終章 風の便り

 アーノルドと合流したステラたちは、何事もなかったふうを装って学院方面へ戻った。寮生たちを見送ったのち、通学組はそれぞれ家路につく。
 地下で起きたことの報告をきちんと行えたのは、その数日後のことだった。あのとき地上に残っていた五人は、ほかの五人からの報告を聞いて、なんとも苦々しそうな顔をした。
 さらにその日の放課後、ステラは学院の門前で警備員をしているアーノルドから二枚の紙を受け取った。
「君のご友人と見るように。もちろん、人の目がないところでね」
 そう言われたので、ステラはいつかの同好会グループ活動の際に『研究部』の人々を呼んでもらえるようジャックに頼んだ。
 そして、後日。第二学習室に集ったおなじみの面子の前で、ステラは慎重に紙を広げる。
「おお……なんか皇族って感じ……」
 ブライスが感動のささやきを漏らす。その反応に笑みを誘われつつも、ステラは内容を確認した。
 一枚目は、皇子と皇女からのお礼の手紙だった。
 今回協力してくれたことへの感謝、本来ならば何かお礼をしたいが難しいということ、それに関する謝罪などが品のある文章で綴られている。
 そして二枚目は、皇子からの伝言だった。地下神殿で、台座から浮かび上がった文字。その中で読み解けた部分を記録しておいてくれたという。『正確に把握できた部分のみを記しているため、文章としては成立していない旨、ご容赦いただきたい。もし何かわかったら、アーノルド捜査官を通して教えていただけると嬉しい』という前置きの後、いくつかの短文が羅列してあった。
 レクシオが、それを淡々と読み上げる。
「『これは女神のお言葉である』、『戦の備え』、『足跡を追う』、『欠片を集める』、『神のための道をつくる』――」
 室内に張り詰めた空気が満ちた。ステラとレクシオは思わず顔を見合わせる。
「『神のための道』!」
 二人が声を揃えると、ジャックが神妙に腕を組んだ。
「確か、神官様のお話の中に出てきたんだったね。セルフィラ神族と名乗る彼らが、セルフィラを降臨させようとしている……だったかな?」
「そう。そのためには『道』というのを作らないといけないらしいの」
 フィンレイ神官の話をなぞったステラは、再び紙面に目を戻す。その隣でレクシオが呟いた。
「しかしまあ、あの一瞬でよくここまでご記憶なさったな、アーサー殿下」
 彼の言葉に、その場の全員が何度もうなずいた。
 感嘆する学友たちの中で、カーターがわずかに眉根を寄せる。
「『道』ですか……。聖典の中に何度か出てはきますが……」
「本当!?」
 ステラはつい勢いよく振り返ってしまう。のけぞった少年は「せ、正確な文章は覚えていないんです」と慌てて付け足した。
「もう一度聖典を確認してみますね。道をつくる方法について、何か書かれているかもしれません」
「助かるよ! ありがとう!」
 ステラは両手を合わせ、めいっぱい頭を下げた。彼女をほほ笑んで見ていたレクシオが、紙を指さす。
「んじゃ、俺たちはこの文章についてエドワーズ神父に聞きにいくか。ついでに怒られてこよう」
「それなら、僕たちも一緒に行くよ。いつにしようか」
 軽い提案にジャックがすぐさま乗っかると、ほかの団員たちも「行く」と言い出す。
 その後、日程の調整とそれぞれのやるべきことの確認を済ませて、会合はお開きとなった。
 十人それぞれが帰っていく中、鞄を持ち上げたレクシオがいつもの調子でこんなことを言う。
「俺はちょっと出かけてくるわ。点呼までに戻らなかったら、事件が起きたと思ってくれ」
「りょうかーい。そんときは寮監さんに連絡するわ」
 たまたま聞いていたトニーが、軽やかに返事をした。その隣でナタリーがげんなりと顔をしかめる。
「いや、何その物騒な仮定」
