第三章 火の民の詩2

「もう、変なことを言わないでよ!」
「ん? 俺は真剣だぞ、ルー。おまえも、半分くらいはそういうつもりで連れてきたんじゃないのか?」
「違う! そういうんじゃないから!」
 舗装はひとつもされていない、けれど平らな赤茶色の道の上。アグニヤ 氏族 ジャーナ の集落、ルーの実家へ向かう道すがら、父娘はなにかを言い合っていた。彼らの言葉で繰り広げられる言い争いの内容に、しかしイゼットは見当がついている。素知らぬふりをして、ヘラールの方だけを見て歩く。たとえ本人の姿を視界からなくしても、ジャワーフの爆弾発言はいつまでも耳にこびりついていた。冗談か本気か判然としないだけに、ちょっと怖い。
「……もしかして俺、とんでもないところに来たかな?」
 前の二人に聞き取られぬよう、小声で呟く。彼の横を行く雌馬は、何も答えず尾を揺らした。
 集落は、イゼットが思っていたより広い。入口から目的地まで、四半刻弱かかった。
 ルーの実家は――というより、この集落の家は、円錐形の外壁に、三角の屋根がのっかっているような形だ。さながら、かさの先端が尖ったきのこ、というところ。材質は何かとイゼットは思っていたが、ジャワーフによると天然の岩をくりぬいているのだそうだ。このあたりはもともと、奇岩が林立している場所が多く、彼らはそれを活用して各地に拠点を作っているらしい。いざというときすぐ動けるように、と備えるのは、完全な狩猟生活時代の名残なのだった。
「この近くにもおもしろい岩が生えてる場所があるぞ。時間があるなら見に行ってみるといい」
「『生えてる』って……」
 楽しそうに笑うジャワーフに案内されて、馬たちを家の裏へ繋ぐ。手先の作業を終えて顔を上げたとき、家の表の方から人がのぞいていることに気がついた。十一、二歳くらいの少年だ。大きな瞳でじっとイゼットを見てくるその姿は、彼の同行者に通ずるものがある。
「おう、シュナ。姉さんのお帰りだぞ」
 ジャワーフが大声を上げると、少年は顔をしかめた。
「知ってるよ。みんながあんだけ騒いでれば、わかる」
 少年はすましてそっぽを向く。同じとき、ラヴィを繋ぎ終わったルーが、目を輝かせた。彼らの言葉で挨拶をし、手を振ってから、彼女はイゼットを振り仰ぐ。
「あの子はシュナです。ボクの弟です」
 それだけ言って、すぐに顔を戻したルーは、次にクルク語でなにかを言う。今度はシュナにイゼットを紹介しているのだろう。
 ここに数日いるだけでも、かなりクルク語の勉強ができるかもしれない――イゼットはそんなことを考えて、頬をかいた。
 馬たちのことが終わると、今度こそイゼットは家の表から中へ通された。ジャワーフが先に立ち、その後ろにルー、イゼット。そして、なぜか一番後ろからシュナ少年がついてきている。この布陣で岩の家の戸口をくぐり、ジャワーフが声を張り上げた。
 家の中はさすがに薄暗いが、壁や天井に穴があいているのでほどよい光も差し込んでいる。入ってすぐのところには絨毯より薄い色鮮やかな敷物が敷いてあって、その上で一人の少年と二人の青年が何やら戯れていた。さらに奥の穴の方から、先ほどはいなかった女性が顔を出す。たくましい体つきをしていて、強い目をしている彼女が、おそらくはルーの母親だろう。肌色こそクルク族らしい褐色だが、全体の顔つきはルーによく似ていた。
「おう、帰ったぞ。ついでにルーも」
「自分の娘が修行から帰ったっていうのに、あんた、相変わらず雑だね」
 女性は軽く頭を振る。夫婦なのだから不自然なことではないのだが、熊のような男性にも動じないたくましさに、イゼットはひとり感動していた。雰囲気的には、ベイザと近いものがある。
 そのたくましい女性は、ルーが前へ出てくると、なにか声をかけて、一言二言やり取りして、それから強く抱きしめた。敷物の上で戯れていた少年と青年たちも、わらわらとじゃれついてくる。
