第二章 闇の色(2)

 二つの同好会グループの少年少女――合計九人――は、揃って森に入った。そして、微妙に道が枝分かれしている地点で二手に分かれた。ここから先は、それぞれに幽霊の調査をすることになる。
 しかし。
「トニー、どうだい?」
「んんー。なんか変な感じはするけど、幽霊っぽい気配ではないなあ」
 猫目の少年は、しきりに首をかしげながら空を見上げる。どこか黒ずんでいるように見える木々の隙間からは、場違いに思えるほど鮮やかな青空が広がっていた。
 幽霊調査を始めてから、およそ四十分。今のところ、わずかの手がかりも得られていない。『ミステール研究部』の方はどうだろうか、という話になったこともあったが、それに対してはジャックが珍しくこんなことを言った。
「僕がここまで探して何も見つけられないということは、オスカーたちの方も似たような状況だと思うよ。まず、手がかりとなる情報そのものが少ないようだから」
 陽気に言い切られると、不思議と気持ちが落ち着く――というより、楽観的になるものだ。そんなわけなので、『調査団』の五人は切羽詰まるでもなく不安になるでもなく活動を続けている。
 けもの道を逸れて木立の中へ入っていたナタリーが、体中に葉をつけて戻ってきた。団員たちからの無言の問いかけに、彼女はため息まじりに首を振って応じる。
「ここまで何も出てこない、何も感じないってなると、かえって不気味ね……。なんとなく怖い感じはするし……あぁ、いきなりなんか出てきたらどうしよう……」
 ぼやきながら、ナタリーはステラのそばで足を止める。そうかと思えば、さりげない足取りで彼女の背後に入った。ステラは、眉間にしわを寄せている友人を振り返ったが、無言で視線を戻す。
「怖いっていうより、あたしは――」
 ふと呟いて、ステラは足を止める。前後左右を見渡した。何もない。何もないことに違和感を覚えて、口もとに手を添える。背中にぶつかり、肩から腕へと流れていく寒気は、消えそうにない。
 森に踏み込んだ瞬間から、ステラは妙な気配を感じつづけていた。団員たちに言わなかったのは、気のせいかもしれないと思ったから。そして、万が一そうでなかったとしても、『研究部』の前では口に出せない内容だったのだ。
 だが、ここへ来て気配は強くなってきている。いよいよ気のせいでは済まないのかもしれない。
「ステラ、どうした?」
 馴染み深い声が、ステラを思考の海から引き揚げた。顔を上げると、ちょうどこちらをのぞきこんできたレクシオと、視線がかち合う。ごまかそうか、ととっさに思ったが、緑の瞳に見つめられるとそんな気も失せた。
「うーん。なんか、変な気配を感じてね。レクは何か感じない?」
「変な気配? 俺には何もわからんがね」
 言いながら、レクシオはあたりを見回す。ついでに「魔導士の皆さんは、なんか感じる?」とほかの三人に問いかけてもくれた。ジャックとトニーが、顔を見合わせて黙った後、ゆるやかに首を振る。
「僕は何も感じないよ」
「俺もだ。感じないから困ってる、っていうところでもある」
 答えを受けて、レクシオは頭をかいた。
「じゃあ、あれかね。武人の勘的なやつ?」
「多分、それも違う。殺気だったらレクも気づくでしょう」
「そりゃあ確かに」
 二人して首をかしげていると、ナタリーが後ろから「二人とも、怖いこと言わないでよ!」と苦情を飛ばしてきた。確かに、ただでさえ怖がっているところにこんなことを言われては、文句を言いたくもなるだろう。ステラはそう思って彼女の頭を軽く叩くだけにしておいたのだが、レクシオは少し肩を落としていた。
「ほんと、ナタリーは待ってた方がよかったんじゃないのか……?」
 団長と団員たちは、同意も反論もできなかった。
 ともかく、ステラが感じ取ったものが、現在のところ唯一の手がかりだ。しかし、それを頼りに進むには、手がかりそのものがあまりに曖昧すぎた。霧の出所を探して歩くようなものである。
「なんかこう、森全体にうすーく広がってるような感じなんだよね……だから上手く捉えられなくて……」
 言いながら、ステラは頭をかいた。どうにもうまく説明できない。前髪の下から頭を押さえているステラを見て、レクシオが顎に指を引っかけた。
「雰囲気的には、どんな感じなんだ? 獣っぽいとか、幽霊っぽいとか、人っぽいとか」
「どれでもないなあ……。なんというか、こっちが委縮してしまうような感じはするんだけど……森の主みたいな獣じゃなさそう」
「なるほど」
「なんか、どっかで感じたことはある、気がする。しかも、割と最近」
 分析は進むが、答えらしきものは出ない。会話が成立しているのもステラとレクシオだけで、ほかの三人はひたすらに首をひねっていた。そもそも、魔力を感じないという時点で、魔導がらみである可能性は低いのだ。魔導士たちが反応に困ってしまうのは当然だった。
 言葉を交わしながら歩いているうちに、少しばかり開けたところに出た。切り取られて見える空は広く、秋の優しい陽光が草木とやわらかな土の上に降り注ぐ。
 日光を全身に浴びて、トニーが思いっきり伸びをした。
