第二章 罪人の子(1)

 翌日。昼休憩の時間に、ミオンを加えた『調査団』の六人は再び集まった。昼食ついでに、活動の概要とこれまでの調査のことを話すのだ。ミオンが加入したその日のうちに終わらせたかったが、あの時は午後の講義が始まるまであまり時間がなかったのである。
 活動の概要はさほど難しくない。同好会グループの名の通り、怪奇現象の調査だ。同好会グループ最古参のトニーはこの名前に色々と思うところがあるらしいが、こういうときは見たまんまの名前も悪くないと、ステラなどは思うのである。
 ミオンの目の色が変わったのは、これまでの調査に関する書類を見たときだ。それは、ジャックが学院に提出した報告書の、控えのようなものだった。
「わあ……帝都やその周辺では、こんなにいろんなことが起きてるんですね」
「それを見てもらえればわかるけど、ほとんどの怪奇現象は、魔力関係の異常だったり何かの見間違いだったりする。けれど、その発見自体が帝都を暮らしやすくすることに繋がったりもするからね。怪奇現象の原因は最後まで調査・特定して、学院に報告を上げる。それが僕たちの活動だ」
 ミオンは、憧れの英雄に出会った子どものように、報告書を見つめている。「穴が開くぞ」と猫目の少年が茶々を入れても、まったく気づいた様子がなかった。
 最近の報告書に目を通したところで、彼女の興奮が少し引く。夏の『人形の館』の情報には生唾を飲んでいたが、その次に視線を移すと、軽く声を上げる。
黄の月フラーウスの……教会。確か、この頃って神父様を狙った殺人事件が起きてましたよね。帝都教会でも、未遂事件が……何も起きなかったんですか?」
「あちゃあ。気づかれたか」
 ステラとナタリーの声が重なる。同じように頭を抱えている二人を見つめたミオンが、悪童のように目を細めた。
「そっか。皆さんが巻き込まれた事件って、教会関係なんですね? 人に話せない決まり事っていうのも、ラフェイリアス教に絡んでいるんですか」
「その通りだよ。察しがいいね、ミオンくん」
 ジャックが降参とばかりに両手を挙げる。彼がそういう仕草をすると、ふざけているように見えないから不思議だった。
「実は、その殺人未遂事件の現場にステラが居合わせてしまってね。それをきっかけに、教会の機密事項に関わってしまったんだ」
「ええ!?」
 ミオンがひっくり返った声で叫び、大慌てで口を押えた。一瞬こちらに注目した生徒が、少しずつ顔を逸らすのを確かめてから、少女はステラに顔を寄せてくる。
「だ、大丈夫だったんですか……?」
「肋骨を折っただけで済んだわ」
「それは、大丈夫と言えるのでしょうか」
「殺人犯相手にして骨折だけだったんだから、安く済んだと思う」
 明らかに引いているミオンに対して、ステラはまじめくさった表情を作ってうなずいた。安く済んだと思う、というのは本心だ。あのとき出くわしたローブの青年・ギーメルは、単なる殺人犯ではない。『幽霊森』に現れた仲間の言葉を信じるならば神様だ。殺されてもおかしくなかった。いや、レクシオとナタリーが来てくれなければ、確実に殺されていただろう。
 事の仔細を知らないミオンは、未だ釈然としない様子だった。けれども、『調査団』の面々に今これ以上話す気がないとわかると、体を引いて再び書類に向き合う。真剣に考えこんでいる少女を見て、ジャックがほほ笑んだ。
「お試し期間が終わって正式入団することになったら、ミオンくんにも話すよ」
「わかりました。そのときは、よろしくお願いします」
 期待の新人は礼儀正しく頭を下げる。動作に合わせておさげが揺れた。
 それから、いくつかの調査について話をして、一同は解散することとなった。次の講義まではいま少し時間があったのだが、『魔導科』の三人が遠くの講堂へ行かなければならなかったので、早めに切り上げたのである。
 見た感じ、ジャックとミオンは上手くやっていけそうだった。きちんと会ったのは今日で二回目だというのに、すでに怪談の話題で意気投合していたのである。精霊などについて勉強していたというだけあって、そういう話にも元から興味があったらしい。
「大昔の話になるんですけど、ゼーレ家はもともと、お墓や遺体の番を生業としていたそうなんです。だから、死者に関わるお話を、親族からたくさん聞いてて……」
 教室へ戻る道すがら、ミオンは照れ臭そうに教えてくれた。同時に、敬遠されることが多いのでこの話はあまり他人にはしないのだ、とも言う。それもそうだろう。だが、『調査団』の一員であるステラたちは微塵も動じず、むしろ知的好奇心をもって聞いていた。
「参ったね。俺たちよりよほど真面目な新人じゃないか」
「ほんとにね」
 おどけたレクシオに対し、ステラも意地の悪い笑みを返す。それを見たミオンが笑いを堪えきれずにいたことは知っていたが、二人はそのまま、しばしどつきあった。
 移動を始める生徒が増えて、廊下が徐々に騒がしくなってきた。三人は、ほかの人の邪魔にならないよう、縦に並んで端に寄る。その途中、レクシオがやけに渋い顔をしたことに気づいて、ステラは振り返った。
「どうしたの、レク」
「いや……なーんか視線を感じるような気がするんだけど……」
「へ?」
 首をかしげたステラは、目だけで周囲の様子をうかがう。確かにちらほらと見られているようだが、それらの視線はすぐ逸らされる。無関心に限りなく近いものであるように、彼女には思われた。
「妙な取り合わせだと思われてるかな」
「ミオンはともかく、俺とステラが一緒にいるなんていつものことだろ」
「そりゃそうだけど」
 今度は二人で首をかしげあう。「わたしのせいでしょうか」としょげるミオンをなだめているうち、視線を感じること自体なくなったが、すっきりしない気分を抱えて歩くはめになった。
「どっちかと言うと、見られてるのは俺のようなんだがねえ」
 その際、レクシオがそんなことを呟く。ステラは眉をひそめた。彼が他人の視線を気にするなど、仲良くなって以降はほぼなかったのである。

