第一章 争いの種(3)

 今日、『クレメンツ怪奇現象調査団』の集まりが予定されていたことは、ステラたちにとって幸運だったか不運だったか。正直どちらとも言えなかったが、彼女が運命じみたものを感じたのは確かだった。
「よし、これで全員揃ったね!」
 今日も今日とて元気よく声を上げる、ジャック。彼はしかし、女子たちの前で目を留めた。お調子者のようでいて、恐ろしく人を見ている団長である。
「ステラ、ナタリーくん。どうしたんだい? 元気がないようだが」
「あー……うん」
 ステラは、どう切り出してよいかわからず、言葉を濁した。さまよった手を、耳の下に置く。
「元気がないというか、ちょっと、変なことがあってさ」
 戸惑ったステラの後を、苦々しい顔をしたナタリーが引き取った。ナタリーが昼間の出来事を報告し、ステラが少し補足を加える。レクシオは興味深そうに目を細めて聞いていたが、ジャックとトニーは目をみはったまま固まっていた。オスカーの名が出たとき、ジャックの眉が動いたのを、ステラは見逃さなかった。
「団長から聞いた古い友達のこともあるし、教会裏の人魂の件と関係があるし、報告した方がいいかなって思ったの」
 気まずそうにナタリーが言った後、第二学習室の空気は重く沈み込んだ。それぞれがそれぞれの表情で考え込む。外の世界の音だけが目まぐるしく変化する、そんな時間がしばらく続いた。
 沈黙を最初に破ったのは、頭を乱暴にかいたトニーだ。
「そのシンシアって子は、オスカーを気遣ったつもりなんだろうけど。あいつ、『小さな親切大きなお世話』が大嫌いだからねえ」
 ぼやいたトニーの横顔を、ナタリーが細めた目で見やる。彼女は事の当事者だからか、所在なげに何度も腕を組みかえていたところだった。それが発言のきっかけを得て、少しほっとしているように、ステラの目には映った。
「彼、本当に団長が言ってたオスカーなのかな」
「高等部一年『武術科』所属で、同好会グループの責任者やってるオスカーなんて、あいつくらいしかいないって」
 トニーは猫目をくりくりさせながら答え、その目を『団長』に向けた。黙って話を聞いていたジャックは、人数分の視線を受け止めると、大きくうなずく。
「うん、ステラから聞いた特徴を考えても、あのオスカーで間違いないだろう。僕が絡んでいる話だから、もう少し食い下がるかと思ってたけど……」
「ちっとは軟化したのかね」
「どうだろう。学院の規定にも関わる問題だから、表面上大人しくしていただけかもしれない」
 ジャックは苦笑して流れてきた髪を払った。それに対して「そんなに聞き分けのいい奴じゃないだろ」と言ったトニーの声色は、珍しく渋い。『調査団』結成以前のことを知らない三人は、視線を交わしあうしかなかった。
 ジャックたちがまた黙ってしまったところで、今度はレクシオが首をかしげる。
「ジャックの友達だったんだろ? 今は仲が悪いのか」
 昨日の話を知らない彼の、それは純粋な疑問であった。ジャックは少し困ったように目を細めてから、答える。
同好会グループを作るより前に、喧嘩をしてしまってね。それ以降は嫌われているようなんだ」
 ジャックが誰かと喧嘩とは、初めて聞く話だ。そう思ったのはステラだけではなかったらしく、うっすらと驚いたような空気が広がる。ただ一人、冷静だったのは、ジャックの長年の友人だけだった。
「喧嘩っつーか、あれオスカーが一方的にキレただけじゃん。ジャックは何もしてない」
「だから難しいんだよね。外に原因があるなら、それを正せばいい。だけど、あれはオスカーの心の問題だ。うかつに手を出したら、当時みたいに事態が悪化する。しかも、彼ばかりが悪いのではないから……」
「またおまえはそうやって……。好意的解釈も、やりすぎたら自分の首しめるよ?」
 トニーが両手を挙げてかぶりを振る。彼の口からこぼれたため息は、最近聞いた中では一番大きかった。
