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その後も、いくらかレクシオから話を聞いた。事情聴取中のこと、特別調査室の人々が来たときのこと。そして、ステラたちもレクシオがいない間のことを話した。シャルロッテのことや、署名活動のこと、ジャックたちが出会った神族のこと――。
「なんと、まあ。神様は暇なのかね?」
ギーメルとダレットのことを知ったレクシオは、いつかのトニーとまったく同じ感想を漏らした。だが、彼はわずかに視線を鋭くして、こうも付け加える。
「でも、親父は連中と敵対してるみたいだからなあ。目の敵にされてもしゃーないか」
「そうなのかい?」
率直な驚きを表したのは、ジャックだった。腰を浮かせた彼を見て、レクシオは平然とうなずく。
「確かに、面識があるようなことは言っていたけれど……」
「俺も具体的に何をやらかしたのかは知らないぞ。ただ、よく思われてないのは確かだな」
二人の会話を聞きながら、ステラはふと遠い記憶を拾い上げる。
黄の月、初めて教会を訪ねた日。ギーメルは、現れたレクシオをにらんで、「あいつに似ている」というようなことを呟いていた。彼の言葉がヴィントの存在を暗示していたのだろうか。
考え込むステラをよそに、レクシオはどことなくほっとしたような表情で第二学習室を見渡した。
「でも、これで全員が『銀の選定』と神話のことを知ったってことか。喜べることばっかりじゃないけど、味方が増えたのは嬉しいね」
「うちにはカーターもいるしな」
珍しく、オスカーが冗談じみたことを言う。話題に上げられたカーターは、気の毒なほどにひっくり返った声を上げて飛び上がった。
「ぼ、ぼくは何もできないですよ!」
「いや、神様に詳しいってだけでもありがたいもんよ。頼りにしてるぜ」
「え、ええ?」
レクシオが部長の冗談に乗ったものだから、カーターはさらに驚いてしまったらしい。顔じゅうを震わせる彼のまわりで、温かい笑声が起こった。
十人の少年少女が解散する頃には、太陽は地平線にかかりはじめていた。暗くなる前に帰らなければならないが、レクシオはその前に、テイラー先生と少しだけ話をするらしい。よってステラは、彼の用事が終わるまで学院の門前で待機することになった。
「やっほう、ステラ。レク待ち?」
鞄をぶら下げて立っていた彼女に声をかけてきたのは、ナタリーだった。まわりには誰もいない。彼女もこれから帰宅するのだろう。ステラは、手を挙げて答える。
「うん。レクは先生と何か話すみたい」
「そっかあ。今日が初日だし、色々あったしね」
ナタリーはさりげない足取りで近づいてくると、ステラのすぐ隣で足を止めた。夕方の光でやや赤く染まった瞳で、ステラのことをのぞきこんでくる。その中にひとかけら、真剣な光を見て取って、ステラはわずかに首をかしげた。
「ね、ちゃんと話できた?」
ナタリーの唐突な質問が、いつかの帰り道に話したことの延長だということは、すぐにわかった。だからステラは、強くうなずく。
「いつもよりは話せたよ。――伝えたいことは、ちゃんと言ったつもり」
「ふうん。ならよかった」
「……レクがあんなふうに自分のことを話すの、初めて見た」
昨夜あったことは誰にも話していない。話すつもりもない。ステラはだから、それだけを口にした。十数年、抱え続けた不安と恐怖を吐き出した、その声を思い出しながら。
ナタリーは、すべてを知らないながらも、何かを感じ取ったらしい。少し神妙な面持ちで、けれど安心したように、空を仰いだ。
「そっか。あいつも、ちゃんと話してくれたか」
「うん」
ナタリーは、空に向けていた顔をステラの方に戻す。なぜかステラには、彼女が泣いているように見えた。
「ねえ、ステラ。あんた、何もできなかったって思ってたみたいだけどさ。私らから言わせれば、そんなことはないんだよ。ステラがそばにいるだけで、元気になれる人もいるんだ。きっと、レクもそうだったんじゃないかな」
