡々とした様子に戻った。
『長様、報告いたします。森に侵入した悪しきものたちの討伐が完了したとのことです』
「そうであったか。ご苦労」
 感情の入らない声に対し、ジルテアは鷹揚にうなずいた。若者がふと、苦々しげに目を細める。
『そして……討伐隊が、森の中で人間を発見したそうです……』
 しばらくぶりに聞く単語に、ジルテアの眉が動いた。彼女は、あくまでも平静を装って、相手に問う。
「調査隊を名乗る輩か?」
 ジルテアは人間が大好きである。なので、人間に森に入られてもいっこうに構わないと考えているが、他のものは快く思っていない。それに、「調査」と称して森を破壊されても困る。近ごろ増えている、近隣の騎士団から派遣されている調査隊の類かどうかくらいは、確かめておく必要があった。
 彼女の予想に反し、若者は否定をした。
『いいえ。三人の子供だったそうです。ただ』
 若者は言いかけて、目を伏せる。何事か悩んでいるようだったが、やがてぽつりと言葉を零した。――あまりにも、衝撃的な内容である。
『彼らの中から、同胞の力を感知したとのことです』

「いやあ。てっきり、すぐ殺されるもんだと思ってたよ」
 のん気な声は、冷え切った石の牢にむなしく響く。友人の言葉になんと返したものか、とソラは苦々しい笑みを浮かべた。
 あの後、三人はあっという間に取り囲まれ、ここへ乱暴に放りこまれた。それからかれこれ三時間、放置されている。連れてこられる途中、一応状況の説明を試みたが、まったく聞く耳を持ってもらえなかった。
「あとはとにかく、誰も殺されることなくここを出ることだな」
「……とっても極端だね」
「それだけ危険な場所ってことさ」
 ため息を漏らすリネの頭をなでながら、ソラは辺りを見回した。
 自然の洞窟をくりぬいて造られたらしい石牢は、広くはないが、狭すぎるわけでもない。むしろ三人が入っても少し余裕があるくらいだ。戸口の鉄格子からは。幻獣の力が漂ってきている。おそらくは、脱出防止の結界が張ってあるのだろう。
 ふいに、タスクが伸びをしながら言った。
「幻獣種族が人間嫌い、っていうのは知ってたけど、まさかあれほどの堅物とはねえ」
「人間だってほとんどが幻獣を敵対視しているんだ。お互い様だろ」
 ソラが、近くの小石をつまみながら言うと、タスクは声を立てて笑う。ソラは、つまんだ小石を意味もなく放り投げた。ややあって、乾いた音が牢の中にこだまする。
「一度よろしくない印象を抱かれれば、あっという間に捕らえられる――ということは、予想していたんだ」
「ま、僕も考えなかったわけじゃないけどさ」
 タスクはふっと笑顔を引っ込めると、顎に手を当てて思考を始める。それから、ぱっと顔を上げた。まん丸の瞳が子供のように輝いている。
「いっそ、ソラが正体……というか素性を明かしてしまうっていうのはどうだろう? その上で敵意がないことを主張すれば、上手く交渉できるかも」
 友人の提案に、ソラは半眼になった。
「阿呆。かえってひどい目に遭って終わりだろ」
「えー?」
 あの「堅物」たちが、禁忌の果てに生まれた子供を許すはずがない。ソラはため息をつき、横でむくれているタスクを無視した。無視された少年は、両足を投げ出すと、リネの方にいそいそと体を寄せている。
「やってみなきゃ分かんないのに。ねえ、リネ?」
「ええ? 私? ……そう言われてもなあ」
 困ったように、リネが頭をかく。そのとき、呆れたように傍観していたソラの耳が、ピクリと動いた。
「――誰か来る!」
 潜められた少年の声が、のん気な会話を強引に打ち切った。タスクとリネは、はっと顔を見合わせて黙り込む。
 静かだった石牢に、足音が響き始めた。だが、その音は人の足音ではない。どちらかというと、犬のものに近かった。
 やがて、鉄格子越しに姿を見せたのは、巨大な牙を持つ狼である。ソラは眉をひそめた。
