第二話 騎士たちの宴2

 ジェイドという名をもつ騎士は、その名の意味と瞳の色から「翡翠の騎士」とあだ名されている。誰が考えたのかは知らないが、彼に似合わぬきれいな二つ名だと、ソラは常々思っていた。
 彼とは、ソラが旅を始めたばかりの頃からの付き合いだ。旅をするには若すぎる少年を見て最初こそ厳しく非難してきたものの、事情を知ると少しだけバツの悪そうな顔をしながらも、いろいろと手助けをしてくれた。リネも一度会っており、どうやら馬が合うらしくすぐ仲良くなった。
 そして今回――獣の群れのただ中で、再会したのである。
「まあ、ゆっくりしていけよ」
 縮れた黒髪の下で快活に目を光らせる騎士は、そう言って二人に白いマグカップを差し出した。しっかりした磁椀の中でココアがミルク色の湯気を立てている。出ては消えていく熱のこもった空気を見つめたソラは、続けて騎士――ジェイドの方へ視線を注いだ。
「変わってないな、いろいろと」
 すると、歩き出しかけていた彼は振り返って、にっと笑う。
「ああ。相変わらず警備隊に近い騎士団だしな」
 そういうことじゃない、と言おうとしたが、ジェイドは自分の飲み物をとりに、さっさと台所へ行ってしまった。少年は諦めて応接間をぐるりと見渡す。
 ジェイドはたいそう優秀な騎士で俸給もそれなりらしいのだが、家は狭くて殺風景である。三つほどある部屋には必要最低限の家具しか置いていない。この応接間にあるのも、テーブルと四脚の椅子と棚だけだ。上の人間が見たら驚くことだろう。
 とはいえ、本人にとってはその方が暮らしやすいらしい。なんだかんだで似たような性質のソラは、そう思った。
「で、最近は暇してる……と言いたいところなんだが」
 そんな台詞と共にジェイドは台所から戻ってきた。マグカップを卓上に置くと、ソラの正面に座ってちかりと目を光らせる。
「実は、厄介な問題が起きているんだ」
 不穏な言葉に、まっさきに反応したのは少年の隣に座るリネだ。
「問題って、まさか」
「そのまさかだよ」
 ため息をつくジェイドの発言。それをソラは、なんの前触れもなく引きとった。
「あの奇妙な獣たちの出現、だな」
 返ってきたのは首肯だった。少女が説明を求めるような目をすると、翡翠の騎士はマグカップに手を添えて、おもむろに語りだす。
「俺たちは便宜上、奴らを"魔獣"と呼んでいるがな。赤い血ではなく黒いものが通う奴らは変に強くて、騎士団上層部の悩みの種さ」
 ソラとリネは視線を交差させた。やはり、騎士団もあの違和感に気づいていたらしい。今度はソラが、カップの中で揺らめく茶色を見つめながら問うた。
「あいつらが現れ出したのは、だいたいいつごろなんだ」
「さあ――。俺たちの管轄であるこの街の周辺に出現したのは今回が初めてだけど、それ以前にも各地で出没しているようだしな」
 男の答えに、少年は目を細める。怒り狂う幻獣の姿が脳裏をよぎった。
 わずかな逡巡ののち、彼は少し身を乗り出す。そして一言。
「その件、何か俺たちに手伝えることがないか?」
 すると、ジェイドは目を丸くする。直後、カップを取り落としそうになって慌てていた。
「おまっ……どうした。熱でもあるのか?」
「なかなか失礼なことを言うじゃねえか、このクソオヤジ」
 ソラは額に青筋を浮かべて、条件反射のごとき早さで切り返す。ただ、そんな怒りなどどこ吹く風といった顔の騎士を見て、すぐにその感情を引っ込めた。軽くひとつ、咳払いをする。
「まあ、実際のところ打算はある」
 あっさり白状してから、彼はレオフでの出来事を口早に語った。
 ジェイドは終始黙って聞いていた。射抜くような視線を二人に向けながら。
「……てなわけで、こちらとしてもその"魔獣"のことを知りたいんだよ」
