第八話 魔女の団欒・

 ソラがなんとか動けるまでに回復したのは、二日後のことだった。重症度から考えると早すぎるくらいだが、本人はいてもたってもいられなかったようだ。彼は寝台を出るなり旅支度を始めて、銀の風の魔女をあきれさせた。
「これは止めても聞かなそうね」
「ソラらしいけど」
「のろけ話は聞かないわよ。さて、しょうがないから私も家を空ける準備をしなくちゃ」
 もう一人の魔女の発言を軽くあしらった彼女は、弾みをつけて立ち上がると、戸口の方へ歩いた。
 戸締りをしているウィンディアを時々見つつ、ソラは銃の中を磨いてゆく。簡単な掃除だけを済ませると、銃を収納したホルスターを腰に留めた。無機質な冷たさが、はやる心を落ち着かせてくれる。軽く肩を回したソラは、改めて小さな家の中を見渡した。
 ウィンディアの住まいは整頓されてはいるが、意外と物が多い。彼女が棚の中の瓶を仕分け終わるころには、わずかに見える太陽が東の端から中天付近にまで移動していた。
「よし。これで準備完了っと」
「相変わらずだ……。普段から片付けておけばいいのに」
「普段はその必要がないのよ」
 ふんぞり返るウィンディアに、リネはもはや呆れてものも言えなくなっていた。代わりに、苦笑いしたソラが、女性にまじめな話を振った。
「えっと……とりあえずは、これから隠れ里に行くってことでいいんですよね。どうやって理想郷を戻すのか、見当もつかないんですが」
「それについては問題ないわ。着いたら説明する」
 腕を組み、断言した魔女は、揺るがぬ自信を漂わせている。まじないなどの分野に疎いソラとしては、その言葉を当てにするよりほかにない。ソラは鞄を肩から担ぎ、「行こう」と相棒をうながす。
 家主が小さな扉を開ければ、さわやかな風が吹き込んで、家の淀みを拭い去る。それに乗せて、所狭しと身を寄せ合う木々が緑の薫りを運んできた。ウィンディアの家が建っているのは、ソラたちが探索していたところよりもさらに奥のようである。
「本当に魔女の住処があるとはなあ」
「今さら感動しているの? おかしな子ねえ」
 優雅な女性の口からは鋭い言葉がぽんぽん飛び出す。ソラは思わず首をすくめた。
 慎重に家の中から外へ踏み出す。そして後方を振り仰げば、真っ白い塔が空の青に抱かれてそびえているのが見えた。あれは何かと尋ねることは、しない。おそらく、今は知らなくてよいことであろうから。
「それじゃ、ジルテアのところまで案内してもらおうかしらね」
 ウィンディアはそう言うと、すっと右手を持ち上げた。ソラが首をかしげると、魔女は不敵な笑みを湛えて振り返る。
「この森、歩いて出るのが面倒だから」
 わかるようなわからないようなことを言うなり、彼女は指揮者のように手を振った。瞬間、ソラはよろめいた。全身がひきつるような感覚に襲われる。ぐら、と脳内がかき混ぜられた後、視界が果てのない白に染まった。
――急激に強まった白は、少しずつ薄らいでゆく。耳鳴りに似た感覚を味わうが、それもまた波のように引いていった。
 ソラは薄目を開く。自分の両脚が地についていることを確かめると、ようやく瞼を持ち上げた。あたりをざっと見回して、己の目を疑う。
「ここって」
 整えられた砂と緑の道が、ずっと西まで伸びていた。道を縁取るように、脇には小さな草花が咲いている。森から、街道。いきなりすぎる変化に、ソラは目を白黒させた。
「ええ? な、なにがどうなってるんだ」
「ウィンディア……転移するなら一言言ってよ」
 隣からうめくような少女の声がする。いつの間にやらすぐそばにいたリネが、水色の髪を整えながら正面の魔女をにらんでいた。銀髪の女は悪戯を成功させた子どものように無邪気な笑みを刷いた。
「黙っていた方が、驚いてもらえて面白いでしょう」
「そんな理由か!」
「嫌ねえ。ほかにどんな理由があるっていうのよ」
 苛立たしげなリネとは対照的に、ウィンディアは楽しそうだ。騒がしい応酬に苦笑しつつ、ソラは緩やかに伸びる道の影を追う。――間違いなく、森に入る前に通った道だ。森の奥から一瞬でここまで出るとは。魔女の力は非常識の塊であるらしい。敵に回さなくてよかった、としみじみ思いながらも、表面上は穏やかに、二人の魔女へ声をかけた。
「そろそろ行こう。ここから隠れ里まではかなり距離があるから」

 石の神殿はいびつな姿で沈黙している。遠い時代に置き去りにされた信仰。錆びついた人々の信心。そういったものすべてを象徴するかのように、威厳と虚無をまとってそこに在った。
 神殿のただ中。半ばから折れ、倒れた柱のそばに、女は座している。瞑目し、両腕を胸の前で組み。そしてぞっとするほど鮮烈な紅唇は、笑みの形を保っていた。
「刻印は済んだようだね」
 声が響く。甘さと冷たさと、ほんの少しの侮蔑を含んだ声。畏れ敬う主のもの。神秘をまとっているであろう主の前で、彼女はこうべを垂れた。
「はい。準備はすべて整いましたわ」
「そうか。いよいよだね。……彼もまた、必要な犠牲のひとつだった、ということか」
「死んだのですか、あの男が」
 静かな問いに、返るは首肯。主は、色の薄い唇を、寝そべった三日月の形に曲げていた。
「魔女の森で、刻印の最中に」
「殺したのはあの森の――銀の風の魔女ですのね」
「いいや」
 女は、目をみはった。
「もう一人。森に踏み込んだ方の魔女だ」
 もう一人。二人目の魔女。その存在を当たり前のように知らされて、女は少なからず戸惑った。嘘くさい歴史書を読まされているような気分だ。彼女の心中など歯牙にもかけず、主は淡々と言葉を続ける。
「碧海の魔女。君も、対峙したことがあるはずだ」
 細く、空気が鳴った。自分が息をのんだ音だと、女は遅れて気づく。主が誰のことを言っているのか――考えるより先に、答えは頭に浮かんでいた。
まじない師の女は言葉を失くす。対して主は、折れた柱に腰を下ろすと、子どものように笑った。
「あははっ。魔女、魔女か。彼女らが介入してくるとはね。――忘れていたよ。尻尾を巻いて逃げ出して、大人しくしているような、生易しい存在ではなかったね」
 笑声。それをまともに聞き取った女は、いよいよ唖然とした。主が声を立てて笑うなど、これまで一度もなかったことだ。何か大きなことが起きていると、まじない師としての彼女の本能がささやいている。戸惑いと、驚愕と、少しの恐怖の先にあるのは、高揚。
 彼女のそれを感じ取ったわけではなかろうが、主はまさにそのとき、彼女に命を下した。
「さあ、術の準備を始めて。大陸の時を動かすために、虚無と混沌を生み出すんだ」
 無垢な少年のごとく甘やかな声は、朽ちた神殿を愉悦と狂気の色に染めていった。