 この狼たち、"牙族"は、いっとう人間嫌いで有名なのだ。殺気立った視線を受け、何をする気かと身構える。だが、三人を見た狼は、ソラの予想に反してつまらなさそうに鼻を鳴らしただけであった。彼はいきなり前足を上げ、つま先を鉄格子の錠にかけた。
『来い。我らの長が、おまえたちと話をしたいと仰っている』
 ようやく喋ったかと思えば、そんなことを言った。おかげでソラたちは、揃ってぽかんと口を開ける羽目になる。
 だが、この牙族は、三人の間抜け面など歯牙にもかけず、牢を開けはなってさっさと背を向けてしまった。この里で唯一の人間たちは、仕方なくその背を追いかけることにしたのであった。

 冷たい岩の道を少し歩くと、いきなり明るい所に出た。ソラたちはまぶしさに思わず目を細め――それから、驚愕に呑まれる。
「ふむ、これはすごいなあ」
「ここが……幻獣の里?」
 タスクとリネが、それぞれに感嘆している。背後の二人の言葉をよそに、ソラはただ無言で、里の威容に見入っていた。
 そこは、森の中に突然生まれた空間だった。だが、手が加えられた様子は一切ない。木々は複雑にうねり、動物が入れるだけのうろを作り出している。入り組んだ枝と草の合間を、鳥獣が行き来していた。彼らは一様に強い力を纏っており、さらに、ソラたちの姿を認めると、険悪な視線を送ってきた。
 その視線を感じて、リネが一気に青ざめる。おぼつかない足取りでソラのそばにより、彼の服の裾をギュッとつかんだ。
「な、なんかすっごい見られてるよ、ソラ……」
 ソラとタスクは、比較的冷静だった。木々をぐるりと見回し、揃ってため息をつく。
「ま、そりゃそうだろ」
「みなさん愛想が悪いね」
「あいそどころじゃないよぅ……」
 歩きながら、たらたらと愚痴のような会話をこぼす。ソラはふと、あの牙族に怒られるかと思って前を見た。しかし、彼は三人を無愛想に一瞥しただけで、何も言わなかった。
 気まずい時間が経過し、一行は洞窟の前に辿り着いた。微かに暖かい空気が漂ってくる穴の前で、案内役の牙族が足を止める。
『着いたぞ。ここに、里長がいらっしゃる。粗相のないように』
 彼はそう言い残すと、瞬く間に三人とは逆の方向へ走り去ってしまった。狼をぼんやりと見送った後、三人は誰からともなく洞窟の中に踏み込んだ。
 伸びる通路は薄暗く、細い風が流れてくる。ソラたちは無言で歩を進め、やがて小さな穴を潜り抜けた。
 岩壁に、松明の炎が揺れている。
『お主らが、報告にあった人間たちか』
 正面から声が響いた。リネが、今にも悲鳴を上げそうなほど顔を引きつらせたが、無理もない。
 洞窟の奥に広がる部屋の中には、道の両脇を固めるように数体の幻獣がいる。そして、三人の眼前には、一体。
「き、狐?」
『ほう。"妖族"を見るのは初めてかな?』
 巨大な白い狐が、優雅に笑う。狐はそれから、長い尾を揺らしながら人間たちを見渡した。
『私が里長のジルテアだ。ようこそ、我らが隠れ里へ』
"妖族"の狐はそう述べると、目を細める。緑の瞳は楽しげに光っていた。
 ソラは、呆気に取られてしばらく"彼女"を見上げていたが、やがて仲間たちを振りかえった。リネもタスクも呆然としている。
「うわあ……。長っていうから、もっと怖い感じかと思ってたけど、すっごくきれい……」
『ふふ。そのように言われたのは、久し振りだな』
 リネの無邪気な言葉に、周りの幻獣は苦々しそうにしているが、当事者であるジルテアは温かく笑っている。
 彼女の飄々とした態度に戸惑って、ソラとタスクが無言でいると、ふっと相手の微笑が消えた。
『さて、一応問うが……あの禍々しきものらを森に呼びこんだのは、お主らか?』
 鋭い声を浴びせられ、三人の表情が凍りつく。
 数時間前とまったく同じ問い。しかし、威圧感はあのときとは比べようもなく大きかった。
 息をのむ二人の少年の横で、一人の少女が身を乗り出す。
「ちっ、違います!」
 洞窟の中が、不穏にざわめいた。リネは周囲の敵意に気付いたらしく、みるみるうちに縮こまってしまった。そんな彼女に代わり、今度はソラが前へと進み出る。
