聖夜の魔術師

 ギルドの片隅で本をめくるのは、ここ最近のクラインの日課である。彼は今日も古ぼけた分厚い本を手にして、その黄ばんだページをめくっていた。
 淡々と、時間が過ぎていく。クラインはこの時間が好きだった。しかし、この日は突然の闖入者によって好きな時間は終わりを告げた。
「こんな日にまでひとり読書とは、おまえはまーつまらん奴だねー」
 後ろからそんな声がしたかと思えば、突然頬をつねられたのである。顔を引きつらせたクラインは、相手の攻撃がやむと、本を閉じて即座に振り返った。
「何すんだおい!」
 怒鳴りつけた先には、彼の相棒が立っている。若き天才魔術師・アレンは、相方の反応を見ると、悪戯っぽく笑った。
「何って。おまえがあまりにも枯れてるから、少し刺激をしてやっただけだよ」
「枯れ……?」
 クラインはぽかんと口を開いた。
 ギルドに入って何カ月か経つが、未だに相棒の物言いに首をかしげることがある。彼はときどき、クラインには理解できない妙な言い回しをするのだ。
 アレンは、クラインの反応を見て、呆れたようにかぶりを振った。
「おいおい。もしかして、今日と明日が何の日か知らないのか?」
「今日と明日?」
 クラインは再び首をかしげた。アレンはいよいよ半眼になって、世間知らずの相棒をにらみつけた。
「聖夜祭だよ、聖夜祭! そんで今日は、その前夜! 赤い服着たおじいさんが、子供たちにプレゼントを配って回るっていう伝説がある日! クラインも経験あるだろ?」
 アレンが一気にまくしたてた。一方クラインは、顔をしかめて、記憶を辿るようにこめかみを押さえた。ぶつぶつと、独り言のように答える。
「あー……多分、何回かは?」
 昔すぎて曖昧だが、まだ故郷の村で暮らしていた頃には、そんなこともあったかもしれない。養父の元に預けられてからは、ささやかな祝いの席はあったが、プレゼントなど届かなかった。ラミレス家に入ってからはいわずもがなである。
 アレンがまたため息をつく。しかし、クラインにはどうしようもなかった。とりあえず、居心地の悪さをごまかすように頬杖をつく。
「しょうがねーだろ。まともに年中行事を祝ったのなんて、故郷にいた数年間だけなんだぞ?」
「まあ……そりゃそうだろうけどさ……」
 アレンは項垂れて、もごもごと呟いた。それから視線を上げると、クラインが持っている本に、目を留める。
「あれ? おまえ、またそれ読んでるのか」
 クラインも、自分の手元にある本を、一瞥した。
「ああ。本当は手元に置いておきたいくらいだけど、なかなか売ってなくてな」
「売ってたとしても高いだろうなー、それ。オレたちの給料じゃ買えないよ」
 クラインが持っているのは、二十年ほど前に書かれたらしい魔術書だ。世界各地の少数民族が扱う魔術についての研究結果が事細かに記されており、一日や二日ではとても読み切れない分量となっている。
 マニアックすぎる内容が悪いのか年代が悪いのか、現在、本屋ではほとんど売られていないらしい。クラインは本の表紙をながめながら、むう、とうなった。
 そのとき、アレンが急に手を叩く。
「あ、そうだ思い出した。リーダーが、俺たちに話があるって言ってたぞ」
 唐突な相棒の言葉に、クラインは目をすがめる。のけ反りそうになりながら、本を投げようとする手を辛うじて制していた。
「おまえ……なんでそういう大事なことを、早く言わないんだ!」
「ははっ。ごめんごめん。けど、さっきまでしてた話と、無関係じゃないぞ」
 含みのあるアレンの言い回しに、クラインは胡乱げな目つきになった。
「――どういう意味だ」
「来れば分かる」
 真顔で言いきったアレンは立ち上がると、ぞんざいに手招きをした。

「毎年恒例の“あの依頼”、今回はおまえらが受けないか?」
 自分の執務室に、クラインたち三人が揃うと、ギルドリーダーのルーク・ガルシアは突然そう切り出した。
 アレンとシエルが顔を見合わせている。その横で、クラインは右手を挙げた。
「“あの依頼”ってなんだ?」
「む、そうか。クラインはまだ一年めだったな」
 ルークは意表を突かれたように目を丸くした後、悪人のように笑った。
「簡単に言えば、『伝説のじいさんの真似ごと』だよ」
 ルークの言葉に、今度はクラインが目を丸くする。 「は?」  はじめは、なんのことだかさっぱり分からなかった。だが、すぐに先のアレンとの会話を思い出して、ははあ、とうなずく。それから、ルークをじろりと見た。
「……聖夜祭関連か」
「ご名答! さすがだな」
 楽しそうに答えてから、ルークはようやく説明を始めた。
「毎年、聖夜祭の夜に、うちの魔術師たちが『サンタクロース』の真似をするんだよ。孤児院とか、保護施設とかを手分けして回って、こっそり子供たちにプレゼントを配るんだ。市長のアイデアで……十年くらい前に始まったらしい」
 一気に言ってから、彼は三人を順繰りに見渡して、訊いた。
「で。今年はそのプレゼント配りの役を、おまえら三人にやってもらおうと思っているんだが。どうだ?」

