第三話 唯一の友・2

 タスクが案内してくれたのは、ありふれた喫茶店だった。深緑色の屋根が目立つその店を前に彼は「ここのランチメニューは絶品なんだよ」と嬉しそうに言ったものである。急展開についていけていないリネをひとまず放って、ソラとタスクは他愛もない話をしながら歩いた。そして、店の奥の一席を確保する。
「なるほど。この子、君の連れだったんだね。でもどうして? 少女趣味?」
「ちげーよ。ある国で偶然出会って、ゴタゴタに巻き込まれて、行くあてがなさそうだから同行させることにした。それだけだ」
「ふうん」
 適当な相槌をうったあと、タスクはコーヒーをすする。茶色の瞳が、リネをちらと見た。
「どうりで、彼女が幻獣の森について知りたい、なーんて言ったわけだ」
 ソラと一緒ならそれもあり得るよね、と茶化すように言われ、当人は苦い顔をする。すると、この状況にいよいよ耐えかねたのか、リネが口を開いた。
「ねえ、二人はどういう関係なの?」
 あまりにも必死なその様子にソラは苦笑する。
「俺とタスクは同郷なんだよ。――爪弾き者だった俺に対して、普通に接してくれたのは、こいつだけだった」
 声には知らぬうちに感傷的な響きが混ざる。彼の言葉を聞いたリネは瞠目し、それからさっとタスクを見た。だが彼はその視線を受けても平然としている。コーヒーを飲みながら笑った。
「相変わらず回りくどいな。普通に友達って言えばいいのに」
「……だったら悪友でいいか?」
「あ、ひどい」
 ソラに半眼でにらまれたタスクは、ひょいと肩をすくめる。その様子を、第三者の少女は楽しそうに見ていた。
 こうしてひとしきり騒ぎ終わると、いよいよ話は本題へと入った。少年の瞳が友を見据える。
「……で、だ。おまえは本当に、幻獣種族がいるという森について、知っていることがあるのか?」
 真剣で、あるいは剣呑な問いかけ。しかしタスクはあっさりとうなずいた。
「うん。ちょうどお隣の騎士団が森の調査をしたあとくらいから、噂が広がり始めてね。それが、僕の耳に入ったってわけさ」
 彼は得意気に自分の耳を示す。その様子を見たソラとリネは、どちらからともなくお互いを見た。
「騎士団の調査後って、ジェイドさんが言ってたこととおんなじだね」
「ああ。これ、本当に当たりかもしれない」
 二人はひそひそと囁きあう。彼らを見ていたタスクは嫌な顔一つせずコーヒーを飲み干すと、二人の方へと身を乗り出して訊いてきた。
「だいたい、なんで急に幻獣の生活圏に行きたいなんて言いだしたのさ。昔のおまえだったら、絶対に避けて通っていただろうに」
 容赦なく浴びせられる質問に対し、ソラは少し考え込む。それから、吐息でも漏らすかのような声で続けた。
「なんというか……知りたくなったんだよ。あの種族がどういう生活をしていて、俺のことをどう思っているのか」
「殺されても文句は言えないよ」
「そんなのははなから承知してる」
 タスクのおどけたようでいて厳しい忠告にも、少年は一切動じない。きっぱりと言い切った彼の横でリネが目をみはっている。ソラはそんな相棒の姿を見つけたが、苦々しい笑みを向けただけだった。
 彼らの生活圏に踏み込めば、殺されるかもしれない――そんなことは幼少の頃から分かっていた。人間と幻獣種族の「まざりもの」はどちらの社会でも「忌み子」だ。むしろ、存在を受け入れてもらえる方が異常といってもいいのかもしれない。
 ソラの決意を湛えた表情を見て、彼の友人はため息をこぼす。
「まったく、君って人は……。分かったよ、案内役は僕が引き受ける」
 茶色い瞳が鋭く光る。ソラは、生意気な子供のように微笑んだ。
「ありがとう。で、いくらかかる?」
「高くつくよ、と言いたいところだけど。今回は特別に、友情価格でご奉仕するよ」
 タスクもにやりと笑みを返し、ティースプーンを指先で弾いた。空中で小さな回転をしたスプーンは、すぐ彼の手元に戻ってくる。
「僕も一緒に連れていってくれないかな。お金はいらないからさ」
 あまりにもさりげなく、無造作に提示された条件。その意味をソラもリネも、すぐに飲み込むことはできなかった。だが、じわじわとその意を理解したところで、リネが驚きの声を上げる。
「ちょっと、それ本気!?」
 だが、周囲の人に聞かれないよう声を潜めるだけの配慮はしたらしい。間もなく首肯が返ってくると、彼女は今度こそ唖然としてタスクを見つめる。その横で、ソラがため息をついた。
「おまえの変人っぷりが、そこまでのものだとは思わなかった」
「失礼な。僕は本気だよ」
「なんでまた」
 友の瞳は揺るがない。ソラはいよいよ呆れた。
