012.震える指先

 大陸に名をとどろかせることとなるピエトロの宮廷魔導師と引き合わせられたのは、アレクが『生命王』の力を継承して間もない頃だった。「初めまして、アレク様。ラッセル・ベイカーと申します」と膝を折って言ってきた彼を、まだ小さいアレクは胡散臭げに眺めた。
 ピエトロとジブリオがわりと仲良しなのは知っていたが、どうして今、他国の魔導師と会う必要があるのか――正直分からなかった。だから、彼に対する自己紹介が異常なほど素っ気なかったことを、本人もよく覚えている。

 たまたまそのときラッセルが使者として赴いていたということで、彼とアレクはしばらく行動を共にすることになった。だが、接すれば接するほど、胡散臭さが増していくだけである。妙に丁寧な言葉遣いにうすら寒さを覚えることさえあったほどだ。
 それでも『神聖王』たるあの男が信頼している魔導師であるというので、我慢して行動と観察を続けていった。
 結果、分かったことはいくつかあった。
 ひとつ、確かに魔法の手腕は凄まじいものがある。アレクと違って魔力量も半端ではないようだ。何度か修行をつけて貰ったが、的確なアドバイスをくれる代わりにこてんぱんにされた。
 ふたつ、なぜか趣味として武術を嗜んでいる。どういう気まぐれが巻き起こったのか、宮殿の騎士と試合をしていた。ちなみにラッセルが勝ってしまって、お互いにひたすら頭を下げあっていた。
 みっつ、女相手になると凄まじい軟派ぶりを発揮する。共に行動している中で、何度歯の浮くようなセリフを聞いたか分からない。
 これらを総合してアレクが出した答えは――「この魔導師は一生涯好きになれないだろう」というものだった。

 彼の魔導師と一緒に過ごす日数が残り三日となる夜。彼が住まう屋敷に侵入者があった。どうやら暗殺者らしい彼らは、いきなり屋敷に火を放ってきた。
 幸い早い段階で気づいたアレクは、逃げだそうと奮起していたが、ちりちりとした苛立ちを抑えられずにいた。
 相手の狙いはどう考えても自分だ。わざわざ火を放って、風の魔法を使いにくくしたのだろう。それくらいのことは容易に想像できた。
 ともかく誰かと合流しよう――そう考えて懸命に足を動かしていた彼はしかし、黒装束の者と接触してしまった。反射的に飛び退った。が、それがまずかったのだ。
 すぐ後ろは、行き止まりだった。
 あっという間に数人の黒ずくめに囲まれる。にじり寄ってくる影に、アレクはただ震えた。魔法を使おうとしたが、指先が震えてままならない。
 視界の中で刃がぎらりと輝く。少年は死を覚悟した。
――その刹那、いきなり黒装束の体が炎の塊に吹き飛ばされる。凄まじい熱風が肌をなでた。
「伏せておけ!!」
 厳しい声がどこからともなく飛んでくる。アレクは反射的に命令通りに動いていた。
 間もなく、辺りは悲鳴に包まれる。何が起きているのか把握できなかった彼は、その騒動がおさまるまでぽかんとして立ち尽くしていた。
 彼が我に返ったのは、周囲を揺らめく透明な膜が覆ったときであった。しばらく見つめていると、膜が水であることに気づく。
「アレク様」
 いきなり呼び声に肩を叩かれ、アレクは竦み上がった。振り返るとそこには、赤毛の青年が立っていた。
「ラッ……セル」
「お怪我はありませんか」
 魔導師の問いに、少年はこくこくとうなずいた。相好を崩した青年は「良かった」というとアレクを手招いた。
「行きましょう。私と一緒にいれば、火に巻かれることはありません」
「あ……ああ」
 答えたアレクは、おぼつかない足取りで歩きながら自らの両手を開く。浅黒い五指は今も小刻みに震えている。悔しさとどうしようもない嫌悪がごぽりと湧きあがってきて、思わず唇をかんだ。
 それからふと、あることを思ってラッセルを見上げる。
「ラッセル」
「なんでしょう?」
 ラッセルは振り返ったが、歩みは止めない。
「さっき俺に『伏せておけ』って言った」
 歩みは止めない。だがその瞬間、ラッセルの笑顔が凍りついた。ややあって、「あー……ぼろが出た」という苦々しい呟きが耳に届く。アレクは言葉を重ねた。
「口調、無理しなくていい。怪しい敬語は気持ち悪い」
 しばし無言の時間が流れた。火の爆ぜる音がやけに大きく響く。
 だがその中で、ラッセルがついと肩をすくめた。
「散々な言いようだなー。俺、これでも努力してたんだぜ?」
 いきなり、すっかり砕けた言葉づかいになったラッセルを、アレクは驚いて見上げた。だがすぐに、ふん、と鼻で笑うしぐさをする。
「そういうの、とろうって言うんだぞ」
「……このガキ……」
 鳶色の瞳が半分になって見返してきたが、少年は怯まなかった。
「ずっとそのままでいい」
「いや、さすがに公の場でこれはまずいだろ」
「じゃあ、まずいときだけ取り繕ってくれればいい」
 微妙な沈黙が下りる。その中で、アレクはやっと笑った。
「今のおまえの方が、楽しそうだから、好きだ」
 指の震えは、いつの間にかおさまっていた。

『それがどうして、今みたいな関係になったんだよ……』
 ブローチ越しに発せられる若き『神聖王』の声に、アレクは笑った。
「さーあ、どうしてだろうなー。やっぱり俺、あいつのこと好きになれないんだよ、きっと」
 お気に入りの部屋で繰り広げられる密かな会話は、誰に知られることもなく、都へと溶けていく。
『でも、母さんの国のことわざには「ケンカするほど仲が良い」っていうのがあってだな』
「何ソレ聞きたくない」
『……背後ででっかい魔力が渦巻いてるんだけど、代わってやろうか?』
「やめろ。俺は切る。すぐ切る!」
『まあまあ、そう言わずに。ラッセルー』
「やめろっつってんだろうが!!」
 どうやら彼は、数度の通信を経るうちにすっかりアレクの扱いを覚えてしまったらしい。
 友人たる少年の成長ぶりに、なぜか『生命王』は泣きたくなった。