 その夜、クラインはある孤児院の前に立って、息を吐き出していた。冷気に触れ、吐息は湯気のように白くなって昇っていく。
「なーにやってんだろうな、オレ……」
 郷に入れば郷に従えという言葉がある。クラインも、仕事をえり好みする気はないし、『これ』がギルドの伝統だというのなら、それに倣うべきだとは思う。だが、どうにも消化不良の感じがしていた。
「だいたい、なんだ? この服」
 ボアと大きなボタンのついた赤いコートに、同じ色のズボン、黒の長靴――自分の体を見下ろした少年は、嫌になってすぐ顔を背けた。件の『伝説のじいさん』の意匠を模したものらしいのだが、実に恥ずかしい。それに、服は赤でボアが白なので、闇の中でも目立ってしまうのではないかと思う。
「……さっさと行くか」
 クラインは気を取り直して歩き出した。立ち止まっていると、どうもいろいろと考え込んでしまって、そこで足踏みしてしまう。さっさと仕事を終わらせてしまった方がいいだろう。
 院の中に入ったクラインは、院長と少し話をしてから仕事を始めた。クラインにとっては、簡単すぎて眠くなりそうなほどの内容だった。ばれないように子供たちの枕元にプレゼントを置いていく。気配を消すのが得意なクラインは、あっという間に仕事をこなしていき、とうとう最後の一件になった。
 部屋の前に立ち、短く息を吸う。簡単な仕事だが、クラインはまったく油断していなかった。
 部屋の中に入ると、小さな寝台で少年が寝息を立てていた。短い茶髪の少年は、まだまだ幼い顔立ちである。空っぽになった袋を肩にかけたクラインは、そっとプレゼントの箱を持った。
 と、そのとき。
「……だあれ?」
 小さな声が聞こえて、クラインの手が止まった。  彼が見下ろすと、少年は薄目を開けてこちらを見ていた。
「やっべ……」
 クラインは思わず、子供が聞きとれないほどの小さな声で呟いた。  どうしてばれたのか、疑問に思ったが、直後に子供が言う。
「ひょっとして、魔術師さん? きれいな、魔力だね」
 その言葉でクラインは納得した。
 彼は魔術の素養がある。だから、魔力を感じて目覚めてしまったのだ。クラインの魔力はアレンほどではないが、強く大きいらしい。幼子が感じ取ってしまうのも無理はなかった。
 さて、どうしようか。考え込んだすえに、クラインは両手でそっと箱を持った。それから、子供の顔をまっすぐに見て、口を開く。
「オレは、サンタクロースだ」
「え?」
 少年が、きょとんとして目を開く。
 クラインは、にやりと笑った。
「けど、まだ新米でな。見られちまったのはご愛敬ってところだ」
 刹那、クラインの手から空色の光があふれだす。それは瞬く間に、少年の目の前を覆った。
「うわあっ!」
 少年が声を上げる。同時に、光は薄く広がってきらきらと輝いた。クラインは光が消えぬうちに、少年の手にそっと箱を置く。
「じゃあな。良い子は早く寝るんだぞ」
 少年の目の前に広がった光は、やがて空色の粒となり、消えていく。
「待って!」
 大人びた声の主に向かって、彼はありったけの言葉をぶつけた。
 だが、光が消えた先に、謎の魔術師の姿はない。
 少年はぽかんとして、だがすぐに自分の手元を見下ろした。
 そこには、少年の片手にぎりぎりおさまるくらいの箱があった。
 少年は顔を上げる。夜の闇に消えた『サンタクロース』に向けて、笑顔を見せた。
「ありがとう……サンタのおにいちゃん」

 孤児院を出たクラインは、大きく息を吐いた。
「ああ、危なかった」
 呟いた彼は、ギルドの方へつま先を向ける。歩きながら、考えた。どうして咄嗟にあんな対応ができたのだろうか、と。ついさっきのことだが、何故自分があんな行動に出たのか不思議でならなかった。
「アレンあたりの影響か? あんまり嬉しくないな」
 ひとりごちたクラインは、夜道の真ん中で欠伸をこぼす。それから、大きく伸びをした。
「――帰って寝よう」
 そう決心した少年は、ふらふらとエルフォードの街道を歩いていった。

 翌朝。自分の部屋の寝台で目ざめたクラインは、枕元に何かがあることに気付いた。
「ん……?」
 寝起きと同時に、『何か』を掴む。自分の方に引き寄せ、そして眉をひそめた。
 枕元にあったのは、きれいな色紙で包まれた箱だった。小さな紙が貼りついている。紙には見覚えのある豪快な字で、こう書かれていた。
『いつも頑張っている魔術師の若人へ』
 紙を見つめたクラインは、頭をかきながら起き上がる。
「ほんと、なんなんだ? このギルド」
 愚痴をこぼす少年の口元はしかし、嬉しそうに微笑んでいた。

――箱の中身は、クラインが欲しがっていた、あの古い魔術書だった。

(おわり)