第二章 雌伏の終わり(5)

 そんなやり取りの後、改めて学生たちと捜査官は話を詰めた。
 今まで出会った神族たちのこと。目にした能力のこと。この街の地形と冬の大祭の細かい予定。そういった情報を共有し、すり合わせ、各々の行動を確認する。
 その中で、やはり領主たるイルフォード家の助力を得なければならない、という話にもなった。もちろん、主たる交渉者はステラになる。彼女としては複雑な気持ちであったが、街を巻き込む一大事になる以上、実家の協力は必要不可欠だ。やはり、やるしかないようである。
「当日まで時間の余裕はあまりない……が、私もできる限りのことをするよ」
「お願いします」
 きっぱりと言ったアーノルドに、ステラは頭を下げる。ほかの学生たちもそれに倣った。
 ここから先は、それぞれがそれぞれの仕事をこなすことになる。
「それじゃあ、また」と告げて、アーノルドは少年少女に背を向けた。が、彼が立ち去る前に、一人がステラの前へ出る。彼女にとって見慣れた黒髪が風になびいた。
「アーノルドさん、ひとつだけいいですか」
「……うん?」
 踏み出したのはレクシオだった。捜査官は、怪訝そうに振り返る。首をかしげている彼へ、少年は素直な笑顔と――言葉を贈った。
「あのとき……秋の騒ぎのときは、お世話になりました。ありがとうございます」
 アーノルドがきょとんと目を丸める。ステラたちも、おそらく同じような表情をしていただろう。彼女たちは、捜査官とレクシオの間に何かがあったらしい、と察してはいるが、具体的にそれが何かまでは知らないのだ。
 温かく、奇妙にかたい空気の中、アーノルドが小さく笑う。
「私は私の仕事をしただけだ。お礼なら『上官』の方へ伝えてくれ」
 少し頭を傾けたレクシオに向かって、彼はひらりと手を振った。
「まあ、それはそれとして――無事でよかった。私と張り合えるくらい元気になっていて、安心したよ」
 アーノルドは口の端を持ち上げて、少年のような笑みをレクシオに見せる。そして今度こそ背を向けると、路地の先へ歩いていった。
 レクシオは、友人たちを振り返らない。足音が聞こえなくなるまで立ち尽くし、男のいた場所を見つめていた。
 ステラたちは、彼がいつもの悪戯っぽい笑みを見せるまで、何も言わなかった。

 ほどなくして、それぞれが帰路につく。『研究部』の四人は宿に。『調査団』の六人はイルフォード家に。
 屋敷へ戻ったステラは、ラキアスに帰還の挨拶をし、大祭の準備に関わる事項をいくつか報告する。彼がそのすべてを受諾した後、改めて話を切り出した。
「兄上とおじい様にお話ししたいことがございます。今日中にお時間を頂けないでしょうか」
 ラキアスは不思議そうに首をかしげる。かたい指が、形のよい顎をなでた。
「俺は夕方以降なら時間を作れると思うが、おじい様のご都合はわからないな。……重要な話なんだな?」
「はい」
「よし、わかった。俺から聞いておくよ」
「ありがとうございます」
 兄の快い返事に、ステラは安堵した。ほっと肩の力を抜いて感謝を述べ、部屋を辞す。

 このとき、祖父は出かけていた。大祭の準備の中でも、特に警備に関わる何事かを確認しにいっていたらしい。兄妹が話をしてから約一時間半後に屋敷へ戻ってきた。祖父が帰還して間もなく、ラキアスは妹の言葉を伝えたらしい。その返事は、客室で作戦会議をしていたステラのもとにすぐもたらされた。
 ――夕食後、ラキアスの部屋で話を聞く。
 淡白な返答を聞いたステラは、膝の上で拳を握った。緊張の面持ちでいる学友たちに、力強くうなずいてみせる。
 あとは、自分の立ち回り次第だ。ステラは己に言い聞かせた。

