西洋人よりの容姿を持つ騎士見習いは、予想されうるあらゆる陰口をあっけらかんとした笑顔ではねのけて、聖院に馴染んでいた。その笑顔の裏に少なくない苦悩があったのだと知ったのは、イゼットが聖院に入ってから一月経つか否か、という頃だった。お互いに呟くように本音をこぼしあった夜から、彼らはじょじょに心をさらけ出せる友人へと変わっていった。まさしく「始まり」であった夜のこと、それからの日々のこと、すべてではないにせよ鮮やかに覚えている。
だからこそ安否が気にかかっていた。会えるものなら会いたいとも思っていた。
だというのに、実際に顔を合わせると、怯えに似た感情が先に立つ。イゼットは思わず槍を持つ手に力を込めていた。
「あー……くそ」
小さく毒づく声がこぼれる。知らず力んでいたイゼットはしかし、次の瞬間には呆然としていた。――ハヤルがいきなり、自分の頬をつねりはじめたからである。彼の奇行に副官だという青年がおろおろして、ハヤルとイゼットを見比べた。
「えー、あの、隊長? どうなさったのですか?」
いやあ、と言ってからようやく、ハヤルは自分の頬から手を離す。ほんのり赤くなった個所をそのままに、まじめくさって副官を見やった。
「夢なんじゃねーかと疑った」
「な、なんですか、それ……」
「普通に痛かったな、現実だった」
「あなた相変わらず馬鹿ですか」
大きなため息が響く。物柔らかな印象のある青年の、意外な態度にイゼットとルーは目を丸くした。しかし、毒舌を振るわれた騎士は傷ついた様子を見せず、恥ずかしそうに頭をかいただけである。少年の面影を残した笑顔を相貌にのせていた青年はしかし、イゼットの方に視線をやると、すっとその笑みが落ちた。
会話のきっかけをつかみかねていたイゼットは、震える唇をむりやり動かす。
「ハヤル、あの……」
続きの言葉が上手く出てこない。そして言葉を探す前に、ハヤルが早足で歩み寄ってきた。その足音と鬼気迫る空気に、イゼットの肩が反射的に震える。ただ、彼が後ずさるより早く大きな手が両肩をつかんだ。思ったよりも力が強い。いや、力が強くなっていっている。
「え、あの」
「おまえは……」
「は?」
「こっちがどんだけ探しまくったと思ってんだ馬鹿野郎……!」
力強い腕が、肩を揺らす。それに合わせて、頭も揺れた。ちょっと待て、落ち着いて、というかやめて、と言いたかったがどれ一つとして形にならない。その間にも、濁流のような青年の愚痴は続く。
「アイセル様はずーっと、独りでつらそうな顔しながらお勤めしてんだぞ……俺たち何年も気を揉んでたんだぞ……!」
声が震えているのは、怒りからなのか、それとも違う感情があるのか。どちらにせよハヤルの言葉の一つひとつがイゼットの胸を突いてくる。
それが止まったのは、副官の青年がハヤルに声をかけたときだった。「隊長、そこまでにしましょう」と静かなささやきが吹き抜ける。動きを止めたハヤルはようやく、自分が腕に相当力を入れていたことに気づいたようで、慌てて両手を離した。イゼットは思わず苦笑しただけで何も言わなかった。メフルザードや旅の中で出会った人々のおかげで、こういったことに慣れてしまったらしい。
「すまん」
「いや……平気。俺も、なかなか戻ってこれなくて、ごめん」
謝りあった二人の間に気まずい空気が流れる。穏やかに見えて手厳しい青年が、その間に割って入った。
「あの、イゼットさん。私たちが泊っている宿に来ませんか。町中では詳しい話がしづらいので」
「――そだな、それがいい。最初は他の騎士たちにも極秘で」
名案とばかりに顔を輝かせる騎士たちを見比べ、イゼットは少し悩むしぐさをした。しかし、思考の時間は一にも満たない。自分の現状をきちんと知ってもらうためにも、彼らの提案に乗らない手はなかった。ただ、ひとつだけ気がかりがある。若者は、半歩後ろで呆然としている少女を見下ろした。
「彼女が一緒に行っても大丈夫かな。……クルク族なんだけど」
後半、声を潜めて告げる。話題に出されたルーは背筋を伸ばし、騎士二人は軽く目をみはった。
聖教とクルク族は揉めやすい。神聖騎士の集まる場所にクルク族が入りこめば、彼らはよい顔をしないだろう。そうイゼットは憂えていたが、二人の反応は予想外のものだった。
