第一章 厳冬の便り(4)

 武道場にひしめく少年少女たちが、思い思いに剣を振っている。一人で素振りをしている者もいれば、相手を見つけて打ち合っている者たちもいた。
『武術科』剣術専攻の実技の中で、時々設けられる自主訓練の時間。何か事故が起きてはいけないので、当然監督役の教師はいるが、彼らも最低限の口出ししかしない。生徒たちは各々で訓練の内容を決め、自由気ままな鍛錬の時間を過ごすのだった。
 剣が交わる硬質な音と、少年たちの話し声が飛び交う武道場の片隅で、ステラはひとり素振りを繰り返していた。延々と、型をなぞって剣を振る。時折、それとばれないように魔力も通してみた。『選定』直後よりはだいぶ安定している。武器に通すときも、ぎこちなさがなくなってきた。良い傾向だ。
 型をなぞり、数を数え、深呼吸。それを繰り返す思考のかたわらで、もう一方の思考も延々と回っている。こちらは、一方と比べて随分と忙しなく、色んな物事が浮かんでは消えていた。
 手紙のこと。兄のこと。実家のこと。そして――『金の選定』のこと。絶えず回り続けるそれらは、時に彼女の頭を痛め、胸を締めつけた。そのたびに、ステラは意識をして呼吸をし、数を数えた。
 それらの思考が唐突に中断されたのは、ステラの感覚が異質な人の気配を捉えたからだ。こちらに近づいてくる、それも明らかに自分が目当ての人。
 大きく息を吐きだした後、素振りを止めて、ステラは模擬剣を下ろした。振り返ると同時、目を真ん丸にした赤毛の少女が、下からのぞきこんでくる。
「やっほーい、ステラ」
「ブライス?」
 少女の名を呼んだステラは、前にもこんなことがあった気がする、と思いながら肩をすくめた。
「ごめんけど、模擬戦の相手ならほかを当たって。今日は集中できそうにないから」
「いや、お相手探してたわけじゃないよ」
 ブライスは、一度飛び跳ねてからつま先立ちになる。榛色ヘーゼルの大きな瞳が、憔悴した少女の顔を映し出した。
「ステラが眉間にしわ寄せてるから、何事かなーと思って」
「う、顔に出てた?」
「めちゃめちゃ出てた」
 ばっさり指摘されて、ステラは頬を引きつらせたまま乾いた笑いをこぼす。何となしに、下げたままの模擬剣を見下ろした。
「ちょっとね。色々と考え事しちゃって。最近、気になることがたくさん出てきちゃったから」
「あ、シュトラーゼに行くんだもんね。ぶちょーから聞いたよ」
 なぜオスカーがそのことを知っているのか。ステラはちらと思ったものの、口には出さない。ああそっかー、と後頭部を支えるように指を組んだブライスを、ただ見つめた。
「家出してた実家に顔出す感じだもんね。それは気まずい」
「気まずいだけならまだいいんだけどね……おじい様がなんて仰るやら」
「うーん。『かんどう』されなきゃいいや、くらいに思ってればいいんじゃない?」
「怖いこと言わないでよ。言われかねないんだから」
 ステラが体を抱えると、ブライスは「冗談だってー」と軽く笑った。ステラは口を尖らせつつも、心が軽くなっていることに気づいて苦笑する。この少女と会話していると、だんだん悩み事がどうでもよくなってくるから不思議だ。
「ステラは楽しむ余裕もないかもしれないけど、シュトラーゼは気になるなあ。ド辺境なのに、結構都会なんでしょ」
「ド辺境って……まあ、国境の山しょってるけどさ……。でも、そうね。みんなが想像するよりは都会かも」
 殺伐とした都市と思われがちなシュトラーゼだが、実際はそうでもない。物々しい雰囲気を漂わせているのは城壁周辺と実家周辺くらいのものだ。市街地にはかわいらしい住宅もあるし、喫茶店や食堂、雑貨屋なんかが並ぶ通りも存在する。帝都ほどきらびやかでないにせよ、「よくある街」だ。
「へえええ。いいなあいいなあ、気になるなあ」
 そんな話をしてやると、ブライスは幼子みたいに目を輝かせ、首を伸ばしてくる。そのまま突進してきそうな彼女を両手で押しとどめながら、ステラは笑った。
「大祭に合わせて『研究部』のみんなと行くのも楽しいかもよ?」
「それいいねえ! 部長に聞いてみよ!」
 ステラとしては軽い提案のつもりだったが、ブライスの方は本気でオスカーにお伺いを立てるつもりらしい。彼女から少し離れ、鼻歌を歌いそうな表情で模擬剣を振りはじめた赤毛の少女を見て、ステラは肩をすくめた。どうなることやら、と胸中で呟きつつ、彼女も再び模擬剣を構えた。

 

