第一章 大祭の前(3)

「へっへっへ~。本当に観光で来ちゃったよ!」
 鼻歌を歌いながら雪を踏んでいたブライスは、ステラの前まで戻ってくると、その場で一回転した。
「ブライス、お行儀が悪いですわよ」
「そんな堅苦しいこと言わずに。シアも楽しもうよ。雪なんてめったに見れないじゃーん」
 赤毛少女の振る舞いを目ざとく見つけたシンシアが、いつものようにたしなめる。たしなめられた方は、相変わらず全く意に介さない。
 いつも通りのやり取りに、ステラは苦笑した。

 聖堂にやってきたのは、ブライスとオスカーだけではなかった。つまり、『ミステール研究部』の全員である。勢揃いしていたのはあちらも同じだった。
 帝都から遠く離れた北の地で、またも鉢合わせた二つの同好会グループは、もはや挨拶以外のかける言葉を見失った。呆然としていた彼らを引き戻してくれたのは、神官のベルである。ひとまず彼女に断りを入れて聖堂を見て回った後、街へ出た。
 そこでようやく『調査団』の面々は『研究部』がシュトラーゼへやってきた経緯を聞くこととなる。
 経緯といっても単純で、シュトラーゼに興味を持ったブライスが休みの間に行かないかと同好会グループの人々に提案したのだという。そして、冬の大祭に合わせてシュトラーゼ行を決めた結果、見事に『調査団』と滞在期間が重なった、というわけだ。

