第四話 誇り高き者たち・3

 ジルテアがソラたちを客人と見なしたことに対する反応は、さまざまだったらしい。
 それでも声高に異を唱えた者はごくわずかだった。ということは実際のところ、大方の者は異種婚や人間の来訪に反対する気がないのだろう。
 森の向こうに沈む夕日をぼんやりと眺めていたソラは、ふと背後に気配を感じて振り返る。そこには、昼間ソラたちを洞窟へ案内した牙族が立っていた。
「昼間ぶりだな」
『ああ』
 短く返した彼は、ソラの隣に並ぶ。そうしてしばらくの間、静寂に身をゆだねていた。ソラは彼の横顔を見て、小さく首をかしげる。その目には好意もないが敵意もない。かといって無関心でもないのだ。馴れあう気はないが、隣にいるのは構わない、そんな感情が伝わってくる。
 ややあって、ソラは口を開いた。
「……おまえは、人間が嫌いなんだと思ってた」
『好きではない』
 きっぱりとした返答に、ソラは苦笑した。牙族の男はちょっと目を伏せる。
『だが、特別嫌っているわけでもない。ましてや他者が何をしようと、俺には関係のないことだ』
 少年の苦笑を買っていることに思うところがあったのか、彼は気まずそうに言い添えた。少しして、自分の両親について言及されていると気付いたソラはしかし、あえてそこを追及しようとはしない。なんとなくその場で膝を抱えた。
「俺、ソラっていうんだ。よろしく」
『クイードだ』
 両者は一瞬だけ視線を交差させ、また前を向いた。それきり何も言わず、ただ夕焼けを眺める。
 燃えるような赤を、夜の紺碧が呑み込みはじめていた。

 この夜に宴が開かれることとなった。人間と幻獣の親睦を深めるためと謳っているが、実際はジルテアがソラたちから話を聞く口実にするのだろうと、クイードが言っていた。
 普段は夜に明りが灯ることはない隠れ里だが、宴会のときは里の内側の四方に松明が置かれる。人間の感覚からすると足りないくらいだが、獣たちにとっては十二分に明るい夜だった。
 里の中心。客人三人は草を編んでできた茣蓙の上に座り、周りに幻獣たちが集まる。料理を待つ間、三人は気まずさをまぎらわすため他愛もない会話に興じていた。その中で、リネがふと口を開く。
「そういえば、"牙族"とか"妖族"とか言ってるけど、あれってなんなの?」
「あー……氏族名のことか」
「しぞく」
「特徴が似ている幻獣たちをひとくくりにするための呼び名だよ。人間にもなんたら族とか何人とかいう呼び方があるだろ? あれと一緒」
 リネの疑問に答えたソラは、立てた膝の上に頬杖をつく。遠くに見える松明の火が、束の間に揺らめいた。
「例えば、"牙族(がぞく)"は大きな牙を持つ獣。狼とか、犬とか、あんな姿をしてる。"妖族(ようぞく)"は古代から妖力を持つと信じられてきた動物に似てるやつら」
「狐とか、狸とか?」
「そ。要は、言葉遊びみたいなもんだ。ちなみに俺の母さんは"天族"。翼を持ち、天空を駆ける獣」
 感慨深げなソラの言葉に、タスクが面白そうに目を細める。一方リネは、深くうなずいた。宴会の場にそぐわない真面目な会話をする彼らのもとに、果汁をしぼった飲み物が運ばれてくる。
「彼らは姿形によって、習慣も価値観も違うから、幻獣種族には法律が存在しないんだ。あるのは基本的な『掟』だけで」
 ソラは木でできたカップに手を伸ばしつつ、そう呟いた。
 しばらくして、料理が運ばれてくる。そのどれもが三人にとって馴染みのあるものだ。おお、と感嘆の声を出すリネの横でタスクが目をみはっている。ソラは当然のように皿を見つめていた。
 三人はひとまず、目前の山菜の煮物に手をつけた。木のフォークを煮物に突き刺して、タスクが周囲を見渡す。
 まわりの幻獣たちも食事を始めたところだった。ある者は動物の生肉にかぶりつき、またある者は木の実をついばんでいる。野性的な食事風景が広がる中で、しかしソラたちと変わらぬ料理を食べている者もいた。
「不思議な光景だよねえ」
「はい? 何が?」
 いきなりしみじみと呟いたタスクを見て、ソラは首をかしげた。ふきのとうを刺したフォークが、彼の指にからめられてぶら下がっている。彼はそれを思い出すと、ふきのとうを口の中に放りこんだ。
「だって。研究によれば、幻獣種族は空気中の魔力をエネルギーにできるみたいだからさ。こうやって普通に食事しているのが、変に思えるよ」
