第三章 異端者たちの聖戦8

 次の会議は、シャハーブが客分となった二日後に開かれることになっていた。彼らの準備期間は一日しかなかったわけだ。だが、シャハーブたちにとっては一日あれば十分だった。聖教内部の天上人アセマーニーの情報や月輪の石の実態、そういう内容の資料はすでにアイセルの元に揃っているからだ。
 わずかな時間を利用して、シャハーブとアイセルたちは、自分たちが持っている手札を整理したり、当日の流れを話し合ったりした。
 ――そして、翌日。会議当日は、快晴だった。雲ひとつない青空の下を乾いた風が吹き抜ける。そんな、外の爽やかな空気とは無縁の屋内で、武力なき戦いは幕を開けた。
 細やかな模様の中心で精霊たちが踊る壁画。色鮮やかで繊細な絵に取り囲まれて、無表情の聖職者たちが集まっている。彼らは、冷ややかに引きつった顔をお互いに向けながら、各々の席についた。
 今回の会議は、イゼットがかつてかけられた「聖教会議」とは別物だ。もっと一般的な、日々の聖教の運営を話し合っていくための集まり。だというのに、人々のまとう空気がかたいのは、ここ最近の緊張状態の表れなのかもしれない。
 会議の参加者が一通り集まると、最後の二人――聖女と祭司長――が入場する。その裏でシャハーブも議場に滑りこんだのだが、それに気づいた人は多くない。
 重々しい音を立てて、扉が閉まる。その音の余韻が消えると同時に、ユヌス祭司長が会議の始まりを告げた。
 しばらくは、やはり形式的なやり取りが続く。シャハーブは、退屈と睡魔に負けぬよう、気を張らなければいけなかった。ただでさえ不毛な内容の応酬である上に、陰鬱な声でそれが奏でられるものだから、余計に眠くなってしまう。
 陰でそんなことを考えていたシャハーブが、初めて会議に興味を示したのは、開始から四半刻が過ぎた頃である。――いよいよ本題に入ったのだ。
 ここしばらく相次いで報告されている紫色の雲と怪しい人物。それについての情報を整理した後、新しく報告された紫色の雲、つまり『よどみの大地』の情報が議場にもたらされた。その上で、今後の方針についての話し合いが行われる。最初に意見を述べたのはユヌス祭司長だった。
「私はやはり、本格的な調査を開始すべきだと考えます。我々がのんびりしている間にも被害が拡大し続けている。このまま放っておけば、取り返しのつかないことになるやもしれません」
 老人は、淡々と述べた。そののち、しばらく間をあけた後で、彼は剣呑に視線を移す。彼が見たのは、夜空色の衣をまとう聖女だった。
「それでも、アイセル猊下は調査を打ち切るべきと主張なさるのですかな」
「……はい。主張を変えるつもりはありません」
 アイセルは顔を隠したまま、毅然として言葉を返す。聖職者たちの視線を一身に集めた少女は、音もなく立ち上がり、議場を見渡した。
「正体のわからぬ、危険なものに首を突っ込めば、騎士や祭司たちを危険にさらすことになりかねません。調査をするにしても、外部から、慎重に行うべきです」
「慎重論を唱えるべき時期は過ぎた、とはお考えにならないのですか? このまま静観していては、騎士や祭司どころか、人民すべてを危険にさらすことになりますぞ」
 元々凍りついていた議場の空気が、一気に限界まで張り詰める。聖職者たちは、口を閉ざしたままで互いの顔を見合わせていた。おそらく、最近の会議はずっとこんな調子だったのだろう。
 その流れを変えたのも、またアイセルであった。姿勢を正し、深呼吸した彼女は、ひび割れた氷にあえて一石を投じたのである。
「わたくしも、根拠なしに申し上げているわけではありません。この怪現象を引き起こしている犯人の目星がついていて、かつその者たちがどれほど恐ろしいかを知った上で、我々が手を出すべきではない、と判断したのです」
 ほう、と祭司長が目を細める。
 その裏で、シャハーブは閉じていた目を開いた。
 出番だ。
「その者たちと関わりを持っているという旅人を、今日、この議場にお招きしています。皆様、おそらくおおよそはご存知かと思いますが」
「――猊下のお客人ですな。よろしい、ではその旅人から直接話を聞くとしましょう」
「わかりました。……シャハーブ様、お願いします」
 アイセルの、言葉の後半は、少しばかり低められていた。しかし、シャハーブはしっかりとそれを拾い、聖女に向かって礼を取る。
 身をひそめる時間は終わり。ここからは、彼の舞台だ。シャハーブは悠々と、議場の中心に進み出る。ユヌス祭司長を捉えると、流れるように礼を取った。
「改めまして。このたびお招きいただいた、旅人のシャハーブと申します」
 高らかな名乗りが、部屋全体にこだまする。
