第二章 皇女の依頼(9)

「で、どうだったんだ」
「とりあえずメシは美味かった」
『くつろぎの白鳥亭』を訪れた次の平日、その放課後。第二学習室に全員が集うなり、オスカーが問いかけた。即座にレクシオが笑って応じると、体術専攻の少年の視線が鋭くなる。
「ごめんて。でも、このくらいの冗談は許してほしい」
 オスカーに本気でにらまれたレクシオが、両手を挙げて降参の意を示す。そのやり取りを見ていたほかの面子は、揃って苦笑していた。
「その様子だと、かなりややこしい話だったみたいね」
「ややこしいっていうか……きな臭いっていうか……まあ、そんな感じ」
 にやりと笑ったナタリーに答えたステラは、それから先日聞いた話をぽつぽつと報告していく。もちろん、レクシオやシンシア、トニーも途中途中で話を代わったり、補足を入れたりしてくれた。
 両殿下が危険視している副宰相のこと、その功罪、そして『彼女』が『奇妙な存在』――セルフィラ神族かもしれないこと。
 記憶を辿り、書きつけなども見直しながら、それらを丁寧に話していく。話が進むごとに学友たちの表情が険しくなり、部屋の空気が重くなった。
「――それで、あたしたちだけじゃ決められないからいったん考えさせてください、って言って帰ってきた」
「うん。いい判断だと思うよ」
 ステラが苦々しく締めくくると、ジャックが神妙にうなずいた。やはり、彼もこの展開を予想していたのだろう。団長からのお墨付きをもらって、ステラたちはほっと肩の力を抜く。
 だが、次の瞬間。大きな音を立てて椅子が鳴り、全員の表情が凍りついた。九人分の視線が音の方に集中する。
 椅子を鳴らして立ち上がったのは、ミオン・ゼーレだった。彼女はうつむいて、肩を震わせている。
「……すみません」
 垂れ下がった黒髪の下から、消え入りそうな声が漏れた。
「お話の途中に、こんなことを言うのはよくないって、わかってます……。けど……すこし、一人にさせてください……」
 一言が紡がれるごとに、震えは大きくなっていく。
 ほとんどの人が唖然として彼女を見ていた。だから、反応が遅れた。
 結果としてミオンは、誰かの返答を聞く前にぱっと身をひるがえす。そのまま小走りで第二学習室を出ていってしまった。
 その頃になって何人かが我に返り、立ち上がる。まっさきに声を上げたのは、ナタリーだった。
「ちょ、ちょっとミオン!?」
「ナタリー」
 そのまま踏み出しかけた彼女を、しかし静かな声が制した。ナタリーは振り返ってその方をにらんだが、声の主がレクシオだとわかると、たちまち勢いを失った。レクシオは、今にも崩れそうな笑みを浮かべてかぶりを振る。
「今はそっとしとこうや。……自分の親を殺した犯人をいきなり知らされた、みたいなもんだ。気持ちを整理する時間がないと、やってらんねえよ」
 重いささやきを聞いて、その場の全員が目を伏せる。ステラも例外ではなかった。
 思えば、ミオンの口から家族や故郷の話題が出たことは、ほとんどない。学院に入る前は親族と移動しながら暮らしていた、と聞いたことはあるが、その話の中に両親のことは一度も出てこなかった。――つまりは、そういうことなのだろう。
 長い沈黙の後、ナタリーが特大のため息をつく。彼女は、レクシオをにらむように見た。
「……あんたはいいの?」
「あ? 何が?」
「気持ちを整理する時間。なくていいの?」
 レクシオは、黙って目をしばたたく。それから、小さく吹き出した。
「あー。俺は、まあ、いいわ。整理する機会は別で持てたしな」
「本当に?」
「本当、本当。ありがとさん」
 困ったように頭をかいてレクシオが言うと、ナタリーはついと視線を逸らした。
「ならいいけど。無理だけはすんなよ」
 気まずげな、それでいて温かみのある声が、場の空気を少し解かす。
 ステラとレクシオは、顔を見合わせて苦笑した。
 その後も空気は沈滞し、誰もが居心地悪く黙り込んでいた。しかしあるとき、カーターが静かに挙手をした。八人分の視線が、今度は彼に向く。
