第二話 騎士たちの宴・3

 討伐隊は、当然のことながらこの町に拠点を築いている騎士団員によって構成される。指揮はジェイドが執るらしい。そしてソラとリネは、主力の部隊に加わることとなった。それに先立ち騎士たちに顔を見せにいくことにした二人は、ジェイドに案内されて宿舎までやってきた。ソラは、ところどころがはがれかけている白壁を見て顔をしかめる。
「相変わらずぼろーい宿舎だな。そろそろ建て替えとかしないのか」
「いやあ、そうしたいのはやまやまなんだが、金が無くてなあ」
「……そりゃ、お気の毒に」
 現実をつきつけられ、少年は肩をすくめる。この騎士団、というよりこの支部が深刻な赤字なのは今も昔も変わらないようだった。
 三人で軽口を叩きあいながら歩いているうちに、一人の騎士とすれ違う。見覚えのある彼は、ぱっと顔を上げてジェイドを見た。
「あ、隊長。今日はもう上がりじゃなかったんスか?」
「そうしたいところだったんだが、どうも有難いお客が来てな」
 頭の後ろで手を組んだ彼は、心底嬉しそうに言う。上司の様子を訝ったらしい騎士が首をひねるが、そこでソラとリネの存在に気づくと、表情を輝かせる。
「おーっ! ソラ坊にリネちゃん、久し振りだなあ!」
「こんにちはー」
「どうも、お久しぶりです」
 肩を叩いてくる騎士に対し、二人はそれぞれの挨拶を返す。その後も彼は、まるで帰省した息子と娘にするように、いろいろなことを訊いてきた。すっかり、和気あいあいといった様子の三人を見て微笑んだジェイドは、そこへ唐突に結論をぶちこんでいく。
「こいつらには、例の魔獣討伐戦に加わってもらうことにしたんだ」
 すると、騎士は瞬間には驚いたものの、続けて明らかに安堵した様子で、なぜかソラの頭をひっぱたいたのである。
 その騎士とともに宿舎の中へと入った三人は、妙なほどに歓待を受けた。ジェイドから、ソラとリネが討伐隊に加わることになった、と聞いた他の騎士たちの反応も似たり寄ったりだった。ジェイドと親交があったことで、自然に彼らと深く関わっていたおかげだろう。皆、二人を家族のように見てくれるし、腕も信用してもらっている。
――ただし、例外はあった。
「あの……本当に大丈夫なんでしょうか? このような子供を前線に投入するなんて」
 おそらくはここに入ったばかりの騎士見習いであろう、若い男が不安げに言う。彼の気持ちは分からないでもないので、二人とも一切の反論をしなかった。代わりに答えたのは周りの者たちだ。
「平気だって。安心しろ」
「そうそう。こいつら、特にそこの坊主は、下手したらそこらの中級騎士より強いんだからな」
「は、はあ……」
 先輩に言われて戸惑う若手は、結局言いくるめられてしまった。その様子に、ソラは苦笑を隠せない。
「プレッシャーかかるなあ。それに、そんな強いわけでもないんだけど」
「もうちょっと素直に喜べよ、クソガキ」
 肩を竦める少年の横で、ジェイドはしらじらしくもそんなことを呟いていた。
 そのままの流れで、二人は騎士団の愉快な仲間たちと食事をともにすることとなった。木製の長テーブルに並ぶのは、野菜とパンと魚の切り身が少々という存外質素な食事が載る人数分の丸い皿である。ジェイドいわく、「費用を切り詰めてるってのもあるが、何より俺たちにはこういう食事が合ってるんだよ」とのことだ。
 ソラとリネは驚いて顔を見合わせたが、少しして大人たちがきっちり酒を持ってきている様子を見ると、今度はなぜか安心した。
 こうして、なんとなく勢いに押される形で晩餐会が始まった。みんなやいのやいのと好き勝手に騒いでいる。時にはあまり上品とはいえない笑い声が響いたりもしたが、そちらは慣れたものなので、ソラは黒パンをちぎりながら傍観していた。黒パンは堅くてもそもそしているが、味は嫌いではない。香ばしくて懐かしいので、むしろ心が安らぐ気さえした。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、ふいに手を叩く音がした。はっきりと、二回。
「よーし、おまえら。酔いが回らねえうちに作戦会議だ」
 拍手と声の主は、これまで一杯も飲んでいないジェイドである。隊長の一声に、騎士たちはやや気だるげな声で応じた。騎士、というよりも傭兵の方が合っているとソラは思った。
 酒と食事を片手に、それでも真剣に繰り広げられる会議を、ソラはパンをちぎりながらぼうっと聞いていた。むろん、その概要と自分の役割くらいはしっかりと把握している。
