第四章 神授の剣(4)

「みんな遅いねえ」
 跳ねるように体をゆすりながら、ブライスが呟く。それを聞いて、五人ともが彼女を見つめた。
「んまあ、確かになあ。この下、そんなに深いのか?」
 帽子を手もとで回していたトニーが、その動きを止めてしゃがみこむ。猫目がしきりに瞬いた。四角い入口の奥はひたすらに暗く、ほとんど見通せない。
 少しの間そうしていたトニーが、けれどふいに顔をしかめた。立ち上がり、学友たちを振り返る。
「……なあ。なんか、魔力の動きが変な気がするんだけど」
 魔導科生のほか三人が、合わせ鏡のように首をかしげあう。ナタリーがすぐさま駆け寄って、トニーの後ろから穴を覗き込んだ。
「ほんとだ。なんか、変な揺れ方してる。しかも、さっきより濃くなってない?」
「やっぱり?」
 振り返って確認したトニーに、ナタリーは力強くうなずく。
 それまで緩んでいた食糧庫の空気が、急速に張りつめた。ブライスが動きを止め、アデレードが真剣な表情で口もとに指をかける。カーターがぶるりと震え、シンシアは目をすがめた。
「ミオンさんに状況を尋ねてみましょうか」
 彼女は言うなり、構成式の展開を始めた。白い指が空中でしなやかに躍り、そのたびに魔力が震える。
 やがて、彼女の前に完成した構成式が広がった。八角形を基礎としつつ、その内部には様々な文字や記号が並んでいる。息をのむほどの、あるいはめまいがするほどの繊細さであった。
 ともすれば模様のようにも見えるそれを、シンシアは躊躇なく人差し指で弾く。すると、構成式は一斉にほどけ、光の粒となった。光たちは整然と列をなし、暗い地下へと吸い込まれていく。
 誰もがそれを呆然と見送った。けれど、術者本人だけは、険しい表情を崩さない。
「……魔力の通りが悪すぎますわ」
「え?」
 ブライスとトニーが素っ頓狂な声を上げる。シンシアは、眉間のしわをもみほぐしながら続ける。
「何かに阻まれているような感覚があります」
「ど、どういうことぉ? 大丈夫なの、それ?」
 ブライスが反転し、シンシアに飛びつく。彼女は「なんとも言えませんわ」と答えながら、赤毛の少女を引きはがした。
「この先で何か起きたのかもしれません。いつでも動けるように、準備を――」
 まくし立てるように呟いた彼女の声はけれど、不自然に途切れる。口を閉ざし、顔を上げたせいだった。
 次の瞬間、あたりが光に包まれる。
「ぎゃっ!」
「ここ、今度は何!?」
 誰もがとっさに目をつぶり、人によってはしゃがみこんだ。
 強烈な光はすぐに収まった。しかし、先ほどまで薄暗かった食糧庫は不自然に明るくなっている。
「これは……光? いったい、どこから……?」
 まっさきに目を開けたアデレードが、天井を見上げて呆然と呟く。学生たちも彼女に倣い、そして同じように立ちすくんだ。
 食糧庫の天井付近が、銀色の光に覆われている。皇女の言葉通り、光源になりそうなものは何もない。だというのに、銀の光は煌々と部屋を照らしていた。
 我を取り戻したトニーやナタリーがきょろきょろとあたりを見回す。その途中、ナタリーは怪訝そうに目を瞬いた。
「カーター、どうしたの?」
 神学専攻の少年が、光の方を見ながら震えていることに気づいたのだ。問いかけても明確な応答がない。彼はただ光を見つめ、唇を震わせていた。
「あ、あれは……まさか……。でも、なぜ……?」
 ナタリーは眉を寄せる。カーターの反応が不思議なのもあったが、それ以上にある予感がしたのだ。
 神学を専攻する身であり司祭の卵である彼が、ここまで反応するということは――この光は女神由来のものなのではないか。
 そんな思考が、彼女の中で火花のように弾けた瞬間。
 突然、より強い光が瞬いた。人々が怯んでいる間にそれは帯状になり、天井の中心から地上付近へと、まっすぐに飛んでいく。そして、四角い入口を通り、地下へと伸びていった。
 彗星のごとき光が暗闇に呑まれ、その残滓も少しずつ消えていく。それらが完全に見えなくなると、天井の光もじょじょに薄らいで、間もなく完全に消えた。
「なっ……なんだったんだあ?」
