025.そして…

神がはじまり、終わる場所』のネタバレあり。

 六人の集合場所と化している第二学習室の扉を開けると、そこにいたのはナタリーとミオンの二人だけだった。向かい合って、ナタリーが広げている雑誌を見ながら黄色と桜色の笑い声を上げている。それを見てステラ・イルフォードは、ああ女の子してるなあ、と他人事のように思ってほのぼのしていた。しかし、団員の来訪に気づいたナタリーが顔を上げたことで、華やかな会話は一度途切れた。
「おやステラ。お疲れ様」
「お疲れー。二人しかいないのって、珍しいね」
「うん。ジャックは今日、講堂の掃除してから来るから遅れるって。トニーは魔導学論文の推敲があって同じく。レクは?」
 淡々と答えたナタリーが、残る一人の団員についてステラに尋ねたのは、自然な流れといえる。彼はふだん一匹狼になっているか、ステラをからかいながら彼女にくっついているかのどちらかなのだ。ステラはそれを承知でうなずいて「寄り道してから来るって」と答えた。自然と、閉めたばかりの引き戸の方を振り返ってしまう。目を戻すと、女子二人も何やらしゅんとしていた。
「あのおバカ。また一人で何かしでかすつもりじゃないでしょうね」
「レクシオさん……」
 いらだって頭をかくナタリーと、ますますうなだれるミオン。二人を見てステラは苦笑した。考えることはみな同じ、らしい。
「変なことしたら絞める、って釘を刺してきたから大丈夫だと思う。あいつも『合流したら何してたかくらい話すわい』って言ってたし」
「それならいいんですけど」
 ミオンはまだ心配そうだ。大きな目を翳らせて、きょろきょろあたりを見回している。一方、ステラにとって一番古い女友達は、すっきりした様子で笑っていた。
「あー、それなら平気だ。ステラの『絞める』は冗談じゃないからね。おっかないからね」
「うん」
 ステラは友人たちに、握った拳を向けてみせる。浮かんだ笑みは極上の美しさだが、そこはかとなく殺気をはらんでいた。ミオンがたじろいだところで、彼女は幼馴染の話題を終わらせ、ずっと気になっていた雑誌に目を向ける。
「ところで、二人は何を見てたの?」
「あ、そうそう。ステラにも話そうと思ってたんだよね。まあ、座りたまえ」
 ナタリーはなぜかニヤニヤしながら言った。同時、ミオンが妙に機敏な動きで教室の端から一脚椅子を引いてくる。友人の表情と連携から嫌な予感をおぼえたステラだが、断る理由もないので、勧められた椅子に腰を下ろした。じゃーん、と言いながらナタリーが雑誌を向けてくると、ステラは二人の邪魔をしない程度に前のめりになって誌面を見た。ポップな見出しと、王国時代の使われなくなった城塞を改修したとかいうホテルの写真が目をひいた。
「オルフィー特集? へえ……」
 誌面に頻出する地名は、帝都よりやや南西にある観光都市だ。ステラも足を運んだことはないが、名前はよく知っている。というのも――
「確かここって、ナタリーのお父さんの実家があるんだっけ」
「そうそう! 見たことがある場所がいっぱい雑誌に載ってたから、興奮しちゃってさあ」
「その感覚はとってもうらやましい」
 心の底から、ステラは呟いた。ステラの親の実家はイコール彼女の実家であり、また雑誌で派手に特集されるような場所でもない。大衆が手に取るようなものに写真が載るときは、八割がた政治と紛争の話題の引き合いに出される。よって、見かけても嬉しくないどころか苦みがこみ上げるのだ。こうして喜べる人々を見ていると、腹の底がむずむずするような羨望にかられる。ナタリーも彼女の実家のことは承知している。そのせいか、ステラが次に彼女を見たときには、高揚感をとうに飲み込んで、けろりとした表情をしていた。
「ミオンと盛り上がってたのは、いつか一緒に出かけたいねえって話をしてたから」
「ああ、なるほど。こうしてみると楽しそうだもんね」
「ステラも一緒に行こうよー。なんなら『クレメンツ怪奇現象調査団』の卒業旅行でもいいよー」
「卒業旅行は気が早くない? その前にエンシア家の里帰りでしょう」
