第一話 獣の町・3

「……それで、訊きたいことって?」
 先程までびくびくしながら見ていたアンナが、尋ねてくる。
「うむ」
 ソラは腕組みをしながら、まっすぐにアンナを見た。そして――重い口を開いた。
「おまえらの父親について、なんだが」
 瞬間、きょうだいの顔が強張った。なぜそれを知っている、そう言いたげな表情だ。
(宿屋での話と動揺っぷりを見れば、嫌でも分かるっつーの……)
 心の中で心の疑問に返事をしてから、ソラは再び顔を上げる。それから、この二人がなにか言うのをじっと待った。じっと、じっと。
 アンナとハルトはしばし押し黙っていたが、やがてアンナの方がそっと口を開いた。
「私の、私たちの父は亡くなりましたよ。怪物退治で」
「あー。やっぱりか」
 ソラは彼女の言葉をしっかりとさえぎる。ハルトにじろりと睨まれたが、気にせず続けた。
「けど、俺が訊きたいのはそっちじゃないんだな。これが」
「どういうことですか」
 これまたアンナの問い。それに答える形で、ソラは質問をした。
「おまえらの父は――人か?」
 動きが止まった。アンナの、ハルトの、リネの、みんなの動きが止まった。何を言ってるんだこいつは、そう言いたげな雰囲気はしっかりと伝わってくる。ソラがふっと息を吐く。この気まずい空気の方はまったく気にしていない様子だった。
 すると、まるで金縛りが解けたかのようにハルトが怒鳴ってくる。
「な、何言ってるんだ! 僕たちは人間だ! だったらお父さんも……」
「そうですね」
 憤怒の感情により熱を帯びた声を、対照的に冷やかな声がさえぎった。――アンナだ。彼女は静かに瞑目している。
 呆気にとられる三人に構うことなく、彼女は言葉を紡いでいく。
「確かに、父はただの人ではありませんでした。幻獣種族と人間の混血……自分でそう言っていましたから」
「幻獣……種族!?」
 リネが叫ぶ。対してソラはそっと呟いた。――ビンゴだな、と。
 ハルトを見て活発になったことと、自分を見て突如暴れ出したこと。この二つの行動には、ある『共通の理由』があるのではないかと踏んでいた。その推測が見事に的中したらしい。
 ちらり、とリネに目配せをする。ソラの頼れる相棒はそれひとつで何をすべきか察してくれたらしく、数回目を瞬いたあと、すくっと立ち上がった。
 アンナの金切り声が聞こえた。
「な、何するつもりですか!?」
「決まってるでしょ?」
 リネが自信に満ちた声で言う。ソラはすかさず、その続きを引きとった。
「あの怪物の"弱点"が分かったから、倒しに行く。それだけの話だ」
「弱点?」
 きょうだいの素っ頓狂な声が重なる。ある程度予想はしていた問いだ。
 黒髪の少年は、不敵な笑みをもってその問いに答えた。
「目には目を、歯には歯を――ってところかな」

 二人が茂みを飛び出して構えた瞬間、怪物――否、"異形の獣"は眼光鋭く二人の方をにらんだ。低くうなり声を上げる。
《フン……愚カナ人間ドモメ。マダヤル気ダッタカ》
 微かな嘲りの響きを感じ、ソラは眉をひそめる。しかし、彼は同時にあの獣の言う『愚かな人間ども』の中に自らが含まれていないことに気付いていた。"同族"を愚か者と言い捨てる気は、今のところないようだ。複雑な心境をごまかすかのように、彼は拳をにぎりしめる。ぎり、という小さな音が生まれた。
 ただ――相手がその気になり、臨戦態勢をとれば、ソラの頭の中は素早く切り替わる。
「リネ」
 ソラは囁くようにして、相棒の名前を呼ぶ。隣に立つ少女が、わずかに首を縦に振るのが見えた。
 それを合図として、二人はそれぞれ横に、それも違う方向にかけだした。ソラは右へ、リネは左へ。そのまま獣の周りを回るように走り続ける。この行為により、今まで沈黙によって保たれていた危うい均衡が打ち崩された。獣の方も目を爛々と輝かせつつ、交互に二人の姿を見やる。そして、狙いをひとつにしぼった。
 そいつが追ったのはソラの方だった。怒りゆえか、好奇心ゆえか、それとも武器を持っていないからか、理由は分からない。ただ獣は、声もあげずに黒髪の少年へ向かって走った。
 ソラは振り返る。冷や汗が体中に滲むのを感じた。だが、口元には不敵かつ挑発的な笑みが浮かぶ。
 なんとも不思議だったが、たまにこういうことがある。どこかで恐怖を感じながらも、心弾み、血沸き肉躍る――つまり戦闘で高揚感を覚える。それも、理性を失った強者(つわもの)であるほどに。厳しい命のやりとりであることに。昔は理由に見当がつかず、また、そんな自分がひどく嫌だった。だが、今は少しだけその理由が分かる気がした。同時に、そんな自分を受け入れ始めていた。単なる諦念か、それとも少しだけ面白く感じたか。
 高揚感を胸にしまったままソラは獣との鬼ごっこを続ける。追ってきているかどうかは気配で分かった。危険がすぐそばまで迫っていることを認識した彼は、振り返りもせずただ走った。