「あの、ジャックさん」
「なんだい?」
「ひとつお伺いしたいのですが……副宰相の制服というのは、何か決まったものがあるのでしょうか」
 ステラたちは首をかしげる。今、それを問いかけることの意味と意図が、いまいちつかめなかった。一方ジャックは、唇に人差し指を当てて虚空をにらむ。記憶を手繰るように泳いだ目は、やがてカーターの方へ戻った。
「いや、専用の制服というのはないはずだよ。比較的新しい役職で、役割も地位も定まっていないところが多いし、わざわざ専用のものを用意する意義もない、と考えられているらしい。ただ、位の高い役職ではあるから、高官の制服、を……」
 途中までは、いつものようによどみなく語っていたジャック。だが、急に顔をこわばらせると、その言葉も尻すぼみに消えていく。怪訝に思った団員たちの視線などないかのように、神学専攻の少年と目を合わせた。
「まさか……いや、そうか、そうだった!」
「政府高官の制服って確か、白いジャケットとズボンですよね。金糸の刺繍が入った、きらきらしてる……」
「そうだよ。その通りだ。僕としたことが、うっかりしていた」
 二人は何やら盛り上がっている。一方が青ざめているこの状況を、盛り上がっている、と言ってよいのかどうかはわからないが。
 ステラたちはますます戸惑って眉をひそめる。一方、納得してうなずいた者もいた。オスカーだ。
「ああ、そうか。忘れてた」
 ぽつりと呟いて頭をかいた『研究部』部長は、部員に感情の読めないまなざしを向ける。
「よく覚えていたな、カーター」
「いえいえっ! ぼくもさっき思い出したんです」
 カーターがあわあわと顔の前で手を振った。
 わかりあっている三人を見比べたナタリーが、少し疲れた様子で口を開く。
「ねえ、一体なんの話?」
「ああ、すまない。僕たちだけで盛り上がってしまった」
 非難がましい目を向けられたジャックが、苦笑して頬をかく。それから表情を改め、全員を順繰りに見た。
「副宰相殿の正体がわかったんだ」
「え、ほんと?」
「ああ! みんなにも話したことがある。セルフィラ神族の一角と思しき、ダレットと呼ばれていた女性だよ」
 短い間の後、「あーっ!」と五人分の叫び声が重なる。
 ブライスが興奮した様子で手を叩いた。
「そうだよー! えらい人の格好してたって話、してたじゃん!」
「忘れてた……セルフィラ神族が関わってたこと自体が衝撃的で……」
 はしゃぐ同級生を横目に見つつ、ステラは頭を抱える。一方、『くつろぎの白鳥亭』に行ったほかの三人は、まじめくさってレクシオの手帳を見返していた。
「確かに、ジャックたちから聞いたダレットの見た目と副宰相さんの見た目、同じっぽいな」
「二十年以上姿が変わっていない、という話ですし……よく似た別人とは考えにくいですわね」
「ってことは、だ。ダレットは二十年前から帝国政府に入り込んでて、殿下たちは早くからそいつの危険性に気づいてたってことだな。んで、『解体』以降……ざっと十二、三年前から身辺調査を続けていたと」
 ダレットと皇帝の子どもたちは、ステラたちよりよっぽど長く対立しているということだ。もちろん、表立って争うことはしていないだろうけれど。
 そう考えると、途方もない。
「ってことはさあ。ルーウェン解体をたくらんで、皇帝陛下に提案したのもそいつってことだよね? なんで神様がそんなこと考えたんだろ」
 ブライスが大きく伸びをしながら言った。その瞬間、部屋の空気がまた張り詰める。さしものブライスも、しまった、とばかりに固まった。
「あ。ごめん」
「……いや、構わないよ」
 ジャックが申し訳なさそうに苦笑する。
 先の問いについては、ほとんどの人が「なんでだろう?」と首をかしげるばかりで、推測のひとつも出てこなかった。だが、レクシオが険しい表情で何事か呟いたのを、ステラは見逃さなかった。
「どうしたの、レク」
 呼びかけると、幼馴染はたった今目覚めたような顔で振り返る。それから、真意の読めない微笑を浮かべた。
