強いひと

任務中、ひょんなことから逃亡奴隷の少年を拾った翌日。チームメイトに叩き起こされたアレンは、気だるさを隠そうともせず支度をしていた。そのさなか、彼を叩き起こした張本人の声が聞こえてくる。
「ところでクライン。この首輪、どうする?」
アレンは振り返った。栗毛の少女が金髪の少年に問いかけているのが見えた。少年、つまりクラインは、彼女の問いかけに対して眉をひそめる。
二人の間には、皮で作られた首輪が落ちている。短い鎖をぶら下げているそれは、途中でぷっつりと切れていた。なぜかというと、少女、シエルが先程剣でぶった切ったからである。二人はそんな奴隷用首輪の処遇を巡る相談をしているようだ。
クラインはしばらく考え込んでいたが、やがてぽつりと言った。
「……持っていく」
「いいの?」
彼の言葉に、シエルが目を丸くした。アレンも驚いた。
逃亡してきた彼にとっては重荷にしかならないはずだ。本家からの追手をごまかすためにも、奴隷の象徴のような首輪など、跡形もなく処分してしまった方がいいに決まっている。だがあの少年は、あえてそれを捨てずに「持っていく」と言ったのだ。
二人分の視線を感じたのか、彼はアレンと出会って初めての、心からの苦笑を浮かべる。
「そりゃ、捨てちまうのが一番賢いやり方だっていうのは、俺だって分かってるよ。けど……ここでこれを処分して、全部なかったことにするっていうのは、なんか違う気がするんだ。自分は元々奴隷で見世物で実験体だったんだ――そう言う事実を忘れないためにも、持っていきたい」
未練も恐れもごまかしもない言葉。それは静かに二人の胸へとしみこむ。
シエルはしばらく唖然としていたが、やがてふっと微笑んだ。
「分かった。じゃ、ギルドに着くまで私が預かっておくわね。まさか、あんたがぶら下げて持っていくわけにもいかないでしょ」
「ああ。ありがとう」
「これくらいお安いご用よ」
少女は得意気に胸を張る。
それを見て、アレンは無言で目を伏せた。

「変わってるわね、あの子」
宿屋の一階。引き払いの手続きを待っているとき、ふとシエルはそう呟いた。
今クラインはここにいない。外で待ってもらっているのだ。彼が自ら言い出したことである。危ないのではと二人して止めたのだが、彼はなぜか聞かなかった。
「変わっている」というのはどれを指しての言葉なのか。思いながらもアレンは答を返す。
「かなり擦れてるように見えるけど、性根は純粋なんだよ。あいつ」
「……でしょうね」
返される言葉はひどく濁っていた。シエル自身、どこか浮かない顔をしている。
その表情に含まれる感情がなんなのか、アレンは知っているが――あえてそれを口に出すことはしなかった。代わりにまったく違うことを言う。
「でも、昔の俺と似てる部分もあるんだよね」
「昔の?」
「あ、失敬。ギルドに入ったばかりの頃の話」
チームメイトの少女がからかうような表情を見せたので、アレンは慌てて訂正した。シエルがギルドに入ったのは、彼がすっかりそこに馴染んだあとだった。
「当時の俺はだーれも信用してなかった。というより、周りの人を『人』として見られてなかったんだけどさ。とにかく精神がだいぶいってたわけ」
乾いた言葉に少女の顔が引きつる。だが、彼は構わず続けた。
「クラインはときどき、その頃の俺と似たような目をすることがあるんだ。誰も信用しない、してはいけないってね」
周りの人間が全員敵に見える。だから、一歩も踏み込もうとしないのだ。下手に踏み込めば食われてしまうから。
それはすごく悲しいことだと思う。そして本人にとっては押しつぶされる程に辛いことだと、彼は知っていた。だが、クラインとアレンの間には決定的な違いがあった。
「ただな。俺はそれを乗り越えることができなかったんだ。リーダーや周りの人に、ゆっくりと癒していってもらうしかなかった。けどあいつは、自分の力でそれを乗り越えようとしている。強い奴だよ、あいつは」
――そうでなければ、首輪を持っていくなどとは言わないだろう。
ため息をつくアレンに対し、シエルは何も言葉をかけなかった。だがやがて、ぽつりとこぼす。
「乗り越える、というか。私には、自分をそうしていましめているようにも見えたわ」
「……あり得なくはないか」
「あと、ひとつ言っておくけど」
続きをさえぎるようにしてシエルはアレンを見る。彼が目を瞬いているうちに、少女の指はついと彼の鼻先を示した。
「私は、あんたが強くないなんて、これまで一度も思ったことがない」
黒茶の瞳が見開かれる。虚を突かれたような少年に対し、彼のチームメイトは今度こそ何も言わなかった。それは宿屋の主人が帳簿を手に出てきたからである。彼女はさっさと視線を逸らして手続きを進めていった。
その背中を見ていたアレンは小さく吹きだす。
彼には、シエルもじゅうぶん強い人に見えた。