 ふきのとうを飲みこんだソラは、ああなるほどとうなずいた。昔何かの折に見た、幻獣に関するレポートに似たようなことが書いてあったのを思い出したのである。彼の母、フウナは人間とまったく変わらない食生活だったため、ソラからすればそちらの解釈の方が新鮮だった。
 以上のことを言おうとソラが口を開きかけたものの、言葉が出ることはなかった。
「確かに魔力だけでも生きてゆけるが、それでは味気なかろう?」
 割り込んできた声は澄んでいる。三人ははっとして、声のした方へ目を向けた。視線の先には女が立っている。
 腰まで伸びる銀髪を無造作に垂らし、緑の瞳を妖しく輝かせる彼女は、肉の載った大皿を両手に持っていた。
 呆然としている三人のうち、リネが野菜をのみこんでから首をひねる。
「……お姉さん、誰?」
「ははは! そういう反応があるのも無理はないか」
 女は楽しそうに目を細めた。一方で彼女の声を聞いたソラは、その場で凍りつく。訝しげなリネとタスクをよそに、恐る恐る問いかけていた。
「もしかして……ジルテア様ですか?」
 問いかけながらも、ソラの中には確信があった。人間好きの彼女なら、擬態するくらいは平然とやるだろう、という確信が。少年のそんな胸中に応えるかのように、紅唇が三日月形を描く。
「ご名答。さすがは、フウナの子だな」
 鈴を転がすような笑い声が響く。堂々と人型をさらす里長に呆れて、ソラはため息をついていた。
 その横では、リネがあんぐりと口を開けてジルテアを見ている。そしてタスクの目は、好奇心に輝いていた。
「すごい! そんなことができるんですね!」
「この程度の変化、朝飯前だ」
 人の姿をとった妖狐が得意気に言うと、タスクは情報屋の本能のままにあれこれと質問を始める。熱意と興奮が感じられる光景を、ソラは冷やかな目で見つめた。彼が袖をひかれる感触を覚えて振り返ると、リネが目を瞬かせている。ようやく驚きから立ち直ったらしい。
 彼女は、感心したように相方を見つめている。 「ソラ、あんまり驚かないんだね」
「まあな。母さんがずっと人の姿で生活していたから、違和感はない」
「そっか」
 彼の言葉をどう受け止めたのか、少女は悲しげにうつむく。ソラは、小さな頭を無言でなでた。

 なぜか得意気にむふん、と笑ったジルテアが、大きな音を立てて三人の前に皿を置く。それから、さりげない所作で客の前に腰を下ろした。
「さて、お主らの質問には答えたぞ。今度は私の願いを聞いてくれ」
「ジルテアさんの?」
「そうだ。お主らの旅の話が聴きたいと思っていたのでな」
 子どものように目を光らせる里長に、ソラたちは苦笑する。それから、順番に少しずつ話をした。
 いろいろなことを話した。旅立ちのきっかけから、猛獣の巣に飛び込んだこと、武芸大会に出たこと。タスクであれば情報屋の仕事のこと。そして――最近の、魔獣との接触のことまで。
「なるほどな! やはり、外の世界の話は面白い!」
 ジルテアが杯を傾けながら笑う。いつの間にか酒を持ってきていたようで、杯の中からはアルコールのツンとした匂いが漂っていた。ソラは、ジルテアのあまりの陽気さに戸惑う。どこからどう見ても素面なのだから余計だった。しかし、彼女は笑みをすぐに消して、考え込む顔になる。
「しかしどうにも、その魔獣とやらが気にかかるな……」
「幻獣たちにも分からないんですか? 『あれ』がなんなのか」
「調べてはいるが、さっぱりだな。この上、我らの同胞まで狂わされているというのが――実に不愉快だ」
 そうこぼした彼女の目には、幻獣種族――大陸最強の種族としての威が確かに宿っていた。
 無形の威圧感に怯んで、ソラたちは無意識に身を引く。だが、そんな恐ろしさもすぐに消え去った。視界に何かを捉えると、ぱっと顔を輝かせる。
「おお、クイード!」
「クイード?」
 ジルテアの歓喜の叫びを、リネが舌足らずな調子で反芻する。覚えのある名前を聞いたソラは、ぎくりとした。
 肉に食らいつく牙族の群れをかき分けて現れたのは、クイードと名乗ったあの雄狼である。リネもタスクも顔を見て分かったのか、「あ!」と叫んでいた。
 一方クイードは、三人を一瞥してから、ジルテアに呆れた視線を投げた。
『ジルテア様……また変化なさっているのですか』
