第三章 冬の大祭(2)

 そんな会話を差し挟みつつ、学生たちはシュトラーゼ聖堂前広場に辿り着く。
 広場には、すでに多くの教会関係者らしき人々が集っていた。空色の神官服も散見される。そして――彼らの中に潜むようにして、セドリック・アーノルドもいた。
 捜査官は学生たちの姿に気づくと同時、手振りで「こちらへ来い」とうながしてきた。それに気づいた武術科生が先導する形で、彼の前まで行く。アーノルドは、朗らかな笑顔で学生たちを出迎えた。
「やあ、おはよう。今日はよろしく頼むよ」
「おはようございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
 ステラが代表して頭を下げると、ほかの学生たちも続く。そのひとつひとつにうなずいて応じたアーノルドは、聖堂の柱の方へ歩みを進めながら話を始めた。
「『上官』との打ち合わせはあらかた済んだよ。警備責任者のラキアス様が間に立ってくださったから、滞りなく進んで助かった」
「それなら、よかったです」
 兄の名を出して笑った捜査官に、ステラも微笑を返す。
「それで……『上官』の方は何か仰っていましたか」
「現場での判断は私と学生たちに任せる、と。万が一我々の手に余るような事態になったら、速やかに連絡しろ、とも。随行の軍人や近隣の軍司令部の力を借りることも、視野に入れているようだ」
 淡白な報告に、ステラはうなずきながら耳を傾ける。その一方で、学生たちのうち数人はやや顔を曇らせていた。彼らの内心を代弁するように、カーターが手を挙げる。
「えーと……それは、大丈夫なんでしょうか……? その方の身の回りのこと、とか……」
「心配ないだろう。この街の軍人や、ラキアス様がついていらっしゃるからね」
 恐る恐る問うた神官の卵に、アーノルドは明るく答えた。
「ま、確かに、あのお兄さんが一緒なら心配ないですね」
 レクシオがそっと呟く。二人の言葉を聞いたカーターの顔はほころんだが、その陰で『調査団』の四人が怪訝そうな顔をする。ステラはそれに気づいて苦笑した。当然の反応だ。彼らは、レクシオがラキアスに殺されかけたことを知らないのだから。
「さて、と。一般の方々が集まってくる前に、配置につくとしようか」
 交錯する感情に空気で気づいてはいても、内情を知らない捜査官が、軽く手を打つ。分厚い手袋が空気を弾けさせ、いささか間抜けな音を立てた。
 学生たちはそれに応じて、ばらばらに散っていく。各々の配置は、先日アーノルドと話をしたときに決めたものだ。それぞれの得意分野や気質、現在の立場などを考慮して、聖堂前広場をまんべんなく見渡せるように組み分けしている。そして――ステラとトニーだけは、広場を離れて聖堂の裏手へ回ることになっていた。これは、女神像の周辺を警戒するための措置だ。
 ステラと組む相手がトニーになったのには、いくつかの理由がある。一つ、見習いながらも魔導士であるため。二つ、ステラとの付き合いが比較的長く、お互いの癖や弱点を把握しているため。三つ、十人の中で最も機敏に動けるため。
 主にジャックとオスカーが推したこれらの点を、ステラは今、実感していた。隣を走る少年は、確かに機敏だ。押し固められた雪を軽々と飛び越え、凍りかけた石畳の上を器用に渡っていく。身軽さでいえばブライス・コナーに一歩劣るが、彼はブライスにはないものを持っている。
「今のところ、周囲に怪しい人影はなし。教会関係者ばっかかな?」
 走りながら、トニーがささやく。ステラがその言葉にうなずいたとき、何事かを話し合っていた壮年の男性二人がこちらを見た。いずれも神父の服を身にまとっている。不思議そうにしている彼らへ、トニーが笑顔を向け、手を振った。一見すると無邪気なその姿に、男性二人の表情もほころぶ。彼らは手を振り返してくれた。
