自分の家と幼馴染の家の問題が片付いたかと思ったら、今度は自分の進路に関する悩みが出てきた。シュトラーゼにいる間、ステラの脳内は考え事でいっぱいだ。全く落ち着かない、とため息のひとつもつきたくなる。
だが、今はステラ個人の悩みよりも重要な事項があった。同好会活動――女神像にまつわる怪奇現象の調査である。
ステラがラキアスと今後の話をしたその夜、『クレメンツ怪奇現象調査団』は客室のうちひとつに集まった。調査の進捗を報告し、今後の活動方針を決めるためである。むろん、ステラは進捗をおおよそ把握している。昼間、みんなの所を回って歩いたからだ。それでも、改めて頭の中を整理するために、黙ってそれぞれの報告を聞くことにした。
わからない、という声の中に時折数年前の噂が混じる。報告内容を大雑把にまとめると、そんな感じだ。全員の話を聞き終えたジャック・レフェーブルが顎に指をかける。
「一日の成果としてはまずまず、と言ったところだね」
真剣に呟くジャックの横で、トニーがうんと伸びをした。
「でも、これだけじゃあ怪奇現象の原因はわかんねえなあ。共通点もあんまり見えないし」
「そうだね……一般公開中に起きたってことくらい?」
「街の人たちが見たんならそりゃあ、一般公開中しかないよな」
ステラとレクシオは、互いに首をかしげあう。話がしぼみかけたとき、「あっ」と小さな声が上がった。ジャックの右隣に座っているおさげの少女――ミオン・ゼーレだ。
「それなら、教会の方に話を聞いてみることはできませんか? あの、普段女神像を管理していらっしゃる方とか……」
「あー……どうだろう。教会……聖堂の管理者……司教さんだっけ……?」
期待の新人の提案は、話の道筋を辿ればごく自然なものだ。だが、ステラは天井を仰いでうなる。幼少期、自分がラフェイリアス教に関わってこなかったせいか、聖堂の管理者がどのような人か全く思い出せないのだ。エドワーズ神父のように――とはいかないまでも、学生たちの活動に寛容であればよいのだが。
「一度行ってみるのはいいかもしれないね。詳しい調査まではできなくても、話を聞くだけなら大丈夫だろう!」
「ダメで元々ってやつだね」
「まあ、『調査団』はいっつもそんなノリだしなー」
ステラの小さな苦悩をよそに、学友たちの会話はとんとん拍子で進んでいく。苦笑を含んだ幼馴染の言葉で、彼女の腹も決まった。絡み合った思考の糸を強引に断ち切って、全員に笑いかける。
「わかった。じゃ、できれば明日、聖堂に行ってみよう。昼間に動いていいか、兄上に訊いてみる」
「ありがとう! 頼んだよ、ステラ」
団長の言葉を受けて、少女は拳で胸を叩いた。
ラキアスにこの話を持ち掛けたところ、案外あっさりと自由行動の許可が下りた。
「これも大事な活動なんだろう。観光も兼ねて、行っておいで」
準備の方はいいのか、と一応ステラが尋ねると、兄は柔らかな笑みを崩さずに「みんな、今日まで頑張ってくれたからね。羽を伸ばすといいよ」と返した。
そうまで言われれば、厚意を受け取るほかない。というわけで『クレメンツ怪奇現象調査団』は翌日、街の中心部にあるシュトラーゼ聖堂へ赴いた。
ラフェイリアス教において聖堂と教会の違いは、規模の違いだ。また、ある地域の教会を統括する教会のことを、便宜上「聖堂」や「大聖堂」と呼ぶ。だが、もしかしたら違いはそれだけではないのかもしれない、と今になってステラは思った。
シュトラーゼの聖堂、その重厚な扉の前に立ったとき、かすかな痺れが背筋を駆けたからだ。何かにのぞき見られているような、あるいはこちらが何かをのぞいているような感覚がある。鼓動が速まり、緊張からか自然と背筋が伸びる。
「わぁお、でっかい建物だなあ」
