第二学習室に集った次の日から、九人の学生は行動を開始した。その中で、最初に成果を出したのは、ブライス、シンシア、ミオンの三人組である。
あまり外への影響力に自信がない彼女たちは、学院内で動き回ることにしていた。――シンシアは、本人が言っていた通り「ブライスのお目付け役」である。
「学院と軍部を突き動かすための、最初の一歩。それは、生徒と大人を味方につけることですわ。難しいことではありません。まずは生徒一人、先生一人に賛同していただくことができればよいのです」
『武術科』・剣術専攻の教室の横で、シンシアは残る二人にそう言ったものだ。ミオンはその言葉に何度もうなずき、一言一句聞き逃すまいと顔を突き出していた。対してブライスは、にやにやと笑いながらシンシアのまわりを走っていた。いつものことなのだろう。気位の高そうな少女は、その行動を咎めなかった。それをよいことに駆け回っていたブライスが、シンシアの真正面で立ち止まって、彼女を見上げる。
「で、最初の一人は誰がいいと思う?」
「特定のどなたかを示すわけではありませんが……エルデさんやゼーレさんの出自に対して、ある程度理解のある方を探すのがよろしいかと」
「ふむふむ、その通りだ。じゃ、探すまでもないわ。一人いるからね」
赤毛の少女のさりげない言葉に、シンシアとミオンは目を瞬く。呆けている二人を見て、ブライスは片目をつぶってみせた。
「ミオン。自分が『魔導の一族』だってこと、先生には伝えてあるの?」
「伝えてあるというか……入学のための書類にはそのことを書きました。嘘はつけませんから」
「なるほど。じゃ、先生は知ってるわけだ」
はあ、とうなずくミオンに、ブライスは人差し指を立ててみせる。
「知った上で、『魔導の一族』が二人も『隠れている』教室を担当し、かつ分け隔てなく接してくれている先生。だーれだ?」
ミオンは最初、呆然としていた。しかし、ブライスの質問の意味を徐々に理解したのだろう。紙にインクが染み込むかのように、驚きがじわじわと広がる。そして彼女は、ブライスが出した問題の答えをささやいた。
「……テイラー先生!」
「と、言うわけで、突撃したんですよねえ」
「あらまあ。そんな直球で来られると、どうしたらいいかわかんないね。さっぱりしてて気持ちいいけど」
時は放課後。場所は剣術専攻の教室。三人の女子生徒は、ちょうど件の教師を捕まえることに成功し、話を聞こうとしていた。
広い教室に、生徒は三人以外いない。みな、帰るか学院祭準備に取り掛かるかしているのだ。そして、教師もここにはリンダ・テイラー先生しかいなかった。快活な女性は、亜麻色の髪を揺らして笑う。その笑顔はいつも通りさっぱりとしているものの、かすかに困惑も見て取れた。
ブライスが大きな目を細め、その困惑に容赦なく切り込む。
「先生たちは入試前の段階で生徒の情報を把握する。ということは、レクシオくんやミオンのことは最初から知ってたわけですね。あ、これはミオン本人から確認したんで、ごまかさなくていいですよ」
「今日は本当に容赦ないね、コナーさん。あなた、そういう一面もあったんだ」
「どっちかと言うと、これが本性ですねえ」
ころころと笑声を立てた先生に、太陽のごとく笑い返したブライスは、またも鋭利な言葉を紡ぐ。
「んで、レクシオくんに何が起きたかも、当然ご存知でいらっしゃる、と」
「ごめんね。そこは生徒個人に関わることだから、教えられないわ」
「そう仰ると思ってました。まあでも、レクシオくんが憲兵隊の人に連れていかれたって事実はありますんでね。友達が現場を見てるんで」
テイラー先生が、顔をこわばらせた。ブライスもミオンも、彼女のそんな顔は初めて見る。だが、感心している場合ではない。先生が言葉に詰まった隙を狙って、ブライスが畳みかけた。
「しかも、今日になっても帰ってこないんですよ。容疑者本人でもないのにこれって、おかしいですよね」
張り詰めているというわけでもなく、かといって穏やかでもない沈黙が、教室中に漂った。ブライスは最前までの笑顔のまま、テイラー先生は笑顔を消して。そしてシンシアとミオンは、息をのんでその場に立っていた。
誰もが誰かの出方をうかがっている中、少女の声が空気を揺らす。