 ここまでは、まだよかった。イゼットもほほ笑ましく見守っていられた。しかし、女性の視線がふと上がって、イゼットを捉えたよき、空気が一変する。  彼女は何やらひっくり返った声を上げて、後ずさりした。さすがにまずかったか、とイゼットは体を固くする。しかし、ジャワーフはげらげらと笑っていて、少年たちもあまり慌てたふうではない。一番慌てていたのは、彼女と彼女の娘だった。
「ルー! あんた、修行中に婿さん捕まえたのかい!? それこそ前代未聞だよ!」
「ちっがーう! そういう関係じゃないです!」
 クルク語の問いに、ルーはヒルカニア語で応じた。それにより、女性の驚きがどういう性質のものか知ったイゼットは、肩の力を抜く。その拍子に、乾いた笑声がもれた。

「いや、申し訳ないね。お客人を困らせてしまった」
「いえ……こちらこそ、いきなりお邪魔してすみません」
 少しして一家の動揺が落ち着くと、イゼットは改めて客人として迎えられた。ルーの母は、通り名をターシャというそうだ。誤解が解けると人懐っこい笑顔とともに一家のことを紹介してくれた。この家に住むのは現在、五人。ジャワーフとターシャ、それからルーの兄であるラジュとアディ、弟のシュナとナーレだ。敷物の上で戯れていたのは、シュナ以外の子どもたちだった、というわけである。
 ターシャが一度立ち上がり、台所に引っ込んだ。そのときを狙ったかのように、それまで澄ましていた子どもたちが騒ぎ出す。
「ルーが外の男を連れてきたから驚いたぜ。もういっそ、本当に婿でもいいんじゃないか?」
「やめてくださいラジュ兄!」
 先ほどの話の延長戦がヒルカニア語で繰り広げられている。イゼットとしては、苦笑するほかない。
 シュナとナーレ以外は「修行」経験者で、ヒルカニア語やペルグ語に堪能だった。イゼットにとっては大きな救いである。
「ほら、人数はこっちが上だしこのまま丸め込んで……」
「誘拐結婚か! そんなの嫌ですよ、ボクは!」
 何やら物騒な提案が持ちあがり、イゼットは心の中で震えた。これなら言葉がわからない方がよかったかもしれない、という思いがよぎる。冗談とはいえ彼らなら成し遂げてしまいそうだから、油断してはならない気がする。
「たちの悪い冗談はその辺にしな、ラジュ。だいたい彼、貴族の子息なんだろ? 変なことしたらヒルカニアと揉めちゃうよ」
 さすがにおびえが表情に出ていたのか、次男のアディがやんわりと制止に入った。
「まあ、貴族といってもほとんど勘当されたようなものですけど……」
 イゼットは曖昧な口調で口を挟む。その左隣でジャワーフが笑った。
「ヒルカニアと揉めなくても、聖教と揉めるだろうなあ。俺はそっちの方が面倒だと思うぜ」
「ボクもう聖教の人と揉めるの嫌ですよ……」
「なんだ、揉めたのか」
「正確には自分からけんかを売った、というか」
「何したんだよ、おまえ」
 アディが呆れたように目を細める。イゼットの右隣で、ルーはうなだれた。しかし彼女は、直後に目を見開いて、相棒を挟んで反対側にいる父親を見る。
「あれ? まだ、みんなに聖教の話はしてないですよね?」
「聞いてないけど、さっきの族長とのやり取り見てりゃわかるよ。兄さん、聖女さんの従士だろ?」
 その場の空気が凍りつく。末っ子のナーレだけが、首をかしげていた。素性がばれたイゼット本人は、右半身の痛みを覚えつつも落ち着いていた。その場にあったのは純粋な驚きだけで、悪意や敵意は感じられなかったからだ。
「聖女の従士ってかなり上の方の聖職者じゃん! なんでここにいるんだ?」
「ははあ、ルーが聖教にけんかを売ったのと関係あるんだな」
 率直な疑問を口にした次男の横で、長男がにやりと笑う。そのまま話は転がっていきそうだったが、台所から戻ってきたターシャがそれを止めた。
「ほらほら、あんまり勝手に話をしたら、イゼットさんが困るだろう。その辺にしな」
 言いながら、彼女はてきぱきと手にしていたものを輪の中心に並べていく。それは料理のようだったが、イゼットの目にはなじみのないものばかりだった。大小合わせて三枚の皿が輪の中心を彩る。子どもたちの間から、わっと歓声が上がった。その声にも負けないほどの、乾いた音が響く。一家の母が、一発手を叩いたのだった。
