第二章 北極星の一門(2)

「現当主は私たちの祖父なんだけれど、今は留守にしていてね。代わりに私が応対することになった」
 そんなことを説明しながら、ラキアスは六人を応接室に通してくれる。
 学院の応接室とよく似た雰囲気のそこで、彼らは改めて向き合った。
「それでは、改めて自己紹介させていただこう。イルフォード家の長男、ラキアスだ。今はこの家の実務のほとんどを担当している。よろしくね」
 ラキアスは、人当たりのよさそうな笑顔のまま名乗る。ステラ以外の五人に向けられたその言葉に、ステラはこっそり眉をひそめた。――まだ、自分は後継者候補から外れてはいないらしい。
 苦々しく思っている少女をよそに、ほかの五人もラキアスにそれぞれ自己紹介していく。緊張していたり、平然としていたり、どこか探るようであったり――表情はみんな違ったが、ラキアスはそのすべてを笑顔のまま受け止めていた。少し違う反応を見せたのは、ジャックの名を聞いたときだ。
「そうか、君はあのレフェーブル議員のご子息か。どうりで、どこかで見たような気がしていたんだ」
「どこかでお会いしたことがあったでしょうか?」
「いや、君自身に会ったのは今が初めてだよ。お父君によく似ている、と思ってね」
 目を細めたラキアスの答えに、ジャックは意外そうに目を丸くした。しかし、すぐにいつもの陽気な笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。父のことを覚えていていただけて、光栄です」
 底抜けに明るい声で応じる少年を、ラキアスは穏やかに見返している。自然と人を惹きつける『クレメンツ怪奇現象調査団』の団長は、兄にも気に入られつつあるらしい。ステラは、尊敬と少しの呆れを微笑ににじませた。
 その後、今回の旅の目的――同好会グループ活動も含めて――を改めて説明した。女神像のまわりで起きる怪奇現象については、ラキアスもある程度把握しているが、原因はわからないままだという。祭りの妨げにならない範囲でなら、と調査を許可してくれた。
 そして、彼に先導される形で、屋敷の中を巡ることになった。ステラは、案内なら自分がやると申し出たのだが、やんわりと断られる。
「今回、彼らを歓待するのは俺たちの仕事だ。今の俺はおじい様の代理だからね、務めはきちんと果たさないと」
 務め、という言葉を出されては、ステラも引き下がらざるを得ない。屋敷の案内を兄に任せ、家出の間に変わったところなどを観察してみることにした。
 屋敷は広い。が、五人に見せるべきところはさほど多くない。客間を含め、よく使いそうな場所と、絶対に入ってはいけない場所を覚えてもらえばよいのだから。
「絶対入っちゃいけないところとか、あるんすか?」
「そりゃ、部外者に入られたら困る部屋くらいあるでしょ」
 首をかしげたトニーに、ナタリーが呆れたような視線を注ぐ。二人のやり取りを一瞥したラキアスが、意味ありげにほほ笑んだ。
「そうだね。例えば、ここだ」
 彼は足を止め、自分の左手側を振り返る。金で縁取られた、鉛色の扉。見るからに重厚なそれを見て、『調査団』の面々は眉をひそめた。
「えっと……ここは……?」
「――ああ。武器庫」
 楽しげに微笑したままの兄に代わり、ステラが答える。すると、幾人かが、引きつった声を上げて飛びのいた。
 正確には、地下の武器庫に繋がる階段があるのだ。銃器や火薬類が収められているはずである。ついでに言うと常に鍵がかかっていて、合鍵は当主が持っているため、その許可がなければ入りたくても入れない。
 そこまでのことを教える気は、ラキアスにはないらしい。だから、ステラもそこまでは言わなかった。
「は、入りませんからね」
「気をつけます」
 ただ、心底怯えた様子のナタリーやミオンに、苦笑を向けるだけである。