「わたしたちは」
ミオンだった。
「わたしたちは、この『おかしな』状況をなんとかしたいと思っているんです」
「確かに妙な状況ではあるけど、憲兵隊の方々が悪いことをしているっていう、確かな証拠はないよね」
「わたしたちの前には、確かにないですね」
テイラー先生の言葉に、ミオンはすぐ切り返した。その声は自分が思っていたよりも鋭くて、彼女自身が驚いた。だが、すぐに言葉をつないだ。両手がおさげ髪に伸びる。
「でも、この学院に在籍している生徒が、なんの連絡もなしに二日も帰ってきていないというのは、おかしなことですよね。それにわたしは、憲兵隊に連れていかれた同族の方が一人も帰ってきていない、ということを知っています」
テイラー先生は、何も言わないまま、ミオンの両目をじっと見返してくる。緊張が高まる中に、再び赤毛の少女が顔を突き出した。
「私らとしては、黙って見ていられないんですよね。だから軍をゆっさゆっさ揺さぶってみたいんですけど、学生九人では大したことできないでしょ。なので、先生にもちょろっと協力してもらいたいわけです」
榛色の瞳が、夕日を受けていっそう濃く輝いた。愛嬌の中に確かな情熱と鋭さを閉じ込めた目は、大人をも圧倒する静かな威圧感を放っている。
テイラー先生が、目を閉じて腕を組む。彼女はしばらくそのまま黙していた。
黙って待っている二人の少女をかき分けて、シンシアが前に出ようとした頃、大きなため息が響き渡る。――リンダ・テイラーその人のものだった。彼女は困ったように肩をすぼめて、両手を挙げる。
「教師としては君たちを止めるべきなんだろうけどね。私個人としては、みんなを応援したいって思っちゃうなあ。困った、困った」
テイラー先生はことさらに明るい声で言うと、あっけに取られている三人に向き直る。黄昏時の影に半身を沈めた女性は、ふと遠くを見るような目をして、両手を組んだ。
「――みんなの言う通り、私はエルデさんのまわりで何が起きたか、だいたい知らされているんだ。正直、助けてあげたいと思っているけど、学院としてはこの件で軍に逆らうわけにはいかなくてね」
「テイラー先生……」
シンシアが目を曇らせる。名を呼ぶ声は震えていた。普段あまり関わりのない生徒が沈痛な表情をしたのを見て、彼女も思うところがあったのだろうか。けぶるような微笑を浮かべたテイラー先生は、自らに言い聞かせるように、言葉を続けた。
「だから、行動に移せるコナーさんたちがすごくうらやましい、って思っちゃったよ。同時に、ああ、やっぱり助けてあげなきゃなって気持ちが出てきちゃった」
「どうしてそこまで……わたしたちを気にかけてくださるんですか。わたしに同好会を紹介してくださったときも、そうでしたけど」
ミオンがおずおずと尋ねると、テイラー先生は困ったように亜麻色の髪をつまんだ。それから、ふっきれたように笑う。
「これは本人にも伝えてないんだけど。エルデさんのお母さんとは仲が良かったんだ」
静かに明かされた真実に、少女たちは目をみはる。さしものブライスも言葉を失って、十秒ほど黙っていた。だが、誰よりも早く反応したのも、彼女であった。
「そうだったんですか? それ、なんかすごいじゃないですかー!」
「本当に偶然なんだけどね。エルデさんが生まれる前に、帝都で一人歩いていた彼のお母さん――ミリアムに、私が声をかけたんだ。その後すぐに意気投合して、何度か連絡を取り合ってた。子どもが産まれたっていう報告も、本人から直接受け取ったんだよ。でも、ルーウェンの解体以降は、まったく連絡が取れなくなった」
少女たちは視線を交わしあう。その変化の意味するところは、ひとつだ。きっとテイラー先生は、真実を尋ねることをためらったのだろう。彼女の気持ちを想像するくらいは、三人にもできた。
少女たちが無言でいた、その間に、リンダ・テイラー先生は何かを決意したらしい。窓から差し込む夕日に目を細め、思いっきり伸びをした。そうして生徒に向き直ったかと思えば、いきなり手を叩いたのである。
「よし、わかった! 私もできる限り協力するよ!」
「本当ですか? ありがとうございますー!」
無邪気に笑ったブライスが卓に両手をついて飛び跳ねる。テイラー先生はそれを明るくたしなめた後、苦笑を浮かべる。
