第六話 月夜・1

 紅く色づいた葉が、風に吹かれてかさかさと乾いた音を立てている。うす青の高い空には、うろこ雲が散っていた。吹く風はきんと冷えていて、今にも草葉を散らしてしまいそうな鋭さがある。冬の到来も、間もなくだろう。
「今年も、野宿に注意しなくちゃいけない時期が来たな」
 土の上に落ちた枯れ葉を踏みしめながら、ソラはぽつりと呟いた。
 冬は、日が暮れるのが早いうえに、朝晩はぐっと冷え込む。この時期から、うっかり凍死してしまわないよう、気をつけなければいけなかった。
「野宿しないで済むのが、一番いいんだけどねー」
「ま、そりゃそうだ。今日は、どうだろうな?」
 隣を歩く少女の言葉にこたえながら、さりげなく、問いかける。相棒リネは、両手で持っている大きな紙を顔の前まで持ちあげた。二人が今いる地域の、大まかな地図だ。
「うーんとね。夕方には着くんじゃないかな、『記録都市』ポルトリート」
 リネは、地図を指でなぞりながら、無邪気に告げた。その様子にソラも思わずほほ笑む。
「記録都市か。なにか見つかるといいな」
「タスクさんの紹介だもん。きっと、手がかりがあるはずだよ」
「そう、だな」
 ソラは、心の曇りをごまかして、笑みを深くする。タスクも確信を持って紹介してくれたわけではないだろう。そう思うのだが、純粋な少女の期待を打ち砕くようなことを口に出すのは、はばかられた。

 二人が目的地を定めたきっかけは、ソラの友人にして情報屋の少年、タスクの言葉だった。先の幻獣種族の隠れ里における騒動のあと、森を出て、町に戻った三人は、宿屋に集ったのだ。
「二人は、これからどうするの?」
 椅子に腰かけたタスクが、のんびりとした口調で訊いてくる。
 向かいの寝台で銃の手入れをしていたソラは、手は止めないまま顔を上げた。リネと二人、きょとんと顔を見合わせる。突然の質問に、虚を突かれたせいだった。少しうなったすえに、言葉を選びながら話す。
「ひとまず、図書館で幻獣や魔女に関する記述をあたってみようと思う。もしかすると、街の人から手がかりになる噂を聞けるかもしれないし」
 相棒の少女と話しあった上での、暫定的な結論。それを聞いた情報屋は、案の定、眉をひそめた。
「ずいぶん効率悪いな。雲をつかむようなものじゃないか」
「俺もそう思うよ。でも、現状、これくらいしか打てる手がない」
 部品のひとつひとつを見ながら、ソラはため息をつく。銃に異常はないようだが、手詰まりに等しい状況に嫌気がさしてくる。ただ、それもしかたのないことなのだ。幻獣にしろ魔女にしろ、存在は知っていても、今や頭から信じていない人々ばかりである。昔の記録も多く残っているわけではなく、だからこそ、現実味のないものたちとして、恐れられているのだった。だからこそ、ソラのような者も恐れ、忌むべきものとして避けられて、集団からはじき出される。
 タスクは、難しい顔で考えこむ友人をしばし見つめていたが、ややして天気の話でもするかのような調子で切り出した。
「なら、ポルトリートに行ってみたらどうかな」
「ポルトリート?」
 耳慣れない単語を聞いて、ソラの表情が曇る。それまで黙って聞いていたリネも、興味津々に身を乗り出した。少女が目を輝かせて「なにそれー」と言えば、亜麻色の髪の少年は、得意な顔になった。
「『記録都市』とも呼ばれる大きな街だよ。その呼び名からもわかるように、街の図書館には、貴重な書物がたくさんある。そこなら、世に出回っていないような幻獣や魔女の資料もあるかもしれないよ」
「なるほど。ひょっとしたら、トルガ森の記録も見つかるかもしれないな」
「まあ、運がよければ、ね」
 ソラの呟きに、タスクは肩をすくめて答える。正確なことは言えない、と物語るような苦笑は、無用な気休めを言わない情報屋としての気性の表れだろうか。旅人二人は目を合わせる。考えこんだ時間は短かった。迷っているひまも、理由もありはしないのだ。
 ソラは、無二の友人に向かって、頭を下げた。
「行ってみるよ、ありがとう」
 しおらしく礼を言った彼は、しかし、すぐに湿っぽい空気を打ち壊した。悪戯っぽい目で少年を見やる。
「で、いくら出せばいい?」
「お金はとらないよ。進捗状況の報告が、報酬のかわりさ」
 好奇心旺盛な情報屋は、不敵に片目をつぶってみせた。