それから先はあっという間だった。学期の終わりに向けてだんだんと講義の密度が減り、冬期休暇に入る。ステラはその間、シュトラーゼ行きの準備に追われていたわけだが、荷物は大して多くない。重要なのは心の準備の方だった。
 慌ただしくしている間に、ラキアスからの返信も届いた。早すぎやしないか、とステラは驚いたものだが、どうやら特急便を使ったらしい。「お友達の同行は問題ない。むしろ歓迎するよ」という柔らかな文章に、彼女は心から安堵した。
 そして、ついに出立の日がやってくる。
 帝都北東に佇むひときわ大きな建物。それこそが、遠方への旅の出発点――つまりは駅舎だ。真新しい巨大建造物の中へ、今日も盛んに人が吸い込まれていく。馬車乗り場にはすでに三台が待機していて、黒毛の馬が時折小さく鼻を鳴らしていた。
 ステラは、人垣をすり抜けるようにして駅の中を駆けていく。学院にも引けを取らないにぎわいに、ひるみそうになった。
 学生か教師くらいしかいない学院と違い、行き交う人の年齢や色合いも様々だ。ステラと同じく大きな鞄を引きずるようにしている人もいれば、上品な笑い声をひらめかせる紳士淑女の集団もいる。
 つかの間呆然としていた己を、頬を叩いて叱咤したステラは、再び歩き出した。慣れない手振り口ぶりでなんとか切符を手に入れ、やたら長い階段を上っていく。見たことのない学生の集団を横目に、軽やかに駆けあがった。
 列車の乗り場もまた、人でごった返している。機械の駆動音や汽笛の音が混じる分、改札口よりもやかましかった。半円形に膨らんだ天井を見上げ、ステラは白い息を吐きだす。格子の隙間には一つひとつ硝子がはめこまれていて、晴れた日には小さな輝きを散りばめる。しかし、今日は曇天だ。硝子の輝きは薄く、その先には灰色の空だけが見えていた。
 切符と乗り場の案内板を見比べながら、ステラは進む。やがて、雑踏の中に慣れた人の姿を見出すと、わずかに歩調を上げた。
「団長! おはよう!」
 意識して、いつもより声を張る。その甲斐あってか、長身の少年はすぐ振り向いた。相変わらず整った顔立ちの彼に、ステラは高く腕を掲げてみせる。
「ステラ、おはよう! 乗り場はここで合っているかな」
「うん、大丈夫」
 やり取りをしている間に、一団と合流する。すでに到着していたのは、ジャック、トニー、ミオン、そしてレクシオ。つまりは寮生の皆様だった。寮生は外出手続きなどがあるため早く出発する、だから早く着くかもしれない、とは聞いていたが、その通りだったわけだ。
「ナタリーは?」
「まだみたいだな。ま、列車が来るまでには時間があるから、大丈夫だろ」
 きょろきょろしながら問うたステラに、レクシオが軽い調子で答えを寄越す。小さくうなずいたステラは、続けて、線路を見つめてそわそわしている二人に目を留めた。トニーとミオンだ。
「どうしたの?」
 声をかけると、おさげの少女が肩を震わせて振り返る。今日のミオンは、灰色のコートの上から緑を基調とした風変わりな柄のマフラーを巻いて、その下に丈の長いスカートを履いていた。制服姿しか知らないステラの目には、とても新鮮に映る。
「す、すみません。駅に来るのも、列車に乗るのも初めてで……少し緊張してたんです」
「俺も。遠目から列車を見たことはあるけど、こんな近くまで来たことはなかったよ」
 ミオンは、両手を胸の前で組んではにかんだ。その横で、トニーが厚手の帽子の端を持ち上げる。
 なるほど、ミオンはこれまで人目を避けての放浪生活を強いられていたし、トニーは学院に入るまで路上生活をしていた身だ。列車とは縁遠かったのだろう。ステラは得心して手を叩いた後、自然と微笑をこぼす。
「じゃあ、今回はめいっぱい楽しまないとね!」
 元々、自分の里帰りに付き合ってくれる格好なのだ。その過程くらいは、思いっきり楽しみたいし、楽しんでほしい。
 だからこその言葉に、ミオンがきょとんと目を瞬く。だが、その表情は徐々に満面の笑みへと変わっていった。
「――はい!」
 そんなやり取りをしているうちに、ナタリーがやってきた。列車到着予定時刻の五分前。早すぎず遅すぎず、よい時間だ。黒髪の少女は五人が揃っているのを見ると慌てたように詫びたが、誰も気にしてはいない。彼らの到着が早すぎるのである。
 それから、しばらく。定刻から十分ばかり遅れて列車が入線した。曇天にチカッと瞬いた白光に、ステラは思わず目を細める。その間にも、すさまじい音を立てて列車がやってきた。
 列車は徐々に減速して、停まる。トニーとミオンが、黒光りする金属の塊に見入っていた。甲高い車輪の音など、まったく気にしていない様子である。