「……え?」
「私も、最初は、あのイルフォード家のご令嬢ってどんなもんだろうって身構えてた。けど、あんたと話したり、一緒に帰ったり、遊んだりしているうちに、そんなことはどーでもよくなったよ。あんたがあんまり無邪気に笑うからさ、見てるこっちも勝手に前向きになってくるんだ」
それは、今まで一度も聞いたことのない話だった。周囲から敬遠されていた初等部のステラに、あまりにも自然に声をかけてきた少女が、そんなことを考えていたなんて。
唖然としているステラに、ナタリーは遊びを思い付いた子どもみたいな表情を向ける。
「ステラは何かしようって気張らなくていいんじゃないかな。堂々と、自然体でいればいい。私はそう思う」
ステラは、ぎゅっと唇を結んだ。
レクシオも、似たようなことを思っていたのだろうか。
彼に何かを与えることができていたのだろうか。
そうだったらいいと、思ってしまう。
自分が自分でいるだけで、大事な人を救えるのなら。友の言う通り、胸を張っていたい。
だからステラは、ナタリーの顔をまっすぐに見据え、どこまでも単純な感謝を伝える。
「……ありがとう、ナタリー」
――夕日がひときわ強く光って、二人の影を深く濃くした。
※
仲間の帰還に胸をなでおろした数日後。ついに、学院祭の当日がやってきた。
学院祭――正式名称クレメンツ・フェスティバルは、二日間に渡って行われる盛大なお祭りだ。一日目は舞台発表と芸術系の展示、二日目はその他の展示と出店が中心となる。『武術科』の武術教室も『魔導科』の展示発表も両日行われるが、ステラたちの出番は一日目に集中する見込みだった。
祭りの始まりを告げる式典は、毎年奇妙な高揚感に包まれる。ステラが高等部に上がってからは、これが初めての学院祭(フェスティバル)となるが、独特の空気感は去年とさほど変わりなかった。
「それでは、これより第百三十一回クレメンツ・フェスティバルを開催いたします」
祭の実行委員を務める先輩の言葉で、式典が締めくくられる。同時に、建物の外で数発の花火が打ちあがった。拍手と歓声に包まれる武道場で、ステラはちょっとほほ笑んだ。
ただ、感慨にひたっている暇は与えられない。生徒たちが動き出すと同時に、ステラは素早く『武術科』の教室がある棟へと向かわなければならなかった。今日、武術教室を担当する人は、生徒の波の中でもすぐにわかる。彼らは、軍人さながらに機敏かつ統率のとれた動きをしているからだ。ステラは、波の中に見知った顔を見つける。人垣から抜け出した後、すぐさまそちらへ駆け寄った。
「レク!」
手を挙げて、呼ぶ。ステラの幼馴染は、振り返ると嬉しそうに目を細めた。すでに少し疲労のにじんだ顔は、それでも彼らしく明るかった。
「おう、ステラ。行くか」
「うん!」
幼馴染の言葉に、ステラは右上で結んだ髪を揺らしてうなずく。彼の手を取ると、すぐに駆け出した。
教室に向かう途中、ミオンやブライス、オスカーとも合流する。五人で剣術専攻の教室に辿り着くと、すでに二、三人の生徒がいた。シャルロッテの姿もある。
専攻の違うオスカーと一度別れ、武術教室の最後の打ち合わせをした。今回、思わぬ出来事によってあまり準備に参加できなかったレクシオは、裏方に回ることになっていた。ミオンもミオンで、せっかく魔導術が使えるなら、と事故防止のための防壁を張るという役目を仰せつかったようだ。ステラたちが自分たちのやることを確認している間に、彼女は教室じゅうを動き回って防壁を展開していた。
「それ、ずっと維持するの大変なんじゃない? 大丈夫?」
ひととおり作業が終わったらしい少女に、ステラは率直な疑問と憂いをぶつける。しかし、ミオンは笑顔でかぶりを振った。
「このくらいなら大丈夫です。魔力は有り余ってるので」
「そ、そっか……」