 そうして案内してもらっている途中、一行は小さな家人と遭遇した。曲がり角の先からひょっこりと顔を出したその人物は、ラキアスに目を留めると、慌てたように飛びのいた。
「あ、あにうえ! もうしわけありません!」
 謝罪が口をついて出たのは、ラキアスが「お客様」を案内していると気づいたからだろうか。
 それはともかく――相手の言葉と、その声を聞いて、ステラは眉を跳ね上げた。彼女の変化を知ってか知らずか、兄は穏やかに応対している。
「やあリオン。大丈夫だよ。そういえば、今日はこれから剣の稽古だったかな」
「はい! おじいさまがおもどりになったら、いっぱい見ていただきます!」
「そうか。この時期、俺が見てやれないのは申し訳ないけれど……頑張って」
 栗毛の少年が、嬉しそうに頬を染めてうなずいた。ラキアスは温かくほほ笑みかけると、体ごとステラを振り返る。そのときになって、やっと、彼女は発言した。
「えっと……もしかして、『あの』リオンですか?」
「そうとも。おまえの可愛い弟だよ。赤ん坊の姿しか、記憶にないだろうけれど……」
 からかうような兄の言葉に、ステラはむっとしながらも肯定を返す。そのやり取りを聞きつけたらしい少年が、身を乗り出した。鋭く息をのむ音がする。
「もしかして、あねうえでいらっしゃいますか!?」
 彼の声が急に弾んだものだから、ステラの方は心臓が吹っ飛ぶかと思った。表面上はなんとか平静を装って、少年と目線を合わせる。
「ええ。久しぶり……というか、ほとんど初めまして、になるのだろうけれど。ステラ・イルフォードです。しばらく滞在するから、よろしくね、リオン」
「は、はい! よろしくお願いします!」
 わたわたと礼をしたリオンは、それから、大きな瞳をステラに向けてくる。まっすぐな視線に宿るのは、どこか熱っぽい感情だ。ステラにもなんとなく覚えがある。昔の自分を見ているようで、ほろ苦い微笑を誘われた。
「ずっとお会いしたいとおもっていました! あの、お時間のあるときに、お話を聞かせていただきたいです」
「お話? ほとんど学院の話になっちゃうけど、それでもよければ……」
 戸惑いながらステラが返すと、リオンは飛び上がりそうなほど喜んでいた。まさかそこまで自分が望まれていると思っていなかったステラは、立ち上がると頬をかく。
「リオンの中で私って、どういう位置づけなんでしょう」
「そりゃあ、憧れのお姉さまだろう。姉は帝国学院に通うため家を出たと聞かされてきたからね」
「あ、なるほど……」
 実際は順番が逆なのだ。だが、それを話し出すと、両親の死にも触れなければならなくなる。あの「事件」の話を幼子の耳に入れないために、大人たちが気を回した結果が、この状況なのだろう。
 それはともかく。いい機会だとばかりに、ラキアスはリオンを『調査団』の面々にも紹介した。五人は、はきはきと挨拶した少年をさして抵抗もなく受け入れたようである。正式入団したてのミオンはどうかわからないが、ほかの面子は元々年下に対する面倒見がよい。素直で元気なリオンとは、噛み合わせがよさそうだ。一方のリオンも、姉上の友人に会えたのが相当嬉しいらしい。終始、瞳が輝いていた。

「皆さん優しそうで、安心しました」
 自分の荷物を片付け終えたミオンが、ほっと息を吐く。きちんと整頓された鞄や衣類を見て、性格が出るなあ、などとステラは考えていた。
「ステラを震え上がらせるご当主様にはまだ会えてないけどね」
「ナタリー、あんたね……」
 ナタリーが、枕を抱いておどけたように返す。現状を存分に楽しんでいるらしい友人に、ステラは湿っぽい視線を送った。
