終章 叛乱者の集い

 帝国領内のどこかにある、深い深い洞窟。その最奥でギーメルは沈黙していた。そばにはほかの仲間がいるが、なんとなく口をきく気分にはなれない。幸い、そのうちの一人は寡黙であるから、よほどのことがない限り自分から口を開くことはないのだった。今も黙ってひとり剣を磨いている。
 そして、もう一人はさらに寡黙だ。いや、それどころか、まともな言語を発しているところを見たことがない。彼はひたすら闇の中に巨体をうずめ、時々何かを気にするように仲間の集まる方を振り返るだけだった。顔を見たこともほとんどないから、ギーメルにも彼のことはよくわからない。死した者の魂と語らう力があるという事実だけを知っている。
 問題は、最後の一人だ。童女の体を持つ、まがいものの神族。彼女はみずからの保護者である男のまわりを走り回ったり、ギーメルに対して舌を出したりと忙しい。いちいち反応するのも面倒くさい――はずなのだが、彼女の甲高い声を聞いていると無性に腹が立って、噛みつきたくなるのだった。
 その童女が、また口を開く。
「ねえラメド。ラメドはこうぞくって見たことあるの?」
 彼女の問いかけに、男が少し顔を上げた。
「皇族か。遠くから見たことがある」
「ふうん。どんな感じ?」
「そうだな……」
 つかの間黙った後、彼は言葉を選ぶように答える。
「底が知れない――何を考えているかわからない感じではある」
「へえ。ヌンよりわからない?」
「いや、ヌンよりはましだな」
 まばたきした彼女、アインの頭をラメドはそっとなでる。生真面目で沈黙の多いこの男は、アインの相手をしているときだけは表情がやわらかくなる。それは、彼がアインをこちらに引き込んだ張本人だから、ということだけが理由ではないだろう。
 何にせよ、ギーメルには理解できない感覚だ。
 彼がひそかに鼻を鳴らし、顔を背けたとき、洞窟に甲高い靴音が響く。最初小さかったそれは、じょじょに近づいてきた。ギーメルが入口の方に視線を投げると、予想した通りの者が予想通りの表情で立っている。
「ただいま。遅くなってごめんなさいね」
「ダレットか。処理とやらは済んだのか?」
「ええ。なんとか」
 うっすらと笑んだ女は、長い黒髪を軽く払う。今の彼女は人間の国の正装ではなく、群青色のドレスを身にまとっている。それとよく似た色のため息が、口唇からこぼれ落ちた。
「まさか、アーサー殿下があそこまで積極的に動くと思っていなかったわ。おかげでちょっと手間取っちゃったわね」
 彼女が言っているのは、今回の件――『魔導の一族』の子どもを憲兵隊に捕まえさせた一件のことだ。ギーメルは一瞬、軍部前で出くわした少年たちのことを思い出すが、すぐに頭から追い出す。『翼』でもない人間のことを考えてもしょうがない。
 しかしダレットは、そんなギーメルを一瞥してから、弾むような笑声を立てた。
「いつまでもかわいらしい子犬だと思っていたら……いつの間に、ああも鋭い目をするようになったのかしらね。人の親というのは、こういう気分なのかしら」
 暗がりの中で、礼服の男がわずかに頬を動かす。それを見つけたギーメルの心に、わずかな火花が熾った。
「おい、ダレット。あの皇子のこともそうだけどさ。今回、なんでヴィントの息子にあそこまでこだわったんだ。『翼』でもない人間に構う必要はねえだろ」
 ダレットはギーメルの問いに対して、少し考えこむようなそぶりを見せた。
 北風のような静寂が洞窟を包む。それが破られたのは、退屈なやり取りに飽きた童女が、保護者に向かって手を伸ばした頃だった。
「――『金の選定』」
 さりげないダレットの言葉は、しかし洞窟内を確かに揺らした。ラメドが目を見開き、アインが動きを止め、あのヌンが身じろぎする。ギーメルも、まじまじと女を見返した。彼女は青年の三白眼に向かってほほ笑む。
「『金の選定』の仕組みは、みんな知ってるでしょ」
「まさか、あのガキがそうだってのか?」
「候補の一人ではあるでしょうね。そうでなくても、『魔導の一族』であの男の血を継ぐ者よ。危険な存在には違いないから、潰せるうちに潰してしまおうと思っていたの」
 まあ、見事に邪魔されてしまったわけだけれど。そう付け足したダレットの声は軽かったが、目は決して笑っていない。ギーメルも表情を引き締めた。
「つい昨日、セルフィラ様が仰っていたな。『金の選定は近い』と」
 低い声が暗がりを揺らす。ラメドが、刃のような目をダレットに向けていた。彼女は静かにうなずき、両腕を広げる。
「ええ。あのお言葉を受けて、レーシュはすでに指定された場所へ向かったわ。私たちも、そろそろ準備をしましょう。候補を潰せなかった以上、全力をもって事にあたらなければならないわ」
「――もとより、そのつもりだ」
 ラメドが呟き、といだ剣を鞘に収める。同時、剣は光と化して消えた。彼が立ち上がると、その隣にアインがくっついて、彼の手をつかむ。
 ギーメルはまた鼻を鳴らして、大男のいる方へ向かった。彼と一瞬目を合わせた後、ちろりと女を振り返る。
「そういえば、ダレット。『金の選定』が始まる場所はわかってるのか?」
「ええ」
 あっさりと応じたダレットは、愉快そうに彼の質問に対する答えを落とした。
「『選定』の地はシュトラーゼの聖堂よ。――確か、シュトラーゼは、今の『銀の翼』のふるさとだったわね」
 笑声は、寒々しい闇をかき乱す。ギーメルはそれに答えず、闇をまとった大男の方へ視線を戻した。


(Ⅲ 魔導の一族・終)