ステラは頬を引きつらせた。さすが『魔導の一族』、といったところか。並みの魔導士やそうでない人とは、感覚が違うらしかった。
「そこまできっぱり言われると、いっそすがすがしいねえ」
笑うしかないステラの横で、ブライス・コナーが屈伸運動をしながら呟いた。
そうこうしているうちに、武術教室が始まる時間となる。まずは、事前に募った受講希望者が、ちらほらと顔を出した。受講希望者はほとんどが外の人だ。まだ幼い少年から壮年の男性まで、顔ぶれは様々だが、彼らは見慣れない学び舎に目を輝かせている。
「お客様」に満点の笑顔で挨拶をした男子生徒が、彼らを一か所に集める。それから、シャルロッテが理路整然と今回の教室の説明を行った。
剣術に関しては、受講者と教える側の生徒が一対一で向かい合う形だ。まずは簡単に剣を打ち合わせてみる。それから、受講者の改善点を生徒が一つひとつ教えていく。
ステラはシャルロッテが説明を行っている間、無言で決められた位置についていた。横を見ると、かなり離れたところに男子生徒が一人立っている。彼はすでに練習用の剣を握っていて、気合十分だった。
「それでは、まず、受付番号一番と二番の方、こちらへどうぞ」
シャルロッテがはきはきと受講者を案内する。
ステラの前に連れてこられたのは、八歳か九歳くらいの少年だった。とてとてと歩いてくるその子を見て、ステラは瞠目した。
帝都のあたりではあまり見かけない顔だちの子だ。顔だけでなく、髪色も少々不思議で、光の当たり方によって銀色にも淡い金色にも見える。宵の空のような青瞳が、じっとステラを見上げる。
つかの間の驚愕から立ち直ったステラは、少年に向かって礼をした。
「初めまして。ステラ・イルフォードです。今日はよろしくね」
「あ……せ、セシル・ウィージアです。よろしくお願いします」
セシルと名乗った少年は、一生懸命にお辞儀をした。その様子を見てステラは内心頬を緩めていたが、表面上はまじめな剣士を装って、かたわらに立てかけてある練習用の剣を示す。
「それじゃあ、まずは剣を構えるところから始めてみましょう。ちゃんと教えるし、危ないときは支えるから、安心してね」
「は、はい」
少年は緊張の面持ちでうなずいて、小さな手を柄に伸ばす。その様子を見守りながら、ステラは右手で握った剣を軽やかに振った。
そうしている間にも、教室内は陽気なざわめきに包まれる。『武術科』の催し物はにぎやかに始まった。
ステラが担当したセシル少年は、筋がよかった。構え方も剣の基本動作も大きな問題はなく、ステラが教えたこともするすると吸収した。
実戦により近い打ち合いをすることになり、ステラとセシルは互いに向き合う。
「それじゃあ――はじめ!」
二人の横に立ったレクシオが、強く手を叩いた。二人は同時に、大きく踏み込む。刃の潰された剣を三度ほど重ねたところで、ステラは背筋が粟立つのを感じた。目の前にいる不思議な少年が、急に恐ろしいものに見えたのだ。
手首を軽くひねった。刃が鈍い音を立ててこすれ、少年の剣が高い音を立てて跳ね飛んだ。悲鳴を上げたセシルが、大きく後ろによろめく。そのまま転びそうになった体を、しかし寸前で金色の膜が受け止めた。
「……あれ?」
きょとんとした少年に、レクシオが「怪我はないかい?」と笑いかける。その笑顔を見て、少年は青い瞳を輝かせた。
「おにいさん、魔法使いさんなんですね! すごい!」
「魔法使いとか言われると照れるなあ。ま、無事ならよかった」
二人の少年のやり取りに胸をなでおろしつつ、ステラはセシル少年に駆け寄る。なぜか嬉しそうな彼に、大慌てで目線を合わせた。
「ごめんなさい! どこも怪我してない?」
「へいきです。それより、おねえさん、つよいですね! やっぱり本物の剣士さんはすごいなあ」
危険なことへの怖さよりも、剣士に対するあこがれの念が勝ったらしい。少年はむしろ、最初よりも元気になっていた。ステラが差し出した手を取ると、飛び跳ねるように立ち上がった。