 同じ列車を待っていた人々が、ゆるやかに流れはじめた。ジャックがトニーの帽子を軽く叩き、ステラがミオンの手を引く。すると、彼らは我に返った様子で荷物を持ち直した。残る団員たちは、苦笑しつつも人の流れに入っていく。
 狭く、薄暗い車内を進んで、六人は向かい合わせの席に辿り着いた。列車が初めてという二人に窓際の席を譲ることになったのは、自然な流れである。荷物を整理した後、トニーの側にジャック、ナタリー、ミオンの側にレクシオ、ステラが腰かける。そうしてようやく人心地ついたとき、レクシオがぼそりと呟いた。
「へえ、中ってこんな感じになってんのな」
 座面を触りながらの彼の言葉に、ステラは目を瞬く。
「レクも初めてだっけ?」
「四、五回乗ったことあるぜ。ただ、ほとんどが親父と一緒にいたときの話でなあ。密航者よろしくこそこそしてたんで、じっくり観察したことはなかった」
「あ……」
 飄々とした彼の言葉を受け止めて、ステラは顔をこわばらせる。つい反射で「ごめん」と言いそうになったが、とっさに呑み込んだ。多分、この幼馴染が望んでいるのはそんな言葉ではないだろう。
 口の端を持ち上げる。こみあげるものをごまかすように、目を細めた。
「じゃ、レクも楽しんじゃいなよ。せっかくの機会だから」
 レクシオは、虚を突かれたとばかりに目を瞬く。それから、ふっと相好を崩した。
「そうだな、そうするわ」
 返答に気負いの影はない。
 ステラはそのことに安堵して、笑い返した後、体を前に向けた。
 ちょうどそのとき、乗務員の放送が車内中に伝わって、列車がゆっくりと動き出す。けたたましい音がする中で、トニーたちが歓声を上げる。
「ひゅう! とうとうシュトラーゼに向かうんだ! 楽しみだなあ」
 ナタリーが両足を少し揺らして呟いた。列車を見たときには平然としていた彼女だが、トニーたちとは違う楽しみに浸っているらしい。
 そういった、各々の高揚感が落ち着いた頃を見計らって、誰かが軽快に手を叩いた。団長、ジャック・レフェーブルだ。彼は団員みんなの視線を一身に集めると、いつもの陽気な笑顔と声色で切り出した。
「さあ、みんな! 今回の旅について確認しよう」
 しなやかな人差し指が虚空で円を描く。車内のわずかな照明を受けて、指先が黄色く光った。
「行き先はシュトラーゼ。主な目的はステラの帰省で、僕たちはそれに同行する格好だ」
 名を呼ばれたステラは、右手をまっすぐにして挙げつつ、小さくうなずく。
「そして、もう一つ。冬の大祭に参加する。お披露目される女神像にまつわる怪奇現象を調査するためにね」
「必ず何か起きるとは限らないけど、これまでの『戦績』を鑑みると、何が起きてもいいように備えておかなきゃいけないな」
 ようやく帽子を脱いだトニーが、しかつめらしく後を引き取った。その通り、と言ったジャックは、そこで少し声を落とす。
「それと、もう一つ注意しておかなければいけないことがあるね。女神像の下で『金の選定』が行われる可能性が高い――エドワーズ神父は、手紙にそう書いておられたんだよね、ステラ」
 水を向けられたステラは、唇を軽く噛んでから、肯定した。
「うん。『金の選定』を行うには、『あたし』の魔力と女神さまの魔力を媒介する装置が必要で、今回は女神像が装置の役割をするんじゃないかって。過去にも何度か、シュトラーゼの冬の大祭で『選定』が行われた例があるから、気をつけておいた方がいいと思う」
 ステラがエドワーズから受け取った封筒。その中身は手紙というより、資料だった。帝国で調べうる限りの『金の選定』の情報が書かれていた。今しがた、彼女が口にしたのも、その内容の一部だ。
 そしてステラは、資料に書かれていたもう一つの事実を、あえて言葉にしなかった。
 言ってしまったらその瞬間、何かが壊れてしまいそうな気がしたから。
 ステラは、膝の上で軽く拳を握る。彼女の懊悩に気づいていないであろう団員たちは、それぞれに言葉を交わしていた。
「っはー、久々に神様絡みのことが起きるか。おっかないねえ」
「『選定』ってことは、セルフィラ神族? たちも来るかもしれない、ってことかしら」
「可能性はあるね。準備をしておかないと」
「あ、足を引っ張らないよう、頑張りますね!」
 ステラはその声を遠くに聞きながら、列車の揺れに身をゆだねる。――今は、あまり難しいことを考えたくなかった。
 旅は始まったばかりだ。終わりまでは、まだ遠い。だが、列車が往くこの道は、確実にシュトラーゼへと伸びている。