「ま、一介の教師がどこまでできるかわからないけどね」
「無理はなさらないでくださいね。先生にも、立場というものがおありでしょうから」
「あっははー。お気遣いありがとうね、ネリウスさん!」
優雅に礼をした少女に、テイラー先生は底抜けに明るい声を返した。これから来る夜を跳ね返しそうな返答に、少女たちは顔をほころばせる。
こうして、『クレメンツ怪奇現象調査団』と『ミステール研究部』の面々は、大人の協力者を得ることに成功した。
※
作戦始動からの三日間、九人は学業と学院祭準備の合間を縫って、学院の内外を駆け回っていた。今のところ目立った成果は出てないが、彼らに共鳴してくれる人が出てきたり、トニーが『魔導の一族』に関わるいくつかの噂を拾ったりしている。そして彼は、さりげなく路上生活者の間にレクシオの話を流したらしい。もちろん、自分の友達ということは伏せて。
「噂を流す」などということを平然とした顔でやってのけた彼に、ジャック以外の面々はいいようのない視線を注いだものだ。
――四日目の放課後、ステラはそのトニーとナタリーを連れて、街へ下りてきていた。
この日もレクシオは学院に姿を見せなかった。それぞれ、気分の悪さに少々顔を曇らせつつも、目的地へ向かって足を進める。
今日はステラが仕事をする番だ。交流のある軍関係者と接触して、憲兵隊のことをさりげなく聞き出す。多少の危険は伴うが、やってみる価値は皆無ではないだろう。ジャックはそう言っていたし、ステラ自身も同じように思っている。
記憶にある住所や所属を辿り、訪ねられる人のところだけ訪ねた。みな、ステラのことを見て一度は驚いた顔をする。それから嬉しそうに笑うのだった。実家にいた頃にしか会っていない人が多いから、当然だろう。
ただ、魔導の一族や憲兵隊のことを切り出すと、彼らの笑みはややかすんだ。
「まあ、そいつは市井の噂だからなあ。俺たちにはなんとも……」
「憲兵隊じたい、少々特殊な部隊ですから。私たちのところにも、あまり情報が入ってこないのですよ」
「彼らには裏の顔があって、何やら暗いことをしているという話は、軍部の中でもありますがね。何しろ彼らに反感を抱いている奴の発言ですし、あまり信憑性はないでしょう」
こういった具合で、その話題から逃れようとするかのように言葉を濁すのだ。そのたび内心では落胆しつつも、ステラたちは愛想よくほほ笑んで頭を下げる。そして、意図を追求されぬうちにさっさと撤退するのであった。
「なーんか、煮え切らねえ感じだねえ」
「情報が入ってきづらいってのも本当だろうし、関わりたくないっていう気持ちもあるんでしょうね。彼らも憲兵隊に目をつけられたら大変だから」
五軒目で空振りした後。細い通りを歩きながらぼやくトニーに、ステラは肩をすくめてみせる。トニーとナタリーは、どこか重たげな顔を見合わせた。
ステラもため息をついて、足もとに視線を落とした。実りのない活動に付き合わせてしまったことに申し訳なさを感じる。本当はステラとしてももう少し踏み込んだ話をしたいし、幼馴染の窮状を訴えられるものならそうしたい。ただ、これは本当に信用できる相手にしかできないことだ。万が一憲兵隊に密告でもされたら、九人全員が危険にさらされる。
さて、これからどうするか――ステラが考え込みながら歩いていると、向かい側から別の足音が聞こえてきた。ほんのかすかな、常人であれば無音と錯覚しそうな音。それに顔を上げると、やはり誰かが歩いてきていた。ちょうど陽光を背にしているせいで、顔は見えない。
ステラは道を開けようと、足を軽くずらした。しかし、直後に響いた声が彼女の足を止める。
「一般の軍人に憲兵隊のことを訊いても、あなた方の求める答えは得られないでしょうね」
初夏の風のような声だった。それでいて、ずっしりと胸にくるような重さもある。
ステラたちは、それが紡ぐ言葉に反応せざるを得なかった。
「……どういうことですか?」
「言葉通りの意味ですよ」
人影が立ち止まる。空を流れた雲が、つかのま陽光をさえぎった。ほどよい影の中に、輪郭と色彩が浮かび上がる。男の人だった。濃い金髪、細い眉、猛禽類を思わせる目――その中心にあるのは、晴天を思わせる碧眼。全体的に線の細い印象だが、目つきと伸びた背筋のおかげで、弱々しさや儚さとは無縁なようにも思われた。そして、庶民の暮らしの場にはあまりにそぐわぬ雰囲気をかもし出している。
