第二章 皇女の依頼(3)

 宮廷騎士団は、有事の際にすぐさま前線へ出る陸軍第一連隊に並ぶ花形だ。当然、職場見学の希望者も多くなる。全員が希望通りの場所へ行けるわけではないが、それでもかなりの人数が陸軍か宮廷騎士団に振り分けられるのだった。
 見学者が多い場所では、何回かに分けて職場見学が実施される。ステラとレクシオは、たまたま同じ第一陣に配置された。おそらく『武術科』でもっとも早く見学に出かける組である。
「……いや、たまたまじゃないかも」
 特別に貸し切りとなっている乗合馬車に乗り込みながら、ステラはうっそりと呟いた。すぐ後に続いた男子生徒が怪訝そうな顔をしたが、むろん彼女は気づいていない。
 ステラとレクシオは、同じ組や班になることが本当に多い。今までは腐れ縁だのなんだのと笑い飛ばしてきたが、ここまで続くと作為的なものを疑ってしまう。しかも、今回は宮廷騎士団――皇室が絡む職場見学だ。考えすぎといわれれば、それまでではあるのだが。
 ステラはかぶりを振って、適当な席に腰を下ろす。同じ組になった少年少女が続々とそれに倣った。途中、レクシオが当然のようにステラの隣を陣取った。それに安堵している自分に気づき、少女はそっと苦笑する。
 全員が乗り込んだことを確認し、御者が先頭の御者台に上がった。勇ましい掛け声を合図に、乗合馬車はゆっくりと発進する。
 お世辞にも心地よいとはいえない震動の中、学生たちはそれでも低い声を交わしはじめた。移動時間の雑談は、彼らにとって暇つぶしであると同時に、平常心を保つための行動でもある。
「宮廷騎士団ってことは、宮殿の近くまで行くんだよね。なんか緊張してきた……」
「中等部のときと違って、奥の方まで見せてもらえるらしいぜ」
「皇族の方々に会えたりして?」
「それはないでしょ」
 少年少女は、めいめいに勝手なことを言っている。ステラはその声を聞き流して窓の外を見ていた。が――
「イルフォードさんなら、皇族のどなたかに会ったことありそうだけどな」
 なんとなく聞いたことのある声に名を呼ばれ、飛び上がりそうになる。慌てて馬車の内部を振り返ると、黒髪を短く切りそろえた男子生徒がこちらを見ている。――いや、彼だけではない。車内のほとんどの人が、期待のこもったまなざしをステラに向けていた。
 ステラは慌てふためいて、顔の前で手を振る。
「いやいやいや、そんなわけないでしょ! 家のそういう仕事に関わったこと、一回もないし。アーサー殿下に至っては顔も知らないし」
 そうまくし立てると、ほとんどの生徒は興ざめとばかりに顔を背け、何人かは「なあんだ」とこぼす。そして、もう何人かはそれもそうだとばかりに苦笑していた。ちなみに、レクシオも苦笑した生徒の一人である。
 ステラは唇を尖らせて窓の方に顔を向けた。
 本当に勝手なことを言ってくれる。一瞬そんな怒りがこみ上げたが、すぐに沈静した。冷静に考えてみれば、ステラが家出娘だと知らない生徒もかなりいるはずだ。そういう子たちに事情を察してくれと言うのもおかしな話である。
 怒りを通り過ぎたステラの思考は、先の話題、皇族のことに行きついた。
 現在、皇帝の子は二人いる。皇女アデレードと、皇子アーサーだ。
 今の帝国では母親――妃――の位が高い順、そして生まれた順に帝位の継承権が与えられる。皇后第一子のアデレードが継承順第一位、その弟のアーサーは継承順第二位というわけだ。
 次の皇帝と目されているアデレードは、近年表舞台に出ることが増えた。そのため、新聞などでも顔や姿をしばしば見かける。対して、アーサーはほとんど表に出てこない。何らかの地位についたり、職務をこなしたりはしているのだろうが、具体的に何をしているのかはステラでさえ知らなかった。
「……どういう人たちなんだろうなあ」
 ふと、呟く。それと同時に、昨日の話が思い起こされた。ステラが抱いてしまった、皇室への不信感。代替わりして、アデレードが皇帝になれば、それも少しは薄らぐのだろうか。
「なんか言ったか?」
