第三章 狩人たちの誇り4

「イゼット、あの、どうですか?」
 ルーが遠慮がちに声をかけてくる。イゼットは木の根もとにもたれかかったまま、軽くうなずいた。
「だいぶ楽になった。骨が折れたわけでもなさそうだし」
「そうですか……。ならいいんですけど……すみません」
「なんでルーが謝るの」
 うなだれる少女に、イゼットは苦笑した。同族が発端の騒ぎだからか、過剰に責任を感じているらしい。気持ちはわからないでもないので、それ以上は言わないことにした。怪我とは違う痛みを訴える腕をさすりながら、無事な幹にもたれかかる。
「そうそう。そこでふててるクソガキならともかく、嬢ちゃんが自分を責める必要はねえぞ」
 安穏とした空気を、妙に陽気な声がぶった切った。イゼットは苦笑を深めただけだったが、ルーの表情が一瞬で険を増す。落ち込み気分も吹っ飛んだのか、彼女はにらむようにして振り向いた。
 陽気な声の持ち主と物騒な少年は、水場のすぐそばに居座っている。その片割れ、傭兵デミルは背負っていた鞘を外して、大きな剣を研いでいた。殺気立った視線を受けても動じない。むしろどこか楽しそうに見えた。気のせいであってほしい。イゼットはため息をついた。
「なぜ、あなたたちはまだここにいるんですか……?」
「お詫びに飯代出してやるって言ったじゃん。そのためよ」
「お構いなく、と申し上げたはずですが」
「つれないこと言うなよー」
 デミルは変わらず気安い。なんなら鼻唄でも歌いだしそうなくらい上機嫌だ。反比例して、ルーの眉間のしわが増える。
「どうどう」となだめにかかったイゼットは、ついでに軽く手招きした。ルーが顔を近づけたところで、子どもが悪戯を考えるときのようにささやく。
「ルー、大丈夫? ずいぶんあの人を警戒してるみたいだけど……」
「うー。警戒っていうか、なんだか腹が立つっていうか」
「……珍しいね。まあ確かに、妙な人ではあるけど」
 傭兵を一瞥する。ひょっとしたら気づいているかもしれないが、表面上は素知らぬ顔で剣を研ぎ続けていた。
「アンダくんを止めてくれたし、今のところは信用していいんじゃない? 今のところは」
「そう、ですね」
 返してから、ルーは長いまつ毛を伏せる。しょげる姿は、さながら叱られた子犬のようだ。
「すみません。ちょっと取り乱しました」
「気にしないで。心配してくれたんでしょう?――油断した俺も悪かった」
 ルーは弱々しくかぶりを振る。イゼットは言葉を重ねることはしなかった。ただ、油断したと思ったのは事実だ。奇妙な襲撃者がクルク族とわかった時点で、もう少し距離を取っておくべきだったのだろう。子どもだから、というのは実力を軽視していい理由にはならない。重々承知していたつもりだが、重ねてそれを突きつけられた気がした。
 手の先が、熱を持って痺れている。心の中は曇天だ。
「さて。じゃあ、そろそろ町に行こうか」
 鉛色の雲を払うように、つとめて明るい声を出す。ルーがおずおずとうなずく一方、立ちあがったデミルがいじけていたアンダを自分の方へひっぱった。
「で、どこ行くんだ?」
 本当についてくる気か。イゼットはそう言いたくなったが、こらえた。言うと後が面倒そうだ。
「国境の、ウリグバヤットです。ここへ来るときは素通りしたので」
「そーか! ウリグバヤットは飯が美味いぞ、よかったな」
「デミルに言わせればどこでも飯は美味いだろ」
 アンダが初めて会話に参加した。しかし、彼はすぐに視線をそらしてしまった。デミルは一切気にした様子がない。二人はいつもこんな感じなのだろう。
 首をかしげつつ、イゼットは荷物を整えて馬にまたがる。ルーが続いたのを確認して、すっかり愛馬となった『彼女』に、出発の合図を出した。その少し後、ふと気になって後方の二人を顧みる。