 今日も鋭い友人のツッコミに吹き出したステラは、そのまま幼馴染を見やった。
「珍しいね。放課後に出かけるなんて」
「ん。武器が完成したって連絡が入ったからな。行けるときに取りにいっとこうと思って」
 ステラは目を見開いた。勢いよく椅子から立ち上がる。
「……ってことは、例の武器屋に行くの?」
「おう」
「あたしも連れてって!」
 即座に挙手した。ナタリーとトニーがぎょっとしていたが、構うものか。
 レクシオは一瞬驚いた顔をした後、がりがりと頭をかいた。
「言うと思ったよ」

 そんなわけで、二人は揃って裏通りに足を踏み入れた。
 荒んだ空気と無遠慮な視線に、ステラはつい身構える。一方、レクシオは涼しい顔で彼女を先導した。家の近所を散歩するかのような足取りで、ずんずんと裏通りの奥まで進んでいく。
 やがてひと気のない通りに出て、目的の武器屋へ辿り着いた。ステラがそうとわかったのは、レクシオが教えてくれたからだ。どこもかしこもぼろぼろで、看板すら落ちかかっている店が今も営業しているとは、にわかには信じがたい。
「は、入って大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。少なくとも、取って食われることはねえよ」
 廃墟同然の店構えに、ステラはひるんだ。レクシオはそんな彼女に笑いかけ、一分のためらいもなく扉を開けた。盛大な音を立ててそれが軋む。
 店の中は薄暗く、人影らしきものも見えない。けれど、レクシオは遠慮なく踏み込んだ。
「こんちはー」
 ゆるい挨拶は、がらんとした店内に少しの間反響した。遅れて、奥の方から騒がしい足音がする。カウンターのむこうから長身の男性が顔を出した。
「おう、レク。来たか」
「どーも」
 先端だけが茶色い金髪を揺らした店主は、人の好さそうな笑みをのぞかせる。それに手を挙げて応じたレクシオは、慣れた足取りでカウンターの前まで進んだ。ステラも慌ててついていく。
 何やら忙しなく作業をしていた店主が、大きな箱を抱えてカウンターの前に立った。そこで、彼の目がレクシオからわずかに逸れる。レクシオもそれに気づいたようで、ステラを振り返った。
「ああそうだ。今日は友達連れてきた」
「お、おお? おまえが人連れてくるとか、何があったんだ? しかも女の子?」
「別に何もねえよ。どうしてもついてきたいって言うんで、ご要望にお応えしただけだ」
 目を白黒させている店主に対し、少年は呆れたように言葉を投げ返す。それから、ステラに視線を向けた。
「こいつがここの店主、チャールズだ。親父と昔から付き合いがあったらしくて、今でもこうして世話になってる」
「あっ――は、初めまして。ステラ・イルフォードと申します」
「やあ、これはどうもご丁寧に……」
 ステラは慌てて一礼する。店主――チャールズもどぎまぎとそれに応じたが、途中でぎょっと目を剥くと、後ろによろめいた。
「って、イルフォード!? お嬢さん、イルフォード家のご令嬢か!?」
「ええ、一応。色々あって家との関わりは少ないんですけど」
 予想通りの反応に、ステラは苦笑して頭をかく。長く武器屋を営んでいたのなら、武家であるイルフォード家のことは当然知っているはずだ。
 チャールズはしばらく口をぱくぱくさせていたが、神妙な表情をつくるとレクシオを手招く。
「おいおいおいおい、まじかよレク!? 大貴族のお嬢様じゃねーか!」
「あれ? 言ってなかったっけ? 初等部からの付き合いなんだけど」
「聞いてねーわ! つーかおまえ、大丈夫かよ。イルフォード家ってヴィントが手ぇ出した……」
「あー、それは大丈夫。俺もステラも承知してる」
 ひそひそと交わされる声は、しかしステラの耳にも届いていた。
「チャールズさんは、シュトラーゼでの事件をご存知なんですか?」