「さすが聖堂というだけあるね」
「なんか、急に話聞ける自信がなくなってきたんだけど……」
一方、ほかの団員はその横でのんびりとした応酬を繰り広げていた。妙に緊張しているのはステラだけのようだ。
もしかしたら、『銀の翼』であることが関係しているのかもしれない。そう思いながらも、ステラは肩の力を抜いた。しかめっ面で頭をかいているナタリーの背中を軽く叩く。
「まあ、普段から出入りは自由だし……とにかく行ってみよう」
緊張と期待半々の面子を見回して、『翼』の少女は先陣を切る。凝った意匠はひとつもないのに荘厳さを漂わせる、両開きの扉。それは、真昼であるからか、開け放たれている。薄暗がりに沈んでいる聖堂内部へ、深呼吸の後に踏み込んだ。
街の喧騒が遠ざかる。少年少女を出迎えたのは、広大な祈りの場と、どこまでも清らかな静寂だ。
奥へ向かって長椅子が規則的に並び、最奥に聖職者が立つための壇があるのは、ほかの教会と変わらない。この聖堂でいっとう目を引くのは、柱や壁にほどこされた装飾だ。彫刻や絵を使って、ラフィア神族にまつわる神話伝承が表現されているらしい。『選定』や『翼』の話はここにないのだろう、と思うと、ステラは少しの寂しさを覚えた。
そんな中、学友たちの興味を引きつけたのは、別の物だったようだ。「おや」というトニーの声が、高い天井に反響する。
「あれって、女神像……?」
猫目をいっぱいに見開いた少年が指さしたのは、最奥、壇上に佇む像だ。一対の翼を持った女神像は、この立派な聖堂の物にしては小ぶりに見える。
「お披露目される女神像は別にありますよー。それは、ま、体裁を整えるためのレプリカってところです」
高い靴音と共に響いた声が、学生たちの疑問に答えをくれる。一同は、心臓が飛び跳ねたような心地でその方を振り返った。
彼らから見て左側の壁、横穴のように続く通路の先から、一人の神官がやってきたところだった。ステラたちより数歳年上であろう少女だ。赤褐色の髪を高いところでこぎれいにまとめていて、あえて残された髪がふわりと左右に広がっている。
整った見た目に反して、大きな茶色の瞳に宿る光は少年のようだ。どこかちぐはぐな神官は、ステラたちに屈託なく笑いかけた。
「ようこそ、シュトラーゼ聖堂へ。見学ですか?」
「そのようなものです。少し見ていっても構いませんか?」
少女神官の問いに、ジャックが素早く応じる。先刻の驚きから、もう立ち直ったらしい。神官は神官で、陽気かつ優雅な客人を気にするそぶりはない。
「もちろん! ごゆっくりどうぞー」
「ありがとうございます」
ジャックが流れるように一礼する。神官もそれにお辞儀で返したが――顔を上げた直後に、ぎょ、と目をみはった。
「あれ? よくよく見たらー……ステラちゃん?」
「…………え?」
反問したのは、名前を呼ばれた本人だけではなかった。そして、人数分の視線がステラに集中している。ステラは慌てて目を凝らし、相手の顔を観察した。ここにはいない同級生を連想させる稚気は、神官らしい身ぎれいさと少しの大人っぽさに覆い隠されている。それでも、彼女の両目を見ているうちに、ステラの記憶は刺激された。
「も、もしかして……ベル!?」
「わああー! やっぱりステラちゃんだー! 久しぶり!」
神官の少女もといベルは、弾んだ足取りで駆け寄ってくる。ステラは求められるがままに彼女と手を打ち合わせた。驚きと妙な懐かしさで心がふわふわしていて、まったく実感が湧かない。
「帰ってきたって噂は聞いてたけど、ほんとだったんだねえ」
「って言っても、一時的なものだけどね。冬の大祭に参加したら、また帝都に戻るよ」
「そりゃあ、学生さんだもんね。クレメンツ帝国学院だっけ」