 ユヌス祭司長も祭司や神官たちも、彼の存在を知っているはずだ。昨日、祭司長には挨拶をしたし、シャハーブがわざと人目につくよう動き回っていたのだから。にも関わらず、彼の声が場を打った瞬間、聖職者たちはざわめいた。その様子を観察していたシャハーブは、最後、ユヌス祭司長に目を留める。平静を装っている老爺の瞳の奥には、確かな警戒の色があった。
 シャハーブが、気づかれぬよう口の端を持ち上げたとき。その祭司長が、重々しく口を開いた。
「昨日以来ですな、シャハーブ殿。して、貴殿が今回の一件の犯人と関わりを持っているというのは、真かね」
「正確には、犯人の元同胞、ですな。これから詳しくお話しいたします」
 単純な肯定や否定でない言い回しで応じたシャハーブは、改めて議場を見渡す。いつか、田舎町で物語を語ったときのように、大げさな口ぶりで問いを投げかけた。
「まず、一同にうかがいたい。『天上人アセマーニー』と呼ばれる存在をご存知ですかな」
 明確な答えは、すぐには返らない。
 議場は静まり返っていた。単純に首をかしげている者もいれば、嫌そうに眉をひそめている者もいる。誰もが、答えを口にすることを憚っているようだった。聖女を含む数少ない人たちだけが、冷静な沈黙を選んでいる。
 そんな中で、ユヌス祭司長が淡々と言葉を返す。
「確か、ヒルカニアの古い民間伝承に出てくる存在だ。人の姿をとりながら、異様な力を持つという」
「おっしゃる通りでございます。さすがは祭司長様」
「その天上人アセマーニーと、今回の件と、何の関係が?」
「簡単なことです。紫色の雲を生み出しているのが、天上人アセマーニーの一派なのですよ」
 初めてユヌス祭司長の表情が動いた。目をみはった彼の背後で、聖職者たちがざわつく。だが、彼らは祭司長が「静粛に」と一声を飛ばすと、口をつぐんだ。
 シャハーブはあくまでもいつも通りにほほ笑んで、唇に指をあてた。
「順を追ってご説明します」
 そういう語り出しで、シャハーブは己が天上人アセマーニー――フーリに出会った経緯を話した。かつてルーに明かしたそれよりも、やや誇張した内容だった。そして同時に、彼らに反旗を翻した『反逆者』のことも開示しておく。
「この地上でかつての同胞と戦い、理を外れた道具を残した『反逆者』。今、各地で怪現象を引き起こしているのは彼らです」
 シャハーブは断言して、ユヌス祭司長を見返す。明らかな不信感と警戒心を漂わせている老人がなにかを言う前に、男は言葉を継いだ。
「今回の騒動の犯人は、人間ではない。そしてただの人間では太刀打ちできないのです。下手に彼らの領域に踏み込めば、無為に騎士たちを死なせることとなる。聖女猊下は、最悪の事態を避けるため、調査の中止を求めておいでなのですよ」
 言葉の終わりに、シャハーブは聖女の方を一瞥する。彼女は、夜空色の衣に身を沈めて黙っている。表情もここからではよく見えない。それでいい、とシャハーブは口を得意に歪めて祭司長へと視線を戻した。
 ユヌス祭司長はシャハーブをにらんでいる。彼の勘繰りではなく、明らかにこちらを威嚇しているふうであった。
「調査を中止して、指をくわえて見ていろ――貴殿はそう申すのかね」
「乱暴に申し上げればそうなりますな」
 ユヌス祭司長の怒気――そう表現してよいだろう――にも動じず、シャハーブは彼の遠回しな非難を真っ向から肯定した。かすかにどよめく議場を見渡した彼は、さながら演劇のごとき身振りで、「観客」の注意を引く。
「ご安心を。あの雲を消す方法はあります。あなた方が大事になさっている月輪の石、その本体を使うのです」
「本体?」
「左様でございます。それは、天上人アセマーニーが生み出した、浄化のための道具。よどみを産む雲を消し、生命をよみがえらせることが可能です。ただし、聖教の象徴、月輪の石はあくまで器です。本体は別にあります」
 とうとう議場が凍りついた。続く言葉を予測した者もいただろう。今のシャハーブは、聖女の客分だ。そして、月輪の石の話になると、聖女の従士が連想される。そこから予測によって導き出される答えは限られてくる。そしてシャハーブも、彼らの予感を裏切らなかった。
「また、『反逆者』に対抗できる人間は現状、その道具を持っている者だけです。つまり、聖女猊下の従士です」
 ユヌス祭司長の眉が跳ねあがる。それでもなお、シャハーブは言葉を止めなかった。
「おわかりですかな? あなた方ができることは二つしかないのです。速やかに調査を中止し、よどみの大地から一度距離を取ること。そして、聖女猊下の従士の邪魔をせず、可能ならば支援をすること」
 誰も、何も言わない。音楽的な声だけが、場を支配していた。様々な感情が渦巻く議場で、声の主は不敵にほほ笑んだ。