「二人は徒歩なんですか?」
「おーよ。アンダが馬に乗りたがらないんでね。気にせずそっちの速さで行ってくれや」
「はあ……」
 若者はまたも首をかしげつつ、町の方へと戻りはじめる。間もなく道幅が広くなって、ルーが右に並んだ。
「ボク、アンダくんのことは許しません」
「……ルー」
「許しませんからね。――イゼットに謝ってくるまでは」
 眉を寄せ、口をとがらせルーは言う。イゼットは、曖昧な微笑をこぼした。
 それきり沈黙が続く。かっぽかっぽと馬蹄の音が、楽器のように鳴り響く。
「ボクの両親は、集落のみんなに好かれる人です。昔からそうだったみたいです」
ルーが唐突に語りだしたのは、半刻も経たぬ頃。イゼットは、目を彼女の方へ向け、すぐ正面に向き直った。
「戦士としても、狩人としても、優秀な方なんだと思います。集落の人や、自分の子どもたちにもかなり慕われていたそうです。そこへ生まれてきたのが、ボクでした」
 馬蹄の音に、雑音が混じる。かたい草を踏んだらしい。馬たちは動じなかった。
「いきなり、この肌色の子が生まれたものですから、集落じゅうが混乱したそうです。でも、両親は全然動じていませんでした。昔、ご先祖が外の人間の血を入れたことがあるのだそうで――たまたま西の方の人間の特徴が出たんだろうと、母さんが言ってました。
父さんも同じようなことを言ってましたし、兄弟たちにもそのように教えたそうです。だから、家族の関係が壊れるようなことはありませんでした」
「じゃあ、ご両親やご兄弟とは今でも仲がいいの?」
「はい。修行に出るときも、すごくはりきって送り出してくれました。ボクの方が引いたくらいでしたよ」
 若者の、人当たりのよい笑顔がひきつる。ルーの育った家庭を想像してしまって、妙な気分になった。そして彼の想像は、実情とそう違ってはいないだろう。
 馬がつかのま止まって、また歩きだす。
「大変だったのは、家の外にいるときでした。陰口なんて当たり前、同い年の子と喧嘩なんて日課の一部、時には年上の男の子と殴り合うこともありました。
そうやってボクが土と傷だらけになって帰ってきても、家族は戸惑ったり悲しんだりするところを見せなかったんですけどね。父さんなんて、『そのまま泥塗りたくっちまえば、誰もおまえのことよそ者なんて言わなくなるぞ。なんてったって若いときの俺とそっくりだからな!』って言ったんですよ」
 ルーがくすりと笑った。イゼットも釣られる。確かルーの父親は、キールスバードの町民にも陽気に話しかけたという人だ。つまりは、そういう人なのだろう。
「そうやって、時に騒ぎを引き起こしながらも、九歳まではなんとかやっていけたんです。けど、十歳になる年の、春のはじめ――『十の奉納』で、とうとうマズイことになりました」
『十の奉納』。先ほども聞いた言葉だ。イゼットが顔をしかめていると、ルーは彼の戸惑いを読みとったのか、酷薄な笑みを刷いた。
「文字通り、十歳になる年の春に子どもたちが行う儀式が『十の奉納』です。クルク族のほとんどで行われている大事な儀式で、これが失敗した年は災いが皆に降りかかる、といわれています」
 そして、ルーはその儀式を失敗したのだ。イゼットは思わず馬を止めそうになったが、ルーが気にせず先に行こうとするので、それにならった。
「この儀式は、精霊に狩猟と武闘――狩った獲物と戦う姿を精霊に捧げて、精霊にも元気になってもらう、というものです。生命力豊かな子どもが参加すると儀式の効果が大きくなるといわれたことから、今の形になったらしいです。
けど、その儀式で、ボクは捧げ物の動物を狩ることに失敗し、さらに戦いの方もダメダメでした」
「ダメダメって……」