その様子を見て、ステラは安堵に肩を落とす。彼女の背中を、幼馴染が強く叩いた。
「気をつけろよ、イルフォード嬢」
「う、うん……さっきはありがとう」
いい仕事をしてくれた幼馴染に、ステラは小さく頭を下げる。彼は悪童のような微笑で、それに応えた。
※
小さな騒動を積み重ねながらも、学院祭一日目は無事に終わった。
ステラたちは、自分たちの催し物にかかりきりだった。もちろん、ほかの舞台などを見に行く時間がまったくなかったわけではないが、それでも言いようのない疲労感がある。後片付けを始めてから建物を出るまで、計十五回ほどのため息をこぼす程度には疲れていた。
それでも門前までやってきたステラは、一緒に来てくれた友人たちを振り返る。
「ありがとね、ミオン、トニー。今日はお疲れ様」
「は、はい!」
「お疲れ」
ミオンは顔を輝かせてうなずき、トニーは力強く腕を立てる。帽子の陰で、猫目がちかりと光った。
「ステラもだけど、レクもちゃんと休めよ」
「おう」
釘を刺すように言われて、ステラの隣にいる少年が肩をすくめた。レクシオは、まだ孤児院からの通学だ。まだまだ悪夢に悩まされたり、人の中で体調を崩したりすることが多い。こればかりは時間をかけて少しずつ癒していくしかないのだろう。
寮の方へ向かう二人を見送って、ステラとレクシオも学院を出る。その直前、レクシオが少しだけ警備員の男性をじっと見つめていたが、その意味は教えてくれなかった。
「いんや、今日は寒いのに大変だな、と思っただけ」
そう笑ったのみである。ステラには、彼が何かをはぐらかしたことがわかったものの、彼自身にかかわる重要なことではなさそうだというのも、なんとなく察した。だから、追及しようとは思わない。人には色々事情があるものだ――あの警備員の男性にも、きっと。
クレメンツ・フェスティバル二日目。ステラはこの日、特に仕事がない。昨日とは打って変わって、暇なのだった。最初のうちは一人で適当に歩き回っていたのだが、途中で声をかけられた。
「やあ、ステラ! 一人かい?」
底抜けに明るい声は、誰のものかすぐにわかる。ステラはちょっと苦笑して振り返った。
「ジャックもおひとり?」
「そうだね。今ちょうど、休憩をもらったんだ」
ジャック・レフェーブルは人の波をさらりとかわす。ステラのもとまで歩いてくると、笑いかけた。相変わらず、優雅な所作と陽気な表情が妙に調和している人だ。
「『魔導科』の展示は見たかい? もしまだで興味があるなら、案内するよ」
「これから行こうとは思ってたけど、いいの? ジャックも行きたいところがあるんじゃ……」
団長の提案に、ステラは少し躊躇した。しかし、当の団長は持ち前の明るさで彼女の憂いを吹き飛ばす。
「問題ないよ! 僕の用事は急がないからね。今から行くかい?」
ステラは思わず吹き出した。まったく、この人には敵わない。心の中では肩をすくめつつ、表では片目をつぶった。
「そうね。じゃあ、案内をお願いしていいかな、団長」
「任された! それじゃあ出発しよう!」
観光地の案内人さながらの声色と手振りで応じたジャックは、優雅に身をひるがえす。ステラも足を弾ませて、その後を追った。
階段をのぼり、そこから少し歩いて、また上の階へ行く。そうすると、高等部『魔導科』の棟へ行きついた。構造は『武術科』のそれとまったく同じはずなのだが、なぜかステラは異国に来たような気持ちになる。それは何も、今に限った話ではない。魔導士の卵たちは、自分たちとはまとう空気が少し違うような気がするのだ。
今日は、ことさら異国感が強かった。廊下じゅうに魔導具が並べられているからだろう。壁伝いに列をなす長机を、案内人のジャックが一つひとつ手で示す。
「ここが生活に関わる魔導具。むこう一列は、どちらかというと美術品寄りだね。いずれも試作品だけど、実際に動かせるものもある」
「本当? 触っていいの?」