 観察力と、状況判断能力。そして、相手に警戒されない対応力。これが、トニーはずば抜けて高い。路上生活の中で彼が身に着けた処世術は、今のステラにとって非常にありがたいものだった。
 ステラは、帽子の下で表情を改めたトニーにほほ笑みかける。
「助かるわ。ありがと」
「なぁに。お礼を言うにはまだ早いって」
 トニーも悪戯っぽい笑みを返す。
 悪だくみをしているような気分で言葉を交わしながら、二人は大きな聖堂の裏手に回り込んだ。
 柵と太い縄、そして金属線で広い裏庭が囲われている。その内側で、神官や教会関係者が行き来しているようだった。
 物々しい雰囲気が漂う庭をながめてから、ステラとトニーは顔を見合わせる。
「これ、入ろうとしたらうっかり追い返されそうだけど……本当に大丈夫なん?」
「ベルに話を通してもらってるから、大丈夫、なはずだけど」
 トニーの問いに、ステラは頬をかいて答える。正直なところ、自信がなくなってきた。
 とりあえず、記憶をかき回す。捜査官との遭遇後、改めてシュトラーゼ聖堂を訪ねたステラは、一足早く女神像が置かれている部屋に入れるよう交渉していた。その際に、ベルと司教から関係者入口の場所を教えてもらっていたのである。
 ベルの明るい声を思い出しながら、即席の規制線の周囲をぐるりと歩く。二人はけれど、目的地へたどり着く前に足を止めた。
 悪寒が全身を這い上がる。
 頭の奥で、本能が警鐘を鳴らす。
 少女と少年は、再び顔を見合わせた。
「おい、これって――」
「うん」
 トニーの言葉にステラはうなずき、直後、縄に手をかけた。
「先を越された!」
 悠長にしている暇はない。柵を越えて裏庭に飛び込む。トニーは何も言わずに続いた。植物の緑と石畳の白が美しい裏庭を二人が駆け出したとき、かすかな悲鳴が空気を裂いた。二人は無言で足を速める。
 並ぶ石碑に目もくれず、列柱の間を通り抜けて。裏口の扉と空洞が並ぶ壁へ向かって突進したステラは、覚えのある気配だけを手繰り寄せた。
 重厚な扉の前。幾人かの大人と、一人の男が対峙している。男は誰何の声を上げる神父の言葉に答えず、手を振り上げた。何の前触れもなく紫電が生じて、人々へ襲いかかる。神官がとっさに防壁を展開したが、紫電はそれをあっさりと割って、砕いた。
 ステラは舌打ちして、剣を抜く。石畳を蹴る。尻餅をついた神官をかばうように前へ出て。押し寄せようとしていた紫電を『切り払った』。剣の筋をなぞるようにきらめいた銀の光は、紫の雷電を包み込むように消滅させる。
 男は動揺しなかった。それどころか、眉ひとつ動かさず、乱入してきた少女剣士を見つめている。
「来たか」
 揺らぎのない低音が、それだけを紡ぐ。
 ステラは、紳士然としながらも冷徹な男をにらんだ。
「あなたが先兵?」
「さて、どうかな」
「確か、ラメド、だったわね」
 質問にさしたる意味はない。どうせはぐらかされるだろうと思っていた。だからステラは、一方的に言葉を続けた。男――ラメドが、少し目を見開く。彼は口の端を持ち上げると、貴族の男性がするように礼を示した。
「ラフィア神の代行者たる『翼』に、名を覚えていただけているとは。光栄なことだ」
「……白々しい」
 ステラは、口の中で毒づく。剣を握る手に力をこめた。
「悪いけど、その先には行かせない」
「だろうな。おまえは私を止める。それが宿命だ」
 ラメドは顔を上げ、姿勢を戻す。両目に冷たい光が走った。