「確かに、『大祭に合わせて来たら楽しいかも』とは言ったけどさ……」
 ステラは額を押さえてうめく。自身の発言が赤毛娘の背中を押したという事実が、苦々しい感動を伴ってのしかかってきた。
 懸命に眉間をもみほぐしているステラを、レクシオがのぞきこむ。
「ステラおまえ、そんなこと言ったの」
「言った」
「そりゃあブライス嬢は本気にするわな」
 幼馴染にからからと笑われ、ステラはさらに背中を丸めた。
『ミステール研究部』と鉢合わせたことが嫌なわけではない。だが、こうも行く先々で出会ってしまうと、何か見えない力が働いているような気がして落ち着かないのだ。
 その上、今は『金の選定』が控えている。何が起きるかわからない。この四人を巻き込んでしまうのではないか、と思うと不安だった。
「そちらはイルフォード――いや、ステラの帰省に付き合っているんだったか」
「うん。そのついでに『女神像の調査』という名目で同好会グループ活動をしているよ」
「女神像? ……ああ、大祭の怪談か」
 渋面を消せないでいるステラをよそに、二つの同好会グループの責任者たちは淡々と話を進めている。ジャックの端的な説明を聞いただけで、オスカーはすんなりと納得していた。さすが、というべきだろうか。
「大祭の怪談? そんなものがあるんですの?」
「ああ……。聖職者の間では有名ですね」
 ブライスとシンシアが首をひねっている。その一方で、カーター・ソフィーリヤがあっけらかんとうなずいた。好奇の視線を一身に浴びた神学専攻の少年は、はにかみながらも言葉を続ける。
「シュトラーゼの女神像の周囲では、不思議な現象がたくさん起きるといわれているんです。大祭のお披露目の際に、一般の人がそれを目撃することも多くて、毎年この時期に『今年は何が起きるか』って噂になるそうですよ」
 いつも控えめなカーターだが、このときは饒舌だった。ラフェイリアス教に関わることだからだろう。少し得意げだった彼はだが、『研究部』の少女たちが感心した様子でうなずくと、恥ずかしそうにうつむいた。
「ぼ、ぼくも親から聞いただけなんですけどね……」
 もじもじしている少年を見て、『調査団』の面子は苦笑する。彼の言葉を引き取るように、ジャックが口を開いた。
「その件については、さっきベルさんからいい情報を頂いたよ。問題はこれから大祭までどうするか、というところかな」
「これ以上調べても、当日まで有力な情報は出てこないだろうしな。むしろ注意しなきゃいけないのは、怪奇現象より『金の選定』の方だろ」
 苦味のにじんだトニーの呟きに、仔細を知らない四人が反応する。眉を寄せたオスカーが「選定、か」と先の言葉を反芻した。
「そういうことなら、俺たちも大祭まで色々調べてみるか」
「おっ、いいねえ! 私は賛成ー!」
 ブライスが手を挙げて、何度も何度も飛び跳ねる。その横で、シンシアが軽くかぶりを振りながら「仕方ありませんわね」と呟いた。
 彼らの反応に、『調査団』の六人は顔を見合わせる。代表してナタリーが『研究部』の四人を順繰りに見た。
「ええと……いいの? 観光で来たんでしょ?」
「確かに観光で来たが、同好会グループ活動では連携すると約束しているからな」
「それに、大祭の日に何かが起きるんなら、どうせ無関係じゃいられないでしょ?」
 律儀な『研究部』部長の隣で、ブライスが笑う。オスカーは彼女を横目で見たのち、『調査団』の面々、主にジャックへと向き直った。
「そしてもうひとつ。女神像の件をうちの神官志望がかなり気にしているようだ」
「へっ?」
 突然遠回しに呼ばれたカーターが、文字通り飛び上がる。
「そ、それはその……確かに、ラフェイリアス教に関わる者として、気になってはいますけど……!」
 顔の前でわたわたと手を振る少年を見て、ジャックが朗らかな笑い声を立てる。
「なるほど。オスカーたちが構わないのであれば、僕らとしては大歓迎だよ。人手が多いに越したことはないからね」
 言葉の終わり、ジャックは視線をステラの方へ向けてくる。『翼』として同意を求められたのだ。それに気づいたステラは、ためらいながらも首を縦に振った。先ほどの不安を見透かされたわけではなかろうが、複雑な気分である。なんにせよ、本人たちがやる気であるなら、ステラ一人が不安がっていてもしょうがない。
 同好会グループの長たちのやり取りによって『ミステール研究部』の方針も決まったらしい。オスカーが端的に、街を調べる旨を話し、部員たちがそれに応じる。
 形式的な応酬の後、シンシアがため息をついた。
「冬期休暇中も同好会グループ活動ですか……」
「シアは嫌なのー?」
「嫌ではありませんわ。ただ、意欲的『すぎる』皆様について、思いをはせていただけです」
「まあ、気は休まらないよねえ」
「ちなみにあなたが筆頭ですわよ、ブライス」
 ネリウス家のご令嬢は、横目でじろりと友人をにらんだ。友人の方はというと、少し頭を傾けて舌を出す。
 二人のやり取りに誘われて、誰かが吹き出した。笑いは、学生たちの間に伝染してゆく。ぎりぎりまで耐えていたステラも、とうとう小さな笑声をこぼした。社交界で鍛えられたであろう皮肉も、この赤毛娘には通用しないらしい。
 ひとしきり笑ったのち、ジャックが明るく切り出した。
「それじゃあ、詳しい話をみんなにも伝えておこう。特に『金の選定』のことは、オスカーにもまだ話していなかったよね」
「ああ。そうだな」
 うなずいたオスカーは、微笑を引っ込め、眉間にしわを寄せる。何か思うところがあったのか、それともいつもの無表情なのか、はたから見ている限りではよくわからない。
 ジャックは友人の表情を気にする様子もなく、ステラが話した『金の選定』の詳細を彼らに伝えた。ステラはあたふたしながらも、時折補足した。
 ひと通り話を聞き終えて、四人はいつもよりも険しい顔を見合わせる。その表情とのしかかる空気に、ステラは胸が締めつけられるような気がした。そんなふうに思うのは、『選定』についてこの場の誰にも話していないことがあるからだろうか。
「概要はわかったが……いまいちピンとこないな」
 オスカーの正直な呟きに、トニーとジャックが苦笑する。
「無理もない。『研究部』の面子は『銀の選定』には立ち会ってないもんな」
「あの場にいた僕らでも、正直あれは現実味がなかったからね」
 帽子の端を下げた親友の隣でジャックが肩をすくめた。彼は直後、表情を改める。
「そして、今回の『選定』で具体的に何が起きるのかも、想定するのは難しい。誰が選ばれるのか、ということも含めてね」
 珍しく重い響きを伴った団長の言葉に、全員が苦い顔になった。彼の最後の一言で、『選定』の本質を思い出したのだった。
 女神によって選ばれる、もう一人の代行者。それが誰かは、今のところはっきりしていない。『翼』としての活動のことを考えれば、ステラが心を許せる相手がよいのだが、そういう人が『金の翼』に選ばれるということは、大事な人を神々との戦いに巻き込むということだ。どう転んでも、当人たちにとってはあまりよい展開とは言えなかった。
 ステラは深くうなだれる。盛大なため息は自然と漏れた。
「あぁ……胃痛案件再び……」
「……ま、こればっかりはしかたないでしょ」
 しおれたステラの肩を親友の少女が軽く叩く。それを見て、レクシオがしかつめらしくうなずいた。
「俺たち人間にはどうしようもないことだし、何よりまだ起きてもいない未来の話だ。深く考えるのはよそうや。身が持たないぜ?」
「……うん」
 幼馴染にまで慰められ――あるいはたしなめられ――て、ステラはようやく顔を上げた。胃痛の種がなくなったわけではないが、彼らの言う通り今からぐるぐる考えてもしかたない。気持ちを切り替えていくしかなかった。
 不器用ながら持ち直そうとしているステラに何を思ったのか。オスカーが彼女を一瞥してから、考え込むように目を細める。
「現時点でわかるのは、セルフィラ神族とやらがこの街に来る可能性が高い、ということだな」
「もしかしたら、もう潜んでいるかもしれませんわね」
 部長の一言を受けて、シンシアが秀麗な顔をわずかにゆがませた。オスカーはただうなずく。希望的観測は、決して口にしなかった。
「となると、俺たちにできるのは、せいぜい奴らを警戒することくらいか」
 真夜中のような彼の瞳が、一瞬、揺らいだ。それを見つけたステラは、彼が秋の騒動の折にギーメルたちと接触していたことを思い出す。
 吐き捨てるような一言をどう打ち返そうかと『銀の翼』が悩んでいるうちに、少年は深いため息をついた。
「見つけたそばから叩けるのが理想だけどな」
 そうかと思えば、食べたい物を言うような口調で、だいぶん物騒なことを呟く。ステラは頬を引きつらせる。まわりの人々も、程度の差はあれ、ぎょっとしたような表情だ。動じていないのは、彼の古い友人二人だけである。
「どうどうオスカー」
「『あれ』を『翼』抜きでどうこうするのは無理っしょー」
 ジャックとトニーが立て続けに反応すると、オスカーは無表情のまま「冗談だ」と返した。ステラには、どこからどこまでが冗談なのかまったく判別がつかない。
 声を出すのも憚られるような空気の中で、ブライスがうんと伸びをする。
「ま、とにかく。当日までは無理せず行こう! ってことだねー」
 赤毛娘は、いつもと変わらぬ口調で話を無理矢理まとめた。