ステラは警戒の水準を一段引き上げて、謎の青年に向き合った。しかし、彼の方はステラたちの反応など意に介さぬとばかりに、軽やかな笑顔を見せる。
「失礼。先ほどの話が聞こえてしまったもので」
三人は、無言で視線を交わしあう。明らかな警戒の色が、そこにはこもっている。
彼らが話し込んでいたのは、屋内でのことだ。それに、誰かが盗み聞きしているような気配は誰も感じ取らなかった。仮にステラの五感が取りこぼしていたとしても、生粋の軍人が何も気づかないとは考えにくい。
もしかしたら、まずい相手に見つかったかもしれない。そうステラが臍を噛んでいる間にも、青年の唇は動き続ける。
「実に興味深かったので、よければもう少し詳しい話を聞かせていただきたいのですが。……例えば、なぜあなた方が憲兵隊のことを嗅ぎまわっているのか、とか」
三人の上に、稲妻のような緊張が走った。ステラはいつでも動けるように腰を落とし、ナタリーとトニーは手を後ろに回して魔導術の展開準備を始めようとする。
静かに警戒態勢をとる三人を青年は何食わぬ顔でながめた。それから、何かを思いついたように目を開き、数回手を叩く。乾いた音が、ひりひりとした空気を揺るがした。
「何か誤解をしていらっしゃるようですが、私はあなたたちを憲兵隊に突き出そうとか、密告しようとか、そういうことを考えているのではありませんよ。むしろ、彼らの暴走を止めたいと思っているのです」
「止める? あなたが、ですか?」
ステラは、喉の渇きを自覚しながらも慎重に問い返す。うなずいた青年は、己の胸に手を当てた。
「幸い、現在はそれが可能な場所におりますので。それに――ディオルグ卿には多大な恩がございます。ご息女のあなたが困っているというのであれば、ぜひとも力をお貸ししたい」
ステラは目を見開いた。青年と遭遇してから初めて、明確に表情を動かした。両側の頬に当たる視線を感じながらも、彼女は青年を観察する。
どうやってか、彼女たちの話を盗み聞きしていた人。しかも、憲兵隊のやることに干渉できる場所にいるという。そして、ステラの亡父のことを知っていそうでもある。信用してよいのか、わからない。いや、むしろまだ信用するなとステラの中の理性は騒ぎ立てている。それでも、なお惹かれてしまうのは、こちらを見すえる碧眼が、あまりにまっすぐな光を宿しているからなのだろう。
ステラは瞑目した。一度、大きく深呼吸してから、その目を開く。そうして再び――今度は、凪いだ心を抱いて、青年と向き合った。
「……わかりました。お話しします。ただし、このことは絶対に、他の人には言わないでいただきたい」
「もちろんです。ありがとうございます」
おもちゃを買ってもらって喜ぶ子どものように声を弾ませ、青年は感謝を述べる。今までの底が知れない雰囲気とはあまりにも違いすぎて、ステラたちは目を白黒させた。曖昧にほほ笑んでいるステラに、ナタリーがささやきかける。
「いいの? ステラ」
「正直怖いけど……」
ステラは少し顔をこわばらせた。けれども、直後には不敵な笑みを刻み付ける。
「もう聞かれてしまったみたいだし、賭けてみようと思う。たぶん、あの人……それなりに身分や階級の高い人みたいだから」
「……なあるほど」
青年を遠目からじっと見つめて、ナタリーが呟く。その声は、草むらからしゅるしゅると姿を現す蛇のようである。疑念がありありとにじみ出ている声を聞き、その横でトニーが帽子をつまんで下げた。その下から、くつくつと笑声が響く。
「ま、いいんじゃね? 悪い人じゃなさそうだ」
トニーが言うなら、彼の心根はやはり善良で、あの瞳のように実直なのだろう。そんなことを思ったステラの視界を、蜂蜜色が横切ってゆく。はっとして振り返ると、いつの間にか、青年が学生たちの後ろにまで歩いていっていた。青年は彼ら――おもにステラを振り返って、手を振る。
「今回のような相談に適したお店を知っているので、ご案内しますよ。参りましょう」
ステラは苦笑し、ナタリーとトニーはあきれ顔を見合わせてから、それぞれ青年を追って駆け出した。