「展示品の前に黄色い紙が置かれたものは自由に触れるものだよ。ステラもやってみるかい?」
ジャックの問いに、ステラは迷いなくうなずく。大人びた少年は直後、くすりと笑った。おそらく自分は相当子どもっぽい顔をしていたんだろう――とステラは思ったが、ジャックの前ならさほど恥ずかしくはない。「どれが気になる?」と訊かれると、うきうきして長机を見渡した。そして、ひとつに目をとめる。
宝石みたいな魔導具だった。鈍色の台座に、透明な石が埋まっている。円の上に筒が少し生えたみたいな形の台座には、ステラの指三本分くらいのつまみがついていた。石は光が当たると虹色の光の粒を浮かび上がらせていて、それを見ているだけでもきれいだった。
「これ、なんなの? すっごいきらきらしてるけど」
「さすがステラ、お目が高い。試作品の中でも特に上手くできてるものだよ」
ステラが石をのぞきこんでいると、後ろからジャックが顔を出した。彼は、台座についているつまみをつつく。
「このつまみを右に回してごらん」
ステラは、言われたとおりにする。同時に魔力がふわふわと熱を帯びて動くのを感じた。石の中心に光が灯り、つまみを回すごとにそれは大きく、強くなる。
ステラは目を見開いた。
「すごい、行燈だ!」
「あたり。使う構成式は比較的単純だけど、使い勝手のいい魔導具だよね」
歓声を上げたステラの横で、ジャックもにこにこしている。ステラが輝かせた瞳をそのまま横に向けると、彼は得意げに胸を張って言葉を続けた。
「もう少し構成式を工夫すると、光の色を変えたり、動かしたりすることもできそうなんだ。そっちの試作品も別の机にあるよ」
「へえ~! 見たい!」
ステラは無邪気に声を弾ませる。案内してくれようとしたのか、ジャックが口を開きかけたとき――そばで楽しげな悲鳴が弾けた。驚いて振り返ったステラの横で、ジャックは平然としてうなずいている。
「ああ、放水機かな」
「え? 放水? 水出るの?」
ステラはやや裏返った声でジャックに問う。そんなものを屋内で使って大丈夫なのか、と目線で問うた彼女に、ジャックは片目をつぶってみせた。
「見にいってみるかい。楽しいよ!」
今にも踊り出しそうなジャックに釣られて、ステラはうなずく。廊下の先の広間に小走りで向かう。
広間にはちょっとした人だかりができていた。上部に穴のあいた四角い物体から水が噴き出していて、そのまわりにいる少女たちが歓声を上げている。彼女たちのまわりには金色の膜が張られていた。防壁魔導術で、水がよそへ飛び散るのを防いでいるらしい。
ステラはその様子に嘆息した。
「おお~。こりゃまた派手な。何に使うの」
「そうだね。噴水の代わりとか、あとはお風呂とかにも設置出来たらいいよね」
「なるほど……」
腕を組んだステラは、なんとなく既視感をおぼえて視線をずらす。見たことのある顔ぶれが、防壁のそばに集まっていた。ステラは顔を輝かせて、手を振った。
「レク、ナタリー! シンシアも!」
ステラの声掛けに、少年一人と少女二人が振り返る。友人と幼馴染はひらひらと手を振り返してきて、シンシアは優雅に一礼する。ステラとジャックがそちらへ駆け寄ったとき、レクシオが考え深げに放水機を見上げた。
「いやあ、魔導具っておもしろいもんだな。動作そのものもだけど、構成式の組み方も普通に術使うのとはちと違う」
呟きながら、レクシオは防壁のむこう側を矯めつ眇めつながめている。その横で、ナタリーが珍しく自分からシンシアに話しかける。
「ところでシンシア、あの魔導具の上からつるせるやつを作るって話さ、どこまで進んだの?」
「今の段階では難しそう、ということでしたわ。そもそもあれは重すぎますから、まずは軽量化を考えないと……」
その後、二人の間では何やら難しげな会話が繰り広げられる。専門用語の数々が、ステラの右耳から左耳へと通り抜けていった。それにしても、ただの議論をしているだけでも口喧嘩のような声色になるこの二人はなんなのか。険悪なようにも、なんやかんやで仲がよさそうにも見えるから不思議だ。