「私たちは、森の中を歩いているときに奴らの襲撃を受け、応戦していただけです。断じて、彼らを誘導したわけではありません」
 ジルテアは、しばらくソラの顔をじいっと見ていたが、やがて深くうなずいた。
『そうか』
 あっさりと納得された。拍子抜けしたソラは、真面目な顔で何度もうなずくジルテアを、まじまじと見つめてしまう。相手の言いたいことを察したのか、ややあって彼女は失笑した。
『そう疑るでない。今のは単なる確認だ。初めからお主らがやったとは思うておらぬし、本当にしたいのはこのような話ではないのだよ』
「え……じゃあ、なんの話がしたいんですか?」
 リネが素っ頓狂な声で尋ねると、ジルテアは瞑目して答えた。
『なに。仲間の報告に、気になる部分があったのでな』
 誰も、それ以上を問うことはできなかった。里長は、静かに目を閉じて座している。まるで、何かを探るように。洞窟の中は、しんしんと、重い沈黙で満たされていった。
 やがて、妖族の狐がようやく身じろぎする。開かれた目は、ソラを見ていた。
『お主……』
「俺、ですか?」
『そうだ』
 ジルテアは、少年の奥にある「何か」を見ようとするかのごとく、すうっと目を細める。少しして、彼女は厳かに口を開いた。
『お主はもしや、カイルとフウナの子か?』
――ソラは、空気にひびが入る音を聞いた気がした。
 鋭い沈黙が駆け抜ける。ソラだけでなく、リネやタスクも、強張った顔を白狐に向けていた。
 今の問いの意味。そんなものは、考えるまでもない。
 だが、ジルテアの視線はソラが思っていたよりも穏やかだった。禁忌を非難するというよりは、何かを確かめるような――試すような目。
 視線の裏にある意図を、ぼんやりと感じ取る。ソラは決心して、細く、息を吸いこんだ。そして言葉を口にする。
「……はい」
 刹那、リネとタスクが青ざめた。
「ちょっ――!」
「ソラっ!?」
 彼らの声にかぶさるようにして、驚愕をまとったざわめきが、洞窟に広がった。様々な言葉が錯綜する中、当事者である少年と、白銀の妖狐だけは泰然としている。
 ソラは冷やかに成り行きを見守っていた。
 すると、突如、洞窟内を一陣の風が吹き抜ける。一瞬だけ、潮騒のような声がぴたりとやんだ。
『貴様ぁっ!!』
 刹那の静寂を打ち破ったのは、空を震わせるほどの怒声だ。ソラは、その方を見る。
 直後、風が渦巻き、刃となって襲いかかってきた。
「……っ!」
「ソラ!」
 咄嗟に顔をかばった両手に大きな傷が走り、血が噴き出す。痛みに眉をしかめたソラは、顔を上げて――凍りついた。
 目の前にはいつの間にか一頭の牙族がいた。彼は金色の目をぎらつかせ、少年を至近からにらみつける。
『よくもおめおめと……今日まで生き残ってくれたものだな、忌み子め』
 金と黒が交差する。やがて、牙族が咆哮を上げた。
『我らの血を汚す者は、ここで死ぬがいい!!』
 途端、周囲がどっと沸いた。牙族の口腔にエネルギーが集束する。ソラは無意識のうちに後ずさりをしていた。リネとタスクの悲鳴が聞こえたものの、それすらも歓声に打ち消されてしまう。
 巨大な力が、放たれようとして――
『静まれっ!!』
 鋭い一声が、稲妻のように走り抜けた。力強い声に打たれ、歓声がぴたりとやむ。
 声の主であるジルテアは尾を揺らし、幻獣たちを見渡した。
『お主らは、誓約を破るつもりか?』
『長様っ!? あんなもの、誓約などと――』
『静まれと言っている』
 先程ソラを攻撃した牙族の抗弁は、冷やかにさえぎられる。
『今、この場で我らが種族の血を汚しているのはお主らだ。恥を知れ』
 痛烈な一言に、牙族の男は言葉を詰まらせた。沈黙が辺りを覆い始めた頃、ジルテアはため息をこぼす。
『もうよい。外で待機しておけ』
『しかし! 長様をお守りせねば……』
『必要ないと言っているのだ。お主らがいると、かえって話しにくい』
 いいから行け、という里長の命令に、ソラたちを取り囲んでいた幻獣たちは不服そうにしていた。だが、やはり長の命令には逆らえないのか、渋々と従って出ていく。
