ソラは、疲れ切っていた。
ここ三日間、暑い中を歩き通していたせいで、心身ともに疲れていた。もともと整っているとも言い難い黒髪はさらに暴走し、髪と同じ色の瞳は光を失いかけているように見えた。はっきり言って、なんともみすぼらしい姿である。
「もうやだ……暑いし、眠いし……」
「そうだねー」
隣から少女の同意が聞こえてくる。ソラの隣で、水色の長髪が揺れた。
リネ。幼い頃から旅を続けるソラの、頼れる――かどうかは、少々疑問なところがあるが――相棒だ。その相棒も、ここ数日の間にたまった疲労ですっかり活気を無くしていた。
ソラはふっとため息をついて、肩にかけているかばんから地図を取りだした。
「あー、もう。こうしてても埒が明かないから、とりあえず宿でも探すぞ!」
「りょーかい……」
力の抜けた声が返ってくる。ソラは、いっそのこと、と無視して歩き出した。
二人の旅人は今、小さな町の中にいた。
よさそうな宿は、ほどなくして見つかった。町の西側にある、少し小さな宿屋だ。二人はさっそく手続きを済ませ、合いカギをもらった。リネがどうしてもソラと一緒が良いと言うものだから、部屋はひとつにした。ちょうど、そんな時――ドアチャイムが、軽やかな音を立てた。
「ただいまー!」
叫んで飛び込んできたのは、リネより年下の少年と、ソラより少し年上の少女だった。二人共、ここの女主人と同じで髪の毛が亜麻色だった。おそらく、ここの子供だろう。女主人がにっこりほほ笑んで、「おかえり」と言う。
「………ん?」
目の前の光景を微笑ましく思い見ていたソラは、不意に、足元に謎の違和感を覚えて下を向いた。――先程の少年が、ソラの足に絡みついていた。
「ねえねえ、お客さん?」
「え?……あ、はぁ」
ソラが戸惑いながら返事をすると、少年はにっこり笑って言う。
「ゆっくりしていってね!」
なるほど、宿屋の息子だ。すぐにそう思った。
その横で、女主人が慌てている。
「こら、ハルト! お客様の足に絡みつくのはやめなさい!」
「えー」
母の注意に不満を漏らす少年を見て、ソラは苦笑した。
「ああ――いいですよ、慣れてますから」
隣でリネが笑ったのが見えた。どうやら、自分が『慣れさせた』張本人であるという自覚があるらしい。………とりあえず、突っ込まないでおく。
「ねー、旅人さんでしょ? お話聞かせてよ!」
「えっ?」
どうやらハルトというらしいこの少年が、愛らしく言ってくる。ソラは戸惑いを隠せずにいた。そして、そんな彼のそばでは女主人がまた慌てていた。
「こらっ!」
怒る親と、拗ねる子供。……もうひとつおまけに、困惑気味の第三者。混沌とした光景が宿屋の一階で繰り広げられている。場を収めたのは意外な人物だった。
「いいんじゃない、ソラ?」
「いいんじゃないって、おまえな。そんなあっさり……」
リネのあっけらかんとした言葉に、思わず固まるソラ。しばらくそのままで、リネをじぃっと観察する。そして、意図を察した。
「おまえ――ただ単に自分が休みたいだけだろ」
「あれ、バレた?」
リネは、かわいらしく舌を出して言った。その姿はちょっぴりませた子供のようである。この年の女の子にはよくこういう奴がいるな、などと考えながらソラはとりあえず諦めた。
「あー、はいはい。分かりましたよ。来なさいよ」
「やったー!!」
リネとハルトの声がきれいに重なる。それを聞きながら、彼はひっそりとため息をついた。主に、相棒への最大の呆れを込めて。
とりあえず、二人を連れて自分たちの部屋を目指すことにした。木製の階段を一段、一段とのぼる。その途中、こんなやりとりが聞こえてきた。
「ねぇ、ママ」
「なぁに? アンナ」
「……私も行っていい?」
「……迷惑かけないようにね」
また増えた。思ったが、口には出さないことにした。実は相棒からがさつと評されるソラだが、気をつかうことだってあるのだ。
「それ、なぁに?」
「銃だよ」
ハルトの問いかけに、ソラは整備の手を止めないまま素っ気なく答えた。
銃と言うのは、意外と新しい武器だった。構成自体は単純だが、それを実現するのには何年もかかったのだ。その上、今ソラたちがいるような技術の発達した国でないとお目にかかるのは難しいとされている。遠方の国々で主流となっているのは、未だに剣や弓といったものだ。魔術という摩訶不思議なものに頼っているところもあるらしい。もちろん、そんな国々では銃火器がほとんど流通していない。