「なるほど、当時もそういうやり取りをしたわけだな」
 レクシオがぽつりと呟いたのを聞いて、ステラも苦笑する。言葉を詰まらせたトニーが、椅子を引きなおして背筋を伸ばした。
「で、どうするんだ。オスカーになんとかして会う?」
「いや、今回はやめておこう。教会裏の人魂の件は、むこうも済んだことと思っているみたいだからね。蒸し返す必要はないよ」
 笑うジャックは、一見いつもどおりのようだった。けれど、声音は少しかたい。トニーもそれを感じ取っているのか、あまり釈然としない様子で「そっか」と返した。
「さあ、とりあえずは今日の本題に移ろう。あまり時間もないからね」
 団長の一声で、第二学習室の空気がふっと緩む。トニーも、気持ちを切り替えたのか、先ほどよりも明るい口調で切り出した。
「ま、そうだね。今は活動の話が先か」
「今度はどんな『怪奇ネタ』を見つけたの?」
 ナタリーも、陰鬱な話題を吹き飛ばすように身を乗り出した。好奇心と恐怖が半々ずつ、瞳に宿っている。幽霊じゃないといいと思っているんだろうなあ、とステラは考えた。
 そんなナタリーを見返して、トニーは意地悪く猫目を細める。
「『幽霊森』だよ。三人も聞いたことがあるかもしれないけど」
 わざとらしく低められた声が、部屋にうっそりと響き渡った。ナタリーがさっと身を引いた横で、ステラとレクシオは顔を見合わせる。ステラは、猫目の少年の言う『幽霊森』とやらの話に心当たりはなかった。
「あたし、聞いたことないけど」
「俺はある。帝都からちいと離れた、あの森の話だろ」
 その森がある方角なのだろうか。レクシオが、東の方を親指で示す。「そのとおり」と両目をきらめかせたジャックは、その森について聴かせてくれた。
 帝都近郊にあるその森は、もともといわくつきの地なのだそうだ。大昔、戦場になったことがあり、そこで死んだ兵士たちの幽霊が出るのだと言われている。
「戦争の話なら、聞いたことはある。隣国だったティルトラスの軍が、帝都の近くまで迫ったっていう。そのときの主戦場ね」
「そう。だから、もともと奇妙な現象や幽霊の噂は絶えない場所だ。問題は……ここ最近、幽霊の目撃情報が急に増えたこと」
「急に増えた?」
 ステラが言葉を反芻すると、ジャックは重々しくうなずいた。
「『銀の選定』の後くらいからかな。それまでせいぜい週に一件あるかないかだった目撃情報が、週に十件程度に増えた。これは現在のところの平均値だから、判断材料にするには弱い情報だけれどね」
 ステラは眉を上げて押し黙る。その横で、幼馴染が神妙な顔をつくっていた。
「けど、妙ではあるな」
「俺とジャックも同意見。そんで、ちょっと調べてみようってことになったんだ。異論はある?」
 白い歯をこぼしたトニーが、三人を見る。異を唱える者はいなかった。ステラとしては、同好会グループ活動の基本方針について意見するつもりは毛頭ない。それが彼女の目から見てよほど危険でもない限り。今回は、少なくとも前回よりは、危険は少ないだろう。
 こうして、次の『クレメンツ怪奇現象調査団』の活動は決定された。ただ――一人だけ、乗り気でない人はいる。その「一人」つまりナタリー・エンシアは、団長が話を締めた後に肩を震わせはじめた。
「前回の人魂は人魂じゃなかったけど、今回のは本当に幽霊じゃん……」
「いっつも思うけどさ、ナタリーは本当に嫌なら待っててもいいんだぜ」
「いや、行く! みんなが行くなら私も行く! 一人だけ待ってる方が怖いもん!」
 トニーの声をはねのけて、ナタリーは大きくかぶりを振った。怖い怖いとしきりに言うのと、活動に参加する意志は別物だと言いたいらしい。彼女にとっては、トニーの声がけこそ、小さな親切大きなお世話なのだろう。
