043.返り血

 彼が「魔術師殺し」という自らの渾名を嫌う理由を知る者は少ない。だが、彼の所属するギルドを取り仕切る男は、それをよく知っていた。

「どういう、ことだ……?」
 現場に辿り着いたとき、ルークが発することのできた言葉はそれだけだった。状況を整理することも、視線の先にいる相手に声をかけることも忘れてただ立ちすくむ。
 恐ろしいまでの魔術の才を持つ少年が仕事に出かけたのは三日前。そして、その周辺に凶悪な犯罪者集団がやってきていると聞いたのが昨日のことだ。どうにも胸がざわついた彼は立場をおして飛び出してきた。そうして目撃したのが、この光景だった。
 地面に刃いくつもの穴が穿たれ、かつて人間であったものの塊があちこちに転がっている。こびりついている血は、固まって茶色くなっていた。そして――そのただ中に、件の少年が立っていた。その姿は奇妙に静かで、ルークでさえも背筋が寒くなるほどであった。
 ルークはしばらく呆然としていた。が、むせかえるような血臭に眉をひそめた瞬間、我に返る。彼は恐る恐る少年の方に歩み寄ると、その肩を叩いた。
「アレン」
 小さな声で名前を呼ぶ。だが反応はない。
 首をかしげたルークは相手の正面に回り込み、そして愕然とした。
 アレンは全身に返り血を浴びている。顔から足の先にまで、べっとりと赤いものがこびりついていた。目の焦点はあっておらず、ルークの存在にすら気づいていないようだった。さらに言えば――手に刻みこまれた魔法陣が、淡い光を放っている。
 はっとした男は、大慌てで彼の小さな肩を揺さぶった。
「アレン、おい! 返事をしろ!」
 何度かそうして呼びかけると、黒瞳に光が戻る。目が焦点を結んだ瞬間、少年は瞠目した。
「あ、れ? ルーク? どうして……」
 弱々しくも素っ頓狂な声でそう言った彼は、わたわたと辺りを見回した。状況が分かると――開いた口を閉じるのも忘れて悲惨な光景に見入っている。
 やがて彼は、ルークの方を見た。そしてうつむいて、唇をかむ。
「……まただ」
 今にも消え入りそうな呟きを、しかしルークは確かに聞いた。そこに続いた弱々しい自虐の言葉――俺は、人殺しだ、という言葉も。
 否定はできない。してはならない、とルークは思った。だが肯定すべきでもない。それは、彼の存在を砕くも同然の行いだ。
 しばらく逡巡した末に、男は少年の身体を黙って抱きしめる。まだ幼い魔術師は、大きな胸の中でいつまでもすすり泣いていた。

「おまえの渾名って、奇妙だよな」
 そんな声に誘われて、ルークはギルドの一角にある大きなテーブルを見た。そこでは、チームメイトとなったばかりの少年二人が談笑している。
「奇妙ってなんだよ」
「つーか……不似合いというか。『魔術師殺し』だっけ? 俺にはおまえがそんな物騒な存在に見えないんだけどな」
 一方の少年が言うと、他方は目をみはったあと、へにゃりと笑った。身を乗り出して相手の頬をつついている。
「そうなの? クラインにそう言ってもらえるとはー」
「というかむしろ、ただ腹黒い奴にしか見えん」
「あ、ひどい」
 金髪の彼、クラインに言われてもアレンはさして堪えた様子を見せていない。自分の籍に戻ると、どこか皮肉めいた笑みを浮かべた。
「まあ実際、昔の悪行が理由でつけられた名前みたいなもんだからな。俺も好きじゃないんだ」
 彼はそう言って、手元にあるカップの中身を煽る。クラインに理由を尋ねられていたが、にっこりと笑うだけで何も答えていなかった。
 その様子を見届けて、ルークは苦笑する。

彼が「魔術師殺し」という自らの渾名を嫌う理由を知る者は少ない。だが、彼の所属するギルドを取り仕切る男は、それをよく知っていた。
 そしていつか、あの少年もその理由を知ることになるだろう。そしてそれでもなお、変わらず彼と接し続けるだろう。きっと彼はそういう人間だ。
 男はそう、確信している。