コレットは乾いた野のただ中で足を止めた。感情の映らない瞳を、ふと遠くに投げかける。
「……街」
彼女は呟いた。その呟きに答えるようにして、地平線の先に、突如影が現れた。コレットは影が見間違いでない本物だと確かめると、表情を変えずに歩きだす。
それからしばらくすると、影は薄れて形と色彩を浮かび上がらせた。石を積んで作られた城壁の向こうに、金色に見える日干しレンガの四角い建物が、幾重にも連なる。家々は、夕日を反射して淡く輝いていた。
見る人が見れば息をのむほど神秘的な光景。それを、流浪の少女は無表情で眺めていた。
「着いた」
小さな口からこぼれ出た言葉には、心がこもっていなかった。
街は活気に満ちていた。
粗末な服を着た人々が、道に露店を開いている。ときに荒っぽい値切り交渉の声が、コレットの耳に届いた。しばしば売り手と買い手の群れを割るようにして、馬車が通り過ぎていく。車輪が地面をこするたびに土煙が上がった。コレットは思わずわずかに眉をひそめたのだが、街の人々は気にする素振りがない。馬車が通り過ぎていくと、止まっていた時が動きだしたかのように、通りは再び喧騒に包まれる。
栄光ある王国、フィルシュタット。ここはその都だった。
コレットは、足元に気配を感じて視線を落とす。四、五歳ほどの子どもが、転がる丸い石を追いかけて、とてとてと走ってきたところだった。だが、幼児の足で石に追いつくことはできず、子どもは悲しそうな顔をする。
コレットは、しばらく佇んでそれを見ていたが、唐突に腰を落とすと、白い指先で石を留めた。子どもが目をいっぱいに見開き、次にコレットを見上げた。
彼女は、淡々と言う。
「道路に飛び出しては危ない。気をつけて遊んで」
言ってから彼女は、小石を子どもに渡してやる。
子どもは、最初ぽかんとしていたが、やがて頬を朱色に染めて笑った。
「うん。ありがとう、きれいなお姉ちゃん!」
そう言い残すと、子どもは歩道を駆けていった。小さな背中を見送って、無表情の少女は首をかしげる。
「……きれい?」
しばらく真面目に悩んでいたが、また馬のいななきが聞こえてくると、感心を失ったかのように身をひるがえして歩き出した。
目的地はない。コレットはただ黙々と歩き続ける。そうするうちに、人気の少ない路地へとやってきていた。夕日に照らされる建物の群れに興味を示してはいるものの、彼女はまったく表情を変えない。そうして、小さなつま先が石を蹴ったとき。
「おや……こんなところに旅人さんが迷い込むとは珍しいな」
正面から、男の声が聞こえた。コレットは無言で男を見やる。
黒髪を短く切りそろえ、麻の服を身にまとった青年がいた。紫の目は爛々と光り、少女を面白そうに眺めている。
「表通りから外れると、質の悪い連中もたくさんいるから気をつけろ、お嬢さん」
「たちのわるい?」
「あんたにちょっかいかけてくる奴ら、ってことさ。脅されて金巻き上げられても知らないぞ?」
コレットは言われて、けれど彼の言葉を半分ほどしか理解できずに首をかしげる。青年は諦めたのか、苦笑して肩をすぼめた。それから、コレットの肩をぽんと叩く。
「どこか行きたいところがあったのか?」
「特にない。でも、泊まるところをそろそろ探したいわ」
「じゃあ、とりあえず表通りまで一緒に行ってやろう」
青年は邪気のない笑顔でそう言い、コレットは曇りのない無表情でうなずいた。そうして二人は、並んで歩きだす。こいつ、騙されやすそうだなあ、と青年が心配したことにコレットは気付いていなかった。
黄昏の光が照らす都に、大小ふたつの影が伸びる。
こうして、最後の王と異能者は、そうとは知らず邂逅を果たす。二人はやがて、国の終わりに静かな協力関係を結ぶことになるが、二人ともそれをまだ知らなかった。
――あるいは、今日の出会いこそが、フィルシュタット王国の黄昏の始まりだったのかもしれない。