 人間が幻獣のテリトリーに踏み込めば殺される、というのが一般常識だ。今回ソラがそれを覚悟で森へ行くのは、『同族』の真意を知るという目的があるからである。そこに、なんの目的もない人間がついていくなど正気の沙汰ではない。
 だが、彼の友人は淡々と語る。
「前々から、幻獣種族に興味はあったんだ。それに、今の僕は情報屋なんでね。二重の意味で、彼らに関する情報は多い方がいい」
「……なるほど」
 ソラはなんともいえず苦い物を感じて、テーブルの上に視線を落とす。ほろ苦さをごまかすようにうっすらと笑んだ。対面で、タスクが穏やかに彼を見る。
「それに、君と一緒なら、殺される可能性が少しは低くなるかもしれない」
「あのな。逆に、なおさらひどい目に遭うかもしれないんだぞ」
「そのときはそのときさ」
 タスクは目をまん丸にして言いきった。ソラは呆れと気まずさを感じて目を逸らす。この友人はなぜか、昔から自分の命への執着が無かった。当時のソラにも負けないくらいに。そのことを今さら思い出した少年は、諦めて「情報屋」を見やる。
「分かった、連れてく。だから道案内は頼むよ」
「任せといて」
 タスクが得意気に胸を張るのを見て、ソラは小さく吹きだした。
 そうして交渉に決着がつくと、三人はようやく、昼食を頼むためにメニューを開いたのである。

 昼食を終えて人心地つくと、二人はあの宿屋へと向かった。なぜかタスクも一緒についてきた。彼曰く「少しくらいお邪魔してもいいだろ」というわけである。しょうがない、と言いながらすたすたと自分の部屋へと向かっていくソラの背中を見ながら、リネは隣にいる少年を捕まえた。
「あの……。タスクさんは、ソラのお友達なんですよね」
「うん、そうだよ。どうしたんだい?」
「昔のソラって、どんなだったんですか?」
 リネが青い目をしっかり開いて問いかけると、タスクは驚いた表情になる。
「どうして僕に訊くの?」
 茶化すような物言いに、リネはわずかに怯んだ。思わず目を伏せる。
「ソラは……あんまり話したくないみたいだから」
 もともと、彼女の相棒である少年は多くを語らない。リネはそれでもいいと思っていた。誰にでも触れられたくない部分はあるのだ――彼女がそうであるように。
 だが、今回で会った相棒の友人であるという少年と、これから行くであろう地。これらの事実に対面したせいか、その諦観に似た許容は揺らぎつつある。
 リネは自分のもろさを痛感してうなだれた。しかし、そんな彼女を見て何を思ったのか、タスクはそっと息を吐きだした。それから、どこか遠くを見るような目で、長くのびた廊下の先を見つめる。
「僕さ。久々にあいつと会って驚いた。あいつが、あまりに明るくなってたから」
「明るくなってた?」
「うん」
 きょとんとするリネに、タスクはそっと微笑みかける。
「当時のあいつは根暗……とは違うけど、少し目を離すとどこか遠くへ行って自死でもしてしまいそうな奴だったんだよ」
 思いもよらぬ事実をさらされ、リネは驚愕のあまり黙り込んだ。
「元々、堂々と町中を歩ける人間じゃなかったから、それも影響していたのかもしれない。あいつが、人間と幻獣が交わることで生まれた子供だというのは、公然の秘密だったからね」
 穏やかに昔を語る声は、少女の過去を呼びさます。閉じられた世界、盲目の信仰。その中で一人取り残された存在は、やがて国を震わせる異端となるのだ。
「僕がソラに近づいたのは、そんな奴に興味を抱いたから、なのかもしれない」
「興味って……」
 少年があっけらかんと放った言葉にリネは呆れるが、彼は悪びれもせず続ける。
「獣と人から生まれた子供。常に日陰を行く一家。その頃、街の子供たちと喧嘩ばかりしていた僕は、だからそんな影の世界を生きる者に惹かれたんだと思う」
 なぜか嬉しそうなタスクの横顔を見ながら、リネは、あの日自分に手を差し伸べてくれた旅人の、悲しげな顔を思い出していた。
 やがてタスクは相好を崩すと、リネの肩を軽く叩く。彼女は少し瞠目した。
「さあ、リネちゃんもそろそろ行きなよ。ソラに怪しまれるから」
「怪しまれちゃまずいの?」
 少しからかうような口調で問うと、タスクは肩をすくめた。
「僕が話したなんて知ったら、あいつ、怒るかもしれないだろ?」
 茶目っ気たっぷりのささやきに吹きだして、少女は身をひるがえす。その足取りは、舞うような軽さだった。
「ありがとう、タスクさん」
「いいえ。どういたしまして」
 情報屋の少年と短い応酬をした彼女は、そのまま部屋に向かって走り出す。走りながら、社会の爪弾き者である相方のことを思った。
 故郷を追われた二人の異端。彼らがどのような道を歩み、その果てにどこへ辿り着くのか――それを知る者は、一人としていない。