 そして、夜。兄とともにやや早く夕食を切り上げたステラは、兄の部屋へ向かった。
「おじい様は時間ぴったりにいらっしゃるからなあ。気が抜けないよ」
「ええ、本当に」
 お堅い身内に関する愚痴と笑いを交わしながら、お茶などの準備を整える。もちろん、すべて二人で行った。
 そして、約束の時間。ラキアスの言葉通り、祖父は時間ぴったりにやってきた。
 形式的なやり取りを済ませた後。三人でテーブルを囲み、ステラが話を切り出した。
 さすがに、隠された神話についていきなり打ち明けるわけにはいかない。それはステラが考え抜いて、そしてジャックなどとも相談して出した結論だ。だから神様のことは伏せて、帝都にいるときに危険な輩と関わり、その者たちが大祭を妨害する可能性があるとだけ話した。そして、憲兵隊専任捜査官との邂逅、彼らと話し合ったことなども打ち明ける。
 祖父は、いつものしかめっ面で話を聞いていた。アーノルドの名を聞いたときだけ、わずかに頬と眉のあたりが動いた気がする。
 一方、ラキアスは終始驚いた様子であった。ステラが話を終わらせると同時、眉間のあたりを手で押さえてため息をつく。
「……そんな大事な話を、どうしてすぐにしなかったんだ」
 しばしの静寂の後、ラキアスはうめくように問うた。ステラは慌てて頭を下げる。
「す、すみません。教会の機密に関わることでしたので、お話しすべきかどうかと、迷っておりました」
 ステラが正直に答えると、ラキアスは宿題忘れを指摘された初等部生のような顔をする。はらはらしている妹の前で再び顔をしかめ、「しかたがない、か」とこぼした。
「あ、兄上とおじい様には、当日の警備の調整と、襲撃者への対処の協力をお願いしたいのです」
 ステラは少し身を乗り出して、言葉を継いだ。
 とはいえ、今から警備の調整は難しいだろう。ずいぶん前から、来賓への対応も含めて入念に計画されたものだからだ。今動かせる要素や人員をできる範囲で動かしてもらうしかない。そういった事柄の相談も、もともとこの場でするつもりだった。
 ステラは二人の答えを待つ。嫌な汗が全身から噴き出すのを感じた。
 長いような、短いような無音の時。それを終わらせたのは、祖父の方だった。
「ステラ」
「はい」
 厳かに名前を呼ばれ、ステラは背筋を伸ばす。相手を見て、息をのんだ。ただでさえ剣呑な目が、より細められたのだ。
「まだ、何か隠していることがあるな?」
 心臓が大きく跳ねる。ステラは、反射的に唇を引き結んだ。
 なんとかごまかせれば、それに越したことはない。そう思っていた。だが、イルフォード家の男はそう甘くない。
 黙秘したかった。だが、ここで彼女が黙ってしまっては、話が進まない。しかたなく、ステラは唇をこじ開けた。
「は、い」
 震える肯定に対し、祖父は呆れも怒りもしない。ただ、いつもより一段低い声を孫娘にぶつける。
「なぜ隠す。その事柄は、当日の警備に関係がないことか」
「い、いいえ。むしろ、大いに関係がある話です。ただ……」
 二人からの追撃を食らう前に、とステラは慌てて言葉を繋ぐ。
「私が話していないことは、教会の最高機密、そのものなのです。軍や皇室に近しいイルフォード家の内部に持ち込むのは、私にとってもお二人にとってもよくない。そう考えて、あえてお伝えしないことにしたのです。どうか……ご容赦ください」
 ステラがしぼり出した言葉。それは、アーノルドたちと話し合っていて気づいたことであり、ジャックやシンシア、上流階級の者たちに指摘されたことでもあった。
 彼らの声を思い出しながら、ステラは頭を下げる。
 深く深く考え込むような息遣いを感じた。だが、今度の沈黙は長くなかった。
 祖父の声が、響く。
「よくわかった。これ以上の詮索はしない」
 ステラは勢いよく顔を上げた。同時、祖父の視線は兄に向く。
「ラキアス。大祭の計画について決まっていることを、後で改めて確認する。書類を揃えておけ」
「はい」
「それと、件の捜査官とのやり取りはおまえに任せる」
 ステラとラキアスは、同時に目を瞬いた。
「それは構いませんが……まだ処理が済んでいない書類や、決まり切っていない事柄も多いので、私ではあまり時間を割けませんよ」
「おまえの手が回らない部分は、わしが片付ける。おまえはこれから当日まで、捜査官とのやり取りに集中しろ」
 ラキアスはあっけにとられて沈黙していたが、祖父の目配せに気づくと「承知しました」と頭を下げる。
 何やら勝手に話が進んでいはしまいか。ステラは気づいて、目をみはる。
「あ、あの、その件なのですが――」
 慌てて口を開いたが、それをとどめるように祖父の手が伸びた。無言の制止を食らって、ステラは固まる。
「調整はこちらで行う。おまえに確認することがあれば、その都度聞きにいく」
 ステラは、唖然とした。それは、出しゃばるな、ということだろうか。彼女の困惑を読み取ったのか、祖父は低い声を付け足した。
「おまえには、おまえの役目があるのだろう。ならば、それに集中しなさい」
 ――頬をはたかれたような感覚に襲われた。
 ステラの役目。
 それは、『金の選定』を見届け、セルフィラ神族を止めることだ。警備体制に口を出すことではない。
 当日『銀の翼』としてその場に立つと、ステラはアーノルドに言った。そう、言ったではないか。その言葉の意味を、どうして自分自身が失念していたのだろう。
 ステラは、深呼吸した。早鐘を打つ心臓をなだめ、心を静め、今やすっかり馴染んだ魔力に意識を集中させる。すべてを平らにした後、改めて祖父に頭を下げた。
「はい。……ありがとうございます」
 祖父は、孫娘の礼には直接答えなかった。ただ、孫たちを見て、重々しく口を開く。
「今回の、ステラの判断は正しい。人にも組織にも、それぞれ果たすべき役目がある。そして、犯してはならない領分というのも存在するのだ。それを決して忘れるな」
 祖父の声は小さかった。だが、ステラの耳にはしかと届いた。彼の言葉は、まるで鉛のように胸の底へと沈み込んでくる。
 ステラは黙って頭を下げた。ラキアスも、同じように礼をしていた。

