030.いつか見た夢

 いつの頃からか、時々変わった夢を見ることがある。彼がギルドに入って少しした頃にしばらくの間通っていた、山の中にひっそりとたたずむ集落での出来事だ。
 彼は、そこに住む少年と日々何かしらの会話をするのだ。夢を見始めたばかりのときには自分は彼を突き放し続けていたように思うが、数度の邂逅を経て打ち解けていく。一見すればなんということのない、幸せな夢だ。
 変わったところを挙げるとするならば、その少年の顔は常にぼやけていて分からないということと――夢の終わりには、視界が血と闇で塗りつぶされてしまうということくらいであろう。

「……で、結局どんなことをお願いされたの?」
 ギルドリーダーの執務室から心なしかやつれた顔をして出てきたアレンに、彼を待っていたシエルが問いかけてきた。黒茶の瞳が好奇心にきらりと光る。
「レスで起きてる事件の調査」
 無邪気な子供と大差ない様子の仲間に対し、アレンは肩をすくめて答える。シエルは首をひねった。
「事件? レスで?」
「あー。あの、魔法陣が現れて動物が凶暴化するってやつか」
 少女の疑問の声に答えたのはアレンではなく、少女の対面で事務仕事をこなしている魔術師の青年、カリオスであった。彼は手元の書類に判子を叩きつけると、それを脇にどける。
「そりゃおまえが適任だろ。――なあ、魔術師殺し(ウィザードキラー)?」
 不意に突きつけられたいまわしい二つ名を、少年は嫌悪を込めて睨みつける。
「やめろよ。俺、それ嫌いなんだから」
 低い声で抗議すると、カリオスは詫びを入れてからころころと笑った。冗談のつもりらしい。疲れを感じてため息をつくと、シエルに訝しげな顔をされた。
「なーんか珍しく乗り気じゃないね。面倒事押し付けられたから?」
「だな。……いや、調査の方は別に良いんだよ。人手が足りないことも理解してるつもりだし」
「え、じゃあ何」
 シエルは頬杖をつきながらも、意外そうな声で反問してくる。さすがのカリオスも仕事の手を止めていた。目を丸くする二人を見てアレンは遅まきながら失言に気付いたが、吐いた言葉は消せない。
 言って良いものかとしばらく迷ったが、結局観念して長椅子に腰かけた。二人の顔をそれぞれ一瞥してから、口を開く。
「とある人物の保護を依頼された。――脱走した奴隷だ」
 後半は、周りに人がいないにも関わらず限界まで声を潜めた。シエルが叫び出しそうになり、慌てて口を押さえるのを見る。一方男の方はというと、思いのほか平然として次の書類に手を伸ばしていた。
「それってもしかして"忠犬"のことか」
「知ってるのか!?」
 さらりと落とされた言葉に、今度はアレンが目を見開く。カリオスは書類に走るきれいな字に目を通しながら、あっけらかんと続けた。
「ああ。ラミレス家で最近特に重用されていたらしくてな。おまえらと同じ年頃の、少年だそうだ」
「同じ年頃……」
 そんな少年までもが実験の材料や見世物としてこき使われていると考えると、頭が痛くなってくる。実際、アレンは苦い顔でこめかみを押さえていた。
「忠実な犬、ね。嫌な名前がついてるじゃない」
 隣でシエルが険悪な声を上げる。「まあ、無駄に肝が据わっているらしいからな。ある種の皮肉だろ」と再び判子を手にしてカリオスが笑う。
 彼はそれを手元で軽々と回した。
「うちのリーダーが何を考えてるのかは知ったことじゃないが、まあ仲良くしといて損はないと思うぞ。というか、仲良くしてほしいからこそおまえに依頼が回ったんだろ」
「うーん……」
 こともなげに言ってくる先輩に曖昧な答えを返しながら、少年は時折見る不思議な夢のことを思い出していた。
 顔の見えない少年とのやりとりが続く、後味最悪の夢。最後に見たのは、いつだっただろうか。夢の終わりを告げる、曇天の夜空と鮮血の色を思い出し、アレンは皮肉な笑みを浮かべた。
「仲良くなれるといいな」
 我知らずそう呟く。
――仲良くなりたい。そしてその先で、あの夢のような結末を迎えたくはない。何故かそんな気持ちが胸を満たしていることに気づき、アレンは拳を握りしめる。
 自由を求める奴隷の少年。彼と出会うことで、何かが変わる気がした。