しばしの沈黙の後、タスクが恐る恐る口を開く。
「リネが発したもの……ってことは、彼女たちに何かあったってこと?」
「恐らくな」
冷静に答えたソラはしかし、本心では叫び出したい衝動にかられていた。余計な騒動を呼びこんで里の者たちに反感を買うことだけは、絶対にあってはならない。
ソラは視線だけでクイードの様子をうかがう。冷静沈着な表情をしているが、こみあげる苦々しさは隠し切れていなかった。見なければ良かったとすぐに考えて、少年はため息をついた。
「とにかく、俺は二人の様子を見てくる。……タスクも来るか?」
「そうさせて、もらおうかな」
この里になんの力も持たない人間がひとり残るのは危険だ。さすがのタスクもそれを分かっていたのだろう。引きつった笑みを浮かべながらソラの背後についた。
少年は里長を振りかえる。苦い顔で謝罪した。
「お騒がせして申し訳ありません、ジルテア様」
「何、構わぬよ。それに、私としてもアルツとあの娘の安否が気にかかる。行ってまいれ」
「はい」
ソラは神妙にうなずいて、一歩を踏み出す。――だがその瞬間、突き刺すような寒さを覚えて空を見上げた。タスクが眉をひそめたことにも気付かず、夜空を凝視する。
「どうしたの、ソラ――」
『ジルテア様!』
ソラの顔を覗き込んだタスクの声をさえぎる絶叫が響いた。その場にいた全員の視線が斜め上に向く。
夜空の中を突っ切って、天族の若者が彼らの元へ飛んでくるところだった。顔がひどくこわばっている。明らかに切迫した様子の若者をジルテアは手でとどめて、上空に向かって叫んだ。
「何事だ」
『突然の無礼をお許しください。しかし、甚だまずい状況でありまして。
――里の周辺に、魔獣とやらの出現が確認されました』
「なんだと?」
荒々しく叫んだジルテアはもとより、その場にいる全員が驚きに目を見開いた。ジルテアは苦々しい顔で、数度呼吸をする。冷静さを取り戻した目で再び天族を見た。
「数は」
『分かりません。しかし、少なくとも百五十はいる模様』
「厄介だな……。集落の戦闘員をかき集めろ! 今すぐにだ!」
『ははっ!』
忌々しさを隠しきれない里長の命令を受けた、若き天族は、集まった者たちの頭上をすり抜けて里の中へ飛んでいく。それを見送ったソラとタスクは顔を見合わせた。
「さて。こうなるといよいよ、リネたちが心配だね」
「ああ。あいつのことだから、簡単にやられるとも思えないけど。……とにかく急ごう」
リネとアルツの安否が気にかかるのはもちろんだが、今ここに長居すると自分たちに疑いの目が向くのでは、という懸念もある。凍てつく空気を肌で感じたソラは、まとわりつく悪寒を払うように首を振った。
ざわめきに包まれる里の中を、二人は逃げるように飛びだした。
里を出て藪の中を進むと、魔獣と遭遇することが増えた。通算十頭目を撃ったソラは、ため息をのみこんで空を見上げる。
「魔獣が飛びだしてくる方向と、光が見えた方向が同じなんだよな」
「偶然とは思えないね」
独白のような言葉に答えたのは、ついてきているタスクだ。魔獣との戦闘において完全に戦力外の彼は、先程から周囲の警戒に専念している。彼の五感は昔から獣並みに鋭敏なので、信用していた。その友人がかすかに眉をひそめる。
「……急いだ方がいい」
真剣な彼の言葉。ソラは神妙にうなずくと、地面を蹴って駆けだした。
二人は光の見えた方向を確認しながら走る。その間に何度も魔獣の襲撃を受けた。獣だけでは応戦しきれないので、ソラは幻獣の力を解放せざるを得なくなる。光の矢で獣を撃ち抜いて道をこじ開けた少年は、空色の目で辺りを見回した。
「きりがないな」
ソラは舌打ちを押し殺すも、苦々しい声で呟く。
今もまた、道をふさぐようにして数体の獣が姿を現した。しかし彼らは、ソラの青い目を見てわずかに怯む。けれど、背を丸めてうなっているところを見ると、どの道食いかかってくるだろう。さてどうしたものか、と思考する。そんな中――突如、視界が明るくなった。
ソラとタスクの眼前を、一条の光が通り過ぎていった。獣たちを一瞬にして焼き払った光は、蒼白い火花を散らしながら消えてゆく。
