「へっへっへ~。本当に観光で来ちゃったよ!」
鼻歌を歌いながら雪を踏んでいたブライスは、ステラの前まで戻ってくると、その場で一回転した。
「ブライス、お行儀が悪いですわよ」
「そんな堅苦しいこと言わずに。シアも楽しもうよ。雪なんてめったに見れないじゃーん」
赤毛少女の振る舞いを目ざとく見つけたシンシアが、いつものようにたしなめる。たしなめられた方は、相変わらず全く意に介さない。
いつも通りのやり取りに、ステラは苦笑した。
聖堂にやってきたのは、ブライスとオスカーだけではなかった。つまり、『ミステール研究部』の全員である。勢揃いしていたのはあちらも同じだった。
帝都から遠く離れた北の地で、またも鉢合わせた二つの同好会は、もはや挨拶以外のかける言葉を見失った。呆然としていた彼らを引き戻してくれたのは、神官のベルである。ひとまず彼女に断りを入れて聖堂を見て回った後、街へ出た。
そこでようやく『調査団』の面々は『研究部』がシュトラーゼへやってきた経緯を聞くこととなる。
経緯といっても単純で、シュトラーゼに興味を持ったブライスが休みの間に行かないかと同好会の人々に提案したのだという。そして、冬の大祭に合わせてシュトラーゼ行を決めた結果、見事に『調査団』と滞在期間が重なった、というわけだ。
「確かに、『大祭に合わせて来たら楽しいかも』とは言ったけどさ……」
ステラは額を押さえてうめく。自身の発言が赤毛娘の背中を押したという事実が、苦々しい感動を伴ってのしかかってきた。
懸命に眉間をもみほぐしているステラを、レクシオがのぞきこむ。
「ステラおまえ、そんなこと言ったの」
「言った」
「そりゃあブライス嬢は本気にするわな」
幼馴染にからからと笑われ、ステラはさらに背中を丸めた。
『ミステール研究部』と鉢合わせたことが嫌なわけではない。だが、こうも行く先々で出会ってしまうと、何か見えない力が働いているような気がして落ち着かないのだ。
その上、今は『金の選定』が控えている。何が起きるかわからない。この四人を巻き込んでしまうのではないか、と思うと不安だった。
「そちらはイルフォード――いや、ステラの帰省に付き合っているんだったか」
「うん。そのついでに『女神像の調査』という名目で同好会活動をしているよ」
「女神像? ……ああ、大祭の怪談か」
渋面を消せないでいるステラをよそに、二つの同好会の責任者たちは淡々と話を進めている。ジャックの端的な説明を聞いただけで、オスカーはすんなりと納得していた。さすが、というべきだろうか。
「大祭の怪談? そんなものがあるんですの?」
「ああ……。聖職者の間では有名ですね」
ブライスとシンシアが首をひねっている。その一方で、カーター・ソフィーリヤがあっけらかんとうなずいた。好奇の視線を一身に浴びた神学専攻の少年は、はにかみながらも言葉を続ける。
「シュトラーゼの女神像の周囲では、不思議な現象がたくさん起きるといわれているんです。大祭のお披露目の際に、一般の人がそれを目撃することも多くて、毎年この時期に『今年は何が起きるか』って噂になるそうですよ」
いつも控えめなカーターだが、このときは饒舌だった。ラフェイリアス教に関わることだからだろう。少し得意げだった彼はだが、『研究部』の少女たちが感心した様子でうなずくと、恥ずかしそうにうつむいた。
「ぼ、ぼくも親から聞いただけなんですけどね……」
もじもじしている少年を見て、『調査団』の面子は苦笑する。彼の言葉を引き取るように、ジャックが口を開いた。
「その件については、さっきベルさんからいい情報を頂いたよ。問題はこれから大祭までどうするか、というところかな」
「これ以上調べても、当日まで有力な情報は出てこないだろうしな。むしろ注意しなきゃいけないのは、怪奇現象より『金の選定』の方だろ」
苦味のにじんだトニーの呟きに、仔細を知らない四人が反応する。眉を寄せたオスカーが「選定、か」と先の言葉を反芻した。
「そういうことなら、俺たちも大祭まで色々調べてみるか」
「おっ、いいねえ! 私は賛成ー!」
ブライスが手を挙げて、何度も何度も飛び跳ねる。その横で、シンシアが軽くかぶりを振りながら「仕方ありませんわね」と呟いた。
彼らの反応に、『調査団』の六人は顔を見合わせる。代表してナタリーが『研究部』の四人を順繰りに見た。
「ええと……いいの? 観光で来たんでしょ?」
「確かに観光で来たが、同好会活動では連携すると約束しているからな」
「それに、大祭の日に何かが起きるんなら、どうせ無関係じゃいられないでしょ?」
律儀な『研究部』部長の隣で、ブライスが笑う。オスカーは彼女を横目で見たのち、『調査団』の面々、主にジャックへと向き直った。
「そしてもうひとつ。女神像の件をうちの神官志望がかなり気にしているようだ」
「へっ?」
突然遠回しに呼ばれたカーターが、文字通り飛び上がる。
「そ、それはその……確かに、ラフェイリアス教に関わる者として、気になってはいますけど……!」
顔の前でわたわたと手を振る少年を見て、ジャックが朗らかな笑い声を立てる。
「なるほど。オスカーたちが構わないのであれば、僕らとしては大歓迎だよ。人手が多いに越したことはないからね」