どうやら、「イルフォード家のご令嬢」にまつわる噂はひと通り聞いているらしい。ステラが苦笑していると、『調査団』の面々が近づいてきた。レクシオがひょいっとのぞき込んでくる。
「なんだ、お知り合いだったのか」
「うん。幼友達、っていうのかな。こっちにいた頃、一緒に遊んでくれた人」
ほう、と呟いたレクシオの両目がちかりと光った。幼馴染であるゆえに思うところがあるのか、単なる好奇心なのか、ステラには判然としない。
彼女が顔を引きつらせて固まっている間に、ベルが再び礼をした。
「改めまして、ベル・ガーランドと申します。昔はよくイルフォード家に出入りしてたんですよー。今は見ての通り、神官やってます」
空色の衣をまとった神官がのんびりと自己紹介を奏でる光景は、なんとも奇妙なものだった。しかし『調査団』の面々は大して気にした様子もなく、それぞれに名乗った。
ベルは一人ひとりの元に駆け寄り、軽く握手をする。挨拶の握手が一巡した後、茶色の瞳は再びステラを捉えた。
「あ、それと――」
彼女はステラの前に立つ。
かと思えば、その場でひざまずいた。
ステラは一瞬、目を剥いた。だが、すぐにその行動の意味を察する。
「お会いできて光栄です。女神の代理人、『銀の翼』のステラ様」
ベル・ガーランドはもう、『神官』なのだ。
沈黙が落ちる。空気が少し、ひび割れた気がした。
そのただ中で、ステラは思考を巡らせる。ひざまずかれるのは初めてではない。神官などと遭遇すればこういうこともあるだろうと、聞かされていた。それでも、返す言葉に迷うのは――多分、ステラがまだ人間だからだ。
「……これは、ご丁寧に……」
聖職者としての対応を無下にするわけにもいかない。悩み、迷った結果にしぼり出せたのは、そんなよそよそしい言葉だった。
ベルはこうべを垂れていたが、ややしてその頭を上げた。
「なーんてね!」
気まずい空気を吹き飛ばす一声とともに、彼女は立ち上がる。
ステラを見つめる目は、先刻と変わらぬものだ。
「いやー、やっぱわたしはこういうの似合わんわー」
「え、えっと?」
「ねね、偉い人の目がないときは普通にしてていい? ステラちゃんも、こういうの苦手なんでしょ?」
「まあ、うん……」
ベルは「よっしゃあー」と拳を握って、その場で一回転した。状況と態度の変化についていけていないステラを振り返り、神官少女は悪戯っぽく笑う。
「エドワーズ司祭の報告にあった通りだわー」
「エドワーズ神父? ここに報告がいってたんすか?」
問うたのは、トニーだ。今まで蚊帳の外だった『調査団』の五人が、ようやく輪の中に戻ってこられたようである。
「うん。『ここにも』報告来たよー。ま、比較的でっかい聖堂だからね、ここ」
こともなげに応じたベルは、再び全員を順繰りに見たのち、ステラに向き直った。
「うちの司教様には、礼は尽くしなさいって念押されてたけどさ、やっぱり『翼』のご意志を優先しなきゃね」
「ああ、えっと、そういう名目……? あ、ありがとう」
大げさにかぶりを振るベルに、ステラはようやく必要な言葉を述べた。正直、この調子で接してくれた方が助かる。相手がベルならなおさらだ。
「どういたしまして! そんじゃ改めて、ごゆっくり!」
空色の法衣がひるがえる。
嵐を起こすだけ起こして、ベルは立ち去ろうとした。しかし、ジャックが彼女を呼び止める。
「失礼、ベルさん。ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」
「おやっ、なんでしょう~」
「大祭でお披露目される女神像についてなんですが……」
陽気な団長は、珍しく真剣な口調で、自分たちが調べにきた内容を説明した。首をかしげていたベルは、話が終わると、あっけらかんとした様子で口を開く。