 トニーが、素っ頓狂な声を上げて入口をのぞきこむ。
 魔導科の少女二人と皇女が、疲れたようにかぶりを振った。
「光が――吸い込まれていったように、見えましたけれど……」
 シンシアが呆然と呟く。ナタリーとアデレードが、またも肯定してこわごわと四角い穴をのぞきこんだ。
 しかし、「ほえ?」という反問の声が、生ぬるい空気を破った。トニーの隣で、ブライスが頭を傾けている。
「さっきここに入ってったの、剣だったよね?」
 彼女の言葉に、ほとんどの人は怪訝そうな表情をする。ただ一人、カーターだけが重々しくうなずいた。

 その光景を、ステラは食い入るように見つめていた。
 いや、彼女だけではない。オスカーやジャックも動きを止め、驚きと戸惑いの視線を天井に向けている。
 金色に淡く輝く光の幕。その中心を穿つように、白い光が灯っている。その光は、よく見ると動いているようだった。音もなく滑って――ステラの方に下りてくる。
 ステラは、その光に、光の中にある物に目を奪われていた。二か月前、クレメンツ・フェスティバルのさなかに、変わった武器商人から譲り受けた剣だ。その形も柄に刻まれた文字も、彼女の記憶と合致している。間違いない。
 なぜ、その剣がここにあるのか。至極まっとうな疑問が脳裏をよぎったのは、ほんの一瞬のことだった。奇妙な緊張と高ぶりを抱いて剣を見つめる。そして――導かれるように、手を伸ばした。
 柄をつかんで、引き寄せる。光に包まれている剣は、奇妙に熱かった。それでも構わない。ステラは何も考えず、ただそれを抱えるように持った。
 刹那、柄の文字がまばゆい金色に光る。
「うわっ!?」
 ステラは思わずのけぞった。剣を手放しはしなかったが、そこで初めて正気に戻った。反射的に目をつぶっていた彼女はしかし、手の中に違和感を覚えて少しだけ瞼を持ち上げる。
 己の目を疑った。剣が、縮んでいっているように見えたのだ。ステラはまぶしさも気にせず、両目を見開いて剣を凝視する。
 その剣は元々、ステラが扱うには少々長すぎる細剣だった。しかし、文字が光った直後からするすると縮み、鍔が伸び、鞘が圧をかけられた粘土のように縦横へ広がる。そうして、ステラの愛剣そっくりの形と寸法に変化した。
 光が消える。剣を包んでいたものも、地下神殿を照らしていたものも。闇と沈黙が戻った地下神殿の中で、ステラは手元の剣をまじまじと見つめた。やはり、形が変わっている。形だけでなく、色合いも最後に見たときとはずいぶん違っていた。古びてくすんでいた柄は月の光を閉じ込めたような銀色になり、刻まれた文字が消えていた。鞘は夜空のような深い青だが、なぜか薄暗がりの中でもはっきりと色が見える。今なお、剣自体が淡く光っているかのようだ。
「……どういうこと?」
 眉を寄せつつ、鞘を左手で押さえて柄を横に引く。純白の刃が現れた。どんなに鍛え、磨き抜いた刀剣でも、どんなに上質な鋼でも、ここまで澄んだ白色にはならない。その非現実的な色合いが、なおのことステラの鼓動を速くした。
 低く、空気が鳴る。その音で我に返ったステラは、はっと顔を上げた。
 ヌンが、こちらを見ている。いや、不気味に輝く両目は、ステラの顔より少し下を見ていた。その意味を察したステラは、腕を下ろして身構える。
 ひと時のにらみあい。右足を前に出し、左足を少し引いたステラは、今度こそ思いっきり剣を抜いた。
「ジャック! これ、預ける!」
 叫ぶと同時、上半身をひねり――青い鞘を力いっぱい放り投げる。「えぇっ!?」というひっくり返った声を背中で聞きながら、駆け出した。
 ヌンが拳を振りかざす。ステラは立ち止まらなかった。間もなく、拳と刃がぶつかり合う。その狭間から勢いよく魔力が噴き出して、弾け飛んだ。
 力任せに押し込まれる拳を、ステラは剣一本で受け止める。白い刃は軋むこともたわむことも一切ない。それどころか、ヌンの分厚い皮膚にわずかずつ食い込んでいっていた。
 それだけではない。『銀の魔力』が恐ろしいほど通しやすかった。まっすぐな川を流れる水のようにするすると流れ出た魔力は、なんの抵抗もなく刃を覆っている。さらに、使い手の体の底から魔力を押し出し、湧きあがらせているような感覚があった。