 シュトラーゼの、西の端。ひと気のない小路の中に佇む大きな建造物を見つけたラメドは、無言でそこに踏み込んだ。
 使われなくなって久しいのだろう。人の息遣いや使用感は全くない。あるのは、古びて錆びつき、忘れ去られた人の痕跡だけだ。
 がらんどうの廃屋の中。けれど、確かに気配がある。彼にとってなじみ深い、この世界にとっては異質な気配。
 奥の方に分厚い鉄の扉を見つける。ひとまずそれを目印に歩いた。しかし、ラメドは、扉に手をかける直前で動きを止める。
「――ああ、来てくれましたか、ラメド」
 扉の先から声がする。重い扉は物音も容易に通さぬはずなのに、その声ははっきりと響いた。
「……ああ」
 ラメドは、短く応じる。同時、扉から離れてそばの壁にもたれた。
「あなただけですか?」
「私だけだ。ギーメルとダレットは各方面への牽制と妨害で手いっぱい。ヌンはこんな街中に連れ出すわけにはいかん。アインは、あの子には……」
「荷が勝ちすぎる。それもそうですね」
 声は朗々と切り返す。透明な音が嘲笑を含んでいることに気づき、ラメドは眉を寄せた。しかし、それを追及することはしない。
「まあ、よいでしょう。あまり大勢で押しかけると『翼』に感づかれる危険もありましたから。かえってちょうどいい」
 彼の声は楽しそうだ。しかし、真実どう思っているのかはわからない。彼は昔からそうだ。ラフィアの御許にいた頃から、そうだった。
「さて。この街ともそろそろお別れですね」
 今も、真意の読めない調子でそんなことを言う。気の利いた返しが思い浮かばないラメドは、とりあえず思ったことを口に出してみた。
「……珍しいな。感傷的なことを言う」
「そう聞こえるだけでしょう。私に感傷などというものは存在しない」
 そうだろうな、と思いはしたが言わなかった。彼が無言で天井を仰いでいると、拍子を刻むような音がかすかに聞こえる。彼の足音だと、やや遅れて気づいた。
 鈴を転がすような声が、うたう。
「ああ、でも。この街の空気は、嫌いではないですよ」
 どこまでも無邪気で美しい旋律からは、けれど何も読み取れなかった。