第四章 ここがあなたの帰る場所(5)

 ほどなくして、先ほどの男子生徒が先生を連れてきてくれた。幸運なことに、捕まえられたのがテイラー先生だったらしい。闊達とした女教師は、レクシオの様子を一目見るなり駆け寄って、背中をさすりながら何度か声をかける。その後、彼は一旦医務室に連れていってもらうことになった。ステラもついていく気でいたが、テイラー先生に止められた。
「イルフォードさんはご飯食べてきていいよ。お昼からは実技があるんだから、ちゃんと力を蓄えてこよう、ね!」
 無邪気な笑顔でそう言われてしまっては、ステラとしても食い下がれない。後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
 小走りで食堂に向かうと、いつもの席に『調査団』の面々が集合していた。自分の分の食事をとってから、ステラは全員にさっきあったことを打ち明ける。事情を知った四人は、揃って眉を寄せた。
「そうか、そんなことが。大事ないといいけれど……」
「やっぱり、もうちょっと休んでた方がよかったんじゃない?」
 ジャックが考え込むようにうつむいて、ナタリーが眉を寄せる。親友の言うことに、ステラは肩をすくめて同意した。
「あたしもそう思う。けど、レク本人が早く復帰したがったんだと思うから……」
「相っ変わらず、無茶したがりねえ。今回のことで、さすがに懲りたと思ってたんだけど」
「前よりは懲りてると思うわ。すぐあたしに言ってきたし」
 夜のことを思い出して、ステラは穏やかに目を細める。彼女の顔を見て、ナタリーは何を思ったのだろうか。にやにや笑って、長椅子の背にもたれかかると、「ふうん?」と呟いた。狩人のような目に見つめられて、ステラは頬を引きつらせる。
 女同士のやり取りをあきれ顔で見つめながら、男子たちは鶏肉のかたまりを口に運ぶ。今日は、香草焼きだ。独特な、それでいて不快感はない不思議な香りが、食堂じゅうに充満していた。
「レク、この後どうするんだろうな。その調子じゃ、一日中学院にいるのはきついだろ」
「とりあえず医務室で様子を見て、体調が落ち着いたら戻ってくるって。場合によっては第二学習室を使うかも」
 ため息まじりに答えたステラを見、トニーが猫目を軽く狭めた。
「へえ、久しぶりに第二学習室が本領発揮するのか」
「元々多目的教室なら、本領も何もないと思いますけど……」
 ミオンが食事の手を止めて、困ったように笑う。実際にレクシオと会えたからだろうか、彼女は休日以前より表情がやわらかくなった印象だ。それに、『調査団』の会話に入りこむ余裕もある。ステラは、トニーがミオンに「ミオンもなかなか鋭いとこ突くねえ」などと言っているのを見て、そっと笑みをこぼした。
 そのミオンは、匙を手に取ってスープをすくった。塩味のスープは透き通っていて、その中に潜む野菜たちの色をわずかに透かす。
「あれ……。でも、今日は確か、また『調査団』と『研究部』で集まる予定でしたよね。どうしましょうか」
 彼女の問いかけに、『調査団』の先輩たちは目を瞬く。意表を突かれて固まった団員たちをよそに、ジャックは大まじめにうなずいた。
「できればレクシオくんも来てくれると嬉しいけれど、無理強いはできないね。体調不良も、人の中で気を張ったせいかもしれないし」
「ですよね……」
 団長の言葉に、おさげの少女はうなずく。しおれた花のようにうなだれた少女が何を考えていたのか、ステラは手に取るようにわかった。だから、指を鳴らして言ったのだ。
「じゃあ、そのことは後でレクに聞いておくね」
 団員たちの中から異論は出なかった。四人は揃って「頼むよ」とうなずきあう。ステラは、てのひらで軽く胸を叩いて、それに応じたのである。
 ひとつ役目を引き受けたステラは、気を取り直して、自分も鶏肉のかたまりを征服しにかかった。

