きらり
ちかり
破片が、白く輝いた。
無尽蔵にこぼれ出て舞うそれは、時折鋭くひっかいて、突き刺してくる。
ちくり、ちかり
そのたびに、痛みが走る。苦しみが、悲しみが流れ込んでくる。
お願い。やめて。壊さないで。
それ以外の感覚はない。肉体も見えない。けれども、無我夢中で『手』を伸ばす。海でおぼれたときのように。『指』はなにもつかまない。ただ、黒の中でもがくだけ。
もがいて、もがいて。痛くて、苦しくて、悲しくて。それだけの時が、いくつ過ぎただろう。あるとき、声がした。
『――こっちだよ』
それは、まったくもって心のこもっていない、けれど陽の光に似た呼びかけだった。
※
暗闇がのしかかってくる。重い。最初は、ただひたすらに重かった。
次に熱を感じた。砂漠の中にいるようで、けれどそれよりも湿っぽい。そして、同時に息苦しさ。
しばらくは目を閉じたまま耐えていた。しかし、薄らぼんやり見えた光に誘われて、瞼を押し開く。知らない形と色が見えた。
全身に力を入れる。まだ重い。かすれて不格好な音が、自分の中からこぼれ出た。
外から音が聞こえる。なにかが視界に映りこんだ。白い、なにか――誰か。
「意識が戻ったようだ」
「……本当ですか!?」
淡白な、否、それを通り越して無機質な声。その後ろから、高い声が響く。
「うん。でも、会話ができる状態ではない」
世界が明瞭になってきた。白い髪、白い肌、色のない瞳の子ども。その、整ってはいるが人間味のない相貌。それを認識した瞬間、数珠つなぎの記憶がどっと流れ込んでくる。
襲ってきた白い人。
『中』に入ってきた白い指。
そして、突如現れた旅の人――
あれから、何がどうなったのだろう。みんな無事なのか、自分はどうなったのか。確認したいことは山ほどあるのに、声が出ない。意識のある状態で、正気を保っているのが精いっぱいだった。
そんな彼の内心を見透かしたかのように――白い子どもが口を開いた。
「イゼットと言ったかな。僕は君に危害は加えない。ここは襲撃された現場からは遠く離れた場所で、君の同行者のクルク族も無事だ。回復するまでは休んでいるといい」
感情が乗らぬ声には、けれど襲いかかってきた天上人よりは温かみがこもっている。それは、錯覚だろうか。彼は、イゼットはひどく困惑した。さりとて首をひねる力もない今は、子どもの言葉を信じるしかない。ふっと、四肢の力を抜いた。
それから二日間、イゼットは寝台の上で眠ったり起きたりを繰り返して過ごした。その間に、頭も鈍い回転を始めていた。
まず、ここは、本当に知らない場所だ。紙のにおいが強いから、本がたくさんあるのだろう。次に、あの白い子どもは敵ではないらしい。二日間、本当にイゼットの様子を見るだけでなにもしてこなかった。フーリと呼ばれているその子は、確かに
天上人ではあるが、イゼットたちを襲った二人よりは人間っぽさがある気がする。
そして――ルーは無事だった。一度だけイゼットの顔を見にきて、大粒の涙をこぼしていた。申し訳なさが強かったが、そのときは謝る言葉すら出てこなかったから、ひたすら彼女の顔を見つめていた。
目覚めてから二日後。ようやくイゼットは話せるくらいになった。熱っぽさも最初よりは収まってきている。夕方、ルーが様子を見にきてくれたときに、めいっぱい息を吸った。
「……ルー」
よかった、呼べた。自分の声を聞いたとき、まずそう思った。
ルーが弾かれたように振り向く。黒に限りなく近い茶色の瞳がうるんで見えた。それは夕日のせいか、否か。
「イゼット?」
少女は、身をひるがえして駆け寄ってくる。
「お話しできるんですか? 大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ごめんね。心配をかけた」
荒い息のしたから、イゼットは言った。ようやく言えた。そう安堵した彼を見返して、ルーは再び顔を歪めた。大きな瞳から涙がぼろぼろこぼれ落ちる。それに気づくと、両手で顔をめちゃくちゃにぬぐった。
「ごめんなさい。ボク、あのとき、なにもできなくて……」
「いいんだ。むしろ、ルーが無事でよかった」
異様な力を持った白い者たちと、聖院を襲った人々。前面にも背後にも敵がいたあの状況下で、ルーが生き残ったとわかったとき、イゼットは心底ほっとしたのだ。ルーをねぎらいこそすれ、彼女を責めようとは思わない。
イゼットは大きく息を吐きだした。ルーはその前で、さらに顔をぬぐって、はなをすすった。
「ちょっと待っててくださいね。シャハーブさんたちを呼んできます」
彼女はそう言って身をひるがえす。それから少しして、あの旅の青年と、白い子どもを連れて戻ってきた。青年――シャハーブはイゼットの様子に気づくと、優雅な笑みを浮かべる。
「おお、よかった。お目覚めか」
「……ご迷惑をおかけしました」
「なあに、気にするな。ルーにも言ったが、今回の件は俺たちの責任だ」
青年は音楽的な声で返す。その言葉にはどこか不遜な響きがあったが、同時に真心もこもっていた。不思議な人だ。
そのシャハーブは、隣に立つ子どもに目を向けると、少し声を落とす。
「さて。お坊ちゃんも目覚めたことだし、そろそろ俺たちのことを話してもいいんじゃないかね」
「うん。どのみち、『浄化の月』のことは話さなければいけない」
白い子どもはうなずくと、歩いてルーの前まで出た。イゼットはそこで、彼が裸足であることに気づいて、目をみはる。子どもは構わず口を開いた。
「君が察しているように、僕は天上人と呼ばれる存在だ。しかし、君に危害は加えない。君たちを襲ってきたあの二人のような者を取り締まる役目を負っている」
取り締まる――思いがけない言葉を、イゼットは声に出さず繰り返す。天上をあおいだ、子どもの視線を追った。
「ここは、僕が拠点としている場所だ。人間の間では『叡智の館』と呼ばれている」
「『叡智の館』!? ここが……?」
イゼットは、冗談でなく跳び起きそうになって、頭痛にうめいた。その様子を見たルーが、「ボクと同じ反応……」などと呟いている。
二人を見て、白い子どもは頭を傾けた。その、頭のてっぺんに手が置かれる。シャハーブだった。
「イゼットに話さなければならないことは山ほどあるが。まずは、おまえがここにいる経緯から話したらどうだ? 結局、それがすべての事柄に繋がってくるのだし」
「なるほど。そうだね」
感心しているとも納得しているとも思えない、無表情。それで同意を示したフーリは、再びイゼットに視線を戻した。
「そういうわけだから、まず僕のことから説明しよう。人間たちの間では、天上人の伝説として語られていること、らしいけれど」