 二人の力は拮抗している。それは、膂力ではなく目に見えない力の方だ。押し合いとにらみ合いは、永遠に続くかのように思われた。
 が、ふいにヌンの体が揺らぐ。状況の変化を見て取ったオスカーが、ヌンの膝を蹴り、さらに腹へ拳を叩きこんだのだ。極めつけに、魔導術で生み出された炎の球が、彼の胸あたりに次々と着弾する。
 さしものヌンも動揺したらしい。剣にかかる力がふっと緩んだ。その瞬間、ステラは大きく踏み込んで、斬撃を放つ。白刃が拳の表面を広く切り裂いた。その断面から見覚えのある光が漏れ出て、飛び散る。
 ヌンが後ろによろめいた。低いうなり声がする。ステラは構えを解かぬまま、その姿をにらみすえた。
 ヌンは、ステラに斬られた方の手を持ち上げると、握ったり開いたりを何度も繰り返して、見つめる。そうこうしているうちに、切創がふさがってきたようだ。こぼれ落ちる光の量の変化で、ステラはそれを悟った。その様子は暗闇の中ではよく見える。あれが神族にとっての血液にあたるのか魔力にあたるのかはわからないが、なんにせよあの姿を保つのに重要なものではあるらしい。そのことは、冬の大祭での一戦でよくわかっていた。
 傷がふさがった後も、ヌンは動かなかった。なおも己の手をじっと見つめている。ステラたちもまた、そこへ踏み込もうとはしない。なぜか、これ以上先に進んではいけないような気がしていたのだ。
 ステラは目を細める。頬を汗の筋が伝うのを感じた。
 ややあって。ヌンがおもむろに顔を上げる。黒い布の隙間からのぞく目は、いびつな楕円形のように見えた。
 ゆっくりと腕が下ろされる。その瞬間、彼の全身から凄まじい力が噴き出した。禍々しさはない。けれど、今すぐひれ伏すか逃げ出すかしたくなるほどの恐れを抱く。実際、オスカーなどは背を丸め、うずくまりそうになっていた。歯を食いしばって耐えているが、それもいつまで持つかはわからない。ステラの位置からは見えないが、きっとジャックも同じような状態だろう。
 逆らえないもの。絶対的な存在。それを前にして、けれどステラは立ち続けた。両足で床を踏みしめて、ラフィア神から賜った力と武器だけを支えにして、『冥府と沈黙の神』をにらむ。
 魂の番人。あくまでも、導き、見守る役目を負ったもの。けれど彼は、その気になれば生を与えることも、死へと誘うこともできてしまうのだ。
 だからこそ、ステラだけは屈さない。
『彼ら』だけは、屈してはいけない。
 ラフィア神から選ばれた者である限り。目の前の神が、セルフィラに与するものである限り。
 姿勢を整え、深呼吸。いつでも駆け出せるようにして、相手の息遣いをうかがった。そうして静寂に身を置くこと、十秒ほど。
 心の中で最後の一を数えた直後、ステラは前へ飛び出した。ヌンも左足を高く持ち上げる。
 その足が地面を揺らす前に、ステラは彼の膝に飛び乗った。そこからさらに跳躍し、勢いをつけて剣を振りかざす。斬撃は、ヌンの胸の下あたりをこれまた浅く裂いた。
 ステラはそこから、立て続けに剣戟を叩きこんだ。そのたび、細かな光が舞って、ヌンの顔がゆがんだように見える。
 黒衣に覆われた左腕が持ち上がった。ステラはそれを見て取ると、彼の体を蹴って一度着地する。彼女を払おうとしたのであろうヌンの腕は、けれど振りかざされることはない。その前に、肘のあたりに何かが巻きついた。
 岩だ。細く変形し、長く伸びた岩の縄。ほんのりと、陽だまりのごとき魔力が感じられる。
「今だ、ステラ!」
 明るく力強い声が背中を押す。ステラは振り返らずにうなずいて、再びヌンめがけて飛び上がる。大上段に剣を構え、勢いよく打ち下ろした。黒い巨人が身じろぎする。白い刃はその肩をかすめた。
 惜しい。けれど、とどまるにはまだ早い。
 ステラは追撃すべく、ヌンの肩に飛び乗る。――しかし、剣を握り直した瞬間、動きを止めた。
 低い地鳴りのような音。それとともに、空間が振動する。そして。
「ちょ……まだ何か来るの?」
 ステラが叫ぶと同時、地下神殿の台座が輝きはじめた。