 しばらくすると――背後から聞こえてくる轟音が鼓膜を刺激する。
 ソラが息をのみながらついに振り返ると、すぐそばに咆哮を上げる獣の姿が。"それ"はソラと目が合うと、いつかのように腕を振り上げてくる。だが、それを簡単に食らうほど甘いソラではない。彼は一度息を殺すと、素早く飛び退った。腕はまた、地面にのめり込んで大きな亀裂を生じさせた。
《アアアアアアアアッ!!》
 避けられたことに腹が立ったのか、怒り狂った獣の咆哮が響く。それを聞いた瞬間、少年は思わず眉をひそめた。次いで、うわ、と声を上げる。
 なんだかいろいろと失敗した気がする。そこはかとなく悟った。少なくとも、先程以上にこの獣を刺激するのはまずかったかもしれない。これでは、被害が広がる一方だ。
だが、今更それに気付いても遅い。後悔先に立たず――とはよく言ったものである。ソラは気持ちを切り替えて、目の前の戦に集中することにした。
 ぱんっ。
 唐突に音がする。空気が弾けるような、乾いた音。
《ガアアア――――ッ!!》
 獣の悲鳴はそれに取って代わった。大気がびりびりと音を立てて凄まじい勢いで振動する。危うくソラは耳をふさぎかけたが、そんな彼の手元に、何かが弧を描いて飛んできた。
「きたっ!」
 黒光りする金属の塊。見慣れたそれを手にした少年は、思わずほおを緩めてそんな声を上げる。だが、大きくのけ反る獣を見ると彼は気持ちを切り替えて、素早く銃を構えて引き金を引いた。ぱん、という音と共に鉛弾が発射される。ただ、一見普通に見えるそれは、普通の銃から発射される普通の鉛弾とは訳が違った。獣の胸を狙う弾は、少し経つと赤い光を帯びて飛んでいったのだ。そして、胸に当たると同時に――爆発した。ごおん、という鈍いが大きな音を立てて、弾が炎と煙を巻き上げる。
 獣はうめくと同時に、ギロリと巨眼をむいた。ソラが構えた銃を見つめて低くうめく。憎しみと怒りが込められた、地の底から響いてきたかのような恐ろしい声で。
《キサマァ……同族ノクセニ、人間ゴトキノ武器ナドヲッ!》
 次の瞬間、聞こえたのは、悲鳴。
「なっ……!?」
 同時に放たれた叫びは、獣の背後で銃を構えるリネのものだった。ソラも悲鳴を上げてしまいたい気持ちでいっぱいだったが、息ができずにいた。先程のうめき声とともに、今まででは考えられないような速さで伸びた太い腕は、少年の喉元をしっかりとつかみ、そのままギリギリと首を絞め上げてきていたのだ。
 ソラの口から空気が漏れる。視界がかすんでいくなか、彼は必死で顔を上げた。その先で見た血走った巨眼には殺意がにじみ出ていた。
《幻獣一族ノ……誇リヲ捨テタカァアッ!!》
「ソラっ!」
 獣の叫びと相棒の悲鳴が重なる。耳を澄ませばアンナ姉弟の息をのむ音も聞こえる。獣の腕の力は強さを増していき――
――そのとき、少年の瞳が、ゆっくりと色を変える。黒から、この上なく鮮やかな薄い空色へと。
 このとき、『それ』が起きたという事実を示す音は、何もなかった。ただ、ソラの腕が獣の口腔に向かって伸ばされただけだった。
 しかし、その直後に彼の手元から出て弾けた白い光は、この事実の重大さと恐ろしさを示すには十分だった。リネが、アンナが、ハルトが、そして異形の獣が、みんな、その場で唖然として光を見ていた。
 シュワ――――。
 そんな奇妙な音が聞こえるとともに、止まっていた世界はめまぐるしく動き出す。まず、獣の口の中で光が破裂した。直後に大量の鮮血が噴き出して、周囲を赤黒く染める。そして、今日何度目になるか分からない、獣の雄叫び。
《……天族、『天ヲ駆ル者』、カ》
 次にその口から飛び出たのは、驚愕を含むそんな言葉。
「天族? 前に、そんな言葉を聞いた気がしたけど……」
 先程、驚愕のあまり銃を落としてしまったらしいリネがそんなことを呟いた。すると、獣の目が見開かれる。それを合図にしたかのように、腕の力も少しずつ抜けていった。はっ、という息を吸い込む音が静寂の森に響いた。やっと解放されたソラは、その後激しく咳きこむ。そんな彼を、異形の獣は哀れみのこもった目で見下ろしている。今までと比べればずいぶん静かな、彼の呟きが聞こえた。
《ソウカ。キサマハ、カイルノ子ダッタカ》
「ああ。カイルは俺の……父だ」
 ややかすれた声でソラが返す。どこに驚いたのか「えっ!?」という三人分の声が聞こえた。
 答えを聞いた獣の目が細められる。この時の表情は、笑顔のようにも、泣き顔のようにも見えた。
《ナント……罪深イ……》
――そして、哀れな。
 これが、獣の最期の言葉となった。
 突如として巨体から、音を立てて黒い物が噴き出し始める。
「ひえっ!」
 リネが妙な声を上げると同時に、黒い物の勢いは強くなった。そしてひとしきり黒い物は噴き出し終えると、砂のようになって霧散し、消えた。さらに獣の体もまるで塵のように虚空へ消えた。
 ソラは黙って、その場所を見ていた。いつまでも、見ていた。