 思わず口を挟んでしまう。すると、店主はぎくりと硬直した。目を泳がせていたが、レクシオに体を小突かれると咳払いして姿勢を正す。
「ええ、まあ。事件のしばらく後に、ヴィントがうちに来ましてね。そのときあいつ、言ったんですよ。『貴族を手にかけてしまったから、これ以上レクと一緒にいられない。帝都に入るよう言っておいたから、何かあったらよろしく頼む』ってね。そのとき一応、何があったか話してくれたんです。まったく、たまげました」
 幼馴染二人は、思わず顔を見合わせる。レクシオがチャールズに湿った視線を向けた。
「初耳なんだが?」
「言ってねえもん。黙っててくれ、ってヴィントに言われたからな」
 レクシオは、盛大にため息をついて額を押さえた。ステラも目をすがめ、腰に手を当てる。
「そういうところはそっくりね。血筋だわー」
「どういう意味だよ……」
「あら、自覚なし?」
「悔しいけど心当たりはありますね、ハイ」
 二人の応酬をチャールズが感心したように見ている。それに気づいたのか、顔を上げたレクシオがひらりと手を振った。
「さて、チャーリー。本題に入ろう」
「おう、そうさな」
 チャールズもあっさりうなずいて、目の前の箱に視線を落とした。横長の長方形で、かなり大きい。
「おまえさんの武器、できたぜ」
 彼はその蓋の両端に手をかけると、慎重に開いた。
 中から現れたのは見慣れた黒い柄。その先端から細い金属の糸が伸びて、端の方で巻くようにしてまとめられている。箱をのぞきこんだステラは感嘆の声をこぼし、レクシオは両目をきらめかせた。
「おお! なんか前より丈夫な感じになってる!」
「戦場仕様にしてくれ、っていうご注文だったからな。張り切ったぜ」
 胸を張ったチャールズが「持ってみてくれ」とレクシオをうながした。彼はうなずいて黒い柄を持つ。持ち上げられた瞬間、鋼線がしゅるしゅると縮んで柄の内側に収まった。
 ステラは、そっと幼馴染の横顔を見た。
「……どう、レク?」
「うん。魔力の通りも前よりよくなってる」
 レクシオは満足そうに息を吐く。そして、店主を仰ぎ見た。
「いやいや。改めてあんたすげーわ。この短期間でこんな物作るなんて」
「おうよ、もっと褒めろ!」
「その腕があれば、店を直せるくらいの稼ぎはすぐ得られそうなもんだけどなあ」
「そんなに客がついちまったら、おまえさんたちみたいなのを気軽に受け入れらんねーだろうが」
 おんぼろ武器屋の店主は、聞く人が聞いたら眉をひそめそうなことを堂々と言う。苦笑したレクシオは、心地を確かめるように武器の柄を何度か握り直した。
「使ってみたいけど、ここじゃさすがに危ないしな」
「不具合があったらすぐ直すから、ぜひ安全なところで使ってくれ」
 お店自体は広いが、棚や大きな商品がそこらじゅうに置いてある。確かに、武器を振り回せるような余裕はない。
「おっと、そうだ」
 いそいそと箱を片付けていたチャールズが、思い出したように振り返る。
「代金はおまえの親父にツケといたから、安心しろ」
 それを聞いて、武器を剣帯ベルトに提げようとしていたレクシオが前のめりになった。ステラは、カウンターに頭を打ちそうになった彼の腕を平然とつかむ。
「おまっ……まじで指名手配犯に代金請求したのかよ!?」
「おう。ちょうど最終調整してるときに来たからな。『承知した』っつって帰ってったぞ」
 そんな口約束だけで大丈夫なのだろうか、とステラは眉根を寄せる。その変化に気づいたらしく、チャールズはからからと笑った。
「大丈夫ですよ。あいつ、ああ言うときは必ずあとで払いにきますから」
 語る声にはご令嬢への気遣いこそあれど、誇張の気配は感じられない。きっと、長年の交流と取引に裏打ちされた信用があるのだ。ステラはふっと顔をほころばせ、未だ苦々しい顔をしている少年の背中を叩いた。