「まあ大丈夫だろ。イゼットが連れてるんだから、悪い子じゃないんだろうしな。なあ、ユタ」
「……まあ、そうですね。どのみち極秘で入れますし」
あっけらかんとしているハヤルに対し、副官の青年は気が進まなさそうに頭をかいている。それでも、ルーを一瞥すると表情をわずかにゆるめた。その様子をながめてイゼットもようやくうなずく。自分の中につっかえていたものが、少しだが取れた気がした。
「わかった、行く。案内してもらってもいいか?」
「当然です。私が先導しますね。隊長に任せきりにするとたまに迷いますので」
「ハヤル、そこは直ってないんだな」
「ほっとけやい」
「よ、よろしくお願いします!」
好き勝手なことを言いながらも、騎士と旅人は町の西の方を目指してぞろぞろと歩き出した。その際、副官の青年が思い出したように振り向き、イゼットとルーに笑いかける。
「そうだ、自己紹介が遅れて申し訳ありません。私、神聖騎士団本部第三小隊副隊長のユタと申します。よろしくお願いいたします」
二人も、顔を見合わせてからお互いに名乗り返した。
神聖騎士団が使っているという宿は、ほぼ一個小隊を収めるだけあって立派な場所であった。普通の宿屋の倍は敷地がある。小ぶりな隊商宿に見えなくもない。
しかし、ルーはそのたたずまいをながめながら首をかしげていた。
「想像よりはソボクな感じですね」
「いったいどんなのを想像してたのさ……」
『騎士団』という言葉にすらまったく馴染みがないクルク族の少女にとり、彼らのことはこれまで想像するしかなかった存在だ。その想像は実態と大きく離れたものだったらしい。あえて具体的なことを尋ねはせず、イゼットはハヤルとユタの背を追いかけた。正面玄関に近づき、遠目に騎士の姿が見えはじめたとき、唐突にユタが体の向きを変えた。「極秘に入れる」――ということなのだろう。
二人の存在が騎士たちに気取られぬうちに、四人は宿屋の横手に回った。騎士団の物資だろうか、頑丈な箱が積みあがっている横に小さな扉がある。ユタに目を向けられたハヤルが、その扉を手で示した。
「ここから入れば誰の目にもつかねえよ。小隊長の客室に直通だからな」
「なるほど」
イゼットは手を打った。
小隊長の客室。つまり、ハヤルが一人で使っている部屋ということだろう。聖院時代のことを考えると、ちょっと想像できない。思わずイゼットが見やると、ハヤルは視線の意味に気づいたのだろう。唇を尖らせた。
「俺は別にほかの連中と雑魚寝でもよかったんだ。でも、どこぞの副官が『こういうときくらい体裁を繕ってください』ってうるさくて」
「当然のことを申し上げたまでです。ただでさえ我々は不利な立場なのですから、立場に見合った振る舞いをしなければさらに侮られてしまいます」
「ま、それは正論だけどな」
ぶつくさ言いながらも、ハヤルは扉を開ける。そのかたわらでイゼットとルーは思わず視線を交わしあったが、騎士たちに促されて慌てて部屋に入った。
部屋の中は少しひんやりしている。分厚い壁で日差しが遮られているおかげだろう。部屋の中心に円形の大きな絨毯が敷かれていて、その端に果物用の鉢が置いてあるが、中身はからだ。代わりに、というわけでもなかろうが、奥の文机には書類の山が築かれていて、風と振動で巻物が一個転がった。
「まあ、適当に座ってくれ」
「お、お邪魔します」
クルク族であることを一切気にかけた様子を見せず、ハヤルはルーに人懐っこい笑みを向けた。一方のルーは、珍しくどぎまぎして答えている。
「ユタは外の様子見頼む」
「承知しました」
ユタは上官の指示にうなずいて、足音をほとんど立てずに反対側の扉のむこうへ滑り込んだ。その姿を見送った後になって、ハヤルは絨毯に腰を下ろした。それぞれに落ち着きのない二人と向き合って、表情を引き締める。
「さて、イゼット」
「……ああ」
「話せるところからでいいから、話してくれないか。あの夜に何をしていたのか、なんでクルク族の女の子と一緒にいるのか、とか」
わざとおどけたような言葉に、イゼットはしかとうなずく。そして重い口を開いた。