「じゅうってなーに?」
そんなことを教えられているはずもないハルトが、再び問いかけてくる。ソラは一瞬、整備の手を止めた。何と答えたらよいのか、わからなかったのだ。
武器? 人を撃ち殺せる道具? はたまた――眉を寄せたソラは、あえぐように答えた
「旅の時、身を守るのに必要な物。だけど、君たち一般人はなるべく使わない方がいい」
一応、納得していただけたようだ。ふぅん、と呟いてからハルトは整備に見入ってしまった。向かいのベッド――本当はリネの――から向けられる熱い視線に動じることもなく、ソラは弾を弾倉に収める。これで整備は完了だった。ハルトの隣にいる相棒は、その光景を寝そべって見ている。と――
控えめなノックが聞こえた。来客が誰なのか察していたソラは、銃をホルスターに突っ込んでから、「どーぞ」と言った。返事を聞いて入ってきたのは、やはりアンナとかいう少女だった。
亜麻色の髪をふわりと揺らしながら、彼女は呟く。
「銃を持っているということは……ずいぶんハードな旅をしているんですね」
「聞いてたんだ」
「ええ、まあ」
少女が申し訳なさそうにしていたが、あえて言葉はかけなかった。すると、それまで黙っていたリネが不意に口を開く。
「この間なんか、山賊に囲まれちゃったよねー。でも切り抜けた」
「コラ」
一応、いつものように咎めておくソラ。こうやって、すぐにぺらぺら喋ろうとするのは、リネの悪い癖だった。そろそろ直してやらないと旅をするには都合が悪い、と思っているところである。このまま聞かなかったフリをしようかとも思ったが、それはそれで後味が悪いので、一応フォローを入れることにした。
「……ま、そんな感じで」
「はぁ」
反応はとても微妙だった。
だが、その代わり――このアンナという少女に、何かを決意させる材料となったようだ。彼女は一旦うつむいて逡巡したが、すぐにソラを見た。そして、言う。
「決めました。ソラさん達に、お願いしたいことがあります」
「え……何」
あまりにも唐突なことだったので、間抜けな声を上げてしまう。リネも、目を見開いて起き上った。そしてふたつの視線が注がれる中で、アンナは「お願いしたいこと」を口にした。
「その……」
数秒の間。だが、ひどく長く感じられた。
「この町に巣くう化物を、退治してほしいんです」
「――――は?」
二人は、さっきまでの姿勢のままでしばらく固まった。
なんでも、町の外れの小さな森に、時折不気味な怪物が現れるという。始めは本当にそれだけだったのだがその怪物はある日を境に森中を徘徊するようになり、ついには、そこに訪れた人間へ危害を加えるまでになったそうだ。これは放っておけない、ということで今まで何人かの男たちが討伐へ出かけたが、ことごとくやられてしまったらしい。
「で、ソレの退治を旅人の俺たちに頼むってわけだ」
ソラがあえて嫌味っぽく言うと、アンナは真剣に頭を下げてきた。
「無茶なことを言っているというのは承知の上です! でも、でも……早く退治しないと、報われないんですよ。だから、お願いします!」
報われない。
誰が、といちいち問う必要はなかった。真剣なアンナと、それを見守っているハルトの様子を見れば嫌でも分かる。
ソラは、少し考えた。
確かに、今までの旅で実戦経験は積んできている。常に前線に立つソラも、それを援護するリネも。だが、いいのだろうか。
話を聞くかぎりでは、その怪物はそこらの獣とは少し違うらしい。その、少し違うものと自分が対峙しても大丈夫なのか、という懸念がソラにはあった。
それでも、幼い姉弟の思いを無視するのはためらわれる。
「わかった。考えておく」
結局、ソラの口からこぼれたのは、曖昧な言葉だった。けれども、二人にとってはその答えひとつで十分だったらしい。みるみるうちに彼らの表情が明るくなり、ハルトにいたっては飛び跳ねていた。
そんな二人を見ながら、リネが訊いてくる。
「いいの?」
一呼吸置いてから、ソラは続けた。
「少し気になることがあってな」
相棒は、その答えを予想していたようで、それ以上の追及はしてこなかった。
彼女を見ながら、ソラは思う。
あんな答え方をしたけれど、結局のところ自分の心は既に決まっているんだろうな。それにきっと、断ることができないんだろう、と。