「ああ、いや。そろそろミオンの様子を見てこようかなー、と」
 レクシオは答えるなり立ち上がった。まるで、こちらの追及を避けるかのようだ。ステラは顔をしかめたが、ほかの面子は彼女の変化に気づいていない。ただただ疑問の色を両目に浮かべ、それぞれがレクシオを見上げていた。
「見てくるって……どこにいるかわかるの?」
「魔力を追えば見つかるでしょ。そう遠くまでは行ってないだろうし」
 レクシオはナタリーに軽く応じると、「行ってきていいか?」と団長を振り返る。
「もちろん! よろしく頼むよ」
 ジャックが陽気に許可を出すと、レクシオはひらりと手を振って、第二学習室を出ていった。

「魔力を追えばとか、簡単に言うわね……。あの子、普段は隠してるってのに」
 扉が閉まった少し後。ナタリーのぼやきに、魔導科生たちが引きつった笑みを浮かべた。

 それから、しばらく経って。レクシオが何食わぬ顔で戻ってきた。後ろにミオンを連れている。同胞の少年に続いて第二学習室に入った彼女は、深々と頭を下げた。
「あの……すみませんでした。いきなり飛び出しちゃって」
 言葉を向けられた八人は一瞬、なんとなく顔を見合わせる。
 まっさきに反応したのはトニーだった。
「気にすんなよー。あれは動揺してもしょうがないって」
 彼に便乗して、ブライスが手を挙げる。
「そうそう! 教室飛び出すなんて、私はしょっちゅうやってたし!」
「あなたはもう少し落ち着きなさいな」
「今はやってないよ。初等部の頃の話」
 シンシアに白い目を向けられた彼女はしかし、露ほども動じず、椅子に座り直す。
 気の抜けたやり取りを聞いたからか、ミオンがようやく顔を上げた。目と鼻が赤い。表情にもやや翳りがあるものの、部屋を飛び出す前のような思い詰めた雰囲気は薄らいでいた。
 そのことに安堵したステラは、左手で空いた椅子を示す。
「ほら、こっちこっち。ずっと立ってたら疲れるでしょ」
「あ……はい」
 ミオンは軽く頭を下げてから、もとの椅子の方へおずおずと歩いてくる。その様子を見届けてから、レクシオも平然と着席した。
「あの……何か、お話が進んでいたりしますか?」
「えーとね。副宰相さんの正体がわかった」
 うかがうような問いに、そのままステラが答える。するとミオンは、両目をこぼれんばかりに見開いた。身を乗り出した彼女にダレットのことを伝えると、あっ、という声がこぼれる。
「確か――ジャックさんとオスカーさんとカーターさんが遭遇したっていう……?」
「そうそう。さすがミオン!」
 ステラが思わず手を叩くと、ミオンは恥ずかしそうにほほ笑んだ。しかし、そのほほ笑みはすぐに消えて、目もとに影が落ちる。
「そうですか……その方が……」
 この状況で、彼女がのみこんだ続きの言葉がわからない者はいない。また重苦しい空気になりかけたが、今度はそれをジャックが打ち破った。
「謎多き副宰相様の正体もつかめたことだし、今後の方針を決めないとね。ずばり、両殿下のご依頼を引き受けるか、否か。みんなはどう思う?」
「危険すぎると思うがな。敵に自分から接触しにいくようなものだろう」
 団長の問いかけに、オスカーが淡々と答えた。何人かが同意するようにうなずく。一方で、ステラは別のことを考えていた。
「でも、これは好機でもある」
「……そうだな。上手くいけば、セルフィラ神族の本当の目的がわかるかも」
 彼女の意見に同意を示したのはレクシオで、これは自然な流れだ。ステラは、ダニエル・フィンレイ神官の顔を思い出して苦笑する。心の中で彼に謝りながら、ステラはほかの仲間たちを見渡した。
「うーん、『翼』の二人がノリノリとなると、依頼受けて、行くしかないんじゃない?」
「いや、無理してついてくることはねえよ?」
 やれやれ、とばかりにかぶりを振ったナタリーに対し、レクシオが苦笑する。ステラも彼と同じことを言いたくなっていたが、それを聞いたナタリーは目をすがめた。