言葉の終わり、ジャックは視線をステラの方へ向けてくる。『翼』として同意を求められたのだ。それに気づいたステラは、ためらいながらも首を縦に振った。先ほどの不安を見透かされたわけではなかろうが、複雑な気分である。なんにせよ、本人たちがやる気であるなら、ステラ一人が不安がっていてもしょうがない。
同好会の長たちのやり取りによって『ミステール研究部』の方針も決まったらしい。オスカーが端的に、街を調べる旨を話し、部員たちがそれに応じる。
形式的な応酬の後、シンシアがため息をついた。
「冬期休暇中も同好会活動ですか……」
「シアは嫌なのー?」
「嫌ではありませんわ。ただ、意欲的『すぎる』皆様について、思いをはせていただけです」
「まあ、気は休まらないよねえ」
「ちなみにあなたが筆頭ですわよ、ブライス」
ネリウス家のご令嬢は、横目でじろりと友人をにらんだ。友人の方はというと、少し頭を傾けて舌を出す。
二人のやり取りに誘われて、誰かが吹き出した。笑いは、学生たちの間に伝染してゆく。ぎりぎりまで耐えていたステラも、とうとう小さな笑声をこぼした。社交界で鍛えられたであろう皮肉も、この赤毛娘には通用しないらしい。
ひとしきり笑ったのち、ジャックが明るく切り出した。
「それじゃあ、詳しい話をみんなにも伝えておこう。特に『金の選定』のことは、オスカーにもまだ話していなかったよね」
「ああ。そうだな」
うなずいたオスカーは、微笑を引っ込め、眉間にしわを寄せる。何か思うところがあったのか、それともいつもの無表情なのか、はたから見ている限りではよくわからない。
ジャックは友人の表情を気にする様子もなく、ステラが話した『金の選定』の詳細を彼らに伝えた。ステラはあたふたしながらも、時折補足した。
ひと通り話を聞き終えて、四人はいつもよりも険しい顔を見合わせる。その表情とのしかかる空気に、ステラは胸が締めつけられるような気がした。そんなふうに思うのは、『選定』についてこの場の誰にも話していないことがあるからだろうか。
「概要はわかったが……いまいちピンとこないな」
オスカーの正直な呟きに、トニーとジャックが苦笑する。
「無理もない。『研究部』の面子は『銀の選定』には立ち会ってないもんな」
「あの場にいた僕らでも、正直あれは現実味がなかったからね」
帽子の端を下げた親友の隣でジャックが肩をすくめた。彼は直後、表情を改める。
「そして、今回の『選定』で具体的に何が起きるのかも、想定するのは難しい。誰が選ばれるのか、ということも含めてね」
珍しく重い響きを伴った団長の言葉に、全員が苦い顔になった。彼の最後の一言で、『選定』の本質を思い出したのだった。
女神によって選ばれる、もう一人の代理人。それが誰かは、今のところはっきりしていない。『翼』としての活動のことを考えれば、ステラが心を許せる相手がよいのだが、そういう人が『金の翼』に選ばれるということは、大事な人を神々との戦いに巻き込むということだ。どう転んでも、当人たちにとってはあまりよい展開とは言えなかった。
ステラは深くうなだれる。盛大なため息は自然と漏れた。
「あぁ……胃痛案件再び……」
「……ま、こればっかりはしかたないでしょ」
しおれたステラの肩を親友の少女が軽く叩く。それを見て、レクシオがしかつめらしくうなずいた。
「俺たち人間にはどうしようもないことだし、何よりまだ起きてもいない未来の話だ。深く考えるのはよそうや。身が持たないぜ?」
「……うん」
幼馴染にまで慰められ――あるいはたしなめられ――て、ステラはようやく顔を上げた。胃痛の種がなくなったわけではないが、彼らの言う通り今からぐるぐる考えてもしかたない。気持ちを切り替えていくしかなかった。
不器用ながら持ち直そうとしているステラに何を思ったのか。オスカーが彼女を一瞥してから、考え込むように目を細める。
「現時点でわかるのは、セルフィラ神族とやらがこの街に来る可能性が高い、ということだな」
「もしかしたら、もう潜んでいるかもしれませんわね」
部長の一言を受けて、シンシアが秀麗な顔をわずかにゆがませた。オスカーはただうなずく。希望的観測は、決して口にしなかった。
「となると、俺たちにできるのは、せいぜい奴らを警戒することくらいか」
真夜中のような彼の瞳が、一瞬、揺らいだ。それを見つけたステラは、彼が秋の騒動の折にギーメルたちと接触していたことを思い出す。
吐き捨てるような一言をどう打ち返そうかと『銀の翼』が悩んでいるうちに、少年は深いため息をついた。
「見つけたそばから叩けるのが理想だけどな」
そうかと思えば、食べたい物を言うような口調で、だいぶん物騒なことを呟く。ステラは頬を引きつらせる。まわりの人々も、程度の差はあれ、ぎょっとしたような表情だ。動じていないのは、彼の古い友人二人だけである。
「どうどうオスカー」
「『あれ』を『翼』抜きでどうこうするのは無理っしょー」
ジャックとトニーが立て続けに反応すると、オスカーは無表情のまま「冗談だ」と返した。ステラには、どこからどこまでが冗談なのかまったく判別がつかない。
声を出すのも憚られるような空気の中で、ブライスがうんと伸びをする。
「ま、とにかく。当日までは無理せず行こう! ってことだねー」
赤毛娘は、いつもと変わらぬ口調で話を無理矢理まとめた。