「おお。気持ちいいな、ここ」
「ちょうどいい。少し休憩にしようか」
 ジャックが朗らかにそう告げると、『調査団』を取り巻く空気がふっと緩まった。ナタリーやトニーは、あまり汚れがつかなさそうな草の上に座り込む。ステラたちはそこまでしなかったが、木に背を預けて全身の力を抜いた。
「『ミステール研究部』だっけ。なんか不思議な取り合わせだったね」
 軽くあくびをしたナタリーが、思い出したように呟く。友人の言葉に、ステラは力強くうなずいた。
「妙に暗いオスカーと、ネリウスさんと、勢いのすごい赤毛の子と……もう一人の男の子は誰だろ」
「カーター・ソフィーリヤっていう魔導科生だよ、多分。神学専攻で、結構な優等生だ」
 ステラが言葉に詰まったところで、トニーがふんわりと言葉を返す。彼は何事もないかのように日光浴をしているが、ステラは『神学』専攻と聞いて軽く頬を引きつらせた。彼女の表情の変化に、学友たちは気がつかなかったらしい。そのまま、会話が続いた。
「確か、魔導術に関わるもの、もしくはそれと似て非なる現象について研究する同好会グループだよね。報告書提出のほかに、活動内容をもとにした新聞を発行してもいる」
「だから、『神秘ミステール研究部』か。少なくとも、オスカーの命名ではないな」
 古くからの友人同士は、顔を見合わせて笑った。ステラも釣られて口もとをほころばせる。一生懸命名前を考えている彼を想像してしまった。
 その微笑はだが、すぐに固まって、険しい渋面に取って代わる。
 意識の端に、まばゆいものが引っかかるような感じがした。ステラは、はっ、と顔を上げて、あたりを見回す。風景に変化はない。それでもステラは『つかんだ』と確信した。きっと、薄く広がっている気配の元だ。
 神経を研ぎ澄ます。感覚をそこかしこに巡らせた。
 昔、実家でやった石を飛ばす遊びを思い出す。より速く、もしくはより遠くへ飛ばした者が勝ちだった。石に触れる指の感触、それを投げる瞬間の体の動き、そして高らかな風切り音――それを想像して意識を巡らせているうち、ステラはひとつ、大きなかたまりに指が触れた気がした。
 寒気がする。全身の毛が逆立つ。だが、間違いない。『これ』が探していたものだ。
 方向を確かめて、足を踏み出した。その瞬間。
「へいお待ちー」
「っ、うわっ!」
 後ろから服の襟を力強く引っ張られた。ステラは大きくよろめき、たたらを踏んだが、転ぶことはなかった。安堵の息を吐いていると、レクシオが後ろからのぞきこんでくる。
「おひとりでどこへ行こうってんだい、ステラさんや」
「あっ……いや、その……」
「こんな森の中で単独行動して、迷子にでもなったらどうすんの」
 幼馴染の言うことは、端から端まで正論だ。ステラは肩を落とし、「すみません……」と頭を下げた。怒られたことよりも、目的にとらわれすぎてまわりが見えなくなっていたことが情けない。改めて振り返ると、残りの三人が怪訝そうにこちらを見ていた。
 レクシオは目を細め、少しの間黙っていたが、やがて一人で納得したようにうなずく。ステラがしょんぼりしている間に、彼は仲間に笑顔を向けた。
「俺、ステラについてってみるわ。みんなはここで待っててくれないか?」
「え?『武術科』の二人だけで大丈夫?」
 ナタリーが、立ち上がりながら声を返す。レクシオはひらりと手を振った。
「ま、なんとかなるっしょ。助けが必要そうだったらすぐ引き返してくるからさ」
「……わかった。くれぐれも、無理はしないようにね」
「ありがとな、団長」
 ステラが呆気にとられている間に話がついてしまった。彼女の方を向きなおしたレクシオは、自然な所作で手を取ってくる。
「さ、行くぞー」
「あ、わ、わかった!」
 レクシオに引っ張られる前に、ステラは大急ぎで足を踏み出した。
 ジャックたちの話し声があっという間に小さくなって、草の鳴る音にかき消される。その乾いた旋律と足音だけが、やがて二人を包みこんだ。鳥獣の声は相変わらずしない。おかげで奇妙な気配が辿りやすいのは助かるが、その不自然さを思うたびに背筋がぞっとするのだった。
「で、こっちでいいのか?」
「うん」
 あっけらかんと訊いてきたレクシオに言葉を返してから、ステラはその背中をじっと見つめる。
「あの……なんで、突然ついてくるって言ったの? いや、ありがたいんだけど」
「あのままだったら、おまえ一人で行ってたでしょうが」
「それは」
 反論できない。
 ステラが返答に窮していると、レクシオが楽しそうに肩を揺らした。
「まあ、理由はそれだけじゃないんだけどな。二人だけの方が、この先でなんか起きても対処しやすいかと思ったんだ」
 ステラは一瞬足を止める。レクシオも立ち止まって、振り返った。薄暗い木々の狭間で、緑の瞳はその風景に溶け込んだかのように暗く沈み込んでいる。一粒の光だけが、意志の強さを感じさせた。
「そばにいるのがステラ一人なら、堂々と魔導術を使えるからな」
 ほほ笑む少年はいたずらっ子のようでありながら、どこか苦しそうでもある。
 ――ささやきは一瞬後、木々のざわめきにかき消された。