「おっ? レクは私らが今まで無理してたと言いたいのかね?」
「そうは言ってないって。ついでに言うと、俺だって今まで『ついてく』側だったっての」
「無理してた?」
「いや、割とノリノリだったわ」
「でしょ?」
 軽妙な応酬が終わると同時、二人は揃って吹き出す。そんな彼らを見ながら、「ノリノリだよな。俺らも」「そうだね」と、『調査団』の古参二人がうなずきあう。『研究部』の面々は、ため息をついたり笑ったりしていた。
「私はやってみたいなー! ダレットって奴が気になるし、何より宮殿に入れるかもしれないでしょ」
「そう言えば、そういうことになりますわね……」
 キレよく挙手したブライスを見やり、シンシアが頭を抱える。「これはもう止められない」と全身で語っていた。
 ステラは顔をほころばせたが、それも長くは続かない。
「わたしも行きたいです。いえ、行かせてください」
 力強い一声が響き渡る。ミオンが音もなく立ち上がっていた。学友たちを映す茶色い瞳の中で、炎が揺らめいている。
「ダレットという方が、どうしてあんなことを考えたのか、どうしてわたしたちを狙ったのか……知りたいんです、わたし」
 それは、つい先ほどブライスが示し、ほとんど誰も答えを導けなかった問いだ。ステラたちは気まずげに視線を交差させる。そんな中、オスカーが淡白に口を開いた。
「『あれ』に会ったところで答えが得られるとは限らないぞ。レーシュのように、てんで話が通じないかもしれない」
「わかっています。それでも会いたいんです。相手を見るだけでも、わかることはあるかもしれないでしょう?」
 ミオンがすぐさま切り返す。その語調はいつになく強く、その態度はいつになく頑なだ。彼女を見つめていたオスカーが、ややあってため息とともにかぶりを振る。
 同級生の姿を、ステラは固唾をのんで見守っていた。そんな彼女の視界の端で、レクシオがなんともいえない表情で肩をすくめている。
 十人十色の態度を示す面子を見回し、ジャックが手を叩いた。
「賛成多数……ということで、依頼を引き受ける方向でいいかな?」
「そうだな。しかたがない」
『クレメンツ怪奇現象調査団』団長の言葉に、『ミステール研究部』の部長が応じる。それを聞いて、カーターが目を丸くした。
「あ、あの……。部長は反対派じゃなかったんですか?」
「こちらから危険な場所に突っ込むことには反対だ」
「それなら――」
「が、『調査団』がやる気満々となれば話は別だろう。放っておいて、大怪我でもされたら寝覚めが悪い」
 当然のように続いたオスカーの言葉に、カーターの目がさらに見開かれる。一方、話に上げられた六人は、各々苦笑したり縮こまったりした。
 ステラからすれば、それこそ無理をしてほしくないと思う。だが、その表情と声色から読み取るに、オスカーは相当やる気だ。ブライスは言わずもがなで、そうなるとシンシアもついてくるだろう。そして、カーターも――
「カーターこそ、怖ければ無理はするなよ」
「い、いえ。行きます。『翼』のお二人が前線に出ようというときに、ぼくが何もしないわけにはいきません」
 案の定、神学専攻の少年はきっぱりと断言した。胸の前で握られた拳は震えていたが、オスカーはそれを指摘せず「そうか」とだけ返す。
 二人の応酬が一段落したところで、ジャックが笑顔のまま口を開いた。
「まあ、全員が前線に出ることもないと思うよ。むしろ、撤退するときのために、後方にも人を置いた方がいい」
「両殿下には何か作戦がおありのようでしたし、改めて話し合いをしなければなりませんわね」
 明るく現実的なことを言うジャックを一瞥し、シンシアが真剣に応じる。彼女のこの一言で、これからの方針が決まったようなものだった。
「それじゃあ次の活動は、セルフィラ神族・ダレットの思惑を探ること、だね! 張り切って、けれど慎重にいこう!」
 いつもの同好会グループ活動のように、ジャックが号令をかける。『調査団』の面々がいつもより小さな声で「おーっ!」と応じ、全員で拳を合わせた。