頭を突き合わせている雌獅子たちを一瞥したレクシオが、ちらりと笑みをのぞかせる。
「進路とか将来とか何も考えてなかったけど、魔導具開発の道に進むってのも楽しそうだ」
「おっ、いいね。『魔導の一族』が作る魔導具って、なんかすごそう」
「エルデさんが参入してきたら、技師志望のみなさんは悲鳴を上げそうですわね……」
ナタリーが楽しげに身を乗り出す一方、口論を中断したシンシアがぼそりと呟く。それぞれの反応を見た三人の間から、笑い声が沸き起こった。
その後、ステラとレクシオは魔導士の卵たちと別れて、学院の外へ出た。二人がお互いと行動することに決めた理由は、特になかった。気づいたらそうなっていた、という具合である。
クレメンツ・フェスティバルの日は、学院周辺の通りも祭りらしい空気に染まる。街の住人と学生たちとが混じって店を開くのだった。出店のある範囲までなら外出することが許されているので、学院前の通りは学生服で埋め尽くされている。
いつもより熱のこもった喧騒の中を、ステラとレクシオは並んで歩く。取り立てて特別な会話はしない。色紙で作られた飾りが風になびくのを見て顔をほころばせたり、途中で魚の揚げ物を買って食べたりした。
平穏そのものの時間。その途中、レクシオが唐突に足を止める。ぶつかりそうになったステラが慌てて立ち止まると、彼はそんな彼女の横を指さした。
「あの店、ステラ好きそうじゃねえ?」
その言葉に誘われて、ステラは自分の横を顧みる。山吹色の屋根を立てた露店があった。やる気のなさそうな壮年の男性が店主のようで、彼の後ろには年季の入った武器や盾がいくつか置いてある。それを視界に入れた瞬間、少女は頬を紅潮させた。
「わー! 何あそこ! すごい!」
「あーあ。そういう反応すると思ったよ。『なまくら』にだけは気をつけろよー」
「わかってるー!」
あきれ顔の幼馴染を振り返りもせず、ステラはその露店に駆け込む。「見ていっていいですか?」と店主に尋ねると、彼は少し頬を引きつらせて「いいよ」と答えた。
武器の山の前にしゃがみこんだステラは、その一つひとつに見入った。どれも古いが、きちんと手入れされていてまだまだ使えそうだ。複雑な紋章が柄に刻まれた剣や、宝石が埋め込まれた槍など、いかにも価値ありげな雰囲気を漂わせるものも多い。そんな中、ステラの目をひいたのは、華美なものでも実用性の高いものでもなかった。いかにも古そうな二振りの細剣。正確には、その柄だった。存外きれいな柄には何かが刻みこまれている。一瞬、模様かとも思ったが、よく見ればそれは文字だった。
「なんて書いてあるんだろ、これ。古代文字……?」
ステラはひとりごちて、ぐっと顔を近づける。どんなによく見ても、知らない文字であることに変わりはなかった。全く読めない――はずだったが。
『古い誓約に従い、あなたに忠誠を誓う。あなたの手となり足となり刃となり、この身を捧げよう』
『古き誓約に従い、あなたと契りをかわす。あなたを一生の従者とみなし、共に歩み、共に戦おう』
なぜか、ステラにはその文字が読めた。正確には、内容が頭の中に流れ込んでくるような感覚があった。
息をのむ。思わず、勢いよく顔を離した。言いようのない緊張感が全身を駆け巡る。
「――気になるのかい?」
今のはなんだったのかとステラが考え込んでいると、背後からけだるそうな声がかかる。ステラが飛び上がって振り向くと、無精ひげを生やした店主が、わずかに首をかしげていた。ステラが返答に窮していると、彼は急に何かを納得したような風情でうなずく。
「気になるなら持っていけばいい」
彼は突然そう言って、虫を追い払うかのごとく手を振る。ステラは、目を白黒させた。
「え、でも、お金が」
「いらないよ。もってけ泥棒」
「お金がない……って、え?」