 三人の人間たちは、呆然として、それを見送っていた。
――彼らの息遣いすら分からない頃になると、リネがさっと振り向く。
「ソラ! 傷、大丈夫?」
「ん? ああ、へーきへーき」
 鬼気迫る様子のリネとは対照的に、ソラはひらひらと手を振った。だが、その隣でタスクが頭を抱える。
「そんなに血が出てるのに、大丈夫って言われても説得力ないよ」
「まあ、けっこう痛いけどな、これ」
 ソラは傷を見た。血は固まりかけているが、それで痛みが引くわけではない。うずくような感覚が両腕に残っていた。
 三人の様子を見守っていたジルテアが、目を細める。ちょうどそのとき、彼らの視線が彼女へと集中した。
『――童よ、近う寄れ』
「……? はあ……」
 いきなり呼ばれたソラは、目を丸くしながらもジルテアへと歩み寄る。後ろ手タスクが口を開きかけたが、すぐに閉じた。
 少年が巨体を見上げられるほどの距離まで来ると、妖狐は白い尾で彼を包み込み、鼻先を顔へ近づけた。そしてそのまま、傷ついた腕の方へと持っていく。
「わぷっ! ちょ、ちょっと」
『じっとしておれ。すぐに終わる』
 ジルテアはソラの腕を器用に持ち上げたあと、小さく何事かを呟いた。彼女の鼻先のあたりから緑色の光が、ぽっ、と生まれてやがて二人を包み込む。ソラは驚いて身を引きかけたが、狐の尾に阻止された。
 しばらくして光は音もなく消えていく。驚きから立ち直ったソラはしかし、解放された腕を見て目をみはる。
「あれ? 治ってる……」
 腕には傷どころか、血の一滴も残っていなかった。信じられないという思いで見上げたソラに対して、ジルテアはころころと笑う。
『回復の術は私の十八番だからな』
「そんな術が、あるんですね。……ありがとうございます」
 ソラはひたすらに感心した。そしてリネたちの元へ戻ると、彼女たちにも驚かれた。再び、全員が揃って妖狐を見上げる。
『先刻は済まなかったな。血の気の多いものを騒がせてしまって』
 ジルテアはそう言うと、呆れたような目をして遠くを見た。
『まったく。あいつらは、頭が堅すぎる』
「むしろ、ジルテアさんが変わってると思うけどね。僕は」
 タスクが苦笑気味に言うと、ジルテアはかすかな笑い声を上げた。この妖族は本当に人間を悪い存在として見ていないんだな、とソラは思い、同時に気になった。
「あの、ジルテア様。誓約、とは?」
 恐る恐る口に出して問うと、ジルテアは瞠目した後、優しく微笑する。
『フウナの話だ』
「母さんの?」
『うむ。確かお主は、ソラといったな』
 ひとりごとか問いかけか判然としない呟き。それから彼女は、静かに語り始める。
『あれは……もう、十五年近く前になるだろう。幻獣種族の総意、と言う名の多数派の意見で、彼女を里から追放せねばならなくなった。そのとき、我らに向けて、彼女は言ったのだ』
 呼吸の音は北風のようにうらさびしい。ソラたちは、妖狐の悲しそうな顔を初めて目の当たりにした。
『自分をどれほどひどい異端として認識してくれても構わない。だが、自分の家族には何も言うな、何もするな――と。我らはそれを、守るべき"誓約"として受諾した』
 ジルテアの昔話は、ゆっくりとソラの心に染みていく。目を閉じればその奥で、かつての母が優しい微笑みを浮かべている気がした。
「母さん……」
 口を突いて出た呼びかけは、この場の誰にも届かない。ソラは閉じていた目を開き、改めてジルテアを見た。彼女は、どこかばつが悪そうに顔をしかめている。
『――まあ、そういうわけだから、私はおまえたちを歓迎したいのだ。あんなことがあった後では信用しづらいだろうが、皆の誤解を解いた上で、正式な客人として迎えよう』
「えっ?」
 唐突な申し出に、三人とも驚いた。ソラは同行者たちを振りかえる。二人ともぽかんとしていた。
「いいの? ジルテアさん」
『無論だ。ゆっくりしていくといい』
 リネの問いかけに、隠れ里の長は艶然と笑った。