 昼過ぎ、生徒の群れの中にレクシオの姿はなかった。テイラー先生から詳しい話を聞くこともできなかったが、おそらく第二学習室にいるのだろう、という見当はつく。ステラとミオンは自分たちが参加する授業が終わった後、そちらに足を向けた。
 今や『クレメンツ怪奇現象調査団』の根城となっている第二学習室は、ただでさえ人の来にくいところにある。昼間となると、周囲はなおのこと閑散としていた。
 二人は連れだってその近くまで来た。しかし、教室に入ることはなかった。ちょうど、廊下でレクシオに出くわしたのだ。
「あら? お二人さん、どうしたんだ」
 ステラとミオンの後ろから、声はかかった。そのことに驚いた少女たちが振り向くと、不思議そうな少年と目が合う。
「レク。体、大丈夫?」
「おうよ。だいぶ落ち着いた。今は論文出しにいってたんだ」
「論文?」
 首をかしげたステラたちに、レクシオは明るい口調で説明してくれる。彼が憲兵隊本部に閉じ込められていた間の単位を補完するための特例措置だという。いわば、講義を受ける代わりに短めの論文を提出することで、いなかった間の単位をもらえるということらしかった。
 論文という言葉を聞いただけで眩暈がしそうなステラからすれば、厳しすぎる措置のように思える。しかし、レクシオ本人はけろりとしていた。
「知ってることについて書くだけで単位がもらえるんだから、お得だろ。せっかくだから、思いっきり意地悪なこと書いてやった」
「ええ……? 何書いたの」
「『第二次帝都防衛線における、魔導の一族と陸戦部隊の連携について』」
「う、うわあ」
 ステラとミオンは、互いになんともいえない色合いの顔を見合わせる。
 いかにも分厚くなりそうな内容だが、それをこの短時間で書いたというのか。問うと、レクシオは「知ってること書くだけだからな。それに、内容はだいぶ絞った」と繰り返した。
「それ、同族の中でも、みんなが知ってる内容ではないと思います」
 幼馴染の主張に対してミオンが呟いた言葉が、ステラの心に引っかかったのはいうまでもない。
「まあ、俺のことはともかく。二人はどうしたんだ? なんかあった?」
 分が悪いと悟ったのか、本当に自分のことはどうでもいいのか。レクシオはさらりと話題を転換する。ステラたちも、やっと本題を彼に持ちだした。放課後に同好会グループの集まりをする予定があるが、レクシオはそのときどうするか――と。
 レクシオは少し悩むそぶりを見せる。ただ、その後の回答は、ステラたちの予想よりあっさりしていた。
「俺も参加するわ。みんなに聞きたいことも、話したいこともあるしな」
 驚いたのと心配したのとで、ステラはすぐに反応を返せなかった。その隣で、ミオンがまじまじと少年を見つめる。
「大丈夫ですか? あの、いきなり皆さんと会うと、負担になりません?」
「あいつらなら平気でしょ。もし平気じゃなくなったら言うし」
 レクシオの調子はあくまで軽い。ミオンは、やや釈然としないというような表情でうなずいた。その頃には、ステラも平静を取り戻す。緑の瞳をじっと見据えた後、首を縦に振った。ため息をつきながら、ではあったが。
「わかった。じゃ、レクは学習室で待っとく? そしたら、みんな勝手に集まってくると思うし」
「そうねえ。ステラたちも一緒にどうですか?」
 ステラとミオンは、顔を見合わせて笑声を立てた。断る理由は特にない。そんなわけで、彼女たちは、飄々としている少年の申し出を受けることにした。

 特に会話らしい会話もせず待っていると、第二学習室に少しずつ人が集まってきた。最初はジャック、次にオスカーという具合で、顔なじみの面々がやってくる様子は、見ていて楽しい。いつも一番乗りを狙う団長の気持ちが、ステラにもなんとなくわかった。
 その団長はことさら陽気に、先客たちに声をかける。もちろんレクシオにも。