 少年が肩をすくめたのを見て、ステラも苦笑した。しかし彼女は、直後にはっと目をみはる。ひとつ、重要なことを思い出した。
「ねえ、団長」
「なんだい」
 振り向いて呼びかけると、ジャックはきらきらした笑顔を返してくる。
「この話、オスカーたちも食いつきそうじゃない?」
「……それもそうだね」
 まぶしいほどの笑顔が一瞬凍りついたのを、ステラは確かに見た。せっかくなごんだ空気に、小さなひびが入る。その中で一人、トニーだけが、また肩をすくめた。

「もしシンシアと出くわしても、喧嘩売るなよ」
「わかってるって」
 肩を小突いてきた少年に、少女が尖ったまなざしを向ける。変わらない二人のやり取りを見て、ステラは無言でほほ笑んだ。
 いつもの活動の後、五人は揃って帰路についていた。通学しているステラ、ナタリーと寮生の三人とは帰るところが違うが、どうせ学院を出るまでは一緒なのだ。こうしてぎりぎりまで騒いでいるのが、集まりがある日の習慣になっている。
 オスカーやシンシアたちと、幽霊森で鉢合わせるかもしれない。もしくは、前回と同じく別々の日に調査をすることになるかもしれない。そういう話になったとき、彼らの間には少なからず動揺が広がった。しかし、考えても詮無いことだ。もめそうになったら、そのときに対処法を考えればいい――そういう結論に落ち着いた。
「今回だって、ナタリーが適当に流せば喧嘩にならずに済んでたもんなあ」
 レクシオが後頭部のあたりで手を組んで呟く。視線が窓の方を向いているので表情はわからない。だが、相変わらず鋭いことをのんびりと言う人だった。ステラは顔をこわばらせて、ナタリーを振り返る。彼女は痛いところを突かれてうめいていたが、すぐに「それは私もわかってるつもりだったけど」と、もごもご口を開いた。
「でも、なんか腹が立っちゃって。多分、あのシンシアって子と合わないんだと思う」
 トニーが、猫目をおもしろそうに見開く。黒目が輝いて見えたのは、日光のせいだけではないだろう。
「そんなにムカつく奴だったのか」
「だったよ! だいたい何よ、あの高飛車を絵に描いたような態度! ステラにまでひどいこと言って」
 へえ、とステラに目を向けたのは、トニー一人だけではなかった。興味と同情の入り混じった視線を受けて、ステラはわたわたと手を振る。
「そんなにひどいことを言われたわけじゃないよ。よくあることだって」
「なんて言われたんだ?」
 レクシオが、窓から視線を引きはがしてステラに問うた。彼のからかうような口調になぜか安堵して、ステラは昼間の記憶を引き出す。
「務めを放棄したうえに、家の力を使って入学した、みたいなこと」
「ふうん。ま、確かに、前からあるような噂だな」
「でしょ?」
 ステラと付き合いの長いレクシオは、つまらなそうに納得した。対して、なおさら興味深そうにしたのはほかの三人である。ジャックが、瞳をきらめかせてステラに訊いた。
「ステラはそんな悪女だったのかい?」
「んなわけあるかい! 少なくとも入学の方は嘘よ。普通に試験受けたに決まってるでしょ」
 ジャックにしては珍しい訊き方だったので、ステラはつい興奮してしまった。ふむ、と考えこむ団長の美貌を見返して、急に冷静になる。ひとつ、咳ばらいをしていたところで、帽子をかぶったトニーが頭を傾けた。
「入学の方は、ってことは……その前のは嘘とも言えないと?」
 その何気ない問いは、ステラの胸中に未だわだかまっている暗雲を、わずかにかき回した。黒々とした感情を隠すために曖昧な笑みを浮かべた少女は、垂れてきた髪を人差し指に軽く巻きつけ、ほどく。
「まあ、そうとられてもしかたないかな、って感じ」
 四、五回それを繰り返してから――軽く目を細める。廊下はむしろ薄暗く、ちっともまぶしくない。それでも、ステラは風景を見たくなかった。みんなの顔を今だけは、視界に入れられそうになかった。
「あたし、家出したんだ」