 数分ののちに少年がこう締めくくると、騎士はいつかのように息を吐きだした。
「なるほどなあ。道理で、今日に限って積極的なわけだ」
「それに」
 少年は、右の指でテーブルをとん、と叩く。
「あのときの相手は幻獣種族が変質したやつだった。もし騎士団がそんなのと相対するんだったら、"その道のプロ"がいた方がいいだろ?」
 なるほど、と騎士は、少年の好戦的な笑みを見てそんな返事をした。しかし、彼の表情は思ったほど晴れ晴れとしたものではなかった。だが少年がそれを問いただす前に彼は吐息を漏らすと、両腕を頭の後ろで組んだ。
「やれやれ。こちらから頼みごとをする手間は省けたようだな」
 そんな反応に、きょとんと顔を見合わせるソラとリネ。二人の若者に、ジェイドはこう言い放つ。
「近々、その"魔獣"討伐隊を編成して戦いに挑むことになっている。おまえたちには、その戦列に加わってもらいたいんだよ」
「へ?」
 どこか間の抜けた反問はどちらのものであったか、見当もつかない。だが続けて口を開いたのは間違いなく、苦い顔をしているリネであった。
「それって意味ないよ。発生する場所も理由も分かっていないワンちゃんの群れでしょ? そんなの、一度やっつけたってまた出てくるじゃない」
 いかにも解せないといったふうな少女の言葉に、しかしジェイドは笑う。
「普通はそうだな。けど、今回に限ってはそうじゃない」
 愛想良く、しかしきっぱりと否定する男に何を思ったのだろうか。リネの表情からいつもの子供らしさがすうっと消えうせる。細められた青氷の瞳が剣のように光った。冷やかな無言の問いかけに騎士は驚いた様子だったが、動揺は見せなかった。
「――今回の件、人間が関わっている可能性がある」
 リネの表情が、一段と冷え切った。それを隣で見ていたはずのソラはしかし、今度はそれにさえ気づかないほどの驚きを露わにした。思わず身を乗り出す。
「んなっ……どういうことだよ! 証拠は!?」
「これまでに魔獣が現れたとされる場所を調べたところ、そのほとんどで、人間が奴らに命令を下していたと思われる痕跡が数多く残っていたんだ。不可思議な図形を描いて消した跡とかな。――資料見るか?」
 勢いに任せて詰め寄った少年は、男の淡々とした態度にそれを削がれ、眉を寄せると「いや、いい」と素っ気なく断って椅子に座りなおした。ひょっとしたら、レオフの一件もそうだったのか。決してありえなくない可能性が閃いて、その瞬間に苦いものがこみあげてくる。
「それって、人が魔獣を操ってるってこと? まじない師の仕業かな」
「……考えられる線といえば、それしかないだろうな」
 リネが頬杖をつきながら、どこか面白くなさそうな様子で憶測を述べたのを聞く。ソラは、自分の心に影が差してくるのが分かった。
 この西大陸を起源とする魔の力は、"まじない"と呼ばれる。これを行使する者こそが"まじない師"である。詳しいことは彼も知らないのだが、彼らならばおそらくは魔獣を操ることもたやすいだろう。
「なるほど、だから討伐隊か」
 うめくように発した声が、卓上を跳ね返る。ジェイドがかぶりを振ってから自分のカップの中身を煽るのを、少年は気だるげに眺めた。白いカップは、やがて卓上に戻る。
「そ。魔獣だけじゃなく、元凶たりうる人も叩く。むしろそっちが主たる目的だな」
 ジェイドの物言いはいつもと同じく、やけにきっぱりとしていた。そこには少し前までの鬱屈とした様子はない。晴れやかな隊長の姿に、ソラはつい笑ってしまった。それから、相棒を一瞥する。――返ったのは短い首肯だった。
「そこまで分かってるなら、条件をのんだほうが手っ取り早そうだ」
 にやりと笑った少年は、まっすぐに騎士を見る。
「――協力しよう。まず、何から始めればいい?」