「やあ、レクシオくん! 久しぶり! 来てくれてありがとう」
 レクシオは、光の粒でも飛んできそうな団長の笑顔に、苦笑を返した。
「今さらお礼なんかいいって。それより、今回は世話になったな」
「それこそ気にしなくていいよ。友達として当然のことをしたまでさ」
 屈託なく笑ったジャックは、オスカーの隣にせっせと椅子を持ってくる。彼はそれを横目で見たが、特に文句は言わなかった。
 同時、けたたましい音を立てて扉が開く。今度はブライスとシンシアがやってきた。そこからやや遅れて、ナタリー、トニー、カーターが到着する。
「これでようやく全員集合、だねえ」
 手狭に感じる第二学習室を見渡して、ブライスが呟いた。それに言葉を返す人はいなかったが、抱く気持ちは全員同じだろう。黙ってうなずいたステラがそうだったように。
 ジャックがにこりと笑って、手を叩いた。
「みんな、今日もお疲れ様。そして、レクシオくんは久しぶり!」
 陽気な団長の言葉を受けて、全員の注目が一人の少年に集まった。まだ顔を合わせていなかった魔導科生が、それぞれの感情を彼に向ける。
「まあ、その……無事に戻ってこられたようで、安心しましたわ」
「安心しました。正直、ミオンさんの話を聞いてから不安だったので。――あ、ミオンさんが悪いわけじゃないですよ」
 まだレクシオとの関わりが少ないシンシアとカーターが、けれどまっさきに口を開いた。あくまで上品に、照れ臭そうに言うシンシアの横で、カーターはあわあわと手を振っている。名前を出されたミオンは、「わかっていますよ」といわんばかりにほほ笑んで、かぶりを振った。
 一方、『調査団』の二人のそれは、少し厳しさもあった。ナタリーはいきなり身を乗り出したかと思えば、レクシオの胸を小突く。もちろん、力はほぼ入っていなかったけれど。
「まったく、心配かけさせてくれちゃって!」
 乾いた笑い声を漏らしたレクシオは、全員を見渡すと、表情を改める。笑みの消えた顔には不安の影が色濃く、思わずステラも膝の上で両手を握った。
「あのさ。今回はほんとに迷惑かけて……すまなかった。あと、ありがとう」
 ためらいの空白を挟みながら、レクシオはなんとかそれだけ言って、頭を下げる。
 静寂が満ちる。水鏡のようなそれを揺らしたのは、誰かが立ち上がった音だった。
「――レクが帰ってきたら、なんて文句を言ってやろうか、ってずっと考えてたんだ」
 トニーだった。珍しく真剣な顔をしていた彼は、けれど、レクシオが頭を上げると同時に目をゆがめた。
「でもさ。なんか、レクの顔見たら、全部どうでもよくなった」
 不器用につくった笑みの端から、涙の筋が伝って落ちる。
 事の発端、その場に居合わせた少年は、涙に気づくと慌てて袖でそれをぬぐう。だが、一度あふれたものは止まらなかった。ステラは黙ってそれを見守った。昨日の自分たちの姿を重ねて。
 逆に、わざと明るく振る舞った人もいる。おそらく、ナタリーとブライスがそうだった。
「あーあー。帽子くん、泣いちゃったよ」
「ちょっとレクー。責任とってねー」
 二人の少女は、息を合わせてレクシオをにらむ。にらまれた側はというと、さすがに腰が引けたらしい。少しのけぞった。
「えー……? 突然の無茶ぶりは勘弁してくださいよ」
 少年は引きつった声を上げる。それを一瞥したシンシアが、ため息をついた。
「二人とも。不謹慎ではありませんの?」
 きまじめにたしなめる彼女に、ナタリーたちは不満げな目を向けた。
「おかたいなあ、シアは」
「本当に。こういうとき、外野がしんみりしてもしょうがないでしょ」
 シンシアはむっと眉をつり上げたが、まわりから笑声が上がったので、しかたなく口をつぐんだようだった。トニーも涙だらけの顔のまま笑っている。当事者がまんざらでもない様子だからか、シンシアのしかめっ面もそのうち緩んだ。