 隣から、レクシオが問うてくる。ステラはふっと顔を上げて、幼馴染に向き合った。
「いや。皇女殿下と皇子殿下って、どういうお方なのかなーって思って」
「ああ」
 レクシオは納得したようにうなずく。先の会話を聞いていたから、不思議にも思わなかったのだろう。考え込むそぶりを見せたのち、ひとつうなずく。
「ま、悪い人ではないんじゃねえかな」
 そのささやきは、天気の話でもするかのような調子で響く。ステラはそのことに少し違和感を覚えたが、だからといって追及もしなかった。「だといいね」と言って、椅子の背もたれに背中を預けただけである。

 乗合馬車に揺られること、しばし。学生たちと引率の先生一人は、無事に目的地へたどり着いた。そこは宮殿の敷地内、青空を貫くように建つ壮麗な塔を遠くにのぞむ、広場のような場所だった。白く輝く石板タイルが敷き詰められたその場所で、長身の騎士が彼らを出迎えた。宮廷騎士団の副団長だ。白髪交じりの黒髪を短く整えていて、顔のところどころにしわと傷跡が刻まれている。見た目の印象では四十代半ばから五十代程度のようだが、引き締まった肉体と強い眼光のおかげで、老いた印象は少しもなかった。
 副団長は、緊張した様子の学生たちを見回すと、目もとに柔和な笑みを刻む。低くまろやかな声で名乗ったのち、こう付け加えた。
「未来ある若者たちに我が騎士団を紹介できること、そしてその任を賜ったことをたいへん光栄に思います。今日の経験をぜひ皆さんの進路選択に役立ててください」
 その言葉に、学生たちは「はい!」と元気よく返事をする。この頃になると、だいぶ緊張も取れていた。副団長が思いのほか優しそうな人物だとわかって胸をなでおろしている子も多いだろう。
 最初の広場から宮廷騎士団の本部まで、さほど距離はなかった。それらしい影がまったく見えなかったものだから、ステラは離れたところにあるものと思い込んでいたのだが、どうやら草木の陰に隠れていたらしい。ひょっとしたら、見えないことを狙っての設計なのかもしれない。
 本部を見た学生たちの中で、ざわめきが波のように広がった。「すげえ」「初めて見た」と、いたるところから感嘆の声が上がる。
 その建物は、騎士団の施設というより館のようだった。貴族の別荘、と言われた方がまだ納得できただろう。周囲の生徒たちよりは冷静に振る舞っていたステラとレクシオも、その佇まいを見たときは思わず息をのんだ。
 正面入口の番をしている兵士たちに敬礼したのち、案内に従って中へ踏み込む。その瞬間、学生たちが先ほどとは質の違う驚きでどよめいた。本部の内装は、外観に反してかなり質素だ。照明や足もとに装飾は一切なく、最低限の調度品以外は何も置いていない。
 その落差に戸惑う少年少女をよそに、ステラは平然と歩いている。むしろ、先ほどまでより心がいくぶんか落ち着いていた。外観と内装の差やまっさらな白壁、少し張り詰めた空気――それらがどこか、実家を思い出させるからかもしれない。
 職場見学の集団は、まず応接室のような場所に通され、宮廷騎士団の職務について簡単な説明を受けた。中等部から何度か来ている生徒にとっては耳にタコができるほど聞いた話だが、今回が初めての見学の子もいるので、こればかりはしかたがない。ステラも、復習だと思って聞いていた。
 説明が終わると、副団長が本部の中を案内しながらさらに細かい実務について説明してくれる。「皇族の方々が宮殿の中にいらっしゃる間は実地任務がないので、意外と書類仕事や訓練の時間の方が多いのですよ」とほほ笑んで説明してくれた。
 屋内をひと通り見回ったところで、副団長が懐中時計を取り出す。時間を確認した後、彼は学生たちを振り返って、目を細めた。
「そろそろ本日の訓練が始まります。演習場に向かいましょう」
 彼が懐中時計をしまった瞬間、一部の少年少女の目が輝いた。

 そうして案内された演習場は、学院の奥にあるそれと似たような雰囲気だ。広大な土地に土や砂が敷かれていて、何の目印かところどころに線が引いてある。