「よいではないか。この方が彼らも話しやすいだろう」
 ため息をつくクイードに、ジルテアは調子よく返す。ただ、彼女の瞳の輝きを見れば、その言葉が口実に過ぎないことは明らかだ。クイードもそれをよく分かっているのだろう、疲れたようにかぶりを振る。
『あまり人間に肩入れしない方がよろしいかと。我らをこの辺境の地へ追いやったのが誰か、お忘れですか』
「……忘れてなどいない」
 硝子にひびが入るように、穏やかな空気が険悪なものに変わる。無意識なのだろう、リネがソラにしがみついた。
 息苦しい静寂の中、ジルテアが細い息を吐く。
「忘れてはいないが、それとこれとは話が別だ。彼らにはなんの罪もない。おまえも人間と混血児を非難する立場だというのなら、そうもいかぬだろうがな」
『私は他者のことなど興味ありません』
「ふふふ。そう言うだろうと思っていたよ」
 ジルテアがころころ笑うと、クイードは眉をひそめる。どうも、この里の者はジルテアに弱いらしい。二者のやり取りから悟ったソラは、無愛想な牙族に見とがめられないよう、声を殺して笑った。隣からも、リネの堪えるような笑い声が聞こえてきている。
 彼らが和気あいあいとやり取りをしていたとき、幻獣の集団の中から小さな影が飛び出してきた。影は勢いよく、クイードの背に飛びついた。
『父ちゃん!』
『……アルツ』
 驚いたように名を呼ぶ狼と、背にじゃれつくその子供。微笑ましい光景を見て、人間たちは目を丸くする。
「クイードさんって、子どもいたの!?」
「ていうか、結婚してたんだね。意外ー」
 リネの叫びに便乗するかのように、タスクが茶々を入れる。おかげでクイードにじろりと睨まれていたが、当人は威圧も怒りもものともせず、苦笑して肩をすくめるだけだった。
 そんなやり取りの最中、アルツと呼ばれた子どもの大きな瞳が、ソラたちを見る。
『あ、人間だ』
 無邪気に叫んだアルツは、転がるようにして三人のもとへやってくる。そして、熱心に彼らを眺めた。くりくりとよく動く瞳は、ソラの前で止まる。
『でもおにいちゃん、みんなと同じにおいがする』
「そ、そうか?」
 まだ幼く、純粋な子どもは、何も知らない。だからこそ突き刺さる言葉に対して、ソラはとぼけることを選んだ。アルツは不服そうな顔をしたが、間もなく興味は隣へ移る。
『おねえちゃんも、なんだか変な感じがする』
「え!? わ、私!?」
 じっと見つめられてそう評されたリネが目を白黒させた。海色の瞳は、すぐに戸惑いと悲しみの色を帯びる。
「変って、どういうことだろう……」
 膝を抱えて座りこみそうなリネを見て、タスクが笑っていた。
 アルツは三人を楽しそうに眺めていたが、やがて父の方を見る。両目がきらきらと輝いていた。
『ねえ父ちゃん。ぼく、この人間たちと遊びたいなあ』
『そういうのはだめだと、いつも言っているだろう』
 顔を輝かせた子どもの頼みを、しかし父親はにべもなく切り捨てる。理由も分からずただ「だめ」と言われたアルツは、『えーっ!』と不満の声を上げて、牙をむき出した。
 それが拗ねているときの行動だと知っているソラは、母にしょっちゅう駄々をこねていた昔の自分を思い出して微笑む。
――ともかく、アルツがどんなに不貞腐れても、クイードは首を縦に振らない。親子の様子を見かねたのか、ジルテアが口を開いた。
「まあ、よいではないか。少し遊ぶくらい」
『ジルテア様!』
『ほんとう!?』
 苦言を呈するクイードの横で、その息子がぱっと笑顔になる。
『ほんとうに、遊んでいいの!?』
「ああいいぞ。私が許す」
『やったー!』
 里長の加勢により父から勝利をもぎ取ったアルツは、そのまま転がるようにリネの元へやってきた。
『おねえちゃん、遊ぼう!』
「えっ、私!?」
 先程彼に「変」と評されたリネは、戸惑っていた。が、精神年齢がそれほど離れていないせいか、勢いの凄まじい牙族の子どもをすぐに受け入れ、いずこかへと走っていく。
「うむうむ。仲良きことは美しきかな」
 一人と一匹の後ろ姿を眺めながら、ジルテアがぽつりとこぼす。そしてクイードは嘆息していた。すぐ近くでその様子を見ていたソラはしかし、何も言わずにおいた。下手なことを言って烈火のごとく怒られても困るので。

 宴の夜は、穏やかに続いていたのだ。――このときは、まだ。