 みんなでひとしきり笑ったのち、一人だけ静かだったオスカーが、じっと『魔導の一族』の人々を見つめた。
「それで……騒ぎも一段落したところで、二人には色々と確認したいんだがな」
 オスカーのひとにらみを受け止めて、レクシオがふっと温かい色を顔から消した。ミオンも、表情をかたくする。
「まずは、俺が本当に『魔導の一族』かどうか、ってあたりかね?」
 レクシオが妙に軽い口調で問うと、オスカーは無言でうなずいた。それに対してレクシオは、ややすさんだ微笑を見せる。
「それなら、ミオンの話の通りだ。エルデ家は間違いなく君らが『デルタ』と呼ぶ人々の一部だし、俺はルーウェンから逃げてきた」
 第二学習室の空気が、しんと冷える。すでに聞いていたステラは落ち着いた心持ちでいたが、ほかの人々は少なからず顔をこわばらせていた。
 ナタリーが軽く頭を傾ける。
「じゃあ、あんた、術は使えないって言ってたのは……」
「素性を隠すための方便だ。……だますようなことして、悪かったな」
 レクシオが、ふっと眉を曇らせた。直後、部屋の空気がぴんと張り詰める。ミオンが自分の魔力を解放したときと、よく似た感覚だった。それよりも熱く強大な力が、空気を満たして震わせている。不可視の重石が胸にのしかかってきているようで、ステラでさえも体を丸めた。
 驚愕と動揺が、九人の上を流れていく。魔導科生たちは、青ざめてすらいた。
「ちょ……これ……魔導科生だったら、魔力だけで単位もらえる次元じゃね……?」
「だから『魔導科』じゃまずかったんだよ。普段は頑張って隠してるけど、ミオンの暴走みたいに、なんかの拍子で魔力がわかっちゃうかもしれないだろ」
「な、なるほど」
 トニーはかくかくとうなずいていたが、納得したというよりは、うなずく以外に方法がなかった、という具合だ。
 レクシオが大きく息を吸う。それが合図であったように、部屋の空気が一気に弛緩した。人数分のため息がこぼれ、力が抜ける。
 ステラは、知らずにじんでいた額の汗をぬぐった。
 レクシオが魔導術を使えることは、前々から知っていた。だが、ここまでの力を感じたことはない。彼女が見てきたのはきっと、彼が秘めた実力の、ほんの一部に過ぎなかったのだろう。
「これは……国や軍部が警戒するのも、しかたのないことかもしれませんね」
 呟いて、蒼白な顔をレクシオに向けたのは、シンシアだ。魔導科生の本音を受け止めたレクシオは、やんわりとうなずいた。
「そういうわけだから、ルーウェンから逃げた人たちを血眼になって探してるんだろうな。今回俺に同行を求めてきたのも、親父の情報が欲しいからというよりは、ただ閉じ込めておきたいから、って感じだった。あとは、俺に揺さぶりをかけて、同族の情報を引き出すつもりだったみたいだ」
 長々と続いた事情聴取の最中、仲間の情報をくれれば帰してやる、というような脅しを何度か受けたという。それを聞いた八人の視線が、自然とミオンに集中した。わかりやすい反応に、レクシオがからからと笑う。
「安心しろって。何も言ってねえよ。ミオンのことだって、そのときはまだ本人に確認してなかったしな」
 名を出されたミオンが、恐る恐る、というふうにレクシオを振り返る。
「あ、あの……何もされなかったんですか?」
「大したことなかったぞ。頭つかまれて、机とごっつんこさせられたくらい?」
「それは十分に何かされてるでしょう! わたしに気をつかってくださったことは嬉しいですけど、無茶しないでください!」
 ミオンが胸の前で拳を握り、少年をにらみつける。ステラは、その横で深くうなずいていた。まったく、彼女の言う通りだ。ミオンに火の粉が飛ばなかったことにはほっとしているが、それでレクシオが自分を追い詰めていては意味がない。
 ほかの面々も、しかつめらしい表情で同意を示している。味方のいないレクシオはひとり、頬を膨らませるミオンに対して謝っていた。