 学院の演習場を想起したのは、ステラだけではなかったらしい。一人の男子生徒がその感想をこぼすと、副団長は得意げに目を細めた。
「ここは演習場の一角にすぎないんですよ。ほかの区画には、瓦礫だらけの場所や森林、川に見立てた水路が流れているところもあります。陸軍や宮廷騎士団では、様々な現場や状況を想定した訓練を行いますから」
 少年少女は、よどみない解説を真剣に聞いている。ステラも興味深く耳を傾けていた。だが、視界の端に人影がばらばらと現れたことに気づき、そちらに目をやる。演習場に騎士と思しき男たちが集ったところだった。彼らは、その中でも特に厳つい数人の号令に従って動く。整列し、話を聴き、応答し、配置についた。一糸乱れぬ、という言葉がふさわしい鮮やかな動きであった。
「さあ、始まりますよ」
 副団長の穏やかな言葉に、再び厳つい号令がかぶさる。おそらく隊長格であろう男たちの声は、腹の底に響くほど重かった。
 今回見学するのは、銃剣の訓練と身体強化――ようは走り込みと筋肉の鍛錬――の訓練だそうだ。明日には現場を想定した演習も行われるらしいが、そちらを見ることはもちろん叶わない。その事実を知った何人かの男子生徒が口を尖らせたものの、表立って不平不満を述べることはなかった。
 銃剣を構えて向かい合い、そしてぶつかり合う騎士たち。その様子をステラは熱心に観察していた。あの手の武器はステラも触ったことがない。剣としての特性も併せ持っているように見えるから、剣術専攻でも触れる機会があるだろうか。ぜひあってほしいものだ。未来がどう転ぶかはわからないが、使えるものは少しでも多い方がいい。
 どれくらいの時間だろうか、ステラは食い入るように騎士たちの対戦を見つめていた。聞く者の心臓が縮むほどの掛け声と、金属のぶつかり合う音が幾度もほとばしる。その光景から、音から、意識を逸らせなくなりそうだった。
 そんなとき、軽く左肩を叩かれる。覚えのある感触で我に返った。顔を上げると、困ったようにほほ笑むレクシオと目が合う。彼は、後方を親指で示した。
「次、行くってよ」
「……あ、うそ!? ごめん、わかった!」
 慌てて上半身を跳ね上げたステラは、体をひるがえす。レクシオとともに、屋内へ移動しようとしていた集団に追いついた。そのステラから少し遅れて、数人の少年少女が駆けてくる。見学に夢中になっていた生徒は、彼女だけではなかったらしい。
 先生は呆れた様子だったが、副団長は「そこまで熱心に見ていただけるとは、喜ばしいことです」と笑っていた。
 学生服が群れをなし、再び館のような本部へ向かう。その扉がふいに開かれ、誰かが演習場の端へ出てきたのは、そんなときだった。
 足を止めた副団長が目をみはる。
「あ、アーサー殿下!」
 彼の口から飛び出た名が、あたりをざわつかせた。学生たちは戸惑ったように視線をさまよわせたり、顔を引きつらせたりしている。ステラもぎょっと目を剥いて、やってきた人物を見つめた。
「おお、グレイム副団長。今日はクレメンツ帝国学院の職場見学だったか。よいときに来られたようだ」
「は……いえ、殿下、なぜこのような場所にいらっしゃるので?」
「なに。将来有望な若者たちの顔を見ておきたくてな。少し抜けてきた」
 副団長の前で快活に笑っているのは、青年だ。蜂蜜を思わせる金髪の下で晴天の瞳をきらめかせている。一見、好青年という印象だが、その双眸は鋭い光を秘めていた。
 そして、何より――
 ステラは息をのみ、少しの間、呼吸を忘れた。
 何より、その顔には見覚えがある。
「それと、殿下はよせ。今の私は一応軍人なのでな」
「失礼いたしました、『オルディアン少佐』」
 敬礼した副団長が口にした姓と階級を聞いて、何人かが言葉にならない叫び声を上げる。きっと、叫んだのは、去年の秋の署名活動に協力してくれた生徒だろう。
『一般の軍人に憲兵隊のことを訊いても、あなた方の求める答えは得られないでしょうね』
 憲兵隊の制服をまとい、ステラたちの前に立ったのは、かつてそう声をかけてきた青年だった。