013.中途半端

 昼下がりのエルフォードを、うなるような轟音が震わせた。
 とある商店で下働きを始めたばかりの若者は、その音の方角を見て首をひねる。結局そのまま歩き出そうとしたのだが、続けてやってきた空気の振動に顔をしかめた。震えと共にやってくる奇妙な音は鼓膜を破いてしまいそうだ。
 やがてそれがおさまると、彼は木箱を抱えたまま肩を落としてため息をついた。

 その音は、街を治めるギルド『インドラ』にも届いていた。いや、この建物にこそ届いていないとおかしかった。お気に入りの茶が倉庫になかったため酒を引っ張り出してきていた剛腕魔術師カリオスは、丸い水面を揺らした震動に首をかしげた。
「おおっと、なんだ?」
 素っ頓狂な声が上がる。それに答えたのは、少し離れた場所で行儀悪く煙管をくわえる老人だった。素で険悪な瞳を細めた彼の口が開く。
「どーせいつもの『あれ』だろ。気にするこたぁねえ」
 しわがれた声で無造作に放たれた答えに、カリオスはああとうなずいた。それから何事もなかったかのようにカップに口をつける。
「またかよ。アレンの奴も飽きねえよなあ」
 ふー、と吐き出した息と共に言葉を投げ捨てた青年はカップを置くと、ギルドの天井を仰いだ。なぜか二人の男の顔が目の前にちらつく。
「それに付きあうルークの奴もすごいというかなんというか」
「あいつか三代目でなきゃ、あの怪物魔術師の相手は務まらんさ」
 煙をくゆらす老人が不機嫌そうに眉根を寄せる。カリオスはテーブルに足を投げ出した。
「怪物ねえ。俺も一度はそう呼ばれてみたかったぜ」
「洟垂れ小僧が生意気言ってんじゃねえ。それを本人が訊いたらどれだけ傷つくか知ってるだろ」
 呆れかえった先達の言葉に、青年は「そりゃガラム爺さんも同罪だろ」と懲りない答えを投げて寄越し、からからと笑った。
 二人の男は、建物の隅で一人の少女が不機嫌になっていることに気づいていない。

「だーっ、もう!」
 同じころ、噂の当人は地面にぽっかり開いた大穴を見て頭を抱えていた。ぷすぷすと煙を上げる人工的なそれは、どこかむなしい物のようにも見える。
 その傍らでうずくまる少年のさらに隣。一人の青年は腕組みをしてうなずいた。
「うん、これはすごい。俺の何十倍もすごい。誇っていいぞ、アレン」
「言ってる場合か! これって制御できてないってことだろ!」
「その通り」
 青年、もといルーク・ガルシアがしかつめらしくうなずくと、アレン少年はため息をついてうなだれた。そんなやり取りを、放置された大穴だけが見守る。
「なんなんだよ……こんな有様を『奴ら』に見られたらまた連れ戻されるだろ、どう考えても」
「まあ、手の内はさらけ出したくないだろうからな」
 真面目腐って答えたルークを、アレンはきっと睨みつける。だが彼は苦笑を返してくるのみだった。途端にアレンは沈痛な表情になってうつむく。
 それを見守っていた青年は、黒い瞳の奥にあふれださんばかりの苦悩を感じ取って、もう一度口元を緩めた。柔らかな黒髪に、そっと手を伸ばす。少年の顔が彼の方を向いた。
「焦るなって。俺だってついこの間まで、『制御できない能無し魔術師』だったんだ。忘れたか?」
 あくせくしたって良いことないぞ、と締めくくったルークは胸を張ると息を吸い込み、音声を上げる。
「さあ、分かったらもう一回だ!」
「お、おう」
 気付けば少年はもううつむいてなどいなかった。好戦的に目を輝かせ、穴を睨んでいる。絶対克服してやる、と内心意気込む少年を、粘り強い奴だと感心しながら青年が見守っていた。

「しかし、これ以上穴を増やすわけにはいかないな。どうしよう」

「いっそあの穴の中で訓練するとか」
「ばっかおめー。そんで新たな穴を穿って、地下水が噴き出したり地震が起きたり近くの火山が噴火したりしたらどうすんだ」
「……否定できないのが悲しいな」
「否定しろよ。本当にあったらさすがの俺でも怖いぞ」
 明らかに異常なやり取りを、咎める者はなかったという。