 三人がいるのは客間だ。当然、ステラには私室があるのだが、彼女はあえてこちらで過ごす方を選んだ。今回は『クレメンツ怪奇現象調査団』の一員として来ているからである。単純に、みんなと一緒に過ごしたい、という気持ちもあった。ラキアスはあっさりその判断を受け入れてくれたが、同時に「おまえの部屋も前のまま整えてあるから、好きに使うといいよ」とも言った。その判断を下したであろう彼と、日々掃除をしてくれたであろう使用人には、全く頭が上がらない。
 窓の外ではしんしんと雪が降り続いている。とりあえず、今日のところはこれ以上外に出られそうにはない。
「というか、これ、調査とかできるのかしらね……」
「ずっとこの調子、ってことはないと思うけどなあ」
 真っ白い外をにらみながら、ナタリーがぼやく。ステラも同じような不安に顔を曇らせながら、先ほど新聞で見た天気予報を思い浮かべた。予報といっても気休め程度で、あまりあてにはならないが、何も指標がないよりはましだ。
 そんな、もったりとした会話をしていたとき。部屋の扉が控えめに叩かれる。ステラが応答すると、扉が開かれ、年若い女性の使用人が姿を見せた。
「ステラお嬢様、よろしいでしょうか」
 恭しく一礼した後、少しこわばった声で彼女は言う。それに誘われ、ステラが戸口まで行くと、使用人は彼女にそっとささやいた。
「お館様がお戻りになりました。ご挨拶の準備をなさった方がよろしいかと存じます」
 噂をすればなんとやら、である。
 ステラは盛大に顔をしかめた。つかの間、使用人の前だということも忘れていた。

 先ほどまでの間延びした空気から一転、息が詰まりそうな静寂の中を、ステラはひとり歩いていた。
 当主に挨拶するということで、服も替えている。王国時代の軍服をもとにした正装だ。多少息苦しく感じるときもあるが、動きやすいので、ステラはこの服が嫌いではなかった。
 行く先にひと気はない。ただ冷気と薄闇だけが横たわっている。歩くたびに揺れる腰の剣が、冷たく鋭い無音の空気をかき乱した。
 当主の部屋への道順は、今でもはっきりと覚えている。知らせに来てくれた使用人が同行を申し出たのも、断った。そのことに淡い驚きを抱きつつ、ステラは白い扉の前に立つ。
 足を揃え、背筋を伸ばして、三回ほどの深呼吸。
 そしてステラは、ノッカーを引いた。
「おじい様、ステラです」
 一拍置いて、声を伝える。
 返されたのは、しばしの静寂。
 ステラはひそかに生唾を飲む。席を外しているわけではなかろう。聞こえなかったのか、それとも――
「入りなさい」
 彼女が拳を握りしめたところで、応答があった。ステラは細く息を吐いた後、「失礼します」と前置きして、扉を開ける。
 殺風景な執務室にいるのは、ただ一人だ。大柄で、よく鍛えられた体と、鋭い目を持つ男性。少女の記憶にあるよりさらに年を取ってはいるが、向き合った瞬間背筋を伸ばして硬直してしまうような威圧感は変わらない。
 当主代理を務める祖父は、相変わらず感情の読めない目で、ステラをにらんだ。
「ラキアスから聞いてはいたが、本当に戻ってきておったか」
「……はい。今朝、帰ってまいりました」
 どう応じていいのかわからず、それだけを口にする。祖父は孫の答えに対して、小さく顎を動かしただけだった。
 この寡黙さと、にじみ出る威圧感が苦手なのだ。それは今でも変わらないらしい。こっそり肩をすくめたステラをよそに、祖父は黙然としている。
 執務室に漂うかたい沈黙。それを打ち破ったのも、祖父だった。
「なぜ、戻ってきた」
 鋭い声を受け止めて、ステラは息をのむ。
 昔の彼女だったら、このあたりで泣きそうになって父か兄の後ろに隠れていた。だが、今は父も兄もいない。ステラはひとり心の中で数を数えてから、祖父を見た。
「兄上から手紙を頂いたのです。今までにないことでしたし、大祭の準備でお忙しいようでしたので――」
「そのような話をしているのではない」