「里帰りで行ってもつまんないのよーああいうところはー」
 ナタリーは足をバタバタさせながら、謎の主張をする。その間にも、ミオンが熱心に雑誌を見つめていた。ページに穴が開くのでは、とステラが心配したころ、彼女は「あれ」と声を上げた。
「新しく出来たお店があるみたいですね」
 その言葉に反応したナタリーが興味深げに雑誌を眺める。ステラもつられて、少女の白い指を追いかけた。この特集でよほど推したいところなのか、見出しの上にはかわいらしいリボンのラベルが「今月開店」と告げている。見たところ飲食店――それもこじゃれた西部風建築のレストランらしい。
「うっわあ。絶対一人で入りたくないところ」
「あんた、妙に擦れてるよね」
 思わずつぶやいたステラに、ナタリーが冬場の風のような視線を寄越す。彼女が言い返す前に、ミオンが感嘆の声を上げた。
「恋人同士で行くと割引してくれるそうですよ」
 おもしろい、と目を輝かせたナタリーが、そのままなぜかステラを見た。
「私が里帰りしてる間に、レクと行ってくれば?」
 ステラは激しくむせた。唾液の一部が妙なところに入りこんだらしく、もぞもぞとした刺激が咳を誘う。何度か大きくせき込んだステラは、涙目で友をにらんだ。
「な、ん、で! レクが、出てくるわけ!」
「え? だめ?」
「ざけんなっ! あんなのが恋人でたまるかああ! この間なんて、勉強見てやるって言われて気が付いたら三種複合魔導術とかいうのの記述問題吹っ掛けられたんだからね! あたしゃ魔導科生じゃないっつーの!」
「……それ、魔導科生(わたしら)でも解き終わったら死ぬやつ。レク、鬼だな」
「知りたくなかったなあ」
 気づけば二人は、いつものようにじゃれあっていた。親友同士のやり取りを、ミオンだけが微笑ましく見守っている。と、そこで、学習室の引き戸がけたたましく開かれた。
「ごめんよー。遅くなったー」
「同じく。申し訳ねーっす。……って、ステラたちは何騒いでんだ?」
 聞き覚えのある少年たちの声。ステラはぎょっとして振り返る。猫みたいな目をした少年が引き戸に手をかけていて、その隣でもう一人の少年が、雑に切った黒髪を軽く振り首をかしげていた。猫目の少年、トニーが、ナタリーの手にある雑誌に気づいてにやりと笑う。
「あ、それ、オルフィー特集が載ってたやつ」
「わあ、トニーも見たの!? ねえ、今度みんなで旅行しない?」
「エンシア家の里帰りのついでかい」
 ステラと全く同じことを言ったトニーは、無邪気ながらも癖のある微笑を浮かべ、からからと引き戸を閉める。その横でレクシオがますます頭の角度を急にした。
「でも、なんでそれでステラが騒いでるんで?」
「べ、べ、別に気にしなくていいから!」
 いつも通りの調子で椅子を引きずってくる幼馴染に、ステラは慌てて手を振る。先ほどまでの話題を知られたら脳みそが茹ってしまう自信があった。
 むろん、それで納得できるはずもないレクシオは、残り二人の女子を見やる。二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
「乙女心ってやつよ」
「わたし、応援してますから!」
 レクシオは疑問符を躍らせ、ステラは縮こまる。とりあえず、ミオンは善意で余計なことを言わないでくれと思った。

 煙と魔導具が発する光芒でかすむ空の下。馬車と人が、かわるがわる行ったり来たり。その多くはこぎれいな身なりをした紳士淑女だが、よく目を凝らすと襤褸をまとった少年の姿も目に入る。すさんだ両目を周囲に向ける少年にさりげなく注意していると、彼は何に気づいたのか、舌打ちしてその場から走り去っていった。去り際、彼女をにらみつけていた気がするが、真相はどうなのだろうか。あっという間に雑踏の中へ消え去った小さな姿をなおも追いかけ、彼女は貧民窟の出だというかつての同輩のことを思い出した。
 人いきれにもひるまず堂々と歩みを進める彼女は、繁華街に足を踏み入れ、居並ぶ店をながめる。軒を連ねるというより身を寄せ合っているといった方が正確な有様の店は、それでも多くが活況を呈している。熱気にまぎれ、牛酪(バター)に似た安っぽい匂いが漂ってきた。