「やっぱり、日が短くなってるな」
 天をあおいだソラは、ひとりごつ。
 気づけば、すでに日は傾きかけていて、街道の木々が黄金色に染まりはじめている。完全に、太陽が地平線の彼方へ没するまでにはまだ時間があるはずだが、夏に比べれば、確実に明るい時は短くなっていた。ただでさえ冷えた空気も、じょじょに鉄刃に似た鋭さをまとってきている、できれば街に着きたい、とソラが目もとにあせりをにじませたとき、うねる道のむこうに家いえの影が見えた。
「あっ! 街!」
 甲高い声が冬空に響く。リネは、今にも踊りだしそうなほど、喜んでいた。ソラも安堵の息を吐く。
「やれやれ。なんとか間に合った」
 どうやら、今夜は、寒い中で野宿をせずに済みそうだった。

 巨大な石のアーチをくぐると、雑然とした街並みが二人を出迎えた。石造りの建物の合間を縫うようにして、人々が駆けている。学生とおぼしき、黒い長衣をまとった子どもたちの姿も多い。質の良い黒地の布が、ソラの目の前でひらりと舞った。目をきらきら輝かせてあたりを見回していたリネが、ふっと上を向き、歓声を上げた。
「すごーい、何あれ!」
 無邪気な声に釣られ、ソラはリネが指さす方を見た。
 建物の群のなかから、巨大な三角屋根が飛び出ている。屋根を支える煉瓦の壁が、赤々としていて、街の中でもひときわ目立っていた。
 ソラは、しばらく巨大建造物に見入っていた。ややして、彼はうなずく。建物の正体に気づいたのだ。
「なるほど、あれがポルトリートの図書館か」
「えっ、あれが!?」
 隣で、上を向いて口を開けていたリネが、振り返った。
「多分な。本がたくさんある場所だっていうし、あれくらいでかくっても不思議じゃないさ」
 リネが、ほー、と感心の声を上げる。その横で、ソラは肩をほぐした。一度頭の中を整理して、今後の予定を組み立てる。
「よし、ひとまず今夜の宿を探そう。それから図書館に行く」
「魔女のこととか森のこととか、わかるといいね」
 胸の前で拳をにぎる少女に、少年はやわらかい笑みを向けた。
 二人はしばらく、街を歩き回った。そして、よさそうな宿屋を見つけた。中心街からやや東にそれたところにある、薄紅色の外壁の民家だ。田舎の安宿よりは高いが、朝夕の食事つきで寝台は一人に一台、清潔な布を使ったものが用意してあるという。二人の旅人は、設備のよい宿にすぐさま食いついた。
 ソラは、受付で手早く手続きを済ませた。主人から合鍵を受け取ると、きょろきょろしている相棒を振り返る。
「リネー、上行くぞ」
「はーい」
 ぴょん、と飛び跳ねた少女は、青い髪をなびかせながらついてきた。宿屋の主人は、若い二人をほほ笑ましげに見送った。
 階段を調子よくのぼっていく。その途中、ソラは足を止めた。後ろをついてくる足音も止まった。まわりから音が消えたおかげで、階上の騒がしい声がよく聞こえた。リネが、少年の背からひょっこりと顔を出した。
「なあに、この声」
「言い争ってる……みたいだけど、ここからじゃ何言ってるのかはわかんないな」
 ソラは眉をひそめる。中身がわからずとも、快い内容でないことは確かだ。盗み聞きする趣味もない。知らぬ存ぜぬを通そうと考え――しかし、直後に二人は顔を見合わせた。自分たちの部屋へ行くのに、言い争いの現場を通り抜けなければいけないことに気がついたのだ。階段の先とソラを何度か見比べて、リネが背を丸める。
「ねえ、ソラ。先に図書館に行かない?」
 ソラも、上と少女を順に見てから、頭を押さえた。
 言い争いに関係のない自分たちが、そこまで気を回す必要はない。ただ、リネが嫌がる気持ちもよくわかる。ソラとしても、お互い気まずくなるようなことは避けたかった。だから、うなずいた。
「……そうだな。引き返そうか」


 巨大な建物は、ソラの予想どおり図書館だった。それを示す本の看板の下を通り抜け、扉の前に立った二人は、言葉を失くして立ち尽くす。
 あらゆる知の集まる建物は、大きく、高くそびえ立つ。赤い煉瓦が落日を弾いて輝き、人の目をくらませた。堂々たるたたずまいは、図書館というより貴族の館を思わせる。
「……なんか、すごいね……」
 ややしてこぼれたリネの声に、ソラはうなずくこともできなかった。
 しばらくして、旅人たちはようやく驚きから立ち直った。ソラがみずから進み出て、両開きの扉に手をかける。木製の扉は思いのほか軽く、少し押しただけで内側に開いた。熱をはらんだ風にのり、紙とインクのむせかえるようなにおいが漂ってくる。二人は、どちらからともなく図書館に踏み入り、また息をのんだ。
 本、本、本の山だ。本がびっしりと詰まった棚に、建物の内壁はほとんど占領されている。壁際の棚より少し低い棚が床の上に列をなし、いくつもの通路を作りだしていた。
「わー……。タスクさんが見たら、すっごく喜びそうだなあ」
 放心状態のリネが、そんなことを呟いた。ソラは大きくうなずいた。友人がポルトリートを紹介したのも、納得できる。ここは、まさに情報の宝庫だ。

