第二章 大地の火2

 シャハーブとイゼットが示した方針に反対する者はいなかった。というより、現状古王国跡地くらいしか目的地に設定できる場所がないのだ。反対のしようもなかっただろう。それに、二人のうち一人は、彼らの行動に対して肯定も否定もしないような人である。
 ともかく、イゼットとルー、それからシャハーブは、夕食ついでに細かい旅程を詰めることにした。単純に古王国跡地へ向かうだけなら、フーリに近くまで飛ばしてもらえばよい。イゼットにはそうしたくない理由があった。
「一か所、立ち寄りたい場所があるんです」
「言っておくが、シャラクは無理だぞ。あんたたちが出禁になってるだろう」
「聖都ではありませんよ。ヤームルダマージュです」
 にっこり笑うイゼットに対し、シャハーブは怪訝そうな視線を向ける。だが、すぐに得心したような笑顔になった。
「なるほど、予行練習というわけか」
 二人を追いながら各地を旅していたということは、あの町の近くの荒野も見たことがあるかもしれない。そう思って、イゼットはシャハーブに細かい説明をしなかった。予想は見事に的中していたらしい。彼はうんうんとうなずいて「そういうことなら寄ることにしよう」と、あっさり要望を容れてくれた。
 これで、三人の行く先は決まった。残る一人、フーリは『叡智の館』で留守番すると本人が言った。
「まあ、フーリはどこへでも一瞬で飛べるからな。ついてきてもこなくても、変わらんだろう」
 くつろぎながら言ったのはシャハーブだ。彼が救援に入ってくれたときのことを思うと、それは事実なのだろう。だから、イゼットとルーも異を唱えなかった。

 一日かけて準備をして、翌朝に出発することとなった。館の外には朝も夜も『番犬』の気配があるが、彼らはフーリや館に害をなさなければ大人しい。イゼットたちの旅立ちの日も、木々の間から静かにこちらをうかがっていた。
「ヤームルダマージュ手前まで送ろうか」
「いや、森の外まででいい。下手に目立って、反逆者や狂信者どもに見つかっては面倒だからな」
 そんなやり取りを経て、三人は出発する。今度は、『叡智の館』から。

 それから数日、イゼットとルーはシャハーブとともにトラキヤを横断していた。森から始まったこの旅が、おそらく彼らにとって最後の旅となるだろう。けれども、感慨に浸るには早すぎる。
 シャハーブは、やはり不思議な人だった。陽気で軽薄、けれども道の選び方や気候の変化への対処などは的確だ。そして意外なことに、料理も上手いのである。
「おいしいものを食べるために、しかたなく身につけた技能さ。人間をやめてからというもの、単独行動ばかりで町にも長居できんからな」
「なるほど……。シャハーブさんも大変だったんですね」
「まあ、不満点もあるが、基本的には楽しいからいいのさ。楽しくなけりゃ続かない性分なんで」
 木の実や果物をえり分けながら、シャハーブは終始軽い口調で語っていた。ルーは、その作業を手伝いながら聞き入っている。イゼットは、彼らの様子を少し離れたところから見守ることに専念していた。手元では、狩ってきた鹿の皮を剥ぎ、骨を取りながら。
 果物を一か所にまとめたシャハーブがちらりとこちらを見てくる。イゼットは用事だろうか、と首をかしげたが、疑問を口に出す前に相手が答えをくれた。
「イゼットもやけに手慣れているじゃないか。良家の坊ちゃんとは思えん」
「貴族でいた期間より、旅をしている期間の方が長いですから」
 肉や内臓を部位ごとに分けながら、イゼットは何気なく答えた。しかし、答えた後で言葉の違和感に気づいて手を止める。シャハーブを見上げた。彼は山桃をつまみ食いしているところだった。
「俺の実家のこともご存じなんですか?」
「ああ。ラフシャーン卿のご子息だろう。その程度のことは調べればわかる」
 シャハーブは、「近所の八百屋の子だろう」というような調子で言葉を返してくる。イゼットは一瞬あっけにとられた。その後、笑いがこみ上げてくる。くすくすと笑っている若者を男は不思議そうにながめていたが、山桃をもう一口かじると、残った芯を木立の方へ投げる。たまたまそこにいたリスが、芯に飛びついた。
「そういえば、少し前にアフワーズへ行ったんだが、そこで領主の視察団と鉢合わせてな。たまたま卿の顔を見た」
「本当ですか?」
 イゼットは、思わず身を乗り出した。ルーも目を丸くして、シャハーブを見ている。彼はつまみ食いをやめて、イゼットが部位分けした肉を、淡々と処理しはじめた。ルーもそれを見て我に返り、火おこしの準備を始める。
「ああ。なんともいけ好かない男だったな」
 シャハーブの感想は辛辣だ。目の前に評価対象の家族がいるとわかった上での発言であるから、なおさら容赦がない。しかし、イゼットは怒らなかった。それどころか、肩をすくめて苦笑した。
「そう思われてもしかたがないです。家族にすら恐れられるお方ですから」
 シャハーブと、石を手にしたルーが顔を見合わせる。案外冷静、いや冷淡なのだな、と二人はイゼットの態度に対して思ったが、口には出さない。
 かわりに、火おこしを始めたルーの横で、シャハーブが身を乗り出した。
「やはり信じられんな。あんたがあの男の子どもとは。主に、性格的な意味で」
 イゼットは笑った。というより、笑うしかなかった。おそらく、同じ感想を抱いている者は多かろう。だが、ここまで面と向かってはっきりと言われたことはない。あのアーラシュですら、雇い主に多少遠慮して「イゼットはお母上によく似ている」とまでしか言わなかった。
「全部終わったら、実家に顔を出すのか」
「……しばらくは、やめておきます。今はまだ――月輪の石の件が解決したとしても――大喧嘩になりそうなので」
 シャハーブにとってその問いは、世間話程度のものだったのだろう。懸命に傷を押し隠したイゼットの答えに対して、評価や文句をつけてくることはなかった。
「そうか。まあ、家族の形など様々だ。仲良しでいなきゃならんという決まりはない。相手が家族を家族とも思っていないのなら、なおさら」
 ただ、肉を薄く切りながらそう言っただけである。イゼットは彼の思い切った言動に驚いたものの、同時に心の中の重りがすとんと落ちたのを感じたのだった。
 ルーの努力の甲斐あって、しばらく後に火がついた。それを見て、シャハーブが手早く肉をさらっていく。
 保存食の補充をし、今日の食事の準備をしているうちに、日が傾いていく。なにも見えなくなる前に火を大きくして、それを囲んで夕食をとった。食事ついでにシャハーブの話を聞くのが、この旅の日課となっている。今日は、館で少し話していた「呪物を壊した人間」の話をしてくれた。王族と騎士の交流と旅の話は、物語としての出来もよかったが、事実を含んでいるという点が二人の心を突いた。目をきらきらさせているルーの横で、イゼットは、少し前のことを思い出す。
 白い世界と、蒼紫色の瞳を持つ男性。彼はイゼットを『浄化の月』へと導いて、姿を消した。きっと彼が『夜の杖』の宿主だったという王子なのだろう。故郷の復興を願いながらも果たせなかった人のことを想って、イゼットは星を見つめた。
 ――ヤームルダマージュまであと一週間、という日のことである。