 人をかき分け進むこと、しばし。道幅が少し広くなり、人と人との距離にも余裕ができる。知らず息を吐きだした彼女は、人の手で植えられた広葉樹の下で立ち止まった。
「よお、ステラ」
 乾いた音を立てる葉とともに、声が降ってくる。呼びかけられ、木を振り仰いだステラは、今度こそあからさまに嘆息した。
「なんてとこに隠れてんの」
 木の葉の間から、よく似た色の目をのぞかせた青年が、悪童じみた笑みを浮かべる。
「上手に溶け込んでるだろ? 褒めて」
「そういう技を褒めるのは殿下の仕事であって、あたしの仕事ではないわね」
「冷たい嫁だな、この」
 口を尖らせた彼は、広葉樹から飛び降りた。その身ごなしは舞うようであり、木はほとんど揺れていない。ステラはその身体能力には感心したものの、口にも顔にも出さなかった。かわりに「夫」の姿をまじまじと見る。
 整えればきれいな黒髪をほったらかしにしているところと言い、暗い緑の外套を着ているところと言い、今日の彼は彼女のよく知る姿に近い。魔導具工房のヴィナードではなく、アーサー殿下の耳目としてのレクシオ・エルデなのだろう。
「今日はでん……連隊長のお使い?」
 そのあたりを尋ねてみると、レクシオは気まずそうに頭をかく。
「いや、今日はおまえに合わせて休み取った。その代わり、昨日の深夜まで動き回ってたのよ」
「昨日帰ってこなかったのはそのせいか。なんで言わないのよ」
「しょうがないだろ。事が済むまで誰にも言うな、って上司命令だったの」
 やけ気味に白状したレクシオを見、ステラは半眼になった。女帝の弟であり、自分の上官である男の姿を思い浮かべ、思いっきり眉をひそめた。
「了解。今後危険すぎる任務は与えないでください、って苦情申し立てておくわ」
「……強い嫁だなあ」
 天を仰いで笑う夫の肩を叩き、ステラはひとつ伸びをした。空は青い。先ほどまでに比べると、その色が明瞭に見えた。
「あーもう。上官に怒りにいくのは明日にしよ。今はなんか食べよ。お腹すいた」
「奇遇だねえ。俺も腹減ったなって思ってたところ」
 少年のように笑いあった二人は、ぐるりとあたりを見回す。そのさなか、ステラはなんとなく記憶のある建物に目をとめた。西部風建築の洒落た建物。ロゴマークは服飾店のように流麗だが、店名を見ると飲食店だった。
「あ、あそこにするか」
 レクシオも同じ店に目を留めたらしく、暗い色の外套を脱ぎながら無邪気に言った。
「オルフィーに本店があって、帝都のは二号店なんだと。だからか、帝都の店の中では飯が美味いらしい」
「ええ……なんで知ってるの」
「ナタリー情報」
 女友達の名を出され、ステラは納得してうなずいた。同時に少し前の記憶がよみがえり、思わず「あっ」と声を上げた。学生時代、できたばかりの本店の情報を雑誌で見つけて、ナタリーと彼女とミオンとで騒いだことがあったはずだ。
 ついでに余計な情報まで思い出し、ステラは思わずうつむいた。耳のあたりが熱い気がする。しかし、レクシオに「どーする?」と問われると、
「じゃあ、そこ行ってみようか」
 と答えていた。ほとんど反射だった。
 レクシオはまぶしい微笑を浮かべると、ステラの手を取る。人ごみの間を器用にすり抜ける彼の後ろ姿を見ているうちに、ステラは笑っていた。奇妙なおかしさとくすぐったさがこみ上げる。
 結局、高等部二年目の夏に出かけたオルフィーで本店に足を運ぶことはしなかった。基本六人で行動していたからというのもあるが、一番の理由は恥ずかしかったからだ。だが、今になって恥ずかしがる必要はない、はずだ。
 変わってしまったところも、まったく変わらないところもある。それでいいとステラは思う。どんな経験を重ねたって、どれほど道を進んだって、二人は二人なのだから。
「んー……なに食うか」
「スープとお肉系が美味しいらしいよ。数年前のナタリー情報」
「なんだ、知ってたのか」
「今思い出した」
 そして、二人はまた一歩、道を進んでいく。