 二人の資料探しが始まった。本は種別ごとに分けられて、書架に収まっているらしい。ソラは、魔女や理想郷のことを調べるならば、まずは『神話・伝承』の棚だろうと見定めた。本棚の上がわにある小さな金属板の文字を見ながら、リネを連れて歩いてゆく。人は多い。けれど、館内は怖くなるくらい静かだ。
 二人は黙々と歩いていたが、途中で、リネが足を止めた。
「わあ!」
 少女の声に驚いて、ソラは、ぱっと振り返る。彼女の視線を追って、すぐに納得した。リネを一瞬で虜にしたのは、絵本が集められている区画だった。ソラが生まれる前のものから、最近出回り始めたものまで、さまざまな絵本が表紙を上にして並べてある。
 リネは彼を振り返ると、「ねえねえ、ここ、見ていってもいい?」と目を輝かせて言う。ソラは、こめかみを押さえてうめいた。
「言うと思ったよ……」
 大人向けの論文なども抵抗なく読むリネだが、やはり好きなのは恋愛や冒険のお話、そして絵本だった。長くともにいるからそれは知っているが、いかんせん今は資料検索の最中である。ソラが返答を渋っていると、ふてくされたリネはソラにじゃれつきはじめた。
「ねえ、ねーってばー! ちょっとだけでいいからー」
 まるで子供だ。というより、どこからどう見てもただのだだっ子だ。ソラは、相棒の醜態に嘆息を禁じ得なかった。小さな体をむりやりひきはがすと、かぶりを振る。強く咎める態度ではなく、反対にあきらめのしぐさだった。
「わかったよ。ちょっとだけだぞ」
「やった!」
 ソラの返事が終わらぬうちに、リネは道の奥に駆けてゆく。ため息とともに少女を見送った少年は、きょろきょろとあたりを見回した。絵本は目に楽しいものばかりなので、ただながめているだけでも暇つぶしになる。歩きながら表紙をながめていたソラは、ある一冊の前で黒茶の瞳を止める。吸い寄せられるように古びた表紙へ指をすべらせ、その一冊を手に取った。
 表紙に描かれているのは、杖を持ち、黒衣をまとった老婆。「いかにも」な魔女の姿だ。そして題名は、『黒の魔女と封じられた森』。太い文字を追ったソラは、緊張に身をすくませる。
「トルガの森の話か……?」
 呟き、慎重に表紙を開く。そして、ページをぱらぱらとめくっていった。
 幻獣と思われる獣たちと、黒い魔女。突如飛び出した黒いもや。もやに覆われ、枯れてゆく森。物語は、ジルテアから聞いた理想郷の話と酷似していた。ただ一つ、違うのは、『黒の魔女』がはじめから悪役として描かれていること。
 最後のページをめくったソラは、黙って絵本を閉じた。この物語は、森が黒く閉ざされ、獣たちが別の土地へ逃げたところで終わる。子供向けに描かれる「絵本」には珍しい、後味の悪い終わり方。こんな本をいったいどこの誰が読むのか。ソラが呆れて絵本を戻したとき、「ソラ、見て」と、後ろで声が弾けた。
 少年は、軽く首をひねった。
「どうした?」
 ソラのもとへ駆けよってきたリネが、楽しげに本を開く。
「この絵本、おもしろいよ。魔女が出てくるお話しなんだけど」
「ほう」
 相棒の一言に興味をひかれ、ソラは身を乗り出した。絵本が手がかりになるという期待はしていないが、見ておいても損はなかろう。
 題名は『くるわせの鏡』。物騒である。加えて、月夜に輝く鏡の絵が、なんともぶきみだった。
「この狂わせの鏡っていうのはね、魔女が作った道具なんだって」
 息を弾ませ語るリネ。その隣で、ソラは黙々とページをめくる。『狂わせの鏡』を人がのぞくと、その人とは似ても似つかぬ異形の姿を映し出すらしい。何度のぞいても、いつのぞいても、自分ではないおぞましい顔が映し出される。それが繰り返されることで、所有者は少しずつおかしくなってゆくという。だから、狂わせ、なのだ。
「なんか……気色悪いな」
 途中でソラは、絵本をリネに返した。彼女は無邪気に続きをめくる。
「魔女って、変なもの作るんだね」
「そもそも、その鏡が本当にあるかどうか、わかんないだろ」
「そうなんだけどさ」
 他愛もないやり取りをしながらも、二人は絵本の世界の探検を終えた。もっと専門的な伝承を取り扱っている書架を探し、調査をはじめる。しかし――閉館ぎりぎりまで調べても、魔女や理想郷のことは、何一つわからなかった。