「ダメダメだったんです。――ここでいう戦いは、集落の若い人と演武のように戦うことです。むこうも十歳の子相手ですから、大けがをさせないように気をつけてくれます。それでもボクは、演武にすらならないようなひどい戦いしかできなかったんです」
 白い手が、強く手綱をにぎって、すぐにゆるんだ。馬の歩みはよどみない。
「多分、傷つけることが怖かったんだと思います。狩りでも、戦いでも。それ以外にも原因はあったかもしれないけど、それが何かは、まだわかりません。でも、儀式を失敗したことは事実です。集落はボクが生まれたとき以上に混乱しました。ボクはあっという間に『恥さらし』と言われ、『できそこない』と呼ばれるようになりました」
 イゼットは唖然としつつも、呈された事実とは別のものを頭の中に思い起こしていた。
 彼女が時折見せる、思い詰めたような表情と、荒んだ一面。その始まりはおよそ六年前の春だった。その後からずっと、汚名と傷ついた心とを背負い続けていたのなら――
「父さんや母さんには迷惑をかけました。兄弟には辛い思いをさせてしまいました。だからこそ、この旅だけは成功させないといけないんです。挽回できる最後の機会なんです」
「ルーはここまで、修行場を切り抜けてきてるじゃないか」
「ここまではなんとかなってますね。イゼットがいなかったら、正直危なかったです。でもイゼットは、ボクがいなかったら、今回こんな厄介なことにはなってなかったんですよね」
 肩を落としたルーが、一瞬だけ後ろを見る。驚くべきことに、デミルとアンダは馬にいっさい遅れを取らず、速さを変えることもなく、ついてきていた。しかもデミルの方は変わらず上機嫌だ。――内心がどうかは、二人の知るところではないが。
 イゼットは思わず吐息のような笑声をこぼす。
 確かに厄介といえば厄介だ。アンダには理由もなく殺されかかった。なのにふしぎと心は凪いでいる。
 前方に大きな岩が見えた。イゼットは手綱を通して馬に指示を出す。馬はするりと岩を避けたあと、軽く鼻を鳴らしたようだった。ルーたちがそれに続く。彼女の手綱さばきはまだ危なっかしい。いや、イゼットがそう思うだけかもしれない。
「俺は、君がいなかったら、そろそろこの旅やめたいな、って思ってたかもしれない」
「……え?」
 イゼットは、澄んだ黒い瞳の中に、どこかさびしそうな自分の顔を見た。
「心を決めたつもりでいた。けど、揺らぐときはある。聖都に行くのが、あの場所に足を踏み入れるのが……すごく怖い。その思いは消えないから、ときどき投げ出しそうになった」
 ルーは何も言わない。馬たちは歩調を変えない。後ろから、音程を大きく外した歌が聞こえる。
「でも、ルーと一緒に旅するようになってからは、あんまり怖いって思わないんだ。目をそらしているだけかもしれない。それでも、嬉しいし、ありがたかった。君が頼ってくれて、一緒に修行できて――アハルで出会って、良かったと思う」
 明るい瞳はほほ笑まない。透徹したまなざしを少女に向ける。
「結構、助けられてるしね。――俺は、君ができそこないだと思ったことはないよ」
「イゼット……君は……」
 ルーはうめくように言いかけて、けれど最後まで言わなかった。口を閉ざして、考えこむように眉を寄せ、ほんの短い時間そっと瞼を下ろす。
 落ちた瞼が上がったとき、ルーの中の暗さは、少しだけ薄らいだようだった。
「あの。聖都に着くまでは、また迷惑をかけると思います。アンダくんのような人が、ほかにもいるかもしれません。それでもいいんですか?」
「大丈夫だよ。それに、きっと俺もたくさん迷惑をかける。それで手打ちってことで」
「手打ちって……なんの契約ですか……」
 顔を見合わせ、ほほ笑んで、二人は軽く吹き出した。ひとしきり笑い合った後、再び行く先へと視線を向ける。乾いた青空と大地の先に、町の影が、薄青く浮かんでいた。
 ペルグ王国、東国境の町――ウリグバヤットだ。