 残る講義や演習をこなしているうち、ステラはレクシオが言いたかったことを理解した。
 なんだか、やたらと彼が見られているのだ。視線の一つひとつはそれほどしつこくも湿っぽくもない。それでも、数が増えれば気になるものだ。ちりちりとした鋭い視線が頬を突き刺す。むろん気分のよいものではない。当事者だけでなく、ステラまでもが気配を感じて苛立つようになってきた。
「ステラ、どうしたの? カリカリしてるね」
 弾むボールのような声をかけられて、ステラは我に返った。息をのんで振り返る。大きな榛色ヘーゼルの瞳がすぐそばで見つめていた。
「ブライス……?」
「なんかあった?」
「あ、いや。あたし自身のことじゃないんだけど」
 改めて顔を上げると、まわりでは生徒たちが帰り支度を始めていた。ちょうど最後の講義と終礼が終わったところである。
 大きく息を吐いたステラは、ブライスに自分が感じたことを打ち明けた。前のめりでそれを聞いた赤毛の少女は、うさぎのように鼻をひくつかせながらうなずいた。
「ふむふむ。そんなことがあったんだね。全然気づかなかった」
「うーん……やっぱり気にしすぎなのかなあ」
 ステラは己の行動を省みて、自分自身にあきれ返った。乱暴に頭をかく。だが、その横でブライスが、妙に真剣な顔をして首をひねっている。
「あ、でも、先生たちは妙にぴりぴりしてたよ。先生たち『も』かな?」
「ええ?」
「今度は幼馴染くん関連で何かあったのかなあ。『武術科』の先生なんか、特に怖かった」
 ブライスの声は明るくひっくり返った。けれど、ステラの胸中では真っ黒な雲がむくむくと湧き上がってくる。全身が張り詰めて、思考が上手くまとまらない。
 ステラは知っている。こういうときは必ずよくないことが起きる、と。

 ブライスと別れたステラは、落ち着かない気持ちを抱えたまま帰路についた。今日も大通りは人でごった返している。食べ物のにおいと煙くささと人の熱、それから馬の糞の臭いが混ざり合って、時折とんでもない悪臭が漂ってきた。それもまた、帝都の日常の一部だ。悪臭に遭遇しても、ステラは顔をわずかにしかめただけで通り過ぎていく。
 花屋の婦人や、近くの文具店の店主など、見覚えのある人に、時折声をかけられた。ステラは笑顔で手を振り返しながらも、足早にその前を通り過ぎる。ただでさえ、彼女は学業と子どもたちの面倒を見るのとで忙しい。立ち止まって話ができないのはいつものことだ。だから誰も嫌な顔はしない。むしろ、孫でも見るような温かい視線が、しばらくついてくるのだった。
 その視線が途切れ、場の空気が変わったことに気づいたのは、孤児院まであと二分ほどという地点に差し掛かったときである。鞄を持ち直したステラは、怪訝に思うのを隠しもせずに足を止めた。三十代ほどの男性二人が、掲示板の前で足を止めて、何やら話し合っていた。その掲示板は、新聞が張り出されているものとは違う。迷子情報や手配書などがごちゃごちゃと並ぶものだ。
 男性たちに迷惑をかけないよう、そっと近づく。背伸びをして掲示板をのぞきこんだ。真新しい紙が一枚増えている。それは手配書で、しかもステラにとっては心を刺激されるものだった。
 鋭い目をした男の似顔絵が描かれている。つい先日までは、それしか描かれていなかった。だが、今の手配書には、その下に大きな文字が加わっている。
 それを見て――記憶にある名前を目にして。
 ステラは鞄を取り落とした。重々しい音が、やけに遠いところで響いた気がした。
「孤児院の嬢ちゃんじゃんか」
 すぐ近くで声がする。ステラは、はっ、と息をのむ。男性たちが振り返り、不思議そうにこちらを見ていた。
「どうした? 顔色悪いぞ?」
「あ、いえ……なんでも……お邪魔しました」
 ステラは頭を下げ、ついでに鞄を拾うと、大急ぎでその二人に背を向けた。これ以上顔を見られたくない。
 駆け出す。息が荒くなるのも構わずに走る。いや、いっそ息切れでも起こせばいいと思った。体が苦しければ無駄なことを考えずに済むのだ。
 冷たい汗が伝い落ちる。ぬぐう余裕はない。
「どうして」
 本当は、今すぐにでも逆の方向に行きたかった。
「名前、わかってないって、言ってたのに」
 会いに行きたい。
 会って、手を握って、ちゃんと顔を見たい。何があっても味方だと伝えたい。
 なのに、どうしても踵を返す勇気が出なかった。
 孤児院の門前で立ち止まったステラは、膝に手を置いてうなだれる。ちょうどそこへ出てきたリーエンが、大きな目を何度も瞬いていた。
「ステラ、どうしたの?」
 幼い声に引きずられるように顔を上げた。無垢な子どもに、どんな顔をすればよいのかわからない。泣きそうなまま、下手くそな作り笑いを浮かべるしかなかった。
「早く帰りたかったから、走ってきちゃった」
「何それー。走ってころんだらあぶないよ?」
「そうね。ごめん、ごめん」
 頬が引きつるのを自覚しつつも、ステラはそのまま一歩を踏み出す。そして、少女とともに孤児院の中へ入る。ついでに閉ざした門は、やけに甲高い音を立てていた。