 祖父は、ぴしゃりとさえぎる。硬直したステラに向く視線が、一段と冷たくなったようだ。
「あやつがおまえに手紙を出したことは知っておる。わしが聞きたいのは、なぜおまえがそれに応じたか、という点だ。無視するということもできただろう。適当な理由をつけて応じないという手段もとれただろう。あれだけこの家を嫌がったおまえが、それでもラキアスに応えて帰ってきた。その理由はなんだ?」
 胸を突かれたような気がして、ステラは目をみはった。祖父にしてはやけに饒舌だ、などという考えは、一瞬にして霧散する。
 言葉をいくつか頭の中で並べ立て、けれどもそれをすべて振り払った。祖父は、うわべだけきれいな言葉など求めていないだろう。それはラキアスだって、そしてステラ自身だって同じだ。
「――正直に申し上げますと、兄上からの手紙を無視するという発想は、私にはありませんでした。礼儀に反しますし、そこまでするほど兄上が嫌い、というわけではありませんので」
 だから、思い浮かんだままを話す。口に出せる範囲で、自分なりの言葉で。
「今さらこうして帰ってきたのは――帝都であったことを、そろそろ父上と母上に報告すべきだろう、と考えたからです。それ以上の理由はありません」
 手紙にそう書かれていたから背中を押された、というのはもちろんある。だが、彼の言葉を以て決断したのは自分自身だ。少なくとも、ステラはそう思っている。
 祖父の表情は変わらない。こちらを射抜くような眼光も。それでもステラは、彼の目を見続けた。
「……そうか」
 お互いが、しばらく沈黙を貫いたのち。口を開いたのは、祖父の方だった。相変わらず何を考えているのかわからない。ステラがもう少し人生経験を積めば、その機微を読み取れるようにもなるのかもしれないが、今はその域に達するどころか、手も伸ばせない。そんな気がした。
 祖父が立ち上がる。孫娘に冷然と背を向けた彼は、肩越しに振り返った。
「もうよい。下がれ」
「……はい。失礼いたします」
 ステラは一礼して、執務室を出る。
 扉を閉めるまでの動作がぎこちなくならなかったことに、安堵した。

 しばらく歩き、扉が見えなくなった頃。ステラは思いっきり息を吐きだした。思わず立ち止まり、胸に手を当てる。今さら、心臓が騒ぎはじめた。
 どうなることかと思った。が、とりあえず祖父は、ステラを怒ったり家から追い出したりする気はないらしい。それはそれで今後が怖い気もするが、今は祖父との問答をしのいだ安心感を噛みしめていたかった。
「やあ、ステラ。その様子だと、上手く乗り切ったようだな」
 朗らかな声がする。ステラは弾かれたように顔を上げた。視線の先にラキアスが立っている。
「兄上」
 彼は、妹の視線を受け止めると、上品に目を細めた。
「おじい様は別にお怒りではないよ。お会いしてわかっただろう?」
「……お怒りかそうでないかなんて、私には区別できませんよ」
 いつも怒ったように振る舞っていらっしゃるじゃないですか、とステラが唇を尖らせると、ラキアスは声を立てて笑った。なんとなく居心地が悪くなって、ステラは顔を逸らす。強引に話題を切り替えた。
「それより、兄上はどうしてここにいらっしゃるのですか」
「ああ。俺も、おじい様と少し話をしたくってね」
「え……でも、挨拶はされたんですよね」
 ラキアスは、祖父を出迎えたはずだ。ステラよりも先に会っているはずである。どういうことだろうと目を瞬いた彼女に、兄は明確な答えをくれなかった。
「挨拶は済んでいるよ。また別の話だ」
「別の?」
「さ、おまえは客間に戻るといい。ご友人が心配していたよ」
 ラキアスは、言うだけ言ってステラの脇をすり抜けた。慌てて振り返った彼女に、無言で手を振ってみせる。
 ステラはしばし呆然とした後、ため息を一つついて歩き出す。胸の中に漂う靄は、当分払拭されそうになかった。