ステラは素っ頓狂な声を上げる。己の耳を本気で疑った。だが、不思議そうにしていたのは彼女だけではない。追いついていたレクシオまでが、胡乱な目をやる気のない店主に向けていた。彼は面倒くさいといわんばかりに、ぼさぼさの黒髪をかく。一度、確かめるように周囲の喧騒に耳を傾け、それがいつもと変わらないものと知ると口を開いた。
「これはな。つい二日前に、見知らぬおっさんに押しつけられた剣なんだよ。そのおっさんはこう言ってた。『この剣を決して売ってはならん。ただしこの剣に、この柄に惹かれる者があれば無料でくれてやれ。そいつにはこれを持つ資格がある』――ってな」
彼は一方的に言い終えると二本を持ちあげ、ステラに手渡す。いささか強引だった。持った剣は意外にも重く、ステラは軽く後ろによろめく。その様子を無感動にながめていた店主が、思い出したように言葉を足した。
「あと、そのおっさん、その『資格がある』奴にこう伝えてくれって言ってたな。――『二つの剣は、時が来れば真の姿を取り戻すだろう』」
時が来れば、真の姿、取り戻す。
妙に引っかかる言葉を聞いた学生二人は、目を見開いた。彼の言う「謎のおっさん」にはまったく見当がつかない。だが、その人物が何に関わっている存在なのかを、おぼろげながら察したのだ。
ステラは二振りの剣を見下ろす。腕にかかる重みを確かめると、ひとつうなずいて、店主を見た。
「――そ、それじゃあ、本当に持っていきますよ? あとから代金請求とかされても困りますからね」
彼女が念を押すと、男性は鼻を鳴らす。
「そんな狡い手使わねえよ。持ってけ」
やはりだるそうな声でそう言って、彼は学生たちから視線を外した。
「思わぬ収穫だったな」
レクシオが呟いたのは、その奇妙な邂逅から五分と経たない頃だった。うん、と生返事をしたステラは、改めて細剣を見つめる。
文字が刻まれた柄と、恐らく鋭利な刃を収めているだろう鞘。使われなくなって久しいであろう様をながめていると、その裏にある別の姿が見えてくるような気がしていた。
自分にだけわかる姿を目に映しながら、彼女は顔を上げる。幼馴染の横顔を瞳に映し、細く息を吸った。
「レク、これ」
呼びかけると、レクシオは怪訝そうに振り返る。ステラは彼に、二本の剣を押し付けた。
「はっ?」
「これは、レクが持ってて」
ステラは真剣そのもののまなざしをレクシオに向ける。そのレクシオは、かすかな戸惑いを漂わせつつも、いつもの調子で問うてきた。緑の瞳が怪しく光る。
「なんでまた」
「その方がいい気がしたから」
ステラは自然と笑っていた。
答えには胸を張れる根拠も、確かな理由もない。ただ、その方がいい、と彼女自身の心がささやくのだ。ステラにとってそれは、十分な理由であった。
レクシオは、肩をすくめる。怪しい光はなりを潜め、毒気を抜かれたように口もとが笑んでいた。
「なんだそりゃ」
力の抜けた声で呟いた彼は、しかしステラの方に手を伸ばす。右手で剣の柄部分を、左手で鞘の部分を支えて持つと、慎重に自分の方へ引き寄せた。
彼は二振りの剣をしっかりと抱えると、ステラに向かって白い歯を見せる。
「りょーかいしたよ。俺が持っておく」
屈託のない言葉を聞いて、ステラも相好を崩した。
「ありがと。お守りだと思って持っといて」
「お、そりゃいいな。理不尽な軍人が来ても追い返せるように、ってか」
「そーゆーこと」
ステラが軽く肩を小突くと、レクシオは声を立てて笑う。
並んで歩く二人の上を、どこからか響いた笛の音が通り過ぎていった。あちらこちらで笑い声が弾け、けれどそれもすぐに空気の中へ溶けてゆく。少年と少女は、心地よい沈黙に身をゆだねている。
こんな時間がいつまでも続けばいい。そう願いながらも、少女はそれを口には出さない。ただ静かに、けれど強い意志をもって、大切な人の隣にい続ける。
祭が終わりつつあることを知らせるかのように、学び舎の方で花火の音が弾けた。