 ステラは息をのむ。相手から意識を逸らさぬまま、周囲にいる人々に向かってささやいた。
「一刻も早くここから離れてください。できれば、兄上――ラキアス様のところへ」
 神官含む教会関係者たちは何度もうなずいて、よろめきながらも駆けだす。ラメドは、それを見ても動かなかった。ステラは、剣先を相手に向けたまま、視線だけで斜め後ろをうかがう。
「それと、トニー。頼みがある」
「なんだい」
 帽子を目深にかぶった少年が、いつもより低い声で応じた。
「ラメドと遭遇したことを、大至急みんなに伝えてほしい。アーノルドさんにも」
「それはいいけど……ステラはどうするんだ」
「ここに残る。残って、あいつを食い止める」
 ステラはきっぱりと言い切る。トニーが軽く眉を跳ね上げ、口を開きかけた。彼が何かを言い出す前に、ステラは言葉を繋げる。
「大丈夫。無茶はしない。なんとかとどめておくから、その間に誰か援軍を連れてきて」
 トニーは今度、息をのんだ。まだものを言いたげであったが、結果的にはうなずいてくれる。彼はさっそく踵を返そうとした。

「行かせると思うかね?」

 低音と高音が、二人の耳朶を震わせる。
 刹那、少年少女を囲むように無数の刃が現れた。魔導術で生み出すそれに似た、透明な刃だ。しかし、構成式はもちろんのこと、魔力の揺らぎも感じられなかった。
「うへ! 反則くさ!」
「まあ、神様だからね」
 青ざめながら帽子の端をつかんだトニーの横で、ステラは鋭く舌を打つ。いらだったように振る舞いながらも、周囲の刃に視線を走らせた。
「大丈夫。構えといて」
 トニーにだけ聞こえるくらいの小声でささやいて。ステラは剣の角度をわずかに変えた。軽く腰を落とす。それと同時にラメドが腕を振り上げ、銀の光が強まった。
 ラメドが腕を下ろす、直前。ステラは気合の一声とともに剣を薙ぐように振る。
 特異な魔力をまとった剣が、ステラの周囲の刃を砕く。同時、剣の軌道を辿った光が生き物のようにうねり、伸びた。
 ラメドが瞠目し、トニーが驚嘆の声を上げる。そんな中、八方に飛んだ銀の光は、神の刃をあっという間に打ち消した。硝子細工が砕けるような、澄んだ音が一帯に響き渡る。
 ステラは深呼吸すると、銀の残滓をまとった剣を再び敵に向けた。
「やらせると思う?」
 低く、鋭い言葉を投げる。返答は、ない。
 数秒の空白。その中でトニーが息を詰め、体を反転させた。少女の一声で、我に返ったらしい。すぐさま裏庭の柵めがけて駆け出した。彼は、一瞬だけステラを振り返る。
「持ちこたえろよ!」
「了解」
 友人の激励に短く返したステラは、遠ざかる足音を聞きながら正面をにらむ。ラメドは、腕を組んで目を細めていた。ステラの非友好的な視線に気づくと、何度もうなずく。
「驚いた。少しは腕を上げたらしいな」
「どうも。お褒めにあずかり光栄ですわ」
 セルフィラ神族の称賛に、ステラは芝居がかった口調で切り返す。むろん、それは口先だけのことで、相貌には微笑のかけらもない。それを見て、ラメドが大げさに肩をすくめた。
「心にもないことを」
「あなたが言えたことじゃないでしょう?」
「……まあ、それもそうだな」
 苦々しげに目を閉じて、かぶりを振る。そうしてステラを見つめた男の瞳から、やわらかな色合いは消えていた。ステラも、表情を引き締め、意識して背筋を伸ばす。
 す、と男の腕が前へ伸びる。節くれだった五指が少女へ向いた。
「お遊びはここまでだ。私も本気でお相手しよう――『銀の翼』よ」
「受けて立つわ。セルフィラに与する神族、ラメド殿」
 宣言し、互いを呼び合う。その存在を、魂に刻み込む。
 そして、彼らは同時に地を蹴った。