 今回、ジェイドの指揮のもと展開される作戦は、乱暴に言ってしまえば二正面作戦というものである。つまり、部隊を二つに分けて片方の部隊が件の獣を相手取っている間に、もう一方が元凶であるまじない師を叩く、という運びだ。ソラとリネは対まじない師部隊に入ることとなった。
 そこで、リネが首をかしげながら手を挙げる。
「あれ? ソラは対魔獣部隊に入った方がいいんじゃないの?」
 これまでの話の流れから考えると、確かにそう思うだろう。しかし、ジェイドはあっさり返す。
「いや、大丈夫。幻獣については後で徹底的にレクチャーしてもらうつもりだし、古参組はこいつとのかかわりが長いから、ある程度の対処法は把握しているんだ。それに俺は、魔獣を操るというそのまじない師の方が脅威だと踏んでいるんでね」
 自信が感じられる落ち着いた口調に何を思ったか、少女は口を尖らせながらも引き下がった。他方の少年は、ただただ黙って会議が運ぶ様子を見守っている。
 彼は、自分が対まじない師部隊に組み込まれることについて、異議を唱えるつもりはなかった。旧知の騎士の指示を聞いた時に感じたのは、わずかな驚きと大きな安堵である。しかし、彼の方はジェイドのように、合理的に考えたわけではなかった。
――「昼間の出来事」のことを考えると、自分が対魔獣部隊にいても足手まといになるだけではないか、という漠然とした不安があったのである。
 会議はやたらと円滑に進んだ。長い間戦士として武を振るってきた男たちは、はじめから自分が何をするべきか心得ているようでもあった。そして特に大きな問題が発覚するわけでもなく、最後に討伐までの日程およびレクチャーの日時などを確認して、この日はそれぞれが休むということになった。
 騎士たちは宿舎に散っていき、ソラたちもジェイドに別れを告げて宿屋を探す。そして、決して寝心地が良いとは言えない寝台で一日を終えた。
 そして、ソラはこの日、不思議な夢を見たのだ。

 最初そこに立ったとき、どういう状況かまるで分らなかった。
 重く灰色の雲が垂れこめる空。吹き抜ける寒々しい風。それに流される茶色の砂は、わずかに生命の息吹が感じられるが、ひどく弱々しいものである。
 荒野と呼べるそこに立つ少年。彼の目の前には、一人の男と二人の女がいた。そのうち、黒髪の男女はどことなく顔立ちが似ている。そう思って彼らを凝視した少年、つまりソラは息をのんだ。なんの意図も無しに彼の方を向いた男の顔は――
「俺……?」
 愕然とした呟きは、そこにいる誰に受けとめられるわけでもなく、宙を漂う。
 もう一度男を見てみても、抱く感想はまったく同じものだった。だがソラは、妙な光景をひたすら否定してかぶりを振る。
 少年が一人で葛藤しているうちに、黒髪の男が口を開いた。
「それで、どうだったんだ? 東の戦は」
 快活な声はしかし、奇妙にぼやけて耳に届く。まるで、目の前に壁が一枚立ちはだかっているかのようだ。
 だから少年は、これが夢であると確信した。
 男の問いに答えたのは、男女二人の前に立つ、銀髪の女だった。
「ぎりぎりのところでオルドールが勝ったわよ。それからは手っ取り早く軍を追いかえして、逆にティルトラスの領土の一部をかすめ取ってやったみたいね」
「そっか。あの国はもはや帝国だな」
「ティミエラじゃとっくに、その呼び名が浸透し始めてるわ」
 軽々と繰り広げられる言葉の応酬。決して穏やかな内容ではないそれに、なぜか深い温かみが感じられた。それにしても、オルドールという国名はソラも知っているが、ティルトラスというのは初耳である。少年が首をひねっていると、黒髪の女が呆れた目で相手を見た。
「それにしてもあんたたち、よく戦場なんて見にいく気になれるよね。怖くない?」
 問いに、銀髪の女は笑い声を寄越した。
「あれはあれで楽しいわよ。リクトとフウナも、今度一緒に行く?」
「やだよ!」
「君らと戦場見物なんてしたら、長に怒られそうだなあ」
 重苦しい荒野に、明るい声が響く。それを傍観するソラは、フウナ、と名前を口にしたきり呆然としていた。
 それはまぎれもなく、彼の母親の名だ。
「ウィンディア!」
 明るい呼び声がかけられた。どうやら銀髪の女に向けられたらしい。ウィンディアと呼ばれた彼女は、振り向いて言葉を投げつける。
「やっと来たの? 遅いわよ」
 刹那、水色の糸が瞳の中で舞いあがった。