「はい、お昼ご飯にしよう! それが終わったら、あんたたちは儀式の手伝いね」
「えー? 俺たちだけ?」
「当たり前だよ。ルーは主役だから、夕方から別の準備があるんだし」
 さあ文句垂れずに食え、とターシャがうながしたところで、みんながそれぞれに食前の祈りを捧げた。イゼットは無論、聖教式だ。
 静かな時間は短かった。食事が始まってすぐ、子どもたちが競うように皿へ手を伸ばす。お客様が優先でしょう、とターシャがたしなめたが、それで止まる男子たちでもないだろう。
 激しい競争の中で、ルーが器用に二人分をとったらしい。別の皿にのせて、イゼットに差し出してくれた。彼があっけにとられている瞬間の勝利だ。イゼットは感心しつつも、お礼を言って皿を受け取る。何をどうしたらいいのかわからないまま、とりあえず一番端にあった茶色いものをつまんでみた。肉だということはわかるが、なんの肉かすぐにはわからない。
「それはこのあたりのイノシシのお肉の干したやつです」
「へえ、イノシシか……」
 横からすかさず、優秀な相棒が解説を入れてくれた。案外なじみ深い名前にイゼットは安堵したが、彼自身はイノシシの肉を食したことがない。だが、臆することなく頂いた。くせはあるが仲良くなれそうな味だ。――知らぬ間にいろんな動物の肉を口にしている可能性もある、ということに思い至ったのは、最初の干し肉をのみこんだ後だった。メフルザードあたりなら、差し出した肉がなんの動物のものか、あえて黙っていたということもあり得る。
 もともと狩猟民族というだけあって、皿の八割は鳥や地上の獣の肉だ。残りの二割は木の実を炒ったものだったり、貴重な野草だったりする。この食卓には、穀物は少しもなかった。
「ヒルカニアの人たちや、行商人との交流はないのかな」
 穀物がないという事実から思いついた話を、なんとなく呟く。横で聞いていたルーが、かたい木の実をかみ砕いてから答えた。
「あるはずですけどね。たぶん、穀物は買ったりもらったりしないんだと思います。みんな、あまりなじみがないので」
「それもあるが、機会もそんなないしな。そもそも、人が来る回数じたい少ないんだよ。ほら、集落のまわりがああいう平野だろう? よほどのもの好きじゃなきゃ寄り付かないのさ」
 ジャワーフがさらに補足する。色々と腑に落ちた。この論法でいくとイゼットやデミルは「よほどのもの好き」ということになるが、本人は今さら気にしていない。
 イゼットは、葡萄に似たやわらかい実を食べた後、視線を感じて顔を上げる。食べ物の取り合いを一段落させた子どもたちが、二人の方を興味深げに見ていた。
「姉ちゃんがまじめな話をしている……」
「シュナ、それどういう意味ですか?」
 覚えたてらしいヒルカニア語でシュナが呟いた。耳のいい「姉」がすぐさまそこをつついたが、兄弟の反撃も容赦ない。
「実際なかなかに感激した。狩りとけんかにしか興味がなかったルーが、貿易の話をするようになるなんて……」
「アディに同意ー。これはイゼットさんに感謝だな」
「なっ……みんな似たようなものでしょうが!?」
 ルーもやられっぱなしではいなかったが、その言葉の威力は弱い。おどけたやり取りの後には笑いが起きた。ルーだけは少しむくれていたが、笑声の中でぽつりと呟いたのをイゼットは聞いていた。
「まあ……イゼットに色々教えてもらったのは、確かですけどね」
 なんだかこちらが恥ずかしくなる。イゼットはそこについては言及せず、新たな肉を食べた。今度は少しぱさぱさしていた。
 にぎやかな食事は、ギュルズの診療所以来だ。今さらそんなことを思って、むずがゆくなる。一度皿を置いて前を見てみれば、温かい光景があった。
 冗談でつつきあう兄弟と、それを時折たしなめる母親と、末っ子にじゃれつかれる父親。そして横から父に助け船を出す長女。
「こういう家族も、あるんだな」
 若者はひとりごつ。その声は誰にも聞こえていないようだった。聞かれなくてよかった、と思った。