「……何、今の」
「……説明しなきゃだめか?」
破壊の痕に唖然として立ち尽くす二人の少年。やがて、彼らの前に人影が飛びだしてきた。
「ソラ! タスクさん!」
背後に小さな獣を連れた少女は、二人の姿を見つけると嬉しそうに手を振った。ソラとタスクは肩を落としながらも顔を見合わせる。
「リネ、アルツ。無事だったか」
『へーきだよ。ね、おねえちゃん』
「うん。まあ……とりあえずは」
自信満々にうなずくアルツに対して、リネはどこか煮え切らない態度だ。事態はそう甘いものではない――と、旅慣れた少女の瞳は語っている。
「何があったの?」
タスクが張りつめた表情で問うた。それは一人の少年としてではなく、情報屋としての冷静な表情だ。彼の様子に影響されたのか、リネの目にも本来の感情を映した翳りが広がる。
「まじない師が、いたの。魔獣使い、とも呼べるけど。そいつが魔獣を呼びだそうとしてたから、みんなに知らせなきゃ、って思ったの。でも……」
「見つかった、ってことか」
言い淀んでしまったリネの代わりにソラが続きを引きとると、少女は弱々しく首を縦に振った。
「それでなんとか、あのワンちゃんを追い払いながら逃げてきた」
ソラがしかめっ面になったせいか、リネも疲れたような苦笑を見せる。それをそばで見ていたアルツが、目を見開いた。
「そういうことなら、まずここの魔獣たちを退治してやらなきゃ!」
空気を変えるためか、タスクが明るい声を出す。悪戯っぽささえ感じる声にソラも表情をゆるめた。その手で拳銃を弄ぶと、再び狙いを定めて引き金に手をかける。そして次の瞬間、リネの背後にまで迫っていた鹿がのけ反って倒れた。どさどさと音を立て、草の上を盛大に転がって息絶える。音に振り返った少女は瞠目したが、一度かぶりを振ると、すぐ口元を引き締めて前を向いた。
「ありがとう、ソラ。私も手伝うよ」
「ああ、頼む」
相棒の実力をよく知るソラは、彼女の申し出を拒否しない。銃を手に周囲を見回した彼は、それからリネの方へ無造作に何かを放った。放物線を描いて飛んだ物体を、少女は器用に受け止める。
「ふふっ、ありがと!」
色白の手の中にあったのは、彼女が愛用する棒手裏剣だ。得物を受け取ると同時に彼女は素早くいつものように構えて、一本を投てきする。刃は近くの獣の眉間に刺さり、あっという間に絶命させた。
「やるう」
タスクが愉快そうに口笛を吹く。半眼でそれを見てから、ソラはふと大地と木の上を見比べた。
魔獣は倒しても倒しても、まるで湧水のように次々と出てくる。ソラもリネも、先の掃討作戦で騎士団がとった戦法が正しかったのだと、改めて認識していた。
「今回も、魔獣に戦わせて術者は高みの見物か?」
恨めしさを込めて呟いてから、彼は一度発砲する。素早く体をひるがえして、横から迫っていた狼を撃ち抜いた。二体を続けざまに撃った彼は、息つく間もなく次の弾を装填する。
次の獣に狙いを定めようとして、ぴたりとその動きを止めた。
――空気が、変わった。
不気味な緊張感に気付いたソラとリネは、同時に得物をあらぬ方向へ向ける。タスクが困惑して二人を見比べているが、気にしている余裕はなかった。
銃口と刃の先には、どこまでも続く深い闇が広がっている。
魔獣が止まった。奇妙な静寂が辺りを覆うと同時に、闇が揺らぐ。
暗黒の中から現れたのは、まるでその一部を切り取ったかのような漆黒の衣を纏う、まじない師であった。
「幻獣の子どもに、この間の二人組……それに知らない小僧が一人か。ずいぶんと豪華な面子だな」
身構える三人と一匹へ、まじない師は嘲るように言葉を投げかける。
訝しく思ったソラは、反射的に眉をひそめる。
「この間?」
「そうだ。忘れたわけではあるまい」
まじない師は多くを語らない。それでも、彼らは言葉の意味を察した。――少なくとも、先の魔獣討伐戦に参加した者たちは。
にらみつける二人へ、まじない師は余裕たっぷりの笑みを見せつけた。
「先立っては、私の仲間が世話になったな。礼を言う」