「親が出してくれるって言ってるんだから、甘えちゃいなさいよ」
「そうそう。おまえは甘えなさすぎ」
 ステラの言葉に便乗したチャールズが、笑いながら箱を下ろす。しゃがんだ彼は、その下で「あっ」と声を上げた。
「そういや、ヴィントから伝言預かってたんだった」
「伝言?」
 レクシオが聞き返したところで、チャールズは立ち上がった。その手には一枚の小さな紙がある。
「そうそう。レクに伝えてくれってさ。えーと、なんだっけ……」
 片手で頬をかき、片手で紙を広げた彼は、その表面に目を走らせる。
「『帝都第一、セント・ヴィリア、リーリス、ディノ、ロアンナ。ここに眠る物を探せ』」
 ステラとレクシオは同時に目を瞬く。呪文のような文言は、すぐには頭に入ってこなかった。
 レクシオがおずおずと手を挙げる。
「えーと……何それ? 呪文?」
「知らねえよ。俺も伝えてくれって言われただけだから」
 チャールズはひらひらと手を振った。その流れで、紙をレクシオの方へと差しだす。
「それ持ってけよ。覚えらんないだろ。俺は覚えられなかった」
「はあ、どうも」
 紙を受け取ったレクシオは、改めてそれを見つめ、眉を寄せる。
「んじゃ、また武器の使用感、報告しにくるわ。ありがとな」
 ――かと思えば、店主に軽く挨拶をして踵を返した。急な動きだったのでステラは反応が遅れたが、慌てて礼をして追いかける。
 武器屋を出た瞬間、レクシオがささやいた。
「ステラ」
「な、何?」
「セント・ヴィリアって確か、帝都で一番でかい教会の名前だよな」
 ステラは、はっと息をのむ。ぐしゃり、と乾いた音が耳に届いた。
「あの不器用親父め。今度は何に首突っ込んだんだか」
 紙を握りつぶしたレクシオが、いびつに口角を上げた。

「なるほどなるほど。地下の冥府神殿にそんな仕掛けがあったとは」
 少年の弾んだ声が洞窟じゅうに響き渡る。
 楽しそうに手を叩くレーシュに向かって、ダレットは軽く頭を下げた。
「詳しい内容まではわからなかったわ。ごめんなさい」
「問題ありませんよ、今回はね。記録が残っていた、とわかっただけでも収穫です」
 宵の瞳を細めた少年は、白い指で顎をつまむ。
「そうなると、やはり『あれ』の回収を急がねばなりませんね。行ってくれますか、みなさん?」
「地味な仕事は嫌いなんだけどな。戦力が減った以上、そうも言ってられないか」
 端の方で座って聞いていたギーメルが、面倒くさそうに立ち上がる。「ありがとうございます」と笑ったレーシュをひとにらみして、彼は頭巾を深くかぶった。
「……行けば、あいつらに会える?」
 高い声が冷えた空気を切り裂く。ダレットは軽く瞠目して、洞窟の奥を見た。膝を抱えて座り込んでいる少女が、鋭い目だけを彼らの方に向けていた。
 やや遅れてダレットに倣ったレーシュが、小首をかしげる。
「あいつら、とは?」
「『銀の翼』」
「ああ!」
 少年姿の神族は、今思い出したとばかりに手を合わせる。
「会えるかもしれませんね。彼らも地下の仕掛けを見ているわけですから、『あれ』に辿り着いてもおかしくはない」
 ダレットは思わず同胞をにらんでしまった。レーシュは気づいているのかいないのか、作り物めいた笑みを浮かべている。
 短いの後、アインも立ち上がった。
「じゃあ、アタシも行く」
 その声は、ぞっとするほど静かだ。
 まるで、連れてこられたばかりの、あの頃のように。
 ダレットが唇を引き結んで見守る中――アインは、禍々しくも美しい微笑を浮かべた。
「ねえ。もしあいつらに会えたら、殺しちゃっていい?」
 レーシュが、す、と瞼をわずかに開く。
「構いませんよ。殺せるものなら、ね」
 少年の甘い声が、冷酷な答えを奏でた。

(Ⅵ 水面下の叛逆・終)