「ああ、それなら結構聞くよ」
「本当ですか!?」
「うん。ま、わたしは女神像の管理に関わってないから、又聞きだけどねえ」
身を乗り出した六人全員をながめて、ベルは再び体を彼らの方へ向ける。あくまでのんびりとしていた。
「なんだったかな。街の人が言うように、光が見えるとか、何かが聞こえるとか……前に司教様が、『女神さまのお声を聞いたかもしれない』とも言ってたね。あれはご本人も半信半疑だったみたいだけど」
とんでもない情報を提示されて、六人は立ち尽くした。ここまで来ると驚愕を通り越して、絶句するしかない。
やがて、トニーが感嘆の吐息とともに肩を落とす。
「まじっすか……もしかして、ここの人にとっては、そう珍しい話でもない?」
「かもしれないね。『選定』を媒介するとも言われるくらいだから、像自体に大きな魔力でもこもってるんじゃないかなあ。そうでなくても、人の信仰を長年集めてるわけだから、なんらかの力が宿っててもおかしくないし」
学生たちは顔を見合わせた。そうするよりほかになかった。重要な情報を得られはしたが、ここまで気持ちよく言い切られると、どういうふうに調査を進めれば――あるいは、まとめれば――いいかわからなくなる。
先ほどとは違った意味で気まずい沈黙を打ち破ったのは、それを生み出した張本人だった。
「でも、そんなにしょっちゅう起きるものでもないよ? 一番新しい報告があったのは確か、今年の緋の月の末頃だし……その前は黄の月……」
そこまで言って、ベルは「あっ」と引きつった声を上げた。誰かがその意味を問う前に、少女はやや前のめりになってステラを見る。
「そうそう! ちょうど『銀の選定』の頃にね、女神像が銀色に光ったって、騒ぎになってたんだよ!」
「それって……」
ステラは思わず、隣にいたレクシオと顔を見合わせる。彼の両目にもさすがに驚きの色がにじんでいた。
「やっぱり、女神像の不思議な現象は『選定』とか神様関係のこととかに反応して起こってる、ってこと?」
「けど、そうだとすると頻度がおかしいよな。『選定』なんて、人間の一生で一度立ち会えるかどうか、ってもんだろ」
「うーん……そうなんだよね……聖堂の人たちの間でも時々議論になるけど、結局はっきりした答えが出なくて」
ステラとレクシオの応酬に便乗するように、神官の少女も首をひねった。しかし、謎は解明されるどころか深まるばかりだ。ステラとしては、これ以上ここで話し合っていても埒が明かない気がしてきた。同じことを思ったのか、ジャックが軽く咳ばらいをする。
「でも、貴重な情報を得ることができました。ありがとうございます。大祭までまだ日がありますし、もう少し自分たちでも調べてみます」
「そっかそっかあ。頑張ってね」
丁寧に頭を下げた団長に、ベルはふわふわとした笑みを向ける。
聖堂の扉が再び開いたのは、そのときだ。内部全体に反響した重々しい音を聞き、ベルが流れるように振り返った。
「あ、こんにちは! 見学ですかー?」
「はーい! ちょっと見てっていいですかー?」
「もちろん! ごゆっくりー」
ステラたちにそうしたのと同じように、ベルは新たな来客へ挨拶をする。そして来客の方も、よく似た調子で言葉を返していた。
はて、とステラは首をかしげる。その音と、めまいがするほどの陽気さに、覚えがある気がしたのだ。
なんとはなしに、入口の方を振り返る。そして、ステラと『調査団』の面々は揃って瞠目した。相手側も大げさに飛び上がった。
「あれーっ! 『調査団』勢揃いじゃん」
「ブライス!?」
「オスカーも。こんなところで会うとはね」
素っ頓狂な声が合図であったかのように、長身の少年がブライス・コナーの背後から現れる。彼は無言で、ほんの少し眉をひそめた。