第八話 魔女の団欒・2

「ところで、リネット」
 ウィンディアが本来の名でリネを呼んだ。ソラが目を向けると、二人とも苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「あなた、あのはた迷惑なまじない師を知っているの?」
「……知っているというか。旅の途中でもめたことがある」
 返す少女の貌が暗い。答えるのをためらったようにも見えて、ソラは首をひねった。それでも、青い目がこちらに向けば、彼女は自然と語りはじめていた。
「何が目的かはわからない。あちこちで魔獣を生み出して、操って、混乱を引き起こしてる。あと、幻獣種族の理想郷を封じたのも彼――彼らみたいなんだ」
「はあっ?」
 それまで泰然としていた魔女が、はじめて表情を崩した。素っ頓狂な声を上げたウィンディアは前のめりになって問いを重ねる。
「どういうこと? まじないで、そんな複雑なことはできないでしょう」
「そう、なんだけど。ある隠れ里の長は、魔女を操ったんじゃないかって言ってた。『操った』っていうのが、まじないでそうしたのか、誑し込んだっていう意味なのかはわからないけどね」
 底光りした碧海の目を見つめ、ウィンディアは柳眉をひそめる。
「けど、心当たりはあるのね」
 剣のような言葉を向けられ、少女は息を詰める。寄ってたかって追い詰めるつもりはないが、ソラもつい彼女を凝視してしまった。リネはしばらく唇を噛んで黙していたが、やがては口元から力を抜いた。
「『深淵の魔女』」
 ほころんだ唇の隙間からこぼれた名前を、ソラは知らない。彼はただ、別の魔女の二つ名をかみしめて、銀の風の魔女をうかがった。
 思わず、え、というような声がこぼれる。ウィンディアが顔をこわばらせて動きを止めていたからだ。あの魔女でもこんな反応をするのかと、出会って数時間ながら意外に思う。
「なんですって」
 うめくように反問した女性に、リネはただ答えを重ねた。
「操られたとしたら深淵の魔女だと思うの。彼女の様子がおかしいの、見たことあるから」
 ウィンディアは眉間を押さえて、いやそうに身じろぎした。沈黙が生まれたのを感じ取って、ようやくソラは口をはさむ。
「それで俺たち、まじない師と魔女に枯らされた理想郷を甦らせる方法を探しているんです」
「理想郷を甦らせる、ねえ」
 眉間から指をどけた魔女は、それを顎に滑らせる。紫色の瞳が二人の顔をなぞり、花弁のごとき唇が薄く開いた。
「できなくはないわよ。ここにいる三人が、全力を出せば」
 まるで、天気の話でもするかのようなさりげなさで言葉が続く。ソラとリネは、揃って瞠目した。
「できるの?」
「多分。ああでも、手順は『深淵』に訊かなきゃ。あなたの話が本当なら」
 リネがわずかに眉を下げる。ウィンディアは気づいているのかいないのか、虚空をにらんで呟いた。
「でも、まずは幻獣種族だわ。人間に反発している奴がいるのなら、どうにか説得しないと。トルガの森にも入れてもらえない」
 長は友好的だからなんとかなる、と言いかけて、ソラはその前に問いを投げかけた。
「あの。協力、して下さるんですか」
「もちろん。私もまじない師どもには腹が立っているから。それに、あなたに興味があるのよ」
「俺に?」
 ソラは目を丸めて問い返す。しかしウィンディアは意味ありげに微笑するばかりで、続きを言ってはくれなかった。
 白い指が、銀糸のような毛をすくい上げてくるりと巻く。銀の風の魔女は、やおら立ち上がり、もう一人の魔女へと体を向けた。
「それで。あなたが会った隠れ里の長っていうのは、誰?」
「ジルテアさん。妖族の」
「へえ。あの妖狐、まだ生きてたんだ」
 言葉にはどことなく棘が感じられた。リネもそれは同じだったのか、唇を曲げる。
「ひょっとして、仲悪かったの」
「いいえー。むしろいい方だと思うわよ。ほかの連中が私をどう思っているかは知らないけれどね」
「なら、いいんだけど」
 女たちのやり取りは続く。ソラはそれを混濁しだした意識の中で聞いていた。目に見えない圧力が瞼を下ろそうとのしかかってくる。
「ま、とりあえず」
 ふとこちらを見た紫色の瞳が、薄く笑んだ。変化に気づいたのだろう。
「彼の具合がよくなってから、話を詰めましょう」
 さっぱりとした声が、ソラの耳には遠く響く。そこから先もなにか言葉が続いた気がするが、それを聞くことなく、彼の意識は闇に落ちた。

 木々のそよぎの間を縫って寝息が響く。その隙間にうめき声と荒い息遣いが混じるものだから、リネットとしては気が気ではない。彼女の様子を目ざとく見て取ったウィンディアが、軽く顔をしかめる。
「幻獣種族は寝て傷を癒すものよ。あなたがあれこれ気にする意味はないわ」
「そう……かもしれない、けど」
 抗う声は弱くなった。額に汗をにじませてもがく相方を、見つめる。見ていることしかできないのが、たまらなく歯がゆくて不快だった。ほかのことならどうとでも割り切れるが、ソラのことだけはままならない。感情に引っ張られている己を自覚して、情けない気分になる。
 リネットが感傷に浸っている間にも、ウィンディアは丸テーブルに肘をついて笑った。
「あなた、しばらく見ない間にずいぶん人間らしくなったじゃない。力を封じていたせい? それとも彼のおかげかな」
 魔女の双眸が眠る少年をとらえる。からかいの気配を感じたリネットは、頬を染めてうつむいた。
「リネ」にとってソラは兄のような存在だった。そして長らくともに旅をした相棒でもある。「リネット」の自我を取り戻したからといって、急に認識が変わるはずもない。ウィンディアもそのあたりを否定する気はないようで、まあいいわ、と言ったっきり、この話題を打ち切った。
「ところでリネ、さっきの『深淵』の話、どこまで本当?」
 布を水に浸していたリネットは、手を止めた。
「どこまでって、全部」
「全部?」
「うん。力を封じる前のことだけど、珍しく住処から出ていく彼女を見たの。しかも、知らない人たちと一緒に。そのときの顔がなんというか、生気のない感じだったから、気になっていたんだけど」
 幽霊のように歩む女も、隣を行く男たちも、ひどく不気味だった。今ならはっきりと思い出せる。少女の人格でしかなかったときのように取り乱すことこそないが、あまり気持ちのいい記憶ではない。
 布をきつく絞って整え、ソラの頭に乗せる。苦し気な気配が少しだけ薄まった。
 それからウィンディアを見やると、彼女は珍しく神妙に考え込んでいる。
「変ねえ。仮にも魔女よ? そう簡単に操られるタマじゃないと思うんだけれど」
「私だってそう思うよ」
「はあ……。今どこで何をしていやがるのか、確かめる必要がありそうね」
 うんざりしたように呟く旧友を、リネットは深く考えず眺めていた。しかし途中であることを思い出し、彼女を呼んだ。
「ねえ。もしかしたら、神様が関わっているかもしれない」
「なんでよ。神族(あいつら)の戦場は東でしょう」
「でも。あのまじない師、前に言ってた。『神』の命令で動いている、って」
 ウィンディアは反論の余地を失ったのか、口を開閉しながら固まった。少しして驚きから覚めると、盛大なため息とともにテーブルを叩いた。
「ああ、もうっ。面倒くさいわね」
「喧嘩はよそでやってほしかったよね」
 苛々と吐き捨てる友人に、リネットは苦笑する。しばらくは刺激しない